第12話 人と魔剣
魚里高校の魔法使いは二人いる。
純血エルフ故に、膨大な魔力と未熟な精神が表裏一体となっているイリアとは違い、もう一人の魔法使いは既に完成されている。
相手が誰であろうとも、どんな状況であろうとも、ウィリス・野呂柿は揺らがない。
イリアが悲鳴を上げるそのすぐ側で、ウィリスは詠唱を始めていた。まずはアウトレンジからの先制攻撃。動きを止める牽制の魔法を放つために。
「ウィリス! 俺にやらせろ!!」
その魔法をバーンが止めた。ウィリスはちらりとバーンに目を走らせると、詠唱を解いた。
互いに三年生同士。ウィリスとバーンはそれなりに長い付き合いである。バーンの我儘には慣れているし、我儘を認められるだけの信頼もある。
「新しい装備の手応えを試したくてよぉっ!」
バーンは赤い篭手を両手で打ち鳴らす。肘までバーンの拳を覆う篭手は美しいスカーレッド。バーンが纏う朱色の道着よりもさらに赤い。
腕と同じ赤が、脛から足首にかけても鮮やかに輝いている。道着と靴の甲の部分にも赤い脛当てが巻かれている。
赤い脚絆と赤い篭手。手と足の4つの武装がヤマトから与えられたバーンの魔装である。
堂々と一人だけ前に出たバーンに、一匹目の蜘蛛のバケモノが襲いかかる。
八本の足で地を斜めに蹴りあげると、野生動物の狩りのように低い軌道でバーンへと飛びかかる。
閉ざされていた蜘蛛の顎が、バックリと開かれる。
数珠のように繫がる黄色い目のすぐ下まで、巨大な孔が生まれた。
二本の牙が観音開きの扉のように左右に開いていた。
その扉は人の肉を喰らうための扉だ。地獄へと繋がる門だ。
「ひぐっ」
地獄の醜悪さを目にした幼きエルフが、しゃっくりの出来損ないのような悲鳴を上げた。
「来いやぁあっ!!」
しかしバーンは微塵も怯まない。
最初の一撃は決めていた。魔物の顔に向けて真正面からの正拳突き。顔のど真ん中にくれてやるつもりだった。
腰を落とし、拳を身体の側面まで引き絞ると、飛びかかってくる魔物に向けて半回転の螺旋運動が加わった突きを放つ。
「おっらぁああ」
バーンが吠える。咆哮と同時に、赤い正拳突きが蜘蛛の8つの複眼の中央の部分に突き刺さる。
「ぁああ゛っ?」
しかし気合いの一声は、インパクトの瞬間に気の抜けた声に変わった。
呆気なかった。手応えがまるでなかったのだ。
まるで金槌で卵を殴るかのように簡単に潰れたのだ。魔物の頭部は恐ろしく脆かった。
相手を怯ませるための出会い頭の一撃が、連続攻撃への最初の布石の一撃が、必殺となってしまった。
バーンの拳に自ら飛び込んだ形となったバケモノは、胴体の中頃までバーンの拳に侵されると、ぐちゃりとへしゃげて地に落ちた。
巨大な蜘蛛の魔物は、あっさりと魔石にかわった。
「んだぁ? こりゃ」
バーンは首をひねりながら自身の拳を見る。
ただ、不可解だった。
魚里高校のアタッカーとして、今まで何千匹と魔物を屠ってきたバーンにして、味わったことのない感触だ。
「バーン先輩! 左です!!」
タツマの警告でバーンはハッと我に返る。
ここは迷宮。二匹目の蜘蛛の魔物が、バーンの左手側から近づいていた。
体勢は低く地を這いながら、地を舐めるような体勢でバーンの左足に食らい付こうとしていた。
バーンは反射的に、しかし鋭いローキックを襲いかかってきた魔物に見舞った。
上から下に叩きつける手本のようなローキックがアスファルトの地面との間で魔物の頭をプレスした。
蜘蛛の頭部がやはりぐしゃりと歪み、押し付けられたアスファルトの地面に罅を入れた。
「ちげぇッ! こいつが弱いんじゃねえ! 武器が強すぎんだ!!」
「そういう事よぉ」
サイクロプスが頷いた。
「おめえの篭手と脚絆は、おめえらが倒した変異体の皮を使こうとる。骨が折れたぞぉ、馬鹿みてえに丈夫だから鋏も針も通しゃしねえ。ウチの迷宮がブラッディースライムのドロップの『赤い生きた血』を寄越してくれんかったら、ワシもここまでのモンは作れんかったわい」
「赤い生きた血?」
バーンの篭手と脚絆は、生き血の様に赤かった。
「『赤い生きた血』っつうのはのぉ、素材の形を変えてくれるのよ。『赤い生きた血』を十分に吸った素材は、血が乾くまでの間は自由自在に形を変えることができる。それこそまるで生きたスライムのようにのぉ。切るもつなげるも自由自在、針穴がねえから素材の耐久度も減らねえ。圧縮させた場所はより強くなる。その上に何よりも美しい。『赤い生きた血』を使った武器は、その色をブラッディースライムそのままの鮮やかな赤に変えるのよ。……ほれ、おめえらの武器にも使われとるだろうが」
カヤ達が自身の獲物を見つめる。カヤの棍と、イクアラの剣の柄も、バーンの武装と同じ赤い色をしていた。
「鍛冶神の迷宮っちゅうのはのぉ、鍛冶仕事に必要なあらゆるドロップアイテムを手に入れられる迷宮でもあるのよ。サイクロプスの鍛冶仕事は鍛冶神の迷宮との共同作業よ。…まあ、迷宮が力を貸してくれる事なんぞ滅多にないがのぉ。今回はアイテムも使い手もいい素材だったからのぉ、迷宮も手を出したくなったんだろぉ。お陰で最高の武器ができたわい」
ヤマトは自分の仕事を堂々と語った。
「なるほど…、確かにこいつは俺にゃあ5年は早え。強くなったと勘違いしちまいそうだぜ。ヤマト老師! ありがとうございます! 押忍!!」
粗野なイメージのあるバーンではあるが、尊敬すべき人間だと感じた相手には寺の小僧のように礼儀正しくなる。鍛冶職人の弟子になるわけでもなかろうに、ヤマトの事を老師と呼んだ。
「バーン先輩! 次は私の番だ!!」
常に冷静な筈のイクアラが、まるで玩具を与えられた子供のように駆け出した。ヤマトに礼をするバーンを追い越し、戦線の最前列に踊りでると、道の真中に仁王立ちする。
刃渡りが4尺あまりある大剣を鞘から抜く。その刀身はやはりバーンの篭手のように赤かった。刃の美しさに、イクアラは初めて恋を知った乙女のように-ほぅーと、短いため息をついた。
そしてすぐに顔を上げる。イクアラの三日月のような瞳孔が捉えるのは三匹目の蜘蛛。
二本の大きな牙が伸びる顎門が、イクアラに向けて大きく開いた。
イクアラは身を屈め、自分に向かって飛びかかって来た魔物の頭を真一文字に切り裂いた。
魔物の頭部が、まるで藁か何かのようにあっさりと刈り取られた。綺麗な断面図を垣間見た後に、ドス黒い体液が吹き出した。
「これが…、業物!!!」
振りぬいた時に刀身から柄へと伝わってきた感触に、イクアラがシュルルと笑った。
『斬る』という感覚はこういう物かと、イクアラは知った。
本来大剣とは斬る為のものではない。叩きつけるものである。
巨大な鉄の固まりをぶつける事によって、相手を潰しながら割ってしまうのが、イクアラにとっての剣であった。つまりは剣というよりも鈍器に近い。
「リザードマンの小僧の剣にゃあ大して手は加えとらん。素材が既に剣として最適じゃったからなぁ。刃の部分の形をほんの少しいじっただけよぉ」
イクアラの持つ赤い剣は、変異体の歯がその主要な材料となっている。ドロップされた時点で、元々が象牙のように反り返って弧を描き、鋭い刃先を持っていた牙である
。
牙の形をそのままに、刃として加工された片刃の剣はまるで巨大なシミターのような見た目であった。刃の最も薄い部分は削ったのではなく圧縮されているのだろう。最も濃い赤の線が刃の縁をなぞっている。そこから刃の峰へと向けて、夕日のようなグラデーションが作られていた。
赤い牙の刃の尻は鉄製のずんぐりと太い柄に収められており、その柄の部分には滑り止めの為の赤いサメの皮が巻かれている。
つまり、鞘から抜いた剣の印象は殆どが赤い。
巨大なシミター。バスターソードを愛用していたイクアラにとっては、今まで扱ったこともない剣の形ではあったが、イクアラの手に不思議に馴染んだ。
あるいはそれも、全てヤマトの見たてによるものであろうか。イクアラの種族は元々がアラビア地方の出身である。古き先祖の血がその剣をイクアラに馴染ませたのであろう。魔剣の手応えに、若き血も踊った。
「ぬぉおおおっ!」
踊りだしそうな踏み込みと共に、二匹目の蜘蛛を今度は縦に切り裂いた。やはり、しびれるような感覚だった。
イクアラに人斬りの趣味もその気も無いが。剣に魅入られた者達の心が理解できてしまった。
「なるほど…、確かに魔剣は人を魔性に落とす」
「それが解るならワシも安心よぉ、どこぞのアホみたいに魔剣に溺れて努力を怠るなよ。リザードマンの小僧」
金太が居心地悪そうに、ヒゲをねじりながら引っ張った。
「イクアラ! 残りは私の分!」
山伏装束の少女が、山猫のような高く鋭い声を上げた。その手に持つのは赤い棍。
赤い色が以前よりも深く透き通った綺麗な赤にはなったが、カヤが愛用していた鉄棍と見た目はさほど変わらないように見える。
しかしこれも魔剣鍛冶師の仕事。中身はもちろん別物である。
-軽い!-
握っただけでモノが違うとカヤは感じた。まずは軽さ。以前愛用していた鉄の棍の半分以下の重さであろうか。
軽くなった棍は、カヤの神速をさらに高める。魔物には狙いを定める暇すら与えない。
正面への突進をえぐり込むような横移動に繋げると、カヤは魔物の側面へと回り込んだ。
360度の視界を持つ蜘蛛の8つの複眼は、それでもカヤの存在を捉えていたが、攻撃の方向まで360度とは行かない。今、蜘蛛は無防備な体側をカヤに曝け出してしまっていた。
カヤの足は止まらない。グロテスクな姿を持つ蜘蛛に迷わず飛び込むと、胴体と頭の部分の繋ぎ目に向かって棍を振るった。
-柔らかい!?-
棍を振り下ろしながら、カヤはまるで竹刀でも振っているような気になった。風の抵抗を受け、棍が僅かにしなったのだ。-ヒュン-という笛の音のような風切り音がカヤに聞こえた。
大丈夫かと、カヤは一瞬不安になる。
軽すぎではないだろうか、柔らか過ぎではないだろうか、
堅さと重さは攻撃力を産む。故にカヤはこれまで木ではなく、鉄の棍を使用してきたのだから。
竹のように軽く柔らかいこの棍で、隔離迷宮の魔物と渡り合えるであろうか?
軽くやわらかな棍を振り下ろしながら、カヤはそう感じたのだ。
しかしインパクトの瞬間。それが杞憂だとわかる。
-強い!!-
強いのは魔物ではない。棍である。
魔物の首を打った瞬間、棍がまるで意思を持ったように堅くなった。
例えるならば、ボクサーのフックの一撃に似ているだろうか。鞭のようにしならせた腕を、インパクトの瞬間だけ硬く握るボクサーのフックだ。
しなりによって生み出された衝撃が、-パンッ-と小気味よい音を立てると、魔物の首いに炸裂した。防御力の弱い繋ぎ目ではあるが、魔物の肉が、弾けて散った。
その感触に、カヤの腹部が奥から奮える。
-気っ持ちいいっ!!!-
新しい棍の使用感は新感覚だった。
これまで棍を使った時のぐちゃりとした感覚ではなく、まるでありったけの爆竹を炸裂させたような快感が体を貫いた。
魔物の肉がはじけ飛ぶ様を見ながら頬を上気させて興奮した。天狗の魔性の血が騒ぐ。本能から湧きだした熱い衝動が、カヤの女の体を、天狗の体を奮わせたのだ。
若く赤い唇が、僅かに開いた。
-ぁああっ! 最っ高!!!-
淫らな嬌声を上げそうになった。天狗の破壊衝動が、女の衝動と絡み合いながら、口から勢い良く飛び出そうとした。
しかし、“あ”という音が喉から漏れだす寸前に、視界の隅に“彼”が映った。想い人の目がある事をカヤの乙女心が思い出す。
カヤの乙女心は、天狗や女の衝動よりもなお強い。
魔性の叫びを、カヤは口をきゅっと結んで飲み込んだ。
呑まれてはならぬ、快感に。溺れてはならぬ、破壊衝動に。
自分は乙女なのだから。
カヤの一瞬緩んだ表情が、屹と真剣な物に代わるのを見て、鍛冶師は満足気に頷いた。
「娘っ子の棍はのぉ、あの軟骨を限界まで圧縮して作ったもんよぉ。軟骨っちゅうのは素材としては厄介なモンでのぉ、防腐剤でも使わにゃいつか腐っちまう。しかしその棍は腐らん。防腐剤も使っとらん。何故じゃか解るか?」
「棍が……、生きてる?」
「然り。赤い生きた血を使って作った魔装は生きとるのよ。正しい心で使えば意思が伝わり、間違った心で使えば意思が呑まれる。魔装に溺れるなよ! 娘っ子ぉっ!」
ヤマトの忠告に、カヤは「大丈夫です!」と力強く答えると、棍を片手で回した。
カヤには魔棍に溺れぬ自信がある。何故ならば、カヤの心はとっくの昔にある少年に溺れているのだから。
カヤの棍が次なる獲物に狙いを定める。真っ直ぐな刺突が、蜘蛛の濁った目を貫いた。