第11話 軍艦迷宮
橋を渡りきれば、ダンジョンとなる。
生に輝く世界と死に侵食された世界。二つの世界の緩衝地帯は、長さ僅か20mの橋であった。
「みんな気をつけてね。慌てないで、無理はしないで」
厳島をセーフティーゾーンの橋に残し、9人は島へと降り立った。
「なんでヤマトのオッサンもおるんじゃあ?」
「あほぉ金太、武器を渡してハイサヨナラじゃあホンモンの鍛冶師とは言えんわい。自分の武器がきっちり仕事をするところまで見届けるのがサイクロプスの鍛冶師の仕事よぉ」
見届けるのが鍛冶師の仕事。そう言いながらも一つ目巨人は鍛冶仕事とは関係ない巨大な戦槌を肩に担いでいた。
「おう金太。もみじの匂いがここで終ってんだがどういうことだ?」
セーフティーゾーンから抜けだしたバーンが、地面の一点を指して言った。
バーンの鼻も金太ほどではないがよく利く。バーンの指差す先にあったのは腐臭を放つ体液の血溜まり。血溜まりの中央には赤黒い魔石が残されていた。
そこから、さらに点々と靴跡が伸びていた。誰のものかは明らかである。
「もみじの奴、わざと腐肉を浴びおったな。人の匂いを消すために」
金太の言葉を、イクアラが補足した。
「魔石は放置しておけば2時間もすれば迷宮に吸収される筈です。つまりもみじ先輩は今から二時間以内にこの魔物を倒した後、腐肉の匂いと夢魔の術で身を隠し、この迷宮の奥に進んだと…」
「そういうことじゃな。…まあ、もみじの匂いが消えたんなら、こっちの匂いを辿ればええだけじゃが…」
金太は魔石を拾い上げると、腐肉の匂いを嗅ぎ、顔を歪めた。離れているタツマにまで届く酷い臭いであった。死臭とヘドロの匂いを混ぜ合わせて凝縮したような、喉に絡みつく不快な臭いだ。
金太は汚れた魔石を手ぬぐいで拭うと、他の匂いと混ざらぬよう、ナイロン袋に収めた。その時ちゃっかりと自分の魔石入れに魔石を忍ばせていた。
「まあ、暫くは匂いを辿る必要もないじゃろ」
もみじの足あとが灰色の路面の上に点々と続いている。赤黒い液体が、靴底の跡をしっかりとアスファルトに貼り付けていた。
「カエデさんが入院していたのは第一病棟ですよね?」
タツマは軍艦島の最奥にある第一病棟を睨む。
軍艦病院の俯瞰図は十字架のような形をしている。両手を腰にあてた人の形と言えばもっと分かりやすいかもしれない。
今、タツマ達が立っている島への入り口を人間の足先の部分とするならば、最奥に位置する第一病棟は頭の部分に位置している。第二・第三病棟は両腕の部分に当たる。軍艦病院の病棟はこの三つのみだ。軍艦病院においては、病棟自体の敷地面積は島全体のおよそ4分の1に過ぎない。
この島で最も広い部分、つまり足から胴体の部分にかけては、患者達の為のレジャー施設となっていた。
中学時代は生傷の絶えなかったタツマも、軍艦病院には何度か足を運んだことはあった。
タツマの記憶の中では緑あふれる公園が、バロック庭園のように美しいシンメトリーを描いて広がっており、その公園の中に体育館や、植物園、更には小さいながらイベントホールまでもが建てられていた。
リハビリや軽い運動ができるようにと、あるいは家族と緑の中で過ごせるようにと作られた触れ合いと癒やしの為の空間が、軍艦病院の残りの4分の3である。
その全てが、見る影もなかった。
緑あふれる公園は、木々が朽ちて化石となり、まるで火山灰が降った跡のように芝生が灰色に変わっていた。
ガラス張りであったドーム型の植物園は、むき出しの鉄骨しかのこっておらず、黒い蔦のような何かが蛇のように絡みついている。
島の最奥に位置する最も大きな第一病棟。かつては空を飛ぶ白鷺のように、真っ白な建物が青い空の下に聳え立っていたものだが、今ではまるで道端に落ちたカラスの死骸のように黒ずんだ灰色に変わっていた。
「道が、狂っているわ」
カヤの言葉に、タツマは頷いた。狂っている。他に表現の仕方がなかった。
軍艦病院の道路は、外周をぐるりと囲む自動車用の道路と、公園内を突っ切り、島の中央をまっすぐに第一病棟まで伸びる歩行者専用の道路の二本であり、非常にシンプルな形をしていた。
その道が、アスファルトの道が、捻じれ、歪み、別れ、膨れ上がり、あるいは途中で消失し、迷宮を形成していた。
「わざわざややこしい道を歩いて行く必要はねえだろ? 第一病棟までまっすぐ歩きゃいいじゃねえか」
そういって、道から足を一歩外へと踏み出したバーンの足が、ずぼりと土の中に沈んだ
「うぉおっ!?」
前のめる形でバーンの体勢が崩れた。そのまま土の中に沈みかけたバーンの腰のベルトを、鉄の手がしっかりと掴んで、引き上げた。
「わ…、わりい、アイアン。助かったぜ……」
「あほかぁバーン、不用心すぎるわい!」
「てめえにゃあ言われたくねえぞぉ、金太ぁ!」
二人の言い争いを他所に、ウィリスが魔法で氷の固まりを作ると、それをぽいっと、道路の外に投げ捨てた。
氷の固まりがずぶずぶと灰色の土の中に沈んでいくのをタツマ達は見た。
「土が…溶けてしまっているのか?」
「まるで沼ね。見た目は灰色の土なのに…」
「なるほど、これでは道路を進んでいくしかないわけだ。足を踏み外せば終わりだな」
タツマ、カヤ、イクアラが唸った。
中学時代、それなりに色々な迷宮に潜っていた三人ではあったが、この迷宮では、今まで培ってきた全ての常識が通用しそうになかった。
「もみじさんの足あとを追いましょう。それがたぶん、一番の近道です」
タツマの言葉に皆が頷いた。
道幅は3mから5m程。普通に歩くだけであれば踏み外すようなことはないだろう。とはいえ、普通に歩かせてくれぬのが迷宮というものだ。
「タ、タ、タ、タツマ君! あれ! とと、遠くから何か来とる!」
イリアの指が示す方向、狂った道の向こうから何かが姿を現しはじめた。
巨大で長い複数の足が、太鼓を滅多矢鱈に叩くような足さばきでアスファルトを前へ前へと踏み潰す。
人や獣の動きではない。足だけは激しい回転運動を繰り返しながらも、ずんぐりとした体幹は、まるで滑るようにまっすぐにタツマ達に向けて移動してくる。ここは迷宮、迷宮にはもちろん魔物もいる。
「獣型…いや、虫型か!?」
虫と呼ぶには巨大すぎた。足先まで合わせれば、軽自動車程はあるだろうか。
どす黒い毛にびっしりと覆われた体躯。
顎から突き出た日本の牙。
獲物を全て飲み込む為に異様に肥大した銅。
闇の中にぼんやりと浮かぶ8つの玉が、不気味に黄色く輝いている。
それは巨大な蜘蛛だった。
八本の足をガサガサと動かして、8つの黄色い目を不吉に光らせながら、凄まじい速度でタツマ達に近づいて来た。
その体躯をタツマ達に見せつけた時、蜘蛛は確かに笑った。
蜘蛛の顎をギチギチ動かしながら、顎の奥から「ヒヒヒヒヒ」と、まるで人のような笑い声を上げて駆けていた。
「む、む、む、無理! 無理! 無理ぃー!!! ホラーと蜘蛛としいたけは苦手じゃけえ!!」
魚里のエースの弱点が、また二つ明らかになった。