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第9話 冥界の迷宮







その後の事は、タツマはよく覚えていない。

吼えるように泣き続ける二人を見て、コンビニの客達は踵を返して帰っていった。

休憩を終えた海平が二人を見つけ、どうしたのかと問いかけたが、タツマの言葉は全く要領を得なかった。

海平はタクシーを呼び、もみじの生徒手帳から住所を読み取ると、運転手に金を握らせて家まで送らせた。

タツマも同様に、わずか500m離れた家まで別のタクシーで送らせた。



「明日はバイトに来なくていい。何があったかは知らないが、元気がでるまで休みでいい。困った事があったらすぐに俺のところに連絡しろ。わかったか? タツマ!」



タツマは俯くついでに、頷いた。



家に帰るのは随分と遅くなった。

夕食をぼーっと眺めながらタツマの帰りを待っていたオルタが、ベタッ、ベタッとタツマが部屋に入ってきたのを見て、視線を上げた。

タツマは何も喋らない。オルタも何も喋らない。

オルタはタツマの方へペタペタと近づくと。タツマの頭を、恐る恐る、しかし優しく撫でた。

タツマは再び、声を上げて泣いた。







気がつけば布団の中で目を覚ましていた。朝になっていた。目が覚めた時には、オルタの孔の目がじっとタツマを見つめていた。

いつからそうしていたのだろうか。オルタは何も喋らない。



「……ありがとうございます、オルタ様」



オルタがぷるぷると、首を振った。



その日のタツマは全てにおいて精彩を欠いていた。授業中でも、昼休みでも、部活動でも。

見かねたバーンが練習後に言い出した。



「おうタツマ、メシ喰いに行こうぜ! 寮のメシには飽きたからな。中華だ中華! おう! おめえらも一緒に行こうぜ!」



ガッシリとタツマの肩を掴むと、絶対に逃がすものかと抱え込んだ。

バーン、金太、アイアン、イクアラ、ウィリス、イリア、カヤ、厳島、そしてタツマ。合計9名が、魚里高校の近くにある大衆中華料理屋へと向かうことになった。



しかし、皆で揃って校門を出ようとした時に、一人の女生徒がタツマに向かってかけてきた。


その少女には見覚えがあった。もみじに初めて会った時、もみじの隣にいた人物だったような気がした。タツマの頭を上履きでぐりっと踏んだあの勝ち気な少女だ。

少女はショートカットの髪を振り乱しながら、タツマに掴みかかった。



「あんた! もみじをどこにやったのよ!」



-もみじさんが、どうかしましたか?-と、タツマはぼんやりと尋ねた。



「もみじがいないのよ! もみじの母親から連絡あって、風邪で休んでた癖にいつの間にかどこかに消えたって! おまけに武器まで持ちだしてたって! あんたが来てからあの子が可怪しくなったのよ! どこなの! どこにいったのよ!? もみじは何処にいるのよ!」



凄まじい剣幕でタツマに当たった。

もみじがいない、何処に行ったか。選択肢はひとつしか無い。タツマはポツリと答えた。



「午後10時の淑女の所だ……」



「誰よそれ!? そいつ何処にいるのよ!?」



午後10時の淑女の居場所。それを知っているのはタツマともみじの二人のみ。

タツマが告げたその場所に、全員が息を呑み、言葉を失った。




「軍艦…病院です」









万十もみじは、軍艦病院の敷地の中をさまよっていた。



島へ渡る橋の前に立っていた警備員達を夢魔の技で眠らせると、巨大な門をザイルで越えた。

島へと続く橋に降り立った時に、軍艦病院の全容が顕になった。



軍艦病院はモンスターも迷宮も、異様だった。魔素はあるが、生気は一切感じない。


たかだか一年前に出来たダンジョンだというのに、アスファルトはひび割れ、植木は朽ちて化石に変わり、コンクリートの建物がぐにゃりと歪んでいた。

鮮やかだった塗装は全て剥げ落ちて、むき出しの灰色にかわっていた。

色味のない世界の中で、空気だけは赤く霧がかっていた。



橋を超えたすぐ向こうでは、巨大な目玉に血管のような触手が生えたようなモンスターがぐるぐると眼球を回している。

もみじとて元魚里高校冒険者部だ。醜悪なモンスターには慣れてはいたが、軍艦病院のモンスター達は、もみじの知っているモンスターとは全く異なっていた。

気配が違うのだ。同じ世界のものとは思えない。



-冥界の迷宮-という言葉がもみじの頭に浮かぶ。



神話の時代、オルフェウスが死んだ妻を冥界から連れ出すために挑んだという迷宮である。戦う術を持たなかったオルフェウスは、竪琴を奏でる事でモンスターを魅了して、迷宮の最奥部に到達したといわれている。

もみじには竪琴は弾けないが、夢魔の技ならあった。



今のもみじの力量では、せいぜい肌の色や細かな形を変えるのが限界ではあるが、それだけで十分である。

自分に似た者に姿を変えれば良いのだから。この迷宮に住む、自分とよく似た姿の者に。



もみじはカエデに姿を変える。


もみじの脳裏に焼き付いた、醜い姉の姿に自分を変える。



流木のようにガサガサで白い肌、シュロ縄のように固く乾いた髪、ドブ川のように黄色く濁った目、焼け落ちた炭のように灰色の唇。

しっかりと想像できる。これが、今の自分の姿が変わり果てた姉であると。



怒りがこみ上げる。

あの時姉を拒絶した自分が憎い。憎らしくて許せない。

この姿は醜い自分にこそお似合いなのに、なぜ姉が、このような姿にならねばならなかったのかと憤った。



セーフティーゾーンの橋を越えると、モンスターは侵入者を知覚する。

モンスターの目玉、その黒目だけがぐりんと裏返ってもみじを捉えたが、すぐに視線を外した。



カエデだと、仲間だと認識したらしい。



「憎い」と、思った。



「あ゛ぁあっ!!」



無警戒のモンスターに向けて、もみじは背後から薙刀を突き出した。

モンスターの目玉がばちんと弾け、体液と腐肉が噴出るが、もみじはそれを避けようとはしない。地に落ちた腐肉を体中に塗りつけ、匂いもカエデと同じにする。

さらに醜く、惨めな姿となったもみじは、前へと進む。



「姉さんに……、謝らなきゃ」



視覚と嗅覚さえ誤魔化せば、モンスターをやり過ごす事はできる。



「姉さんを連れ戻さなきゃ」



拷問道具のようなトラップ達を慎重に判別しながら進んでいく。トラップの判別はカエデから教わった技術だ。どんな凶悪なトラップだとて、引っ掛からなければ恐ろしいことはない。



「姉さんと一緒に暮らすんだ……。家族皆で、幸せに」



もみじの願いは姉を連れ戻すこと。もう一度、皆で幸せに暮らすこと。

それだけを願って、隔離迷宮をたった一人で進んでいった。





・・・・・・・



・・・・・・・




どれくらい歩いただろうか、数時間は経っているような気がしたが、時計の針はまだ一時間しか経っていなかった。



血のつながりというものは不思議なものだ。まるで毛細血管をたどるような、細い細い繋がりを、もみじは本能で追いかけていた。

偶然なのか、必然なのか、もみじは最短距離でカエデのいる場所へとたどり着いていた。

そこでもみじは姉を見つけた。いや、姉はもみじを待っていた。





「困った子ね。こんな所まで来ちゃうなんて」





カエデは、蛇のような、鬼のような、よくわからない生き物に平然と腰掛けていた。強烈なプレッシャーを放つ魔物を、まるで従順な犬か何かのように従えていた。



「姉さん! 帰ろう! 一緒に帰ろう!」



「馬鹿ねえ、こんなに腐臭まみれになって。可愛い顔が台無しよ。まるで私みたいに醜いわ」



もみじの夢魔の技はカエデには効かないが、腐肉を体中に塗りつけたもみじの姿は、酷いものだった。



「ねえさん! 昨日はごめんなさい! 帰ろう! 一緒に帰ろう!」



「帰る場所なんてないわよ。土にすら還れないもの」



『帰る場所など無い』その言葉に同調するようにどこからかうめき声が聞こえた。赤い空気の濃淡に、ぼんやりと何かが混ざっているようにも見えたが、もみじにはどうでも良かった。



「大丈夫だよ! 父さんも母さんも喜ぶよ! 家族みんなでもう一度暮らそうよ。一緒にテレビ見て、一緒にご飯食べて、偶に一緒に寝ようよ! 昔みたいに」



カエデは長い溜息を履くと、髪を掻き上げる。

ライトブラウンの髪の奥から、カエデの黄色く濁った目がもみじを射抜く。

覚悟をしていたはずなのに、姉の目はやはり、恐ろしかった。



「五月蝿い子ねえ。そんな五月蝿い子には蓋をしちゃうわ」



もみじがそれに気付いた時には遅すぎた。肋骨の形をしたバケモノが、背後からもみじをバクンと喰った。






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