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第7話 罪と罰






「あな…たは…」



最初は驚き、その感情は怒りへと変わっていく。

―ずっと騙されていた―

タツマは今、その事を初めて理解したのだから。



「あなた!!」



「は、はいっ!?」



タツマの厳しい声に午後10時の淑女は大げさな程にビクリと奮えた。箸から落ちたミートボールがころころと床に転がっていく。

タツマはズカズカと机をかき分けながら、午後10時の淑女の元へと向かっていった。



「貴方、何歳ですか! 万十まんそもみじさん!」



「じゅ、十六歳です!」



女性の年齢を、まるで教師が叱りつけるように尋ねるタツマに、午後10時の淑女は、背筋をピンと伸ばして答えていた。



16歳。その返答に、タツマの目が釣り上がった。



タツマは正義感の強い男である。不正は絶対に許さない。

次にコンビニで会った時に注意しよう。などという選択肢は思い浮かばなかった。

タツマは午後10時の淑女のクラスメート達が見守る中、堂々と言い放った。



「駄目でしょうお客さん! 16歳なのに成年向け雑誌を購入しては!!」



「…えっ? せ、成年、なに?」



「エロ本の事ですよ! 毎日毎日飽きもせず、ダース単位のエロ本を買って! 」



タツマの言葉に、教室がにわかにざわめいた。



「し、知らないです! そんなもの、買ったこともないです!」



「とぼけるつもりですか! 『落丁本をみつけたのよ、交換したいから中身を確かめてくれない』とか言っておいて、ただの伏せ字だったこと、俺は忘れていませんよ!」



隣にいた女子生徒が「もみじ、あなた‥」と、疑いの目を万十に向けた。



「な‥、なにそれっ? わ、私! そんなことしりません!」




「知らないですって? 黒と赤の下着をどちらがいいか俺に選ばせた挙句、目の前で黒い下着を試着しようとしたことも知らないとおっしゃるのですか?」



クラスメートの男子達から、「生着替えだと!?」「黒だと!?」と、声が上がった。



「ひぃいっ? 何ですかそれ! やってないです! し、下着はベージュか白しか持ってません!!」



「それだけではありません! 俺の目の前でフランクフルトをしゃぶったり、皮付きのライチの実を舌で転がしながら食べたこと、忘れたとは言わせませんよ!」



隣にいた女子生徒が、「もみじ…、そんなになる前になんで一言相談してくれなかったの?」と、悲しそうに言った。



「ひぃいいいいっ! 違うの、私本当に知らないの! 信じて!」



首を必死で左右に振る午後10時の淑女に、タツマは最後に、まるで推理ドラマで探偵が犯人を指差すように、確信を込めて言い放った。



「いいえ、間違いない、この目、この鼻、この口。そして何よりもこの泣きボクロ! あなたが、貴方こそが、午後10時の淑女……だ、だ、…………だれ?」



指をさして、「午後10時の淑女だ!」と、勢い良く断定しようとしたタツマ。しかしタツマの指の指す先に泣き黒子は無かった。



「……おかしいな? 泣きボクロが…、ないですよ?」



ぐいっとタツマが顔を近づけると、「ひぃっ」と悲鳴を上げて、万十もみじがのけぞった。

その顔は午後10時の淑女と同じ顔であったが、泣きボクロだけが、そこになかった。



「…あれ? 髪の色も、ちょっと違いますねえ」



万十もみじの髪の毛の一房を、タツマは手でつかみ、確りと観察する。

午後10時の淑女は明るい茶色、カーキー色に近い。しかし、万十もみじの髪はもっと暗めの茶色だ。髪型も午後10時の淑女とは異なっている。

同じ顔だと思った顔立ちも、こうして近くで見ると若干違うような気がする。



「なるほど…、これはつまり……」



タツマはそこでようやく理解した。



髪を握られ、動くこともできずに、ビクビクともみじは怯えている。タツマは髪の毛から手を離すと、もみじの椅子のすぐ側に膝をついた。



タツマは潔い男である。謝るときは全力で謝る。

両手を地に迎え合わせに揃え、額を床に、押し当てた。



「すみません先輩! 人違いでした!!」



「おう、待てやこら一年」



もみじの隣にいた女子生徒の上履きが、土下座するタツマの頭をゴリッと踏みつけた。





・・・・・・・



・・・・・・・




四面楚歌、とはこのことであろう。



「なによなによ、何なのよあんたは!? もみじになんか恨みでもあんの? 散々言いたい放題言っておいて、人違いってどういうことよ、この一年!」




「ごめんなさい! ごめんなさい! 本当に、本当にそっくりだったんです!」



固まっていた二年の教室が、動き始めた



「おまえ何モンじゃあ、ウチの委員長にイチャモンつけおってよぉ」



「これって新手の痴漢よね? 教師と警察、どっちに連れて行くべきかしら?」



「フランクフルトとか下着とか、思春期の妄想が激しすぎんぞ? コラァ!」



「よぉしおめえら囲め囲めぇ、委員長に恥かかせた分は、きっちり利子つけて払わせてやんよぉ?」



「ごめんなさい! ごめんなさい! 本当に、泣きボクロさえあればそっくりで、ごめんなさい!」



タツマとて、伊達に魚里高校のレギュラーは張っていない。迫り来る腕や足を躱しながら、命からがら二年の教室から抜けだした。「すみません! すみません!」と、何度も謝りながら。



「全く、何だったのかしら……。もみじも災難ね、変なのに目を付けられちゃって」



友人の声はもみじに届いていなかった。もみじはタツマの去った方を見ながら「泣きボクロ…」と、呆けたように呟いていた。











「その泣きボクロ、本物ですよね?」



「いきなり何? ねえ。ホクロなんかよりももっと見るべきものがあると思うのだけど」



午後10時の淑女が不機嫌そうに答えた。「袋はいらないわ。ポケットがあるもの」そう言って胸の谷間に挟み込んだバナナ。会心の笑みで見上げた後のタツマの薄い反応に、午後10時の淑女はふてくされていた。


今のタツマは、胸元よりも目元に興味があったのだから。



あれから、ひどい目にあったのだ。

ホクロの有無に端を発した昼の騒動は、それだけでは終わらなかった。


迫り来る上級生達からなんとか逃げ切ったものの、結局生活指導室に呼ばれたタツマは、放課後にこってりと絞られた。

遅れて部の練習に参加した時には、既に部の全員にタツマの暴挙が広まっていた。


厳島がボールペンの尻でグリグリとタツマのこめかみを穿った。


カリンがタツマにだけはミニあんぱんを分けてくれなかった。


イリアが泣きそうな顔でタツマを見上げていた。


ウィリスが無表情のままタツマをじっと見ていた。


カヤがタツマの手をぎゅっと、痛いほどに握った。



まだハッキリと決まっていなかったタツマのゼッケン番号が、この日決まった。

18番が与えられた。



「18禁男にはちょうどいい番号だと思うの」



部員の誰からも反対は起きなかった。栄光の番号が、泥に塗れた。



「すみません、お客さんってお幾つなのでしょう?」



「女に年齢を尋ねるとかどういう神経してるのよ。まあいいわ、答えてあげる。18よ。永遠の18歳。どう? 少しは妄想が捗るかしら?」



と、18禁女が含みたっぷりに答えた。



「(この人のせいで……)」と、タツマは一瞬文句が口から出そうになったが、思いとどまった。

似ていただけで、タツマが勝手に勘違いしただけなのだから。この件に関して言えば、午後10時の淑女に責任はない。



よく似た別人なのだと、今なら解る。

ホクロだけでなく、表情や纏っている空気が全く違うのだ。



「私の事が知りたくなったの? ふふんッ、スリーサイズかブラのカップなら、教えてあげてもいいわよ」



なんでこんな人と万十先輩を間違えてしまったのかと、タツマはため息を吐いた。



「いえ、お客さんによく似た人に会っただけですよ。泣きボクロが無いことを除けば本当にそっくりで……」




息を呑む音が聞こえた。




それが彼女だと理解するまでに、時間がかかった。

こんな表情をするのだろうか。こんな不安気な表情を彼女がするのだろうか。



午後10時の淑女の瞳が、揺れていた。



「…何か、聞いたの?」



声が揺れている。存在も揺れているような気がした。



「あ……、いえ、会話はしてないんですが…」



午後10時の淑女は、-ほうっ-と息を吐いた。

安堵にも、自虐にも聞こえるため息だった。

話題はそれ以上広がらなかった。無言の影で、ただ、ぐらぐらと何かが揺れ続けている気がした。





「ねえ」





暫くの沈黙は、脈絡のない「ねえ」で破られた。



「夏って、いつまでかしら?」



それは不思議な問いだった。


夏はいつまでだったろうかとタツマは考える。

夏休みは8月いっぱいだから8月31日までが夏だろうか。暦の上ではもっと早いと聞いた気もするが、確かではない。

夏のように暑い日と考えれば、9月でも30度を超えるから夏であろう。


夏が好きなタツマは、目一杯長く答えた。



「9月末ぐらいまでじゃないでしょうか、夏は長いですから」



「そうよね。まだ、終わらないわよね? 私の夏」



そう言った午後10時の淑女の存在が再び揺らぐ。薄くなる。

そのまま空気の中に溶け消えてしまいそうな気がして、胸がぎうと、鳴いた。



彼女はそこにいるのだろうか。



本当にそこにいるのだろうか。



吸い寄せられるようにとは、こういうことを言うだあろう。

タツマは何故か、しかしそれが当たり前のように、右手を午後10時の淑女の左頬へと伸ばしていた。

右目の下の、鳴きぼくろに向けて。



そして触れた。触れられた。



ほぅっとタツマは息をついた。

彼女は本物だった。確かにそこにいた。

親指でホクロをなぞる。小さな凹凸を指紋で感じた。

ホクロが確りと彼女の存在を主張していた。



午後10時の淑女は一瞬だけ驚いたように目を開いたが、そっと目を閉じて、首を傾け、タツマの右手に頭を預けた。



「あついわ。あなたの手、本当に夏みたい」



あついといった彼女の頬が、恐ろしく冷たい事に気がついた。

冬の寒い日に、無防備な手でむき出しの金属を握りしめた時のような、そんなハッとする冷たさだった。



-ハッ-となった。



名前も知らぬ女性の頬に手を当てるなど、いや、知り合いの女性でもするべきことではない。自分と彼女は、そんな関係ではないはずだ。


頬の冷たさに目が覚めた。タツマは慌てて右手を引っ込める。




午後10時の淑女が、-あっ-と口を開けた。



置き去りにされた子供のような顔だった。

離れていく手を、泣き出しそうな瞳で見ていた。

罪悪感がタツマの胸をじくりと突き刺す。




「ごめんなさい」




その謝罪は頬に手を当てたことだろうか、それとも頬から手を離した事だったろうか。

タツマの謝罪を午後10時の淑女は、「かまわないわ」と、受け入れた。

彼女の瞳が、一層揺らいだ気がした。




「今日は、もう帰るわね」




言葉を言い終わらぬうちに歩き出すと、最後に自動ドアの前で一度だけ振り返った。



「私を触った手、ちゃんと洗っておきなさいよ」



その言葉は、脳天気なタツマにもそれなりにショックだった。

タツマの手が不潔だと言われたのだろうか? 臭かったのだろうか?

自分で右手の匂いを嗅ぐと、確かに、ほんの僅かに嫌な匂いがした。


どこかで嗅いだことのある匂いだった。両親が死んだ時のことを思い出した。





タツマはバシャバシャと手を洗った。






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