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第6話 キャッチャー





風坊カヤは幸せだった。




タツマと二人で、駅前の小洒落たイタリアンカフェで食事をしていた。


土曜の今日は、明日の試合に備えて軽いウォームアップ程度で練習を終えた。

時間は昼過ぎ、昼食は摂っていない。「タツマ、一緒にご飯食べに行こうよ」と自然に誘うことができた。



イリアは「デイゲーム行ってくるけん!」と、練習後一目散に校門を飛び出していった。


寮生活のウィリスには昼食は既に用意されている。


気配りの男イクアラは、タツマとカヤの間で目線を動かした後に、「今日は用事がある」と断った。


結果、ふたりきりで土曜日の午後を過ごすこととなった。



今日はパスタを食べに行こうと最初から決めていた。

イリアとタツマがお好み焼きを食べたという話を聞いて、お好み焼きに勝たねばと思った。

なんとなく、パスタならお好み焼きに勝っている気がした。


昨日のカリンの「はい、あーん」を見て、はい、あーんは無理でも、互いのパスタを一口づつ交換し合うところまでは行ってみようと、カヤは人知れず目標を立てていた。



目標は達成された。



カルボナーラと、ミートソースを一口づつ交換しあった。



幸せだった。

二人きりで話すなどいつ以来であろうか。



タツマの腰元からのびるオルタが、じゅるじゅるとナポリタンスパゲティーを啜っている姿を下のまぶたで隠しながら、カヤは幸せを噛み締めていた。



もっとも、二人きりで話すといっても、共通の話題など冒険者部の事に限られる。

食後のアイスクリームをつつきながら、タツマがカヤに問いかけた。




「そういやあ、カヤはカエデさんって知ってるか?」



「ええ、そんなに詳しい話は知らないけど、二軍の先輩から聞いたことがあるわ。去年まで魚里高校の名キャッチャーとして活躍していたそうよ。」



キャッチャー。それはダンジョン競技において最も重要なポジションである。

常に仲間たちの後方に位置し、戦場全体を見渡しながら、仲間の動きを制御する司令塔だ。めまぐるしく動く戦況を冷静に判断しながら、絶えず周りに指示を出し、個の闘いを集団の闘いに変えるダンジョン競技の要である。

強力な範囲魔法で魔物を一網打尽にするエースや、一撃の元に魔物を葬り去るホームランバッター等と比べれば、キャッチャーは地味になりがちなポジションである。

しかし、キャッチャー程チームにとって重要なポジションは他にはない。優秀なキャッチャーがいるといないとでは、迷宮探索の戦力に倍以上の差を生み出すとも言われている。



「いたかぁ、そんな人? 去年までレギュラーだったんだよな?」



中学3年の頃、タツマは神妙九児の試合を見る為に、魚里高校の試合に何度か足を運んだことがある。

ウィリスや九児やバーンの事ははっきりと思い出せるが、8番をつけたキャッチャーの事は思い出せなかった。



「私達が観戦に言った頃には、病気で休部していたそうだから」



「ああ、そういうことか。……それで、病気って事はやっぱり…」



タツマとて、昨日のバーンやカリン達の様子から、カエデが既にこの世の者ではない事ぐらい想像できた。病気で亡くなってしまったのだろうと、そう考えた。

しかしカヤは首を左右に振った。



「カエデさんが入院していた病院、軍艦病院だったらしいの」



「軍艦病院って…、あの軍艦病院か!?」



「ええ、よりによって“あの日”に、カエデさんはあそこで手術してたんだって」



軍艦病院、それは瀬戸内海の埋立地に作られた現代的な総合病院であった。自前の発電所に、リハビリ施設や体育館、公園に植物園まで備え、これぞ新世代の病院と唄われ、持て囃された。

その外見が、まるで海に浮かんだ軍艦のように見えたため、誰が呼び始めたのか軍艦病院という愛称がつけられた。

21世紀に作られた新世代の病院。しかし、新しい時代はにわかに終焉を告げた。



「ダンジョンの産声の日か…」



ダンジョンの産声。

めったに置きぬことではあるが、ダンジョンはある日唐突に生まれることがある。

迷宮の心臓がそこに産まれるのだ。


洞窟や渓谷、砂漠や山脈など、自然の豊かな場所になんの前触れもなく迷宮の心臓が現れ、ダンジョンが産声を上げる。それが、ダンジョンの産声である。


しかし、一年前に起きたそれは、その常識を覆していた。

埋立地の人工建造物、コンクリートと鉄筋の建物が突然ダンジョンに変わったのだ。



その日のことは、タツマもよく覚えている。

夜中、ヒロシマ市内に響いた海鳴りのような、あるいは何かの遠吠えのような悲しい音を聞いた。その音がダンジョンの産声だったと知ったのは、翌朝のニュースによってだ。



ちょうど軍艦病院で検査入院していた60代の元一流の冒険者が、それをダンジョンの産声だと気付くことが出来たのは幸運だった。

火災警報が鳴らされ、病院内の人間は大半は逃げ出すことが出来たらしい。


しかし、寝たきりのものや、足が不自由な人間は取り残され、ダンジョンに呑まれた。



ダンジョンの産声から2日。プロの冒険者達によって編成された生き残りの捜索隊が、軍艦病院に突入するも、半壊の状態で逃げ帰った。

一人の生き残りも見つけられなかったそうだ。

軍艦病院に生まれたダンジョンは管理不可能と判断され、橋は封鎖され、立ち入りは固く禁じられた。病院に取り残された人間たちは、未だなお『行方不明』の肩書きのままである。



「執刀医達は手術中のカエデさんを置いて逃げ出したそうよ。…無理もないわよね。医者は冒険者じゃないもの」



患者たちを置いて逃げ出した医者や職員達に遺族から怒りの声が上がった。ワイドショーやマスコミは、こぞって逃げ出した者達を糾弾した。暴力的なカメラのフラッシュの嵐の中で、医者達は泣いていた。長いダンジョン史の中でも、稀に見る最悪な事件であった。


麻酔で眠らされたまま一人で手術室に残されたカエデが、せめて安らかに逝けた事をタツマは願う。赤の他人、顔も知らぬ人物ではあったが、祈った。



その時、レストランの窓の向こうに見覚えのある人物が通り過ぎて行くのをタツマは見た。

いつものライトグリーンのワンピースではなく、地味な風合いのオレンジ色のワンピースではあったが、その横顔は紛れも無く彼女の物だった。



「あっ、午後10時の淑女だ」



店を出て呼びかけようかとも思ったが、午後10時の淑女はすぐに人混みの中へと消えていった。

別に用事があったわけでもなし、まあいいかと思い直し、浮かした腰をもう一度落ち着けた。



「誰なのその、午後10時の淑女って?」



カヤがジロリとタツマを睨む。

不機嫌そうに、スプーンでパフェのアイスをざくざくと潰していた。



「ああ、実はな…」



タツマは午後10時の淑女について、これまでの出来事をひと通りカヤに話した。

全てを聴き終わった後のカヤは、こう言った。




「警察に行きなさい。タツマ」









「よっしゃぁあッ! これで準決勝ぉッ!」



試合終了のサイレンと共にバーンが勝ち名乗りを上げる。


日曜日に行われたヒロシマ地区予選の準々決勝は、大方の予想どおり魚里高校が勝ちを収めた。

ミスが重なり、中盤まで一進一退の攻防を続けていた魚里高校ではあったが、最後は地力の差で20ポイントの点差をつけて相手校を突き放した。


相手チームの公立高校は良く戦っていた。キャプテンの司令塔キャッチャーを軸にした堅実な試合運びで、強豪の魚里高校に最後まで喰らいついた。


両チームの健闘を湛え、スタジアムからマイクを通して、大音量の拍手がニコウヤダンジョン5階の草原の迷宮に鳴り響いた。



奮戦した相手チームの選手たちはその場に蹲り、嗚咽と涙を漏らす。



彼らの夏は、今終わった。



「おめでとう、みんな! 後二つ! 後二つで甲子園よ!」



勝つチームは常に一つ。

厳島の激励に、選手たちは再び歓喜の雄叫びを上げる。

明るく選手たちを労っていた厳島、しかしその内心は焦っていた。





・・・・・・・・



・・・・・・・・





「二人きりだもの。貴方がどう思っているか、教えて欲しいのよタツマ君」



試合後、厳島はタツマをこっそりと呼び出していた。

適当な理由をつけてタツマを誘い、車の助手席に乗せると二人だけで夜の街へと消えた。



「どう思う、ですか?」



タツマは生卵を溶きながら、尋ねた。



「ええ、今日の試合で思ったこと、タツマ君の忌憚のない意見を聞いてみたいの」



厳島がサービスの七味と紅しょうがをたっぷりと乗せた。


魚里高校からほど近い場所にある牛丼屋の店内、運良く空いていたテーブル席で、二人は差し向かいになって座っていた。



「その…、無駄な動きが多いというか…、自分たちで自分たちの首を絞めていたような、そんな試合でした」



「その通りね。じゃあ、何が原因かはわかる? 最初に言っておくけど、貴方ではないわよ」



厳島の目が鋭くタツマを見つめる。

タツマは言いづらそうに喉を掻く。オルタが生卵を啜り上げるぴちゃぴちゃという音だけが、無音を破っていた。



「…その、……キャッチャーではないでしょうか。飛切先輩には申し訳ないのですが…」



「正解よタツマくん。今のウチの最大のネック、それは司令塔キャッチャーなのよ。今日みたいなワンフロア迷宮では特に致命的ね」



タツマの控えめな言葉を、厳島はハッキリと肯定した。



「元々飛切君はアタッカーだったの。去年の夏に五井監督が彼をキャッチャーにコンバートするまではね。才能のある良いアタッカーだったのだけど…」



厳島が奥歯を噛んだ。

牛族の獣人である飛切をキャッチャーにコンバートしたのは、五井の悪手であった。「キャッチャーは声を出すポジションだ」と言って、当時二年生で一番声の大きかった彼を新たな司令塔に指名した。



しかし、飛切は育たなかった。

持ち味であった牛族の突進も、キャッチャーでは発揮する機会もない。戦況を冷静に判断する広い視野と冷静な判断を彼は持ち合わせてはいなかった。


仲間に向かって必死で声を上げるも、応援か叱咤にしかならない。

それどころか、徒に場を混乱させてしまうだけなのだ。

もちろん、本人もどうにかしたいと思っている。この一年、飛切が苦しみつづけている姿を厳島はずっと見続けてきた。


しかし、彼は根本的に向いていないのだ。

戦闘時に血がたぎる牛族の獣人をキャッチャーにコンバートするなど、猪に牧羊犬をやらせるようなものなのだから。

コンバートは残酷である。成功するものもいるが、慣れぬポジションと不向きな適正で潰れていく者の方が遥かに多い。

ましてやそれが高校生ならば尚更だ。しかし現実には、高校生のコンバートは個々の適性よりもチーム事情が優先される。プロの冒険者チームのように、ドラフトやトレードでウィークポイントを補うことはできないからだ。



「神妙君がいた頃はそれでも良かったのよ、彼が飛切君をフォローしながらなんとか立ち回っていたからね。ポジションは遊撃だったけど、同時に司令塔までやっていたのよ。神妙君は」



「ふぇー、本当に凄かったんですね、神妙さんは」



間抜けな感嘆の声をタツマは上げた。

遊撃手はもっとも運動量の多いポジションである。司令塔と遊撃手の仕事を同時にこなすなど、タツマには想像もつかなかった。



「タツマくん、あなた…」



厳島は本題を切り出そうとする。二人きりで話す必要があったのはその為である。



『キャッチャーに、興味はない?』



そう、尋ねるつもりであった。

厳島から見て、現在残る部員の中でもっともキャッチャーの適正が高いのはタツマである。全体を見渡す広い視野と判断力に、チームをノセる明るい性格。


天職ではないが、向いていた。遊撃程ではないが、向いていた。


甲子園で一つでも多く勝ち進みたいなら、タツマを司令塔キャッチャーにコンバートするべきだろう。

有無をいわさず、監督命令でコンバートさせるべきだろう。

勝てる監督ならそうする筈だ。勝つ監督になりたいなら言え、と、厳島は自分を叱咤した。



「……お味噌汁のおかわり、いらない?」



「えっ、いいんですか! なんだか今日は太っ腹ですねー!」



厳島には言えなかった。

入部届に希望ポジションを一つだけ、汚く大きな文字で『遊撃』と書いてきた少年に、キャッチャーになれとは言えなかった。

退部させられた後もたった一人で戦い続け、そして今、遊撃手として大きく羽ばたき始めようとしている少年の翼を、もいでしまうことは出来なかった。



タツマには良いキャッチャーになれる可能性がある。

しかし、遊撃としてならいつか本物になれる可能性がある。

あるいは数年後には、神妙九児の域にまで届いているかもしれない。だれもが認める、高校生ナンバーワン遊撃手に。



結局、厳島はコンバートの命令を出せなかった。

ここが彼女の限界だった。

厳島ミヤジという人間は、勝てる監督にはなれない。



コンバートの命令を出せなかった代わりに、責任転嫁の無いもの強請りが口から零れた。



「…あの子が部に戻ってくれれば、悩む必要なんてないのだけど…」



「あの子って、神妙さんのことですか?」



厳島の呟きはタツマにもはっきりと聞こえていた。

厳島は独り言を漏らしていたことにハッと気がつくと、バツが悪そうに手をひらひらと振って否定した。



「一年間はリハビリの神妙君にそんな事言えないわよ。あの子って言うのは…」




その時不意に、ミヤジの目の色が変わった。

比喩ではなく、文字通り眼の色が変わった。

黒髪黒目、タツマと同じ純血の人族の目が、海のような透き通った青い色にかわったのだ。


赤い朱塗りのメガネ越しに見えた、星のような青い眼球に、タツマは神々しいまでの一瞬を垣間見た。



「タツマ君…、その子に会ってきて貰えないかしら」



「へっ……、何言ってるんですか? 誰のことです?」



「ウチにはね、一人幽霊部員がいるのよ。才能のあるキャッチャーだったの。一年前、とある事件が原因で、部に来なくなってしまったけどね……」



一年前、キャッチャー、ある事件、その単語で、タツマは昨日のカヤとの会話をおもいだした。ある事件とは恐らく、ダンジョンの産声のことだろうと推測できた。



「いや、会えって言われても、俺その人の事知らないですよ。何で俺なんですか?」



「私のアビリティー『神託』が下ったのよ。貴方を彼女の元へ導けってね。」



「神託…? 俺がその幽霊部員の人を説得できるって神様が言ってるんですか?」



厳島は首を左右に振った。



「神託はそんな便利な能力じゃないわ。結果までは分からないのよ。結果まで分かったら『予知』になっちゃうわ。神託はね、運命が転がる場所を神様が教えてくれるの。良い方なのか、悪い方なのか、一切教えてはくれないの。神託に従うも従わないも人間の自由よ。……でも、私は従いたい。これがきっと、彼女の為になる筈だから」



厳島はそこで言葉を切り、タツマを力強く指差した。今、タツマはまるで自分こそが神託を受けているように錯覚した。



「神託は貴方が一人で彼女の元へ行けと告げているわ。2年C組の万十まんそもみじ。彼女を説得できるかどうかはわからない。でも、タツマ君と彼女が出逢えば、何かがそこで起こる筈よ。説得できなくてもいいの。願わくば、彼女の止まってしまった時間が動き出してくれることを…」



厳島は、神に祈るようにそう言った。









週明けの月曜日の昼休み、タツマは一人で2年C組のクラスへと向かった。

上級生の教室だとて怖気づくような男ではない。タツマは大きく息を吸い込み、ガラリと扉を開けると、堂々と声を張った。



万十まんそ先輩! 万十もみじ先輩はいらっしゃいませんか!」



まるで殴り込みのように押し入ってきた下級生。昼食中のクラス全員の視線が入り口の扉へと集まった。



「万十もみじ先輩はどこですか!」



そしてクラス全員の視線が、ゆっくりとある一点に動いていく。

教室の一番隅、そこでお弁当のミートボールを口に運ぶ寸前の状態で固まっている一人の女性がいた。


その女性はおずおずと右手を掲げていく、箸でミートボールをもったまま。



「わ…、わたしが、万十もみじですけど…」



万十もみじと名乗った女性を、タツマは知っていた。



魚里高校ダンジョン部の幽霊部員は、午後10時の淑女と同じ顔をしていた。






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