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第5話 壁に残る8番






「須田君、いくよ!」



金敷のウォーハンマー…ではなく、デッキブラシがタツマへと振り下ろされる。タツマはするりと半身になってその一撃を躱すと、オルタ…ではなく靴ベラで金敷の頭を打つ。

ペチンッという軽い音が、辺りに響いた。



「きゃっ」



頭への一撃は致命傷。そう判断した金敷はパタリとその場に倒れる。その後むっくりと起き上がると、「やられちゃったな」と明るい声でグラウンドの外に戻っていった。




「おらぁあっ」



「ぐはぁあっっつ」



グローブを嵌めたバーンの一撃に、コールは竹刀をふるう間もなく吹き飛ばされた。こちらは演技ではなく、本当に。



「バ、バーン先輩…、も、もう少し…手心を……」



「わ、わりぃコール、うっかり力が入っちまってよぉ」




週末の金曜日。明後日に迎えた準々決勝の為に、魚里高校ダンジョン部はグラウンド全体を使って模擬戦を行っていた。

準々決勝は舞台はワンフロアタイプの迷宮である。ワンフロア迷宮とは、階層に壁も仕切りもないただの巨大な空間のダンジョンである。


ワンフロア迷宮では魔物も相手チームも全て一つのフロアで戦うこととなる。突然ポップする魔物や、相手チームの戦術。刻々と動き続ける状況に対応し、その都度対応していく必要がある。

一人だけ飛び出せば魔物に囲まれる危険があり、固まれすぎれば魔物を倒すチャンスを失う。ワンフロア迷宮では、高度で臨機応変な集団戦が求められるのだ。


そして今、360度のあらゆる方向から襲いかかる魔物を想定した練習が、魚里高校のグラウンドで行われていた。


9名のスターティングメンバーに向かって、モンスター役の控え選手数十名が次々と襲いかかっていく。


武器は使っていない。互いに怪我をさせないために、皆、自分の愛用の武器に形が近い、適当な生活用品をその手にもって戦っている。


袋に入ったたくわんやら、水風船やら、絵の具のパレットやらを持って戦っているが、これでも真剣な模擬戦である。あるはずである。


冒険者部が面白いことをやっていると、ギャラリーが集まっていた。

応援したり、ヤジを飛ばしたり、指を差して笑っている。


五井が監督の時代には見られることのなかった明るい練習風景だった。遊び心を取り入れた練習は、チームを活気づけていた。



「みんな、調子がいいですね」



魚里高校の三年生のマネージャー、コーサ・レナーデが、風鈴のような儚げな声でそう言った。

額の上には小さな角が控えめに生えており、そこから白く長い髪が二つに分かれて両肩に流されている。どこか薄幸な雰囲気のあるコーサは、ユニコーンの獣人であり、下級の回復魔法の使い手である。



「そうね、個人技なら今年のウチは何処にも負けないわ。…個人技だけならね」



遊びのような練習風景。しかし、厳島の視線は鋭かった。


9名が一つの生き物として動いていない。

互いに射線を塞いでしまったり、フォローが上手く機能していない。相手の数の多さに、チームは統率を完全に失っていた。

ワンフロア迷宮は何よりもチームワークを必要とする。魚里高校の欠点が、ありありと浮かんでいた。



「明後日の試合に負けるようなことはないでしょうけど、甲子園ではそうはいかないわ。やはり司令塔の不在が今のウチの最大のネックね……」



イリアの殺傷力のない明かりの魔法が、味方であるタツマの背中に当たる。

厳島が「ハァー」と重い息を吐いた。









「はいはーい、みんなおつかれー、カリンベーカリーの新作のミニクリームパンだよ!」



ミーティング後の部室に快活な声が響く。



多花木辺たかきべカリン。

ヒロシマ市内にある和菓子の老舗、多花木辺屋の一人娘にして魚里高校のもう一人のマネージャーである。純血のヒト族であり、茶色がかった黒髪のポニーテールは、染めているわけではなく地毛である。

魚里高校のマネージャーは2人、おっとりと控えめなレナーデとは正反対の、明るい少女だ。

カリンはお盆に乗せた一口サイズのクリームパンを部の全員に配り始める。



「はいはーい。みんな一人一個づつねー。」



「おっ、ラッキー。一個貰うぜ、カリン。」



「カリン先輩あざーっす」



運動の後の甘いものは格別である。部員たちが次々とミニクリームパンを摘まみ、舌鼓をうった。



「はーい、オルタ様! タツマ君も!」



オルタの髪伸びると、蛇が卵を飲むように一口で飲み込んだ。ぐっと丸を作った辺り、それでも味わって食べているらしい。



「ありがとうございます! 多花木辺先輩!」



タツマもそう言って手を伸ばそうとすると、カリンはひょいっとお盆を持ち上げた。



「タツマ君、カリンって呼んでくれないかな? 苗字で呼ぶ人にはあげないことにしてるんだ」



「は、はぁ? …ええっと、じゃあカリン先輩でいいですか?」



「はいはーい。それでいいよ。はい、あーん」



反射的に開いたタツマの口に、ミニクリームパンがほいっと放り込まれた。

もごもごと口を動かすと、甘くとろっとしたカスタードクリームが口の中に広がっていく。



「あ、凄くウマい」



「でしょでしょー? いつか私はオヤジから店を乗っ取って、カリンベーカリーを作るんだ! これはその為の第一歩ね」



「は、はぁ…? よくわかりませんが、頑張ってください」



「うんうん! タツマ君はいい子だねえ。余ったからもう一個あげよう。はい、あーん」



2つ目のクリームパンをタツマはやはり、何も考えずに食べた。

恥ずかしいとか、照れてしまうとか、そんな空気を作らないサッパリとした気風きっぷのよさがカリンにはある。

いきなりパーソナルスペースを突き破ってきても、馴れ馴れしくならないのがカリンの美徳だ。誰とでも、会ったその場で友達になれる人物である。

「お店やるんですか?」と聞いたタツマに、カリンは父の饅頭屋に対するクーデタープランを嬉々として語り始めた。



そんな二人を、カヤはジリジリとした気持ちで見つめていた。

自分がタツマに名前で呼ばれるようになるまで半年以上もかかったというのに。

「はい、あーん」など、一度もしたことがないのに。

自分もあのように振る舞えれば、と思うが、これまでタツマと築いて来た3年間の関係がすっかり足枷となっていた。

カヤは動けない。ジリジリとした焦りを感じても、動きだすことは彼女には出来ない。


そんなカヤとは対照的に、足枷など持たぬ自由な者がそこにいた。



「……ツンツン頭君、あーん」



「へっ?」



カリンと話していたタツマ。後ろから呼びかけられ、振り返った口に、ぐいっと何かがつめ込まれた。

のど飴ぐらいの大きさの何かをタツマの口に放り込んできたのは、ウィリス・野呂柿であった。



「……どう?」



どう? というのは味を訪ねているのだろう。タツマは一つ、二つ噛むと、顔をゆがめた。



「…なんですかこれ? 苦いドッグフードみたいな味がするんですが…」



「……サプリメント」



「…………そうですか」



「あははっ、 サプリメントは噛んじゃだめだよー。タツマ君」



タツマの口に広がっていたクリームの甘い味は、アメリカからの輸入物である不味いビタミン補給のサプリメントに上書きされた。





「おうカリン! 俺にももう一個くれよ!」



「だーめだめ! 最後の一個はカエデさんの分なんだから!」



「……おう、そうか」



クリームパンを全員に配り終わったカリンは、壁から突き出た一枚の小さな木の棚に、最後の一個を乗せた。


棚の上にはダンジョン競技で選手が肩につけるゼッケンがある。8番がプリントされたゼッケンは、ピンで壁にぶら下がっていた。

これまでタツマも何度か見たことはあったが、今まで特に気を留める事はなかった。部室のオブジェのような物だと思っていた。



「あとはこれこれ、カエデさんのお気に入りだったビタミンエイト!」



カリンはビタミン補給飲料を取り出すと、小さなプラスチックコップに入れて、棚の上に載せる。最後に姿勢を正して正面に向き直ると、パンッ パンッ と二つ手を打った。



「カエデさん、カエデさん。どうか私達を甲子園に連れて行って下さい!」



「あほかぁカエデ。仏さんに柏手かしわで打ってどうすんじゃあ」



「いいじゃない金太。似たようなもんでしょ!」



「勝手に神仏習合すんなや、これじゃからアホは…」



「アホってなにさ、私金太より成績いいんだからね!」



言い争いを始めた金太とカリンを他所に、タツマはバーンにそっと尋ねた。



「あの…、バーン先輩。カエデさんって誰なんですか?」



「…ああ。タツマは知らねえだろうな。俺の一つ上で、司令塔キャッチャーだった人だ。去年のキャプテンでな、そりゃあ強かったぜぇ」



「うん…、大好きだった。カエデさん」



3年生二人が目を細めながら壁にかかったゼッケン8番を見つめていた。

もう少し詳しく知りたい気もしたが、バーンの目の縁が僅かに赤くなっているのを認めたタツマは、それ以上の質問をやめた。


バーン達の一つ上ということは一年は前の物だろう。壁に貼り付けられた8番は、上部の縁に埃を被っていた。



-そういえば-と、魚里高校の部員に8番をつけている人物が誰もいないことに気がついた。





誰かが鼻を啜り上げる音が聞こえた。









泣きたくなった。




目の前には午後10時の淑女。彼女の赤い舌に白いドロリとした液体が乗せられていた。

レジのカウンターに頬杖をつきながら、妖しい上目遣いでタツマを見上げていた。


午後10時の淑女は舌の上のそれを存分に魅せつけた後、口の中でクチュクチュと味わい、ゴクンと喉を鳴らして飲みこんだ。



逃げたくなった。



「ねえ、知ってる? 人間の舌ってね、奥の方が一番敏感らしいのよ」



タツマはぶんぶんと顔を左右に振った。



「だからこうやって、ゴクンって飲み込む時が一番美味しいのよ。あっ、これ豆知識ね」



午後10時の淑女はそう言うと、会計を済ませたばかりのヨーグルトをもう一口、スプーンで舌に乗せた。舌で十分に転がした後に、もう一度ゴクンと飲み込んだ。



「でもねえ、最近は亜鉛不足で味覚障害を持ってる人も多いんだって。かわいそうよね。美味しいものを美味しく感じられないなんて。死んでいるようなものよ。…ねえ、そうは思わない?」



タツマはブンブンと顔を縦に振った。



「そうよね。だからあなたもしっかり亜鉛とりなさいよね。大事なのよ、亜鉛」



それが締めの言葉だったのだろう。午後10時の淑女はフッと笑うと、いつもの表情でタツマを見下ろすように、見上げた。



タツマはブンブンと顔を縦に振った。何のことかよく解らなかったが、とにかく頷いておいた。



午後10時の淑女の笑みが不満気な物に変わった。



「むぅ…、ちょっと回りくどかったかしらね、反応がイマイチだわ。次回への反省点ね」



「(学習してるッ!?)」良くは分からないが、鳥肌がたった。



「とは言っても、何度も下着やフランクフルトで責めるわけにもね…、慣れられても困るし」



「(戦略を立ててるッ!?)」良くはわからないが、背筋が凍った。



「でもね、あなたももう少し頑張るべきだと思うの。亜鉛っていう単語にピンと来なさいよ、それでも高校生の男の子なの?」



「(ダメ出しされてるッ!?)」良くは分からないが、住んでいる世界が違うと思った。



「まあ、今日の所はこの辺でいいわ。あとコレもお願いね」



そう言うと午後10時の淑女は清涼飲料水の棚から、栄養補給飲料を取り出してきた。



ビタミンエイト。茶色い瓶に黄色いシールがトレードマークのロングセラーのビタミン補給ドリンクである。清涼飲料水にしては小さく、栄養ドリンクにしては大き目という、中途半端な大きさの飲み物だ。


商品のターゲットは30代以上の男性なのであろう。若い女性が飲む印象は、あまりない。



「なんだか久しぶりに飲みたくなったのよ。悪い?」



「あっ、いえ、別に」



午後10時の淑女が不機嫌そうにタツマを見た。こうして背を伸ばすと、午後10時の淑女はタツマより僅かに身長が低い程度である。女性の平均よりは幾分大きいのであろう。ヒト族だと仮定するならばであるが、



「袋はいらないわ。今ここで飲むから」



プルタブ式のキャップを開けると、ぐいっとビタミンエイトを飲み始めた。

CMに出てくるスポーツ選手のような豪快な飲み方だった。白い喉がこっこっと鳴った。



小さな瓶はすぐに空になった。午後10時の淑女は飲み終わった後に、目を伏せた。



「……やっぱり、美味しくないわね」



空の瓶を見ながら寂しそうにそう言った。


もはや二度と手に入れられぬ何かを見つめるような、苦しそうな目だった。


なんとなく、声をかけるのが憚られた。



その寂しそうな目が、ふと何かを思いついたように、楽しげな物へと変わる。



「ねえ、ビタミンエイト飲んだ後って黄色くなるわよね? アレまで」



タツマもビタミンエイトは何度も飲んだことがある、午後10時の淑女が何を言いたいかは、今度はすぐにわかった。



「あっ、そうですよね。おしっこ黄色くなっちゃいますよね。不思議ですよねえ、コーラ飲んでも茶色くなるわけじゃないのに」



小学生の頃はよく友達とその話題で盛り上がったものである。タツマはあっけらかんとそう答えた。

午後10時の淑女は小さな舌打ちをすると、「マニアック過ぎたか…」とボソリと言った。



「それじゃあ今日は帰るわ。また明日ね」



袋の中に中身の残ったヨーグルトと空になったビタミンエイトを無造作に放り込んだ後、午後10時の淑女は出口の方へ足を向けた。



「あっ、俺。バイトは平日だけなんで、土日はシフトに入っていないんですよ」



タツマの言葉に、午後10時の淑女は「あっ」と口を開いた。

学校でお弁当を忘れたことに気付いたような、そんな顔だった。



「…やあね。もう一週間たったのね。平日が待ち遠しいなんて、昔と逆よ」



皮肉げに呟いた後、タツマに背中を向けて、何かを振り切るような明るい声で言った。



「じゃあまたね、私の夏」



タツマも、「はいっ、また来週!」と、去っていく背中に向けて大きな声で呼びかけた。



また来週。月曜日から再び午後10時の淑女の猛攻にさらされるであろう自分の事を思ったが、不思議とそれが嫌ではなかった。






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