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エピローグ 藻女神様と行く、迷宮甲子園




ダンジョンが蘇っていく。



変異体に吸収されていた大量の魔素がダンジョンに還元され、まるで時間が巻き戻されるように壊れた橋が修復されていく。

魔素さえあれば地形はすぐに修復される。ダンジョンは生きているのだから。



できたばかりの橋を渡って、厳島のジープがタツマ達の元へとたどり着いた。

厳島は運転席から飛び降りると、泣きながら皆に飛びついた。

助手席で眠っていた影の功労者イリアを、バーンが担ぎだしてきた。

「よくやった!」「やりすぎだ!」と、タツマに代わり今度はイリアの頭を全員が叩き始めた。手荒い歓迎で目を覚ましたイリアは目をくるくると回していた。さらに遅れて、鈍足ながらも全力で駆けてきたアイアンが皆に合流する。

抱き合い喜び合うその姿は、まるで甲子園に優勝したチームのようだった。



倒れていたアンパイアが目を覚ます。どうにか歩き出せる程度ではあったが、オルタの魔法により傷だけは殆ど回復していた。

厳島の口から全てを知ったアンパイアは、



「魚里高校のアンパイアは二度と引受けたくないですね」



と笑いながら言った。「大変な目に合わせて申し訳ありませんでした」と厳島が頭を下げると、アンパイアは「そういうことではなく…」と慌てて両手を振って、



「きっと彼らに肩入れしてしまうから、できれば応援席から見たいのですよ」



と、未だ団子になって固まっている連中を眩しそうに眺めて言った。



強大なバケモノに対し、チームが一つになり、全員で勝利をもぎ取った。これで終わればどれだけよかっただろうか。

しかし彼らは大事なことを忘れていた。勝利にも、生き残った喜びにも、全てに水を差す男の存在を。



「ガーハッハッハ。流石はワシが育てた一軍の選手たちだ! 変異体を討伐するなど他の学園には到底不可能だぞ! 今年こそ甲子園は頂きだ!」



厳島の到着に遅れること20分。一軍監督五井力が乗ったリリーフカーが最後の島へとたどり着いた。

五井はリリーフカーを降りると、悠々とタツマ達の方へと近づいていく。

一軍、二軍、そこにいる者達の全ての冷ややかな視線に、五井は気づくことはない。

大きな口で笑いながら、のしのしと砂浜を歩いて選手たちの元へとやってきた。



バーンがギリリッと拳を握る。



「監督。『一軍の勝利』じゃないっすよ、俺たち全員が戦って、あそこにいるタツマが命がけで踏ん張って、ようやく勝てた相手っすから」



バーンが示す先には、血みどろで砂まみれになったヒト族の少年がいた。五井はタツマを見下ろすと、鼻で笑った。



「ハンッ! 何を言っとる! ワシはちゃんと見とったわい。イリアの魔法が魔物を葬るのをな! ここにいる人族の男は、死んだ魔物にナイフ刺してただけだろうが!」



五井の目は曇っていた。

いや、目ではなく心が曇っていた。

魔物が死ぬのは魔石に変わる時だけということすらも、五井は理解しようとはしなかった。

イリアの魔法は確かに魔物に大打撃を与えた。しかし、鮫の生命力は半端な物ではない。他の魚では致命傷となる傷でも鮫は生き残る、それこそ、イリアの魔法がそうしたように、背中の肉が大きくえぐれたままでも生きている個体もいる程だ。

ましてや相手は変異体のバケモノである。凄まじい暴れ方をしていたバケモノとタツマとの死闘を見ても、それを受け入れないほどに五井という男は歪んでいた。

バーンは舌打ちし、「救いようがねえぜ‥」と、小声で吐き捨てるように言った。



「ガーハッハ、変異体の魔石も手に入れたしな。ハンドボールコートを潰して、もう一つ室内練習場でも建てるか! ドロップ品の売却も合わせれば1億は固いだろうしな!」



「勝手にハンドボール部の練習場奪うなや」金にうるさい筈の金太が、ボソリと言った。



「おおっとその前に試合結果の集計だな! 警察と冒険者協会が来る前にとっとと終わらせるか。おい審判! 魔石の集計を頼むぞ! こいつのペナルティーも含めしっかりとな!」



五井はタツマの方へと肩を揺らしながら歩いて来る。

五井の目は淀んで、狂っていた。熊族だというのに、狂犬病にかかった犬のような目をしていた。

五井は、元来は多少歪な程度の男だった。

その歪みが、初めてみた変異種への恐怖と、それに打ち勝ったヒト族の少年の存在で、もはや取り返しのつかぬところまで大きくなってしまっていた。

五井とて元々は冒険者である。自分が恐怖のあまりセーフティーゾーンから一歩も動けなかったバケモノ。それに対し一歩も引かずに立ち向かった人族の少年。どちらが勇敢で、どちらが冒険者として上だったかは明らかだった。

その事実を認めたくなかった故に、五井はタツマを見下した。歪んだ目と心で、見下した。



五井の亜人優位主義は彼の過去に起因する。

高校時代、五井には守護を持ったヒト族のチームメイトがいた。

自分よりも体が小さく、身体能力も低かったはずのヒト族のチームメイトは、自分を差し置いてキャプテンになり、自分を差し置いてプロへ行き、今では自分を遥かに追い抜いてプロの冒険者チームの監督を務めている。

自分も守護を受けていればヒト族などに負けなかったはずだ。その妬みが彼を亜人優位主義者へと変えて行った。

差別とは理解の放棄から始まる。五井は自分を置いていったチームメイトを理解することを放棄した。

五井のチームメイトがキャプテンとなったのは、実力よりも、2人の心に違いがあったというのに、その事を五井は、決して理解しようとはしなかった。

そしてその時から、五井の時間と成長は止まっていた。



五井がタツマを見下ろす、いや、五井はタツマを見ていなかった。

タツマを通して自分の昔のチームメイトを見ていた。過去に囚われた、焦点のまるで合っていない目で、五井は何かを見下ろしていた。



「残念だったな! どんな守護を持とうが人族が劣っていることが証明されたわけだ! 反則でしかウィリスを止めることができなかったのだからな!」



五井の言葉に全員が言葉を無くした。あの反則がなければウィリスがどうなっていたかも分からないのかと、呆れて物が言えなかった。

タツマだけが、「あっ‥」と声を上げた。変異体に勝つことが目的だったのではない。試合に勝つことが目的だったのだと、いまさらになってタツマは思い出した。

自分は負けていたのだと。



「最後の場面で致命的な反則を犯すような無能な選手はワシのチームにはいらん! 今度こそ貴様は退部だ!」



タツマが受けた二度目の退部宣告。

前回、それを聞いたタツマはカヤとイクアラから逃げるように走りだした。しかし今回は走りだすことができなかった。

タツマよりも早く、そこから逃げ出した者が現れたのだから。



「オルタ様ッ!」



オルタは腰元の鞘から飛び降りると、短剣と共に凄まじいスピードで逃げ出した。カサカサカサっと、黒い塊が白い浜を駆けて橋を渡って行く。



「オルタ様ーッ!」



タツマは全力でオルタを追いかける。タツマの足よりも、オルタの髪はなお速かった。2人はチームメイト達を残して島から消えていった。走り去っていくタツマの後ろ姿を見ながら、五井は満足そうな笑みを浮かべていた。



「てんっめえぇえええ!!!」



残された者達の中で最初に怒りだした者はバーンだった。あまりの剣幕にイクアラとカヤが出遅れた。牙を剥き、髪を逆立て、五井に殴りかかる。

バーンにとって、もはやこの男は監督だとは思えなかった。この男と一緒に甲子園に行きたいなどと思えなかった。

退部も退学もどうでも良かった、一発でもこの男を思い切り殴っておきたかった。

そのバーンの襟が、後ろから掴まれ、止められた。



「離せやぁウィリスゥ!! 甲子園なんざどうでもいい! こいつをぶっ飛ばす!!」



バーンの剣幕を浴びた五井が震える。

とうに現役を退いた五井が、魚里高校最強の拳を喰らって無事で住むはずはない。

五井はなぜバーンがコレほどに怒っているのか理解できなかった。自分と同じ守護無しの獣人ということで、特に目をかけていたのが他ならぬバーンであったのだから。

先ほどまでのタツマに対する強気な表情は消えていた。バーンの訳の分からぬ反抗に、ただ怯えていた。

ウィリスはバーンの後ろ襟をぎりりと締め上げたまま、恐ろしく冷たい無表情で五井に尋ねた。



「…つまり、二軍が勝ってれば彼は退部する必要はなかったと」



「そう! そうだ! アイツが負けたのが悪いんだ!」



ウィリスの助け舟に五井はすかさず飛び乗った。バーンの怒りから逃れる為に、自分の主張を正当なものにするために。勝者こそが正しいという古来からの真実を持ちだした。

氷のように冷たい顔をしていたウィリスが、その言葉を聞いて、僅かに笑った。



「…バーン、一軍はまだ勝ってないよ」



ウィリスはバーンの襟から手を離すと、ぐいっと自分の胸の水着を引っ張った。

水着とふくよかな双丘によって作られていた天然物のポケット。その中から、ウィリスは小さな魔石を取り出す。

それはジュエリーフィッシュの魔石、タツマとの競り合いの中で、偶然にウィリスの胸の中へと落ちてきた魔石だった。



ウィリスは魔石を掴んで大きく振りかぶった後、綺麗なフォームで海に向かって放り投げる。

暫くして、小さな小さな水音がバーン達に聞こえた。

ウィリスは投げ終わった後の体勢から、すっと姿勢を正すと、いつもの無表情でこういった。



「…圧倒的大差のコールド負けを除き、試合の結果は獲得した魔石が審判の天秤に乗せられた時に決定される…」



「……なるほど、そういうことかよ!」



バーンがニヤリと笑うと、毛むくじゃらの手をポケットに突っ込む。そこにあるのは一個の魔石。魔石拾いに任せずに、戯れに自分で拾っておいた魔石を取り出すと、バーンは躊躇いなく、それ海へと放り投げた。



「蟹岩石の魔石だぁ! これでマイナス4点!」



「はぁっ!? おい、ウィリス! バーン! 貴様ら何を考えている!?」



慌てる五井には視線もよこさず、ウィリスとバーンはコールの方を見る。ウィリスの魔石をずっと拾ってきたコールのリュックには、50点分は魔石が詰め込まれていたはずだった。

コールは頷くと、リュックを肩から外す。



「おい! 待て! コール! 貴様そんなことをしてみろ! あのヒト族と一緒に退部させるぞ!」



コールは一瞬だけ五井に目を遣ると、魔石が詰まったリュックを持って、ハンマー投げの要領でぐるぐると回り始める。



「退部にでも何でもっ‥、すればいいだろおッ!」



コールのリュックは高く空へと舞って、海へと落ちていった。



「退部だ! 退部だコール! 監督への命令違反だ! 貴様の代わりなどいくらでもいるんだからな!」



五井がコールを指さして叫んだ。厳島との約束などすっかりと忘れていた。

いつまでもモナーキーの君主を気取っていた。クーデターを起こされたことにも気づいていなかった。



「だったら俺たちも退部だなぁ。おう、ウィリス。3年間、世話になったな」



「…うん、最後の試合、とっても楽しかったよね」



「おい! 貴様ら何を言っとるか!! 甲子園に行きたくないのか!? 優勝したくないのか!?」



ウィリスとバーンが抜けてしまえば、甲子園どころか、県大会も突破できないだろう。高校で冒険者をする人間なら誰もが夢に見ていることを、五井は餌にして2人を引き留めようとした。




「例え優勝してもなぁ、てめぇを胴上げしたくねえんだよ!」



「…右におなじ」



チームの主力の退部宣言はウィリスとバーンだけでは終わらなかった。

アイアン・マンが無言で進み出ると、自分の魔石入れを取り出して、ブンッと大きく海へと投げた。

ウィリスよりも無口な男と言われているアイアンが、久しぶりにチームメイトの前で口を開いた。



「オレも、退部だ」



変異種とは直に戦う機会はなかったが、彼も皆と一緒に戦っていたつもりだった

戦場に追いつけぬ、自分の遅い足に苛立ちながら。



「わ、わたしも!」



さらにイリアも魔石を投げようとしたが、一匹も魔物を倒していないイリアは自分の魔石が無いことに気がついた。気配りのできる鉄巨人は、一個だけ取っておいた魔石をイリアに手渡した。



「ありがとう! アイアン先輩!」



イリアは両手で大事に魔石を受け取ると海に放り投げた。

不格好でバラバラなフォームから投げた魔石は、波打ち際にも届かない。イリアは小走りで魔石を追いかけた後、もう一度投げた。今度はちゃんと海まで届いた。



「私も、みんなと一緒に退部じゃけん!」



チームのエースまでが退部を宣言した。そして最後に、全員の視線が金太に集まった。



「た、退部は望む所じゃが…、魔石……、ワシの魔石ぃぃ‥」



魔石を捨てることに余程抵抗があるのだろう、金太の手はぶるぶると震えていた。

それでも無言のプレッシャーに負け、金太は一歩一歩浜辺に向かって歩いていった。


とっくり型の魔石入れから、まるでバケツの水のように、金太は魔石を撒いた。



「ええい! さよならじゃあ! ワシの魔石ぃいっ!!」



弧を描いて広がった魔石が、キラキラと輝き海の中へと落ちていった。

一軍選手たち5人の造反で、一軍は100ポイント近くの魔石を失った計算になる。



「で、監督。一軍オレタチは負けたわけですが、それでもアイツはクビですか?」



遠くの浜辺を駆けているタツマを、バーンは親指で指しながらそう言った。5人の造反と退部宣言は全て一人の男の為にやったことである。



「バカな! バカな! おい、アンパイア! こんなものは無効だろう! こんなデタラメな結果、審判の天秤で量るまでもないわい!」



全てを見ていたアンパイアは、こういった。



「ええ、これは審判の天秤に載せるまでもないですね。この勝負、2軍のコールド勝ちですよ」



勝った二軍と、負けたはずの一軍が、揃って勝利の雄叫びを上げた。












「オルタ様ー!」



タツマはオルタを見失っていた。岩場を走っていたオルタが、突然何処かへと消えてしまっていた。



「オルタ様ー!」



タツマがどれだけ呼んでも、オルタは姿を現さない。なぜオルタがタツマの前から消えたのか、そのくらいならタツマにも分かる。

二軍が負けたのが自分のせいだと思っているのだろう。タツマが甲子園に行けなくなったのが自分の責任だと考えているのだろう。

タツマの推測は半分正解ではあったが、十分ではなかった。



『失敗とは必ず訪れてしまうものだ。人であっても、神であっても』



オルタは父の言葉を再び思い出していた。今度はハエ叩きではどうしようも無い。取り返しのつかぬ失敗を犯した自分は、タツマに合わせる顔(髪)などなかった。

タツマがオルタを必要としたのは甲子園に行きたいが為である。甲子園にいけなくなったタツマが、どうして自分を必要とするだろうか。

タツマの夢を潰してしまった自分が、何を以ってタツマに詫びろというのだろうか。どうしてこれ以上タツマと共にいられるだろうか。


オルタは岩陰に身を潜めながら、声を殺して泣いていた。

岩の中でじっとこらえていた。誰も知らぬ洞窟で、長い年月一人で石の中に篭っていた頃と同じように。

こんなことなら、ずっとあの岩の中にいればよかったと後悔した。



押し殺したオルタの泣き声はタツマには聞こえない。

しかし、姿は見えなくとも、そこにオルタがいるという確信が、タツマにはあった。

守護する者とされるもの、タツマは今まで感じようともしていなかっただけで、その間には確かな繋がりがあるのだから。

母と子のような繋がりが、オルタが側にいるとタツマに教えてくれた。



「オルタ様、ごめんなさい!」



タツマは、オルタがどこにいても聞こえるように大きな声で話し始めた。



「オレ、オルタ様のこと、便利な武器かなんかぐらいにしか思っていなかったんだと思います。勝手に住み着いた変な同居人みたいに思ってたんです」



タツマの言葉にオルタはぎゅっと髪を縮ませた。薄々気づいていた事実をタツマの口から告げられ、オルタの世界が黒く塗りつぶされていく。



「オルタ様はいつもオレの事見守ってくれていたのに、オレ、酷いヤツでした」



オルタの心が石のように硬くなっていく。これでまたひとりになるのだとオルタは思った。涙は流れない。また、あの洞窟で眠ればいいと、そう思った。



「こんな俺に、もう愛想なんて尽かしちゃったとは思いますけど…」



オルタは世界がぼーっとなって、全てがどうでも良くなってきた。あの洞窟でずっと眠っていたあの時のように。



「もし、もしも…、許してくれるなら、これからも、ずっと…、オレと一緒にいてくれませんか?」



そんな硬化したオルタの心にも、タツマの言葉は確かに届いた。



「オレ、これからもずっとオルタ様と一緒にいたいです」



タツマの言葉は心からの物。出会った時のような勘違いではなく、タツマは心からそう思っていた。

心からの言葉は心に響く。オルタの石の心にピシリとヒビが入る。今まで必死で耐えていたはずの泣き声が、オルタからこぼれ始める。



「オレの神様になってくれて、ありがとうございました」



―シクシク―



「いつも美味しいご飯を作ってくれて、ありがとうございました」



―シクシクシク―



「試合でも何度も助けてくれて、ありがとうございました」



―シクシクシクシク―



「ウィリス先輩を助けてくれてありがとうございました。金太先輩を助けてくれてありがとうございました」



―シクシクシクシクシク―



「髪の毛が千切れてもみんなを助けてくれてありがとうございました。審判さんを助けてくれてありがとうございました」



―シクシクシクシクシクシクシクシク―



「こんな俺を、いつも守ってくれてありがとうございました」



―シクシクシクシクシクシクシクシクシクシク―



「甲子園にはいけなくなっちゃったけど‥、これからも…、オレの守護神様でいてくれませんか?」



―シクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシク―



オルタの石の心に入った罅は、亀裂になり、大きな裂け目となる。裂け目の間に、タツマの声と心が響いていく。



「だから……、一緒にお家に帰ろう。オルタ様」



オルタの心を封印していた石が、バラバラに砕けた。両手を伸ばして待っていたタツマの腕に、岩場から這い出たオルタが飛び込んだ。

岩の中に自らを封印していた悲しき女神。オルタは今、本当の意味での封印がとけたのかもしれない。



―シクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシク―



「ありがとう、オルタ様」




オルタは父の言葉を思い出す。『精一杯頑張って、それでも過ちを犯したとしよう。そんな時、お前はどうする?』

父の言葉の意味は今でもやはり分からないが、タツマの手の温もりに、答えがあるような気がした。


タツマはオルタの髪を優しくなでる。

オルタが自分にそうするように。オルタが泣き止むまで、タツマはいつまでもそうしているつもりだった。

拡声器から、カヤの歓喜の声が聞こえるまでは。




「タツマー! オルタ様ー! 勝ったよ! 勝ったんだよ! 私達が勝ったんだよ! 甲子園に、行けるよ!」



「へ……?」


―シク?―




やはりオルタは、タツマにとっての勝利の女神なのかもしれない。











―トントントントントントントントン―



朝、包丁の音でタツマは目を覚ます。タツマにとっては、もはやこの一週間お馴染みとなった音である。

着替えて、キッチンへとむかうと、オルタが、踏み台の上に乗って、朝食を準備していた。

髪が千切れ、小さくなったオルタの全身は、人型になると少女のように小柄になってしまっていた。

包丁のリズムに合わせてツインテールが揺れている。



「おはようございます、オルタ様」



オルタは包丁の手をとめて、タツマの方を振り向きペコリとお辞儀する。やはり全身髪ではあるが、もう、不気味とも怖いともタツマは思わない。



あの変異体との死闘から未だ2日。昨日・一昨日は、タツマにとって人生で最もめまぐるしい二日間となった。

変異体の出現は滅多に起こらぬ一大事である。それも高校生が倒したとなれば、ニュースにもなろう。


警察と冒険者協会の事情聴取を終え、ダンジョンを出たタツマ達を待っていたのは、どこから聞きつけて来たのか、入り口をぐるりと囲むカメラマンや新聞記者達であった。

疲労困憊のタツマ達に対し、記者達の容赦の無い質問が飛び交った。もはや喋る気力もなかったタツマ達ではあったが、ただ一人元気だったイリアが、タツマやチームメイト達の活躍を多少美化しながら、生き生きと語っていた。



「では、最後に魚里高校のみなさん、甲子園への意気込みをどうぞ」



最後のシメとして質問されたその言葉に、イリアはけろりとこう答えた。



「甲子園には行かんよ。私ら全員退部じゃもん」



あの後、二軍の勝ちだと喜ぶ全員に対し、五井は退部を宣告していた。

厳島が約束のことを取り上げても、「そんな約束をした覚えはない」と、怒鳴り散らし、最後には、「貴様らなどいなくとも、甲子園に行ってやるわ!」と、生徒たちを残し一人だけダンジョンから帰ってしまっていた。警察の事情聴取にも協力せず。


どういうことだと尋ねる記者に、イリアはむむっと眉を寄せて今回の顛末を説明した。

純血エルフの子供のような可愛らしい容姿は、視聴者の保護欲と同情をかきたてた。


その日、PTAやOB・OG達、全国各地の視聴者達から魚里高校に抗議の電話が一日中鳴り響いた。事態を重く見た理事長と校長は、土曜の夜の内に五井監督の解雇を決定し、厳島を後任とすることを発表した。

前監督五井の不祥事に、高冒連こと全国高校冒険者連盟では魚里高校ダンジョン部の甲子園への出場権利剥奪も検討されたが、

「生徒達に罪はありません。そのような決定、世間も審判の神も許さないでしょう!」

と、紅白戦の主審を務めたアンパイアが真っ向から反対した。

高冒連は日曜の内に、『変異体と戦った勇敢な魚里高校ダンジョン部の皆様、これからも甲子園出場を目指して頑張ってください』という趣旨のFAXを各所へと届けた。



こうして、嵐のような二日間は過ぎ去り、タツマは晴れてダンジョン部に復帰した。

今朝はチームメイト達と朝練の約束をしている。イクアラとカヤはもちろん、イリアにウィリス、バーンに金太といった面々とも。



「ごちそうさまでした。今日もおいしかったです。オルタ様」



オルタは幸せそうに髪をくゆらせた。



「じゃあ、行きましょうか、オルタ様」



オルタはタツマにぴょんと飛びつくと、するりと剣と一緒に鞘の中におさまった。




「必ず一緒に、甲子園へ行きましょう!」




これはダンジョンで偶然出会った一人と一房が、力を合わせて甲子園を目指す物語。



本当の意味でのパートナーとなった二人は、家を出るとまっすぐに東へと走りだした。









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