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第21話 そしてダンジョンは牙を剥く




「なん…で…」



サイレンの音の余韻が消えた時。ようやくタツマはようやく声を絞り出した。

固まった姿勢のまま、身じろぎもせず。右手にあるオルタを大きく開いた目で見つめていた。

これまで自分を助けてくれていた女神オルタ。最後の最後で、勝利の女神はタツマを裏切った。



ウィリスも同じだった。地面に下ろされたウィリスは腿を内に折る形で、座り込んでタツマを見上げていた。呆然と、ただ呆然と。



イクアラも、カヤも、バーンも、コールも、金敷も、皆その場から動けなかった。

こんな形で決着がつくなどとは、思っていなかったのだから。

勝ち負け以前に、こんな形での決着を誰も望んでいなかったのだから。



勝ったはずの一軍も、負けてしまった二軍も、固まったまま誰も声を上げなかった。

ただ一人、試合よりも、自分の趣味を優先する男を除いては。



「魔石ぃいいい! エメラルドの魔石ぃいいい!」



試合が終わっても関係ない。

金太は菅笠を放り投げると、ぴょーんと海の中へと飛び込んだ。不格好なフォームではあったが、純粋な物欲が生んだ恐ろしいほどの跳躍力で。

しかし、金太が海に飛び込む寸前に、オルタの髪が再び凄まじいスピードで、その体を絡め取った。

金太は自分に絡みつく髪に、その持ち主のタツマに、怒り、荒れた。



「おい、一年! お前はもう負けたじゃろがぁあッ! ワシの邪魔を…」



金太は最後まで言葉を続けられなかった。金太が飛び込もうとした海。つまり、エメラルドフィッシュがいたその場所から、巨大な白い三角形が生えてきたのだから。


三角形はパカリと大きな穴があくと、エメラルドフィッシュをまるで枝豆か何かのように、あっさりと飲み込んだ。

白い三角形に開いた、大きな大きな、ピンク色の孔だった。

三角形はそのまま弧を描くように横向きに倒れると、自分の体の半分程を陸の小さな人間達に見せつけた。



それはサメに似ていた。中型船程のサイズはある巨大なサメ。

しかしサメではないとハッキリと言えた。何故ならそのサメからは足と手が生えていたのだから。

巨大な噴水のような水しぶきが海面に上がると、サメのような何かは再び海へと沈んでいった。


海面が白く、不吉に泡立つ。



「変異体だわ…」



双眼鏡を覗く厳島が掠れた声で呟いた。


間をおかずダンジョン全体に最大音量でサイレンの音が鳴り響く。それは試合の開始でも終了でもない、緊急事態を告げる警報音。問答無用のダンジョンからの全員退去を指示するサイレンの音だ。



変異体、それはモンスターの突然変異体を指す言葉だ。変異体の出現は数十年に一度、あるいは数百年に一度とも言われ、ダンジョンで起こりうる最悪の事件である。災害と言ってもよいだろう。変異体の出現が確認されると、ダンジョンは即刻閉鎖され、一流の冒険者達数グループによる討伐隊か、場合によっては軍隊が組織され、対処される。

もしもオノミチ水道迷宮が通常のダンジョンであれば、変異体の発見はもっと早かったはずだ。いたるところにカメラで設置されている通常の管理ダンジョンであれば、発生と同時にその存在に気づき、ダンジョンは即刻封鎖されていたはずだった。

しかし、海中に潜んでいたバケモノの存在には、今、この瞬間まで誰も気づくことができなかった。

…ただ一人、河の女神を除いては。

オルタだけは海から近づいてくる異常な気配にいち早く気がついていた。水の流れを澱ませる何者かの存在に。



オルタには意志がある。

自分で考えて行動する。オルタは最善の行動をとった。彼女の思う最善を。

海に飛び込んだウィリスを変異体から救うことが、彼女にとっての最善だったのだから。



オルタにとっての最善は、競技にとっての最悪で、ウィリスにとっての最善だった。



タツマは手元のオルタを見る。オルタは自分を見捨てたのではなく、ウィリスを救ってくれたのだと、気がついた。



「全員! 今すぐ逃げなさい!」



審判の声に、タツマ達島にいた全員の時間がようやく動き出す。

変異体の出現は災害である。試合の勝ち負けももはや関係ない。いまは、一刻も早くダンジョンから避難するべきだ。全員が一斉に島を出る為の橋を目指す。


しかし、最初にコールが橋の木板に足をかけた時、オルタの髪がコールを絡めとった。もはや「なぜ」とは誰も思わない。


コールの目の前で橋が爆ぜる。

木製の橋とは言っても、ダンジョンの地形の一部であるがゆえに滅多なことでは壊れることはない。その橋が、まるで割り箸でも折るかのように、バラバラに砕かれた。



「別の橋へ!」



地を駆けるタツマ達よりも、バケモノの泳ぎの方が遥かに速い。最後の島をつながっていた二本目、三本目の橋が、バケモノの顎門に飲まれた。

ガリガリという、嫌な破砕音が耳をつく。タツマたちはあっさりとダンジョンの最奥に、孤立させられた。



「やだよぉ…」



金敷のいつも明るい声が、恐怖にふるえていた。

勇猛なバーンもイクアラも、口を一文字に結んで、海の方を見ていた。ウィリスの無表情から汗が流れ落ちる。

カヤが右手で棍を、左手でタツマの手をぎゅっと握った。



それが只のサメならばどれだけ良かっただろうか。

島の上で、いつか来る救助を待っているだけで良かったのだから。

しかし変異体はそんな悠長な時間を与えてくれない。オルタの髪がタツマたちを守るように広がっていく。


オルタの髪の先。海へと続く岩場から、べたりと巨大な腕が這い出てきた。それは腕だけで、タツマの体よりも大きかった。



ダンジョン学についての20世紀の権威であったとある教授は、興隆するダンジョン競技に警鐘をならしていた。既に巨大な商業ビジネスとなったダンジョン競技は、その教授を大学から追い出すことで、口を封じ込めた。

職も権威も失った彼は、それでも人々にこう訴え続けた。



「人はダンジョンを管理して、全てを理解した気になっているが、それはただの驕りに過ぎない。いつか必ず、ダンジョンの未知は驕った人間にその牙を向くだろう」



ダンジョンがスポーツになった現代において、その言葉の真の意味を理解しているものは殆どいない。

中世の昔、冒険者とダンジョンが命がけで向き合ってきた頃には、当たり前のことであったにもかかわらず。



海から這い出てきたその生き物は、皆が知っている或る生き物に似ていた。

もっともその生き物は、映画やドキュメントフィルムでしか見たことはないだろう。タツマも図鑑で見たことがあった。もちろんそれは、手足のない姿ではあったが。



「ホオジロザメの‥サハギンだ‥」



海からぬらりと這い出て立ち上がったサハギンは、全長8Mにも及ぶ、バケモノだった。








「な‥、なんだあれは!? あのバケモノは!?」



五井の顔が恐怖に引き攣り固まっていた。ベンチにいる選手たちを恐慌が支配する。

武器を持つ者、逃げ出す者、わめく者。五井達のいるセーフティーゾーンは、変異体のいる島までは一キロ以上離れていたが、変異体の異様な存在感と空気は、セーフティーゾーンまでありありと伝わってきた。



「ストップ! 一度動きを止めなさい! 皆!」



拡声器ごしの鋭い声がベンチに響く。

厳島の一喝で、騒がしかったセーフティーゾーンが、にわかに静けさを取り戻した。



「一年、二年は全員退避。三年生は武器をもって、万が一の事態に備えなさい! 但し絶対にセーフティーゾーンの外へ出ないこと! レナーデさん、三年生の中から救急要因を選んで怪我人の治療の準備を! 長月君は警察に電話を、カリンさんは冒険者協会に応援の要請を、変異体が出たと知らせなさい! 五井監督! 生徒の避難を指示してください! みんな落ち着いて、緊急訓練の通りに動きなさい!」



厳島は混乱した場を一瞬で治めると、自らはセーフティーゾーンのガラスケースの中で緊急時用に設置されている大型のライフルを取り出した。



「コ、コーチは何をなさるつもりですか?」



生徒の一人が厳島に尋ねる。厳島は、ライフルを持って、リリーフカーへと駆け出していた。



「助けにいくわ! 島にいる皆を!」



リリーフカーとは、本来選手交代時に使われる乗用車である。

ダンジョンは広い。選手交代を行う時は、リリーフカーで交代選手を送り届けてもよいとルールで定められてる。その為、リリーフカーは、ひとつのダンジョンに必ず二台は用意されている。


オノミチ水道迷宮のリリーフカーは、砂浜というフィールドに合わせた4輪駆動の小型のジープであった。

厳島がジープに飛び乗りエンジンをかける。アクセルをふかし、ギアを握った時に、助手席のドアが激しく叩かれた。



「ココ、コーチ! わ、わ、私も行くけえ!」



厳島は一瞬だけ悩んだが、その提案を受け入れた。桃髪の小柄な少女が助手席に飛び込むと、ドアを閉めるのを待つ前に厳島はアクセルを思い切り踏みこんだ。



「ありがとう、イリアちゃん! 危険な目に合わせると思うけど、ごめんなさい」


「チ、チームメイトじゃけえ。みみ、みんなを助けんと」



イリアは恐怖を押し殺すように、ぎゅっと杖を握りしめる。

2人の乗るジープは砂埃を巻き上げながら、まるでパリダカのルートのような、砂と岩の荒れた道を走りだした。







ホオジロザメのサハギンは異質であった。


二本の足で立ち上がったサハギンは、前傾姿勢で両手をブラリと下げている。

足はその巨体を支えるために醜くアンバランスに肥大おり、長い尾を左右に振ると、鮫肌がジャリジャリと不快な摩擦音が立てる。

サメの頭部は異常に大きく、サハギンというよりも、まるでティラノザウルスのような風体をしている。サメの黒目だけの目が、不気味に澱んでいた。



島に残されているのは、8人の生徒と一人のアンパイア。

9人のちっぽけな人間たちへと、ジャリジャリ、ジャリジャリという不気味な音と共に、バケモノがゆっくりと近づいて来る。



「君たち、下がっていなさい!」



アンパイアはプロテクターの下からリボルバーを取り出した。迷宮競技のアンパイア達は、彼ら自身も熟練の冒険者である。もちろん武装もしている。アンパイアとて、魔物に襲われる可能性があるからだ。

魔物に注意しながらも、競技に公正な判断を下す。生半可な冒険者では、アンパイアの仕事は務まらない。学生達が危険だと判断した時には銃器の使用も許可されている。


アンパイアは変異体の無防備な腹部に狙いを定めて銃弾を連続で発射した。真っ白い腹部に黒い弾丸が飛んで、弾かれた。



「なっ…!? まるで効いてない!?」



サメの肌は硬い。それが変異体のサハギンとなれば尚更だ。リボルバーから放たれた銃弾は腹部に弾かれるだけで、変異体に何の傷もつけることはなかった。

そしてサメとは、群れからはぐれた者から襲う習性がある。勇敢にも一人だけ前に出ていたアンパイアは、変異体の格好の獲物となった。

首をゆっくりと動かし狙いをつけると、変異体はその巨体からは想像もつかないスピードでアンパイアへと襲いかかった。飛びかかるその瞬間に、サメの黒い目が、白目へとぐるりと裏返る。


瞼を持たぬサメは獲物を襲うとき、自分の目が傷つかぬよう白目と黒目を裏返す。

黒い肌に突然生まれた白目は、両手両足を持ち人の形にも近いその魔物が、知性も感情も持たぬ只の残酷なバケモノでしかない事を、タツマ達に教えた。


バケモノの口が開かれる。ピンク色の肉の孔の縁に白い巨大な牙がずらりと並んでいる。

巨大な口は、アンパイアの体全体よりもなお大きい。人間など、一口で呑み込んでしまうだろう。

暴力という言葉も生ぬるいバケモノの一撃。しかしアンパイアとて歴戦の冒険者である。

アンパイアはサメのアギトの一撃を、横へ転がりながら躱すと、腰元の短刀を引き抜いた。

攻撃を躱された変異体の鼻先は、けたたましい音を立てながら砂浜に埋まる。視界を失っている白目に向かって、アンパイアは剣を振り上げる。

その時、サメの目が再びギョロリと黒に裏返った。黒いだけの目が、知性のない殺戮者の目が、アンパイアの心を喰った。



「う、うぁあああッ!」



アンパイアは恐怖に呑まれながら剣を振り下ろす。恐れで視界が狭くなったアンパイアには、変異体の頭部しか見えていなかった。

変異体の強力な顎。それが、あまりにも暴力的であったために、根本的な事を忘れていた。自分が相手にしているソレは、サメではなく、サハギンだということを。


―ドンッ!―と大きな音がした。


死角からおそってきた、巨人のような手の甲が、小さな人の体を払いのけたのだ。プロテクターがぐしゃりとへしゃげ、アンパイアはまるでボーリングのピンのように、弾き飛ばされ、砂浜を転がっていく。

気絶したのか、それとも命の灯火が消えたのか、アンパイアはピクリとも動かなくなった。


変異体は一度だけふりかえって、アンパイアの方を見たが、あれはもういつでも喰えると判断したのだろう。その尖った鼻先を、今度はタツマ達の方へと向けた。


笑いも、鳴き声も上げぬ殺戮者は、その無言が何よりも不気味だった。



「ぉおおおおおっ!」



惨劇を前に固まっていた小さな8人の群れの中から、一人の少年が抜けだした。

気合の声を上げ、自分を叱咤しながら変異体へと向かっていったのはタツマだった。


勝てると思ったわけではない。怖くなかったわけでもない。

やらねばやられると思った。ただそれだけに過ぎない。


競技の終わった直後の今は、全員が疲労困憊である。それでもタツマの足はまだ動いた。

持久力だけは誰にも負けたくないと、生半可な鍛え方はしていないのだから。


タツマは前に出ると、これまで何度も自分の窮地を救ってくれたオルタを、想いを乗せて振るう。

慈悲深い女神に、皆を助けてくれという願いを込めて、その名を呼んだ。



「オルタ様ぁああ!」



変異体に横から襲いかかったオルタの長い髪が、まるで鎖鎌のようにぐるぐると変異体の体中に巻き付いていく。

腕を封じ、足を封じ、変異体の最大の武器である口に髪の猿轡をかませると、万力のように締めつけ始めた。オルタの全身全霊の攻撃は、変異体の動きを完全に封じ込めていた。



「みんな! 今だッ!」



タツマの声に皆がハッとなる。

変異体だから、自分たちがまだ学生だから、そんなことは関係ない。誰も助けてはくれない。

死にたくなければ自分達でどうにかするしかない。そんなことに今更ながらに気がついた。

これはもはや競技ではない。命と命をかけた、原始的な狩るものと狩られるものの戦いなのだから。

狩られているのは自分たち。動かない獲物はやられるのみだ。



「おっらぁあああッ!」



タツマの後に真っ先に駈け出したのがバーンだった。

例え体力がつきていようが関係ない。魚里高校最強のアタッカーである三年の自分が恐怖で動けず、一年のルーキーを代わりに前に出しているなどと、自分の不甲斐なさが許せなかった。


怯えていた自分への怒りを気迫に変えて、バーンは一番槍で駈け出した。

バーンの気迫に導かれ、全員が武器を構えて、変異体へと襲いかかった。



しかしその時、変異体は身動きがとれぬまま、口をバクリと大きく開けた。頭を捩り、オルタの髪をその鋭い牙で挟み込むと、ぐるりと体を捻り始める。

地面に倒れ込みながら、バケモノの巨体が鋭く回転し始める。



「ローリングか!!」



イクアラがぶ。ローリング。それはサメのもっとも恐ろしい攻撃である。

噛み付いた相手を体をひねる事で骨ごと引きちぎるのだ。

オルタはその動きに全力で耐える。オルタの髪は丈夫である。神気を纏った髪は生半可なことでは切れることはない。そのはずだった。



―バツン―



炸裂音にも似た音をたてながら、オルタの髪が、美しく長い黒髪が、中程でぶちりと千切れた。





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