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第20話 最後の審判



イリアは夢を見ていた。



高架下の、内壁の黄ばんだラーメン屋。店内の赤いカウンターで、自分ともう一人が並んで座っていた。

隣にいる人物は、店の隅にあるテレビを熱心に見ており、イリアからは後頭部しか見えない。しかしイリアにはそれが誰であるかすぐにわかった。



「ごめんねえ、またタツマ君に奢ってもろおて」



隣にいる人物は、自分にとって恩人であり、友人であり、チームメイト。

優しくて、明るくて、一緒にいると幸せな気持ちにさせてくれる、タツマという名の男の子。



「へい、まちど」



イリアの元にラーメンセットが差し出された。隣のタツマも、既にテレビを見ながら、ラーメンセットを食べ始めていた。イリアに背を向ける形で。



「…いただきます」



すこしだけ悲しい気持ちになりながら、イリアはどんぶりを手にとった。

どんぶりの中には髪があった。ラーメンの麺の代わりに、髪の毛がごっそりと入っていた。



「ひぃうっ!?」



イリアは息を吸い込みながら悲鳴をあげた。隣にいる少年に助けを求めた。服の袖にしがみつき、必死になって訴えた。



「タ、タ、タ、タツマ君! 髪の毛が! ララ、ラーメンに髪の毛が入っとる!」



イリアはそう言ったものの、すぐに違うと思った。

この言い方では伝わらない。これではまるで異物混入を訴えているクレーム客ではないかと。

違う。そうではないのだ。ラーメンに髪がはいっているのではなく、髪しか入っていないのだと、そう言い直そうとした。


しかし、タツマは向こうをむいたまま、イリアへと右手を伸ばし、イリアの頭をそっと撫でた。

そして



「ごめん」



と、イリアに言った。

なぜ、タツマが自分に謝るのかはわからなかったが、タツマに髪をなでられるのが、とても嬉しかった。

自分よりもずっと大きくて、暖かい手になでられると、心がぽかぽかとしていった。幸せな気持ちになっていった。



「ところでイリア…」



テレビを見ていたタツマが、初めてイリアの方を振り向いた。

タツマの顔面は不吉に蠢く黒い何かに覆われていた。



「その髪の毛はこんな顔だったかい?」




「いやあぁああああああああっ!」



イリアは叫び声と共に跳ね起きる。体から毛布がバサリと落ちる。



「気がついたのね、イリアちゃん」



「あ、あれえ? 厳島コーチ?」



イリアはベンチを3つほど占拠して、横になっていた。起き上がった頭の直ぐ側に、コーチである厳島がいた。

ベンチと厳島、そして周りでチームメイト達が必死に声援を送る姿を見て、ここがダンジョンの中なのだと、ようやく気がついた。



「そ、そうじゃ! 試合! 試合が始まっとる!」



杖を探そうとしたイリアを厳島が制す。その目には憐憫の色が見て取れた。



「イリアちゃん。あなたはもうベンチに下がったのよ。それにもう、試合も終わるわ」



厳島の示す先、遥か遠くにチームメイト達の姿があった。

セーフティーゾーンから、戦場まではずっと離れていたが、目の良い純血エルフのイリアには、双眼鏡なしでもハッキリと見えた。



黒髪の少年タツマが、槍を持ったウィリスと並んで駆けていくのを。



「時間は残り3分。ちょうど今、両軍のポイントゲッター達が最後の浮島へと到達しようとしているの」



オノミチ水道迷宮は、序盤で3つのルートに別れる。それぞれ長さの違う3つのルートは、最後に一つの最も大きな浮島へとつながっている。

そこがゴールというわけではないのだが、3つのルートをそれぞれ先頭を切って攻略してきた6人が、殆ど同じタイミングで最後の島へと続く3本の橋へと向かっていた。



イリアの胸がズキンと痛む。なぜ、自分はあそこにいないのだろうか。ウィリスとタツマが一番乗りで橋を渡る姿を見て、悔しかった。


なぜ、自分は今ベンチにいるのだろうか。

なぜ、タツマの隣で走っているのは自分ではないのだろうか…。



なぜ‥、なぜ…、なぜ……。



「…あれえー??? なんで私、気絶しとったん?」



「…あっ、いや‥、それはその‥、そ、そうだわ! 手紙! タツマ君から手紙を預かっていたのよ! 後でイリアちゃんに渡しておいてくれって!」



イリアの質問に、あたふたと何かを取り繕うように慌てていた厳島は、胸元に入っていた手紙の存在を思い出した。その手紙は試合前にタツマが手渡してきた物だ。「後でイリアに渡しておいてください」と言付けられて。

受け取った時は意味が解らなかったが、こういうことかと理解した。



「タツマ君が…?」



イリアは疑問を浮かべながらも、どこか嬉しそうに受け取った手紙を開いた。



『イリアへ


これを読んでいるということは、俺の卑劣な策略が成功してしまったんだと思う。

許してくれとは言えない。俺は君にとても酷いことをしてしまったんだから。

言い訳でしかないけれど、こうしなければ、俺は君に勝つ方法が思いつかなかった。

今日の試合は、絶対に勝たなければいけなかったんだ。例え、イリアを裏切ってでも。

イリアと一緒に甲子園に行くために。俺が一軍で、イリアと一緒に戦う為に。

こんな酷いことをした俺だけど、嫌われてしまったとは思うけど、できれば今後も俺の事を友達と呼んでほしい。チームメイトと呼んでほしい。

イリアと一緒にいるのは、俺にはとても楽しいんだ。例え嫌われても、おれはイリアが大切なんだ。

こんな俺のこと、まだ友達だと言ってくれるかな。そうであれば、俺は嬉しい。


PS.アモンさんはもうひとつ買ってあります。今度受け取って下さい。


タツマより』



イリアは全てを思い出した。ベンチの隅に死体のように横たわっている、見るも無残なアモンさんも見つけた。



イリアは「ゔー、ゔー」、と唸りながらぽろぽろと泣き始めた。

ぐしゃりと手紙を握りつぶした後に、慌ててその皺を引き伸ばして、大切な宝物を隠すように胸に抱いた。


イリアの手紙をそっと覗き見ていた厳島は一言



「外道め…」



と呟いた。



俯いてボロボロと泣き続けるイリアの目の前に、厳島の拡声器がつっと差し出された。



「なにか、言う?」



イリアは拡声器を掴むと立ち上がり、拡声器なしでも聞こえるのではないかと思うほどの、大きな声で叫んだ。



「ダヅマぐんのあぼー!!!!」







「ダヅマぐんのあぼー!!!!」



突然聞こえてきた罵倒に気が抜けたのかタツマはずるりと砂に足を取られ、体勢を崩した。ウィリスがタツマを追い抜くと、青い槍がオーシャンワームの頭を薙いだ。



最後の浮島は、オーシャンワームの群生地である。


ここ、オノミチ水道迷宮は、練習試合にしばしば使われているダンジョンではあるが、タツマ達のように、90分で最後の島まで到達してしまうような学生などまずいない。

最後の島を安全地帯としたのか、オーシャンワーム達が見えるだけでも7,8匹待ち構えており、小規模なモンスターハウス状態となっていた。


足を滑らせていたタツマはすぐに体勢を立て直し、大きく飛び上がると、オルタを真上から振りぬいた、固まっていた二匹のオーシャンワームが一度に潰れる。



「タツマ君! 現在記録上はスコアが並んだわ! 残り3分。相手よりも多く倒せばあなた達の勝ちよ!」


「ウィリスー! 負けるな! 絶対に負けるんじゃないぞ!」



拡声器から聞こえてきた声は、今度は2人の監督の物だった。

魔物によって魔石のポイントが定められているダンジョン競技においては、スコアを記録することで常に点差を知ることが出来る。

もっとも、誤記や魔石の紛失といった事態も有り得るので、最終的には試合終了後に、『審判の天秤』と呼ばれる魔道具で計測する事によって勝敗が決められることになるのだが。


現在、厳島の手元のスコアブックでは220対220。残り三分にして、勝負は再び振り出しに戻っていた。

最後の島にいる魔物はオーシャンワームのみ。一匹のポイントは二点。後は単純な数勝負である。



最後の戦いは、タツマとウィリスだけの勝負ではなかった。次の獲物へと走りだしていたウィリスの視界を赤が横切る。

青い槍が届く前に、神速の赤の一撃が、オーシャンワームの頭を刈り取った。



「タツマ! 遅れてごめん!」



三番目に島へと到達した風坊カヤは、まるで、待ち合わせに遅れてきた恋人のようなセリフを吐いた。

そして、参戦者は一人だけではない。



「魔石ィー! それはわしの魔石じゃああー!」



多留簿金太が、血眼になってカヤを追いかけてきた。



「タツマ! こちら側は任せろ!」



「まだまだ俺は動けんぞぉ! イクアラ!」



カヤと金太が現れた反対方向からは、頼もしい声を上げるイクアラと 気合だけでイクアラを追ってきたバーンも戦列に加わった。


さらにサポーターとしてウィリスとタツマの後を追いかけてきたコールと金敷を加えて、島は今、8人の人間が最後の魔石争奪戦を繰り広げることとなった。



4対4の戦いは、実質的には1対1の三セットである。そしてそれまでの1対1の勢いは、最後の場まで引き継がれていた。


バーンがふらつく足で、1匹の魔物をようやく仕留める間に、イクアラはしっかりと立った二本の足で、二匹の魔物を仕留めていた。


冷静さを欠いた金太は、カヤに完全に抑えられ、一つしか魔石を手に入れる事ができなかった。カヤは先ほどの一匹と合わせて、二匹の魔物を葬った。



ウィリスとタツマの二人が、最後の一匹を同時に見据える。


仲間を全て狩られたオーシャンワームは、砂の中に潜って逃げ出した。

逃げる魔物を2人が追いかける。短パンと水着の2人は、やはり海水浴客にしかみえず、ここがダンジョンでなければ、まるでカップルがビーチフラッグでもやっているかのように見えたかもしれない。

もっとも、互いの内面にはそのような甘さの入る余地などない。



「今度こそ俺が勝ちます!」



「今回も、負けないもん!」



地中に潜ったオーシャンワーム。それを狩るのはもはや宝くじに近い。

ウィリスが槍を、タツマが黒い短剣を。それぞれがここぞと思う場所に突き立てる。槍と剣。二本の武器が地中から同時に引き抜かれた。



ウィリスの槍には何もなく。タツマの短剣には、大物のオーシャンワームが、ズルリと地中から引きぬかれ、ぶら下がっていた。



「ぅうぁああああーっ!!!」



叫び声はウィリスの物だった。地に槍を突き刺し下を向いて叫んでいた。

バーンと金太が目を剥く。ウィリスが声を出すこと自体あまりない。ましてや感情を表に出して叫びだすなど、今まで一度も見たことがなかったのだから。



「ぅうぉおおおおーっ!!!」



短剣を持った手を高く突き上げ、勝利の雄叫びを上げたのはタツマだった。

彼に続いて、イクアラとカヤも犬が同調するように吠えた。残り時間は20秒。砂浜にはもはや一匹のオーシャンワームも残っていなかった。



「やったわ! タツマ君! カヤさん! イクアラ君! 2と2と2で6ポイントのリードよ! これであなた達も甲子園よ!」



厳島の拡声器から、気の早すぎる祝辞がとんだ。地方大会はまだ始まったばかりだと言うのに。

それでも厳島がそれを言ったのは、バーンやウィリスといった現在の一軍メンバーに、タツマ達三人が加われば、甲子園へは必ず行けると確信したからだ。



甲子園という言葉に、タツマ達は喜びの咆哮を空へ届けと打ち上げる。

同じ青い空の下に、ここからまっすぐ東の方向に、甲子園はあるはずだから。


誰もが勝敗が決せられたと思っていたその時、三人の咆哮よりもさらによく通る金敷の声が響いた。

羊族特有の高く大きな声が、拡声器も通していないのに、ダンジョン中にこだました。



「あぁあーーっ! 緑色のジュエリーフィッシュだよ!」



「なんじゃとおおおおっ!?」



誰よりも速くその声に反応したのが金太だった。

金太は金敷の方を喰らいつくような凄まじい形相で振り向く。他の面々も、全員一斉に金敷の方を見た。


金敷はビクリと怯えながら、おそるおそると、ある方向を指さした。



タツマとウィリスに一番近い海の中に、岩場から続く深い海の中に、エメラルド色のジュエリーフィッシュがのんびりとたゆたっていた。



金敷の事は責められない。

金敷はタツマ達の事情など知らなかったし、五井と厳島の約束も知らない。

そして緑色のジュエリーフィッシュ。つまりエメラルド・ジュエリーフィッシュとは、金敷以外の誰が見つけても同じ反応を示したであろうから。



エメラルドジュエリーフィッシュ。

ダイヤモンド・ジュエリーフィッシュや、ルビー・ジュエリーフィッシュよりは価値はずっと低いものの、魔石の価値は数千万円。

そこまで育つには、最低でも3000回は融合を繰り返さねばならないと言われている。

冒険者だけでなく、同じモンスターからも良質な餌として狙われるジュエリーフィッシュの変異体。それがここまで生き残って育ってきたのは、臆病故か、あるいは持って生まれた幸運なのか。


その幸運は、既に勝ちを諦めていたウィリスにとっても幸運だった。

エメラルド・ジュエリーフィッシュの魔石の価値がどのくらいのものかは分からないが、少なくとも、琥珀色のジュエリーフィッシュよりもポイントが低いなどということはありえない。

数十ポイント、あるいは100ポイントを超えてもおかしくない。



うなだれていたはずのウィリスは顔を上げ、火がついたように走りだした。

タツマが僅かに遅れてウィリスを追いかける。続いて全員が一同に走りだす。



冒険者用の装備であろうが、水着だろうが関係ない。皆、海の中に飛び込むつもりだった。

勝ちを握るために、あるいは莫大な価値を持つ魔石を握るために。



試合時間は残り10秒。これまでの全ての勝負を上書きにして塗りつぶす、残酷なかけっこが始まった。





「わしの魔石じゃあああっ!!!」



金太は今、一番速かった。生涯で一番速かった。

魔石への妄執が金太の潜在能力を限界以上に引き出していた。

しかし悔やむべくは、金太はジュエリーフィッシュから一番遠い位置にいた事だ。そして緑の魔石に目を取られるあまり、赤い少女のことをまた失念していた。



「はぁああッ!」



小柄なカヤの、しかし全力のショルダータックルが金太を阻む。

金太が足を取られ体勢を崩すが、審判の笛はならない。一つの魔石を取り合う上での身体的接触はクロスプレーとして認められている。


最後の勝負は、ただのかけっこではない。選手達の意地と意地がぶつかり合う肉弾戦である。



ベンチで見ていた選手達が沸いた。クロスプレーは、ダンジョン競技の華である。

フィールドの他の選手達も皆、足を止めて、互いのチームメイトに向けて、声援を届ける。

立ち上がり再び走り出そうとした金太を、カヤが振り返って進路を塞ぐ。



「どかんかぁあああっ! この女天狗がぁああ!」



「タツマは追わせない!」



そしてカヤが選んだのは自己犠牲。

タツマに全てを託し、自分は金太を釘付けにする。

ダンジョン競技における自己犠牲は、チームメイトを一歩でも先に、相手よりも先に進めるための献身的なプレイである。

派手さも華もないプレイではあるが、金太はカヤに完全に進路を封じられてしまった。



タツマのフォローに回ろうと、イクアラは後を追う。イクアラが視界にとらえているのはウィリスである。

常に冷静な彼は、魔石の価値には惑わされない。

得るべきものは魔石ではなく勝利なのだから。ウィリスの進路を塞ぎ、タツマを先に行かせることが今の自分の役割だと理解していた。


その彼の耳元を荒い息遣いが追いかけて来る。不味いと思った時には、バーンの倒れかかるようなタックルがイクアラを吹き飛ばしていた。



「な…っ! まだ動けるというのですか!?」


「もう少しだけ俺と遊ぼうやぁ、イクアラァ!」



チーム一のポイントゲッターであるはずのバーンが、ウィリスに後を託し、イクアラを抑える事だけに専念していた。

チームの主砲の自己犠牲。バーンにとっては初めての経験ではあったが、自然とそれができていた。

この紅白戦、成長したのは二軍だけではない。バーンもまた、精神的な意味で一皮剥けていた。

タツマのフォローに回ろうとしたイクアラは、バーンに抑えられウィリスを追うことが出来なかった。




ウィリスとタツマが先頭をかけるその場所は、海へと続く堅い岩場であった。フジツボや小振りの牡蠣に覆われゴツゴツした場所をかけるウィリスが、にわかに走る速度を緩めた。


ウィリスの足からは血が滲んでいた。白く柔らかで綺麗だった足裏が、荒い岩肌に切り裂かれズタズタになっていた。

それでも走り続けるのは、ウィリスの勝利への執念であろう。


しかし目に見えて緩んだ速度は、タツマにチャンスを与える。タツマはこれまで誰よりも長い距離を走ってきた。

足場の悪い場所だろうが、夏のアスファルトの上だろうが、ペラペラにすり減った靴底で誰よりも沢山走ってきた。

タツマの面の皮は分厚いが、足の皮はもっと分厚い。

走りすぎてタコが何度も潰れた足は、天然のゴム底のようになっている。粗い岩肌の上を駆けても、無傷とはいかぬが耐え切れぬ痛みではない。


岩場に入って2人の差はみるみる縮まっていった。海までの距離は15メートル。



「(追いつける!)」



タツマはそう確信した。ウィリスとの本当に最後の勝負、タツマの勝利が、チームの勝利がそこにあったはずだった。


その時、タツマはウィリスしか見ていなかった。だからその男の事はすっかりと忘れていた。

しかし忘れられていた男は、タツマに最初に負けた屈辱を、決して忘れていたわけではなかった。



「魔石拾いだけじゃあ、終われないんだよぉおッ!」



コール・スクワルト。鹿族の獣人である彼は、このような硬い足場でこそ本領を発揮する。

タツマに追いついたコールは、稲妻のようなショルダータックルで、ウィリスを追うタツマを弾き飛ばした。

審判が一瞬笛を吹きかけて、やめた。

反則ギリギリのプレーは、コールの今日、唯一最後の意地だった。



「ぐぅうっ」



前を駆けていたタツマが、岩肌をナナメ方向に転がっていく、二度、三度転がり、頬が破け、背中の皮がベロリと剥けた。

タツマはそれでも諦めない。回転しながら立ち上がると、すぐにウィリスの後を追いかけた。


しかしウィリスとの距離は、既に7メートル程開いていた。

時計の針の残りは3秒。ウィリスは海に向かって高く跳んだ。


「やられた!」タツマは走りながら、心で叫んだ。思わず右手を伸ばす。決して届かぬ人の手を前に向けて伸ばした。


軌道でわかってしまった。

ウィリスの槍は確実にエメラルド・ジュエリーフィッシュの核を貫くだろう。



タツマの手は、ジュエリーフィッシュには届かない。

勝利と甲子園は、タツマのヒトの手では届かない。

ウィリスの槍がジュエリーフィッシュの核を、タツマの夢を貫くのを見ていることしか出来なかった。



タツマは忘れていた。敗北の淵に突き落とされるタツマを、これまで二度救った者がいたということを。

タツマにとっての勝利の女神オルタ。タツマが負けたと思った瞬間に、オルタの髪が海へと伸びた。



「オルタ様ッ!!」



すがりつくような、歓喜の声をタツマは上げる。


オルタには意志がある。意志あるがゆえに、オルタは自分が最良だと思った行動を取る。

時にはタツマがまったく想像をしない動きを。


何故ならば彼女には、彼女だけの心があるのだから。ただの武器ではなく、確かに生きているのだから。タツマと共に戦っているのだから。



だから本当は、タツマはソレをオルタに教えておくべきだったのだろう。

オルタと出会って一週間。オルタが何も喋らないことをいいことに、タツマは会話を十分してこなかった。

オルタが何も尋ねてこなかったから、タツマはソレすら教えようとも思わなかった。

心のどこかでは、オルタを一人の意思ある者として見ていなかったのかもしれない。

奇怪な行動ばかりとるペットのような感覚だったのかもしれない。

ただの便利な武器だと思っていたのかもしれない。

そのツケをここに来て、タツマは払うこととなる。



今日、もっとも速いスピードで伸びたオルタの髪は、海に飛び込む寸前だったウィリスの体に絡みついた。

そしてウィリスの体を岩場に向けて引き寄せると、優しく彼女を地に下ろした。

それはタツマの意志ではなく、オルタが自ら考えて、行動した結果である。



ダンジョン競技はスポーツである。

スポーツにはルールがある。

タツマはオルタに、一度もルールを教えていなかった。

ルールを破った者には、制裁が与えられる。




審判の笛が、鳴る。




「白組・ゼッケン4番、攻撃妨害により15ポイントのペナルティー! 悪質行為とみなして退場!」



退場のコールは必要無かった。試合終了を告げるサイレンが、それより先に鳴り響いたのだから。








【試合終了時点】


一軍 226ポイント

二軍 217ポイント(マイナス15ポイントのペナルティーを含む)







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