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第19話 女神の心得





中央のルート、タツマとウィリスの戦いも佳境だった。


砂丘から顔を出したオーシャンワームに、タツマとウィリスが同時に気付く。

タツマは助走をつけて飛び上がると、まるでハンドボールの選手のシュートのように、オルタを遠心力を付けて振り下ろした。角度をつけた一撃は、正しくオーシャンワームをとらえるはずだった。

その僅か前に、ウィリスの投げた槍がオーシャンワームを突き刺してさえいなければ。



「くそっ…! またあの槍にやられた!」



ウィリスの持つミストの槍、その能力にタツマは翻弄されていた。

守護神よりアビリティーとして与えられる武器とは、そのほとんどが何かしらの特殊能力を持っている。魔剣と言っても良いだろう、ウィリスの場合は魔槍であるが。

投槍という物は、本来はそうそう当たるものではない。しかしウィリスの槍は、投げれば必ずあたった。

例え軌道が外れようと、槍が空中で、まるで蜃気楼が揺らめくように軌道を変えるのだ。気がつけば、幻でも見たかのように槍は魔物に突き刺さっている。


魔法が槍に変わっても狙いは絶対に外さない。それがウィリス・野呂柿の戦い方であった。



地に突き刺さった槍を目指してウィリスが砂浜を蹴る。白い砂が、白い素足で弾かれる。走りながら砂からの槍を引き抜くと、足を止めずにウィリスはさらに速度を上げる。



「しまった! あそこにもう一匹ッ!?」



後を追うタツマが、海を泳ぐジュエリーフィッシュにようやく気づいた。タツマも全力でウィリスを追うが、その距離は全く縮まらない。

ウィリスが戦乙女・霧のミストに与えられたもう一つのアビリティー、身体能力向上を使った効果である。

ウィリスは長い足の大きなストライドで浜を駆けると、迷わず浅い海へと飛び込んだ。

遅れて飛び込んだタツマは、先行者の飛び込みで生まれた水の泡と飛沫に視界が奪われてしまう。

再び視界を得た時には、ウィリスの槍の穂先にジュエリーフィッシュが突き刺さっていた。



「ハァッ、ハァッ…、やっぱり、ウィリスさんは強い…!」



海水の染みた目でウィリスを見上げる。魚里高校の元エース、ウィリス・野呂柿と向かい合う。

最早エース番号を外し、魔法も使っていないウィリスではあったが、凛と立つ姿は紛れもなくエースの物である。

例え相手チームが流れに乗っていたとしても、逆流の中で一歩も引くことなく立ち続け、再び流れが変わるまで粘りつづける。それがエースというものなのだから。



魔槍の穂先で僅かに体を震わせていたジュエリーフィッシュが魔石へと変わる。

10円玉程の大きさの極小の魔石が、偶然の悪戯でウィリスの胸の谷間にポトリと落ちた。

胸の隙間に落ちた魔石を拾う為、ウィリスは迷わずぐいっと水着を引っ張った。

しかし、そこはポケット代わりにちょうどいいと気がついたのだろう。「…まあ、いいか」と呟くと、水着を手放した。

パチンという小さな音がウイリスの胸の膨らみを打った。



「……?」



動かないタツマを見て少し首を傾けながら、ウィリスは浜へとあがっていく。

ぺしぺしと、子供が胸を叩いてくるような優しさで、オルタの髪の毛がタツマの頭を打つことで、タツマはようやく再起動した。



「流石だ! ウィリスさん!」



タツマは再び、ウィリスの後を追い始めた。



次の浮島へと駆けるウィリスは、その途中の橋の上で既に次の獲物を見つけていた。

助走を十分に付けた状態で上半身を真横に捻り、両手を傘のように広げると、後方へと引き伸ばした右手から、魔槍を鋭いフォームで放り投げる。

低く長い放物線は軌道を僅かに修正すると、砂浜から頭をもたげていたオーシャンワームを正しく串刺しにした。


オーシャンワームの魔石は2ポイント、先程から合わせると2+1+2で、合計5ポイントの3連続得点。ウィリスは今、完全に流れに乗っていた。



「…あの投げ槍、本当にどうにかしないと!」



オルタの髪の射程は30m未満。ウィリスの投槍がおよそ35m。詠唱の時間も必要ない。

壁の一切ないこのオノミチ水道迷宮の中では、ウィリスの魔槍は魔法よりも厄介な代物であった。

タツマはウィリスと並んで駆ける。走りながらウィリスの槍を打ち破る作戦を考えるが、作戦など思いつかない。


焦る思考の中、海から蟹岩石が浜へとよじ登ってくる姿をタツマは視界に捉えた。蟹岩石のポイントは4ポイント。これを取られては完全に終わる。

ウィリスは未だ先ほどの槍を拾い終わってはいない。この隙に、タツマは魔物を倒しておきたかった。

しかし、スポーツの世界において、焦りとは往々にしてミスを呼ぶものである。



「届けぇー!」



願うように振りかざしたオルタの髪は、まっすぐに獲物へと伸びて行き、そして伸びきってしまった。


蟹岩石までほんの僅かな距離だけ届かなかった。せめてあと二歩、タツマが魔物に近づいてから攻撃していれば、オルタの攻撃は蟹岩石の急所の背中の窪みに届いていたはずだった。

あと二歩前に進むだけなら、ウィリスよりも速く魔物を倒せていた筈だった。


目測を誤っただけの些細なミス。しかしそのミスを、ウィリスが逃すはずもなかった。



「フゥッ!」



息と共に、短く気を吐く声が耳元から聞こえた。

目線を横に動かすと、既に槍を放ち、体を豹のように低くした状態のウィリスがそこにいた。


青い線が、青い空を切り裂くように進んでいく。その下には、伸びきったままのオルタの黒い髪が横たわっている。




「(やってしまった)」と、今度こそ終わったとタツマは思った。

先の琥珀色のジュエリーフィッシュ争奪戦の時は、オルタの機転がタツマを救ったが、そのオルタとて、髪が届かねばどうにもなるまい。

ウィリスの槍が魔物を貫く姿を、タツマは剣の柄をギリリと握りながら、見ていることしか出来なかった。




『やってしまった』そう思ったのは、タツマだけではない。

タツマが握る短剣の柄。そこから生えるオルタも、タツマと同じように自分のミスで負けたと、そう思っていた。


ウィリスの魔槍とオルタの髪の競い合いは、ウィリスとタツマの互いの守護神の競い合いとも言えよう。勇猛果敢な戦乙女・霧のミストに対し、ヒロシマを流れる小さな河の女神にすぎないオルタ。

戦乙女に勝ちたいなどと大それたことはオルタは思ってはいないが、タツマの足を引っ張りたくないとだけは思っていた。

箱入りの上、長い間眠りについていたオルタは、ダンジョン競技のルールもやり方も何一つ知らないが、先ほどのタツマのミスが自分のミスだということだけはわかった。



出汁のせいだ。



オルタは、そう、後悔していた。

髪の長さが僅かに足りなかった。

この一週間、毎日出し汁に使わなければ届いていたはずだった。

オルタの髪は人の何十倍も速く伸びるが、髪の毛が伸びる以上の長さを料理に使ってしまっていた。



「いいですかオルタ、出汁は二番出汁まで使いなさい。二番出汁を取った後は佃煮にして、最後まで余すところなく食すのですよ。倹約は必ず貴方を助けてくれます。贅沢はいつか貴方と家を滅ぼします」



昔聞いた母の言葉を思い出す。二番出汁まで使っていれば、母のいいつけを守っていれば、タツマの一撃は届いていたかもしれない。タツマがご飯を食べてくれるようになったのが嬉しくて、美味しい料理を作りたくて、ついつい、一番出汁しか使わなかった。



オルタは、自分の依代にしている黒い短剣に、助けてと願う。

タツマが短剣と思い込んでいるそれは、実は包丁である。

黒い包丁は父からの贈り物。嫁入り道具として、オルタとその夫となるべき者に与えられたものだった。

偉大なる父であれば、不出来な自分に代わり、タツマを助けてくれるのではないかと、そう思った。

短剣は何も語らない。当然のことだ。短剣は父ではないのだから。



しかし、父の匂いのする短剣は、オルタに父の背中を思い出させてくれた。



「オルタよ、お前も随分と大きくなった。これから益々と美しくなる事であろう」



「ありがとう御座います! お父様」



当時のオルタにはちゃんと顔があったし、声を出す事も恥じなかった。

小ぶりの顔に、つぶらで大きな瞳、美しい黒髪は、いずれ神界一の美神と呼ばれる事を十分に予感させていた。



「しかしな、良き妻たるには外面の美しさなど些細なこと、心根の在り方こそ美しくあるべきよ」



「はい! お父様」



オルタの父は、未だ幼いオルタに対しいくつかの薫陶を与えていた。オルタにとって父の言葉は絶対であったし、今でもはっきりと思い出せる。


その日は夏の暑い日であった。夕食の後、オルタは父と差し向かいに座っていた。

夏の蝿がぶんぶんとやかましく飛んでいた事も、オルタはよく覚えている。



「妻たるものは夫の三歩後をついて歩くべし、この言葉は知っておるな?」



「はい! お父様」



「夫が失敗をしたり、落ち込んでしまった時は、そっと側に立ち、何も言わずに夫を支えよ。それが良き妻のあり方という物だ」



「はい! お父様」 




「さて、ここでお前に問おう。夫を支えねばならぬ妻が失敗したり、落ち込んでしまったならば、その時はどうするべきかな?」



父の問いはオルタには難しすぎた。考えて、考えて、こう答えた。



「失敗してしまうのは、良き妻ではないと思います」



父は無言でオルタを見つめながら、顎にたくわえた髭を撫でた。蝿がブーンと、父の頭にまとわりついた。



「その心がけや良し、しかしな、それでも失敗とは必ず訪れてしまうものだ。人であっても、神であっても」



蝿を手で払いながら、オルタの父は厳かに言葉を続けた。



「精一杯頑張って、それでも過ちを侵したとしよう。そんな時、お前はどうするのかと問うておるのだ」



幼いオルタは一生懸命に考える。蝿の五月蝿い羽音が、ぶんぶんと聞こえる。



「わ、わかりません…」



考えて、考えて、結局オルタはわからないと答えた。良き妻と失敗する妻、二つの矛盾がどうしても解決できなかった。

愚かな解答に、父に怒られてしまうのではないかと、オルタはぎゅっと目をつぶった。


蝿だけが、やはりやかましく飛んでいた。



「愚かなりオルタよ。しかし、愚かさを自覚せぬ者よりは愚かではない」



父の言葉は難解で、怒られているのか、褒められているのかもオルタには解らなかった。



「愚かなお前に言葉を贈ろう。今のお前には意味がわからぬ言葉ではあろうが、いつかお前が、その意味に気づく事を願おう」



「は、はい! ありがとうございます! お父様!」



父は厳しくはあったが、優しくもあった。オルタは一語一句、聞き漏らすまいと、呼吸の音も止めた。ハエだけが遠慮なしにブンブンと飛んでいた。



「よいかオルタよ、もしもお前が失敗をしたならば、この言葉を思い出せ…」



オルタは息を飲む。あのやかましかった蝿もテーブルに止まり。完全な無音が作りだされた。父がそろりと、音も無く立ち上がる。

父の一挙一動を、オルタはしっかりと見ていた。父は壁にかかっていたハエたたきを手に取った。



ペシンッという甲高い音が、ついに無音を破った。



「…ふむ、やはりハエは、ハエ叩きに限るな」



テーブルの上ではやかましかった蝿がぺしゃんと潰れていた。



「は、はいお父様! 失敗をした時は、ハエ叩き。そのお言葉、オルタは決して忘れません!」



「…あ、いや、ああ………………………う、うむ」



偉大な父は腕を組んで体を揺すると、ゆっくりと頷いた。





父がどういう意図であのような言葉をオルタに贈ったのか、当時のオルタにも、今のオルタにもわからない。

しかし、その言葉をオルタは決して忘れることはなかった。今、過ちを犯し、浜辺の上でびろんとその身を横たえている時にも。



『失敗をした時にはハエ叩きに限る』という父の言葉を。



その時、オルタはふと思った。自分の上を飛んで行くあの槍、戦乙女の青い槍。

あの槍は、まるでハエのように速く飛ぶなと。


だから何気なく、なにも考えずに、オルタは髪の毛をハエたたきのような形にすると、とんでいる槍の穂先を、横から「ぺしんっ」と叩いた。

頭を打たれた槍は軌道をそらされ、くるくるっと回って見当違いの方向へと飛んで行くと、砂浜にさっくりと突き刺さる。



「………あれっ?」



その声はタツマのものか、あるいはウイリスのものだったのか。だが、オルタの不可解な行動に、より慣れているタツマの方が動き出すのは速かった。


タツマは蟹岩石に向かって駆け出した。ウィリスも僅かに遅れて槍を拾いに走る。


蟹岩石が巨大なハサミを振り回しながら近づくタツマを威嚇する。蟹岩石は背中の急所を隠すべく、腹を向けて立ち上がったような形になった。

蟹岩石の腹は硬い。イクアラの大剣やバーンの拳でもなければ撃ち抜けぬ程に。腹を見せた蟹岩石とはやりあうなと言われている。



「関係ない!」



蟹岩石が伏せるのを待っている時間はない。巡ってきた最後のチャンス、これを逃す訳にはいかない。


今、タツマが手に持つのは一本の黒い短剣。オルタの髪は、すでに短剣の中へと吸い込まれている。

蟹岩石の鋏をかいくぐると、下から短剣をナナメに振り上げた。絶対に斬る。絶対に勝つという意志を込めて。


逆袈裟斬りの形となった一撃は、硬いはずの蟹岩石の腹を、まるで豆腐か何かでも斬るようにあっさりと切り裂いた。



「…あれっ?」



2度目の『あれっ?』の後、腹をばっさりと割かれた蟹岩石が魔石に変わった。

ウィリスの方は飛ばされた槍をようやく拾い上げたところだった。



「す、す、すごいよ! 須田君! 飛んでる槍を弾くなんて初めて見たよ! おまけに蟹岩石をナイフで真っ二つだなんて、まるで剣豪だよ! 4ポイントゲットだよー!」



「あ‥、ああ‥?」



金敷の賞賛の言葉に、首をひねりながらタツマは手に持つ短剣を見つめる。真っ黒である以外は、ごくごく普通の短剣である。



「…脱皮のすぐ後だったのかな?」



オルタの不可解な行動と運に助けられた勝利ではあったが、投槍を封じ、ポイントも取った。試合終了まで残り10分。ついに二軍は、一軍を捉えた。





【試合途中経過、試合開始から110分時点】




一軍 211ポイント

二軍 207ポイント




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