第18話 それぞれの決着
「業」という物がある。
多留簿金太は業が深い。ダンジョン競技における魔石収集、それが何よりも楽しいから、ダンジョン部に身を置いているような男だ。
何故それが楽しいかも、やはり業だとしか言い様がない。
通例、国管理迷宮で集めた魔石は、まずその半分を国と地方自治体に吸い上げられる。所謂、冒険者税というものだ。そして残り半分が、冒険者達の収入となるのだが、高校生である多留簿金太は、ソレを手に入れることはできない。
魔石の収入はチームの共有財産であり、練習場所や武器・防具の管理、アンパイアに支払われる給与などに当てられる。しかし、魔石の収入だけで、それらすべてを賄うことなどできはしない。足りない分は巨額の部費や地元の寄附によって補われる。ダンジョン競技というものは、桁違いに金のかかるスポーツなのだ。
つまるところ、いくら金太が懸命に魔石を集めても、手元には一銭も残らないということだ。
にも関わらず、金太は魔石拾いが何よりも好きだった。魔石が入れ物に入る時のカランという音、それが何よりも好きだった。
二番目に金太が好きなのは相手選手の悔しがる顔である。相手から何かを奪うということに、達成感と嗜虐的な喜びを感じる性質なのだ。
もしもダンジョン競技がこの世になければ、金太は立派な犯罪者になっていたことだろう。その意味では、ダンジョン競技は一人の男の未来を救ったといえるかもしれない。
「…ふいー。蟹はしんどいのお」
金太はそう言いながらも、蟹岩石の8本の足と爪を全て落として丸裸にしていた。
無い足を懸命に動かそうとする憐れな蟹へと近づくと、中央のくぼみにある急所にゆっくりと刃を沈めていく。
魔物はぶくぶくと泡を吹きながら、魔石へと変わった。
「まあ、その分魔石はそれなりのもんじゃが」
もはや競うべき敵もいなくなった今、金太は魔石収集に勤しんでいた。
中央のルートではウィリスの水着でのパフォーマンスに湧いていたが、花より団子、女より魔石の金太にはどうでも良いことだった。
試合終了までは残り25分、後は時間ギリギリまで、自分の愉しみに浸るだけだ。
スピーカーから聞こえてきた五井と厳島の対立が少々気がかりではあったものの、勝ってやろうとも負けてやろうとも思わなかった。
「おっ、もう一匹かぁ?」
海から二匹目の蟹岩石が上がってきたのを、金太の細い目が捉えた。
ぬたりと笑いながら獲物へと近づこうとした時に、金太のサポートを命じられていた一軍選手がようやく追い付いてきた。
彼は体育会系部活の一年生らしく、キビキビとした元気な声を上げた。
「金太さん! 自分もお手伝いします!」
「いらんいらん。お前はジュエリーフィッシュでも探しとれ」
後輩の手伝いの申し出を、金太は素気無く断った。自分の愉しみを邪魔する仲間など必要ない。
一人で近づいてきた金太に向けて、蟹岩石が棍棒のようなハサミを振りかぶった。
金太は一歩だけ後ろへと下がると、匕首でハサミを関節部分からスッポリと切り落す。
続いて右から金太を襲ったハサミは、上半身だけを僅かに逸らすことだけで躱し、追う刃でやはりスッポリと落とす。
身のたっぷりと詰まった巨大な蟹の鋏が、二つごろりと転がると、程なくして魔素へと還っていった。
「わりとうまそうなんじゃがのぉ、ダンジョンの魔物じゃあしょうが無いわい」
圧倒的な技量で蟹岩石を無力化した金太は、消えた鋏を残念そうに見送った。
タヌキ族特有の黒い鼻頭がヒクヒクと動いている。
金太は鼻が利く男だ。
単純な意味での嗅覚も含めて、鼻が利く男だ。
魔物がどういうタイミングで、どう襲ってくるか、大体のことが理解できる。
スティールのコツを後輩に尋ねられた時、「鼻が利くから」と彼は嘯くが、彼にとっては本心である。というよりも、ソレ以外に説明のしようがないのだ。
対戦相手を含め、敵と自分との間が何本もの線でつながっているような感覚が金太にはある。
視覚ではない。触覚でもない。やはり嗅覚という表現が一番近い。
糸を通して、相手がどう動くのか、どう動こうとしているかが解るのだ。だからそれに合わせて金太は動いている。
時にはその糸をこちらからくいっと引っ張る。まるで操り人形の繰り手のように。そうすれば、魔石は自然と金太の手の中に収まっている。
そんなある種の才能を、他人には決して理解されぬ天賦の才を金太は持っていた。
スリに身を落とせば、その道の天才と呼ばれていたであろう。
人には理解されぬその才は、しかし神には理解できた。
ギリシャの泥棒と旅人の神、ヘルメスの加護によって、金太の速力と身体能力は大きく上がった。
「おおっと、逃げんなや」
両のハサミを失い、海へと逃げようとした蟹岩石を、金太の一閃が追いかける。
左側の4本の足が一度に全て地に落ちた。
もはや右の足しかない蟹岩石は、まるで壊れた椅子のように、ギコギコと体を揺らすばかりだ。
憐れな蟹岩石に向けて、金太はゆっくりと近づいていく。口元にぬたりとした笑みを浮かべながら。
二年生である樽簿金太は、能力と才能だけで見れば、怪我をした神妙九児にも劣らない。
しかし、金太はチームを纏める器ではない。本人もそうなろうなどと思っていない。
何より彼には大きな欠点があるのだから。
それは油断とムラッ気。
相手の隙を奪うスティールが得意な金太は、自身に誰よりも隙があった。彼は魔石の事になると周りが見えなくなる。それは彼の深い業故に。
よく効く鼻も、天才的なセンスも恵まれた加護も、一度集中を切らした金太には、ただの宝の持ち腐れである。
金太は今、無様にもがく無力な魔物を魔石に変えることに夢中だった。
金太にとっての至高の時間がそこにあったのだから。自分と魔石だけの幸せな時間が。
だから金太は、自分を凄まじいスピードで追いかけてきている少女の存在には、全く気がついていなかった。
「金太さんッ!」
後輩の鋭い警告の声に、金太は「ぁあん?」と、振り向いた。『黙っとれ、邪魔すんなや!』と怒鳴りつけるつもりだった。
振り向いた時には遅かった。赤い一筋の垂直の裂け目が、金太の目に飛び込んで来た。
それは、風坊カヤの赤い棍であった。カヤは棍を金太のすぐ前に突き刺すと、まるで棒高跳びの選手のように、高く高く空へと跳んだ。
ほとんどしなりを生まない鉄の棍で、それでもカヤは高く跳んだ。
「はぁ?」という声が、金太のふくよかな頬から漏れる。まるで打ち上げ花火でも見ているかのように、金太はボケーっと、それを眺めた。
棒高跳びの選手の真似事をしたカヤは、今度は体操選手となった。カヤは空で身を捻ると、棍を手に真っ逆さまに墜落を始める。
その様は、絵巻物によく描かれる逆さ天狗その物である。軽いとは言え、カヤの全体重を乗せた一撃が、蟹岩石の急所を穿つと、空中でぐるんと身を翻す。
金太と蟹岩石を挟んだ向こう側、再び地に両足を付けたカヤは、金太に尻をむけたまま、お辞儀するような格好で、大きく息を吐いていた。
その後で、すっと頭を上げたカヤの赤い後頭部を見た時に、金太はそれが誰なのかようやく理解することができたのだった。
「なんで、おまえがここにおるんじゃ?」
質問した金太には、怒りも苛立ちも湧いてこなかった。それは単純な疑問。海外で偶然知り合いと出会うような反応とでも言えば良いか。
ただただ、金太には不可解だった。完全に終わったはずの風坊カヤが、自らの手で引導を渡したはずの風坊カヤが、何故ここにいるのか。金太にはさっぱりと解らなかった。
カヤは顔の半分だけで振り向くと、金太の疑問にこう答えた。
「なんでって、決まっています!」
金太に背中を向けたまま、カヤは蟹岩石であった魔石を、右手で持った棍をスプーンのようにして掬い上げる。
魔石はふわりと空を跳ねると、カヤの左手にしっかりと収まった。
「タツマと一緒に甲子園へ行くためです!」
それだけを言うと、カヤは再び駈け出した。その背中を金太は、「はぁ、そうか」と言って、ぼけっとした表情で見送った。
カヤが自分のお株を奪うスティールをしたということに気付いたのは、それからたっぷり10秒ほど経った後の事。金太の怒りが突然、火山の如く吹き出した。
「あんのアマァアアッ! ワシの魔石を盗みおったぁああ!」
金太は狂ったような雄叫びを上げてカヤを追う。金太の心は荒れに荒れた。それはちょうど少し前のカヤのように。
しかしカヤとは違い、金太には依るべき所はない。カヤにとってのタツマは、金太にはない。
乱れた金太に、カヤを止めることはできない。
カヤにはもはや金太など眼中にない。常に前を向く目は、もう二度と乱されることはない。
時計の針は20分を残していたが、2人の勝負は既に、ついた。
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「どけやぁ! イクアラァ!!」
「退きません!」
リザードマンと狼男、2mを優に超す巨体の二人が砂浜を駆ける。
互いに進路を譲らぬと、肩と肩、肉と肉とがぶつかり、汗が弾ける。
今、イクアラとバーンの目に映るのは憐れで小さな一匹のサハギン。二人一組の迫り来る重戦車を前に恐怖に怯えたサハギンは、まぶたのない目をぎょろりと回した。
サハギンへと迫るバーンの拳とイクアラの剣、二つの突きの対決は、リーチの長いイクアラの剣に軍配があがった。憐れなサハギンの頭をバスタードソードが切り飛ばした。
コロコロと転がっていくサハギンの頭部が魔石へと変わる。
その様子を見て、バーンは倒れこむように片膝を地についた。
試合は終盤、序盤から接戦を続けていたバーンとイクアラであったが、終盤に来てその差は除々にだが開いていった。
スコアラーの個人成績別ノートには、イクアラの得点40ポイント、バーンが35ポイントと記されている。
「クソ…ッ、クソが…ッ! あと一歩が、届かねえ…ッ!」
『もう無理だ、休ませろ』と、体がひっきりなしに訴え続けている。
バーンは強い。単純な攻撃力だけを見れば魚里高校随一であるし、イクアラをも上回っている。
しかしオノミチ水道迷宮は、バーンにとってはあまりにも相性が悪すぎた。熱さに弱く、熱砂に足を取られ、得意の鼻も塩風にやられてしまっていたバーンは、終盤になるにつれて、イクアラに追いすがることができなくなっていた。
「今が月夜なら、私ではバーン先輩には手も足も出ないでしょう」
バーンの対面のイクアラは、両足で大地を掴むようにどっしりと立っている。
「くそ‥っ、ルーキーならルーキーらしく、ちったあ嬉しそうにしやがれよ」
バーンがイクアラを見上げる。蜥色のポーカーフェイスは、嬉しいのかどうか、疲れているのかどうかすらもわからない。
「嬉しいのですよ、こう見えても。ただ、やはり条件が私に有利過ぎます。喜びを表すのは次の機会に、互いの条件が同じ上で勝ってからにしようと思います」
この試合、バーンは太陽とイクアラを相手に戦っていたが、イクアラは太陽と共に戦っていた。フィールドと種族の相性によるマイナスとプラスの補正。それは本来の実力差を埋めて、裏返してしまうものだった。
「何をやっとるバーン! 二軍の一年坊に好き勝手させるなー!」
「その調子よイクアラ君! 残り20分! いけるわ!」
拡声器に乗って二人の監督の激が飛ぶ。バーンとイクアラの差は、五井と厳島の作戦の差でもあった。
迷宮の多様性と種族特性。それは常に戦略に考慮すべき事柄であるにも関わらず、五井の頭には一切なかった。
バーンにせよ、タツマを追い切れなかったコールにせよ、ただ、強い者。ただ、速い者だけでメンバーを選出していた。
対する厳島は、実力的には劣ってはいてもフィールドに相性の良いメンバーを中心にチームを編成していた。
その差が試合の終盤で、得点という目に見える形で現れ始めたのだ。
最強メンバーだけを揃えるだけで勝てるならば、監督の仕事など必要ない。新妙九児やウィリス野呂柿といった全国でもトップクラスのメンバーを擁しながら、昨年、一昨年と、連続で甲子園出場を逃してしまったのは、五井に戦略が欠けていたからに他ならない。
力押しだけで勝てるほど、甲子園は甘くない。
「…おいイクアラ、一緒に甲子園に行くぞ」
バーンは地に片膝をつけたまま、突然、そんな言葉を切り出した。
「監督とおめえの間に何があったかは知らねえがよ、おれが取り持つ。てめえは二軍で燻ってていい器じゃねえ! 一軍に来いや、イクアラ!」
互いに競い合ったバーンだからこそ分かる。種族特性を抜きにしてもイクアラの実力が本物であることが、そしてイクアラの言葉の通り、実力以外の要素で2軍に甘んじていることが。
「てめえは強い! おめえが一軍にくりゃ甲子園にもいける、…いや、必ず行く! 九児が怪我しちまったから甲子園に行けなかったなんざ、絶対に誰にも言わせねえ!」
三年生のバーンは今年が最後の夏となる。
一週間前、突然の大怪我に見舞われた神妙九児。同級であり、戦友であり、親友でもあった九児の怪我はバーンにとっては大きなショックだった。
九児のしなやかで逞しかった足が無骨で醜いギブスに変わっていたのを見た時、バーンは言葉を失った。
声が出なかったから、黙って誓った。絶対に甲子園に行ってやると。醜くても、無様でも、何をしても絶対に甲子園に行ってやると。
「あの監督に頭を下げたくねえっつうなら、俺が代わりに謝る。土下座でも何でもしてやらぁ! おまえは俺の側でだまって頷いてりゃいい。だから甲子園に行くぞ! イクアラ!」
バーンは強い瞳でイクアラを見上げる。イクアラの三日月のような瞳孔が、僅かに揺れた。
「…大変魅力的な提案ですが、お断りさせて頂きます」
「んだよてめえはッ! 甲子園行きたくねえのかよ! つまんねえ意地張ってんじゃねえよ!」
「心遣い本当に有難うございます。しかしこれは意地ではなくて、約束なのですよ」
「ぁあん!? 約束だと!?」
声を荒げるバーンに対し、イクアラは深々と頭をさげた。顔を上げた後、夏の高い太陽を見上げるとまぶしそうに目を細めた。
「一年前、夏のとても熱い日にグラウンドで友人2人と誓い合ったのですよ。必ず3人で甲子園に行こうと。一人も欠けること無く三人で甲子園に行こうと。我らの種族の掟で、太陽の下での誓いは絶対なのです。友を置いて、私だけ抜け駆けするわけにはいけません」
イクアラは太陽から中央のルートへ目線を移す。バーンもイクアラの目線を追う。
そこでは、一人の一年生が鞭のような武器を振り回しながら、槍を持つウィリスと競い合っていた。黒髪の、小さなヒト族の少年が。
「…けっ、そういうことかよ。確かにあの亜人至上主義の監督の下じゃあ、アイツの出番はねえわな! …ああッ! クソぉッ! めんどくせえ!」
喉に詰まった何かを吐き捨てるようにバーンは言った。バーンにとって、亜人だとか人族だとか、そういう区別は“面倒臭い”と思っている。
強いか弱いか、好きか嫌いか。人と人との関係など、それだけでいいと思っている。
この紅白戦、バーンはイクアラの強さ以上に心根を気に入っていた。同じ群れで戦って、共に甲子園を目指したいと想うほどに。
「ええ。ですから3人で甲子園に行く為に、バーン先輩と甲子園に行くためにも、私はこの試合に負けるわけにはいかないのですよ」
「…あぁん? どういうことだよそりゃ?」
「それは後になればわかるとしか今は言えません。…さて、バーン先輩、私はそろそろ先に行こうと思いますが、先輩はもう少し休憩なされますか? ここから甲子園までは、まだまだ離れていますよ」
イクアラの不遜な言葉にバーンは喉の奥で笑う。
イクアラのジョークは、やはりバーンにはツボだったらしい。
「くっくっく、何を企んでるか知らねえがまあいいさ。望み通り、今は先輩の意地って奴をみせてやんよぉ!」
バーンは休憩は終わったとばかりに立ち上がった。体中から汗を吹き出し、足は震えていたが、目の光は未だ死んでいない。
試合時間は残り15分、バーンはイクアラの背中を追って走る。
「一年坊が……、とびっきりにムカつく背中だぜ」
バーンは思う。
あの背中を見つづけるのはどうしようもなく腹が立つ。
「だからよ、次は…」
次はその背中が見えぬように、互いに預けて合ってみたいと。
【試合途中経過、試合開始から100分時点】
一軍 196ポイント
二軍 183ポイント