表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/68

プロローグ  迷宮に見る夢



「カヤは奥だ! イクアラは前の2を頼む!」



 言葉など少なくとも事足りる。赤、黄、黒、成すべき事を見定めた3つの色が一度に散った。


「シィッ!」


少女の赤髪が暗い迷宮の中で翻る。斧を振り上げた二体のゴブリンウォーリアーの間を潜るように抜き去ると、奥のゴブリンメイジへと突貫する。金切り声で詠唱する魔物の顎が、赤い棍の刺突でグシャリと潰れた。


「フンッ!」


黄鱗巨躯のリザードマンが巨大なバスタードソードを強振する。先の少女に気を取られていた二体のゴブリンウォーリアーは、盾を構えることもなく、くの字に折れて4つに分かれた。


「ラストッ!」


間を置かず、リザードマンの背中から、黒髪の少年が独楽のように飛び出した。

黒い双眼が睨むのははゴブリン達の群れの中央。ゴブリンソルジャーがブロードソードを振り上げて少年を迎え討つ。

人の剣と魔物の剣、十字に重なる二つの剣。しかし拮抗したのは一瞬であった。少年は短剣をブロードソードの刃の上で滑らせると、半身になって潜り込み、刃を真横に走らる。


子鬼の節くれだった喉笛がぱっくりと割れて、鳴った。




―ヒュウッ―




 観客の一人が、口笛を吹いた。



「オイオイ! 今年の一年は随分と威勢がいいじゃねえかよ!」



先ほど下手な口笛を吹いた男は、今度は大きく口を開けて愉しそうに笑った。

剥き出しの白い歯は、まるで狼の牙のように鋭い。一言で言えば、野獣のような顔つきの男である。

ベンチに堂々と背を預け、臍を天に突き出すように座る姿は豪胆という言葉がよく似合う。



「こりゃあ一軍どころか、いきなりレギュラーになるヤツもいるかもなぁ、なあウィリス?」



野獣は隣を向いて同意を求める。野獣の隣には美女がいた。


紫の長い髪に切れ長の美しい目。万年氷のような、深く透き通った瞳が戦いの場をじっと捉えている。



「…そうかもね」



 美女は素っ気ない返答を返すと、人と魔物の闘いを無言で観戦し続ける。野獣には目線すら寄越さなかった。



「ちっ…、相変わらずのだんまりかよ。おう九児、おめえは何人が一軍に来ると思う?」



野獣は素っ気ない美女に見切りをつけると、反対側に座っていたチームメイトに声をかけた。方向転換は正解だった。今度は会話が弾んでいた。



外は桜の季節。そしてここはヒロシマ市内にある、とある初級者用ダンジョンである。この日はヒロシマ県内のダンジョン競技の名門校、魚里高校の新入部員を対象にした、一軍・二軍のセレクションが行われていた。



ダンジョン競技とは、現代における迷宮探索の在り方である。

中世という時代は遥か昔、もはや化石となりつつあった冒険者達はスポーツ選手という新たな姿で生まれ変わった。

管理された迷宮の中で、ハーフエルフが、ドワーフが、獣人が、妖怪の末裔達が、魔物相手に、互いの技や魔術を競い合う。それが現代のダンジョン探索というものだ。


もちろんそれは、高校生である彼等とて同じこと。初級ダンジョンのゴブリンが相手とはいえ、手を抜いている素振りは一切ない。

魔物相手の真剣勝負は、チームメイトたちとの真剣勝負でもあるのだから。



人種も性別も種族さえも異なるが、彼等には共通の目的が、夢がある。ダンジョン競技部の名門校、魚里高校の一軍になる事、そして、




「絶対に行くんだ!」




ゴブリンの群れを束ねるゴブリンリーダーを前にして、黒髪の少年が気合の声を上げた。黒髪黒目は純血のヒト族の証。獣人には身体能力で劣り、エルフのように魔法も使えぬヒト族の少年も、皆と同じ夢を見ている。



「一軍になって!」



自分の向かう道がそこへ繋がっていると信じて。



「甲子園へ!」



少年の短剣がゴブリンリーダーの心臓をまっすぐに貫く。魔物の命の灯火は急激に消え失せ、そこには一個の小さな魔石だけが残される。



「これで6匹目ぇッ!」



魔石を掴んだ少年が勝ち名乗りを上げる。

ヒトの身でありながら、決して退かない。引けをとらない。


魔石をリュックサックに放り込んだ少年は、七匹目の獲物を求めて駆け出した。



少年をベンチから見つめていた一軍の三年生。ウィリスと呼ばれていた美女が薄く笑う。




氷が僅かに溶けたような、誰も気づかぬ程度の微笑みだった。











「…7…8…9…10…」



引く、引く、引く。吐き出す息と共に黙々と数え続ける。

少年の黒髪からは大量の汗が落ち、コンクリートの床をポタポタと濡らしている。


ラットマシーンの金棒を背負いながら、黒い瞳が、虚空を睨みつけている。



短く息を吐きながら、引く、引く、引く。



「おう一年、俺達は先に上るから後片付け頼むわ」



「…うぃっス!」



了解の返事をした時に、いくつまで数えたか忘れてしまった。忘れてしまったから、もう一度1から数え直す。

着替を終えた陸上部の二・三年生達が、室内練習所から去っていった。明るい笑い声が遠ざかっていく。



「…47…48…49…50…」



鍛えた体は裏切らない。陸上ならば裏切らない。


少年が目指すのは間近に控える地区大会。陸上選手の花舞台であるインターハイへの関門である。



「…98、99、……ヒャクゥッ!」


最後の数字を吼える様に唱えた後、少年はイスの上に体を投げ出した。

脱ぎ捨てられた洗濯物のようにだらりと四肢を広げると、大口を開けて酸素を貪る。

少年の双眼に映るのはコンクリートの灰色の天井。小さな窓の外では、梅雨の雨がしとしとと降り続いている。

わずかに息を整えた少年が、ぐいっと体を持ち上げて再びラットマシーンに手をかけた。

筋肉がやめてくれと悲鳴を上げるが聞く気はない。痛いぐらいが丁度良い。



「オーバーワークは体に毒よ。タツマ君」



ビクリとして振り返ると。室内練習場の入り口に一人の女性が立っていた。歳の頃は20代中頃であろうか。神社の朱塗りのような鮮やかな色のメガネが印象的な女性である。

ロングのストレートの黒髪を肩の後ろへと流しており、柔らかくも引き締まった表情と、均整のとれた造形を兼ね備えている。タイトなダークグレーのスーツ姿が、凛とした彼女によく似合っていた。



「厳島…さん?」



少年に呼びかけた者の正体は厳島ミヤジ、魚里高校ダンジョン競技部のコーチだった。

少年も以前、何度か言葉を交わしたことのある人物である。彼がまだダンジョン部であった頃、即ち、入部届けを出してからセレクションまでの、僅か数日間の付き合いではあったが。



「二ヶ月ぶりかしら。元気だった? タツマ君」



もう二ヶ月程前の話ではあるが、須田タツマはダンジョン部に所属していた。新入部員の中では唯一の純血のヒト族として、セレクションに参加した。

周りのスポーツ推薦の新入部員達から奇異の目で見られながらも、決して臆することはなかった。


タツマは夢を持っていたのだから。魚里高校の一軍になりたい、そして、そしてニッポン最大のダンジョンである甲子園迷宮で戦いたいと。 




あの日、セレクションの結果が発表されるまでは…。








「…ゼッケン28番風坊カヤ、29番イクアラ・スウェート、以上5名が一軍だ」



明暗とはいつだってあっさりと別れる。

歓声をあげる数名の生徒達と、愕然とするその他大勢。「聞き間違えではないだろうか、自分の名前を読み忘れてはいないだろうか?」名を呼ばれない事で二軍宣告を受けた選手たちは、皆が似たような事を考えていた。

その中には、瞬きの仕方を忘れたように黒い目を見開いている、ヒト族の少年、須田タツマも含まれていた。



「タツマ‥」



タツマを置いて一軍へと上がった友人の苦しげな声と揺れる瞳がタツマの心を締め付けた。大切な友人達にこんな顔をさせてはならないと、タツマはすぐに、力強く笑った。



「カヤ、イクアラ、おめでとう! 先に一軍で待っててくれ、俺も後から必ず追いつくから」



「タツマ‥、うん、‥うんっ!」



「早く追いついて来るのだぞ。夏はあと二ヶ月で来るのだからな」



挫折は誰にでも訪れるもの。苦悩も挫折も、若いながらもタツマは今まで何度も味わってきた。

そしてその度に、タツマは立ち上がってきた。ある時は一人で、ある時は友人達に支えられて。


諦めなければ道は必ず開ける。今回もこの程度の逆境は乗り切ってみせる。

そう心に誓い、タツマは顔を上げて笑った。



タツマはまだ知らなかった、今回の逆境は“この程度”ではなかった事を。



「…あー、それとゼッケン27番」



「は、はいっ!」



監督から呼ばれたタツマは元気よく返事を返した。ひょっとして、自分も一軍にあがれるのだろうか? 名前が呼ばれたことに、そんな期待を抱いてしまった。



「おまえ、明日から来なくていいぞ」



「…は、はい?」



「退部だよ、退部。才能の無い奴はウチにはいらん。例え二軍でもな」



 浴びせかけられた言葉の意味を、タツマは全く理解できなかった。口を開けたまま、呆然と監督を見上げた。



五井力。魚里高校の監督であり、熊族の大男である。


身長2mを超す五井は、冷ややかな目でタツマを見下ろしていた。

タツマの脳が言葉の意味を理解し、言葉を発する前に、彼の両隣から別の声があがった。



「なんでッ! なんでタツマが退部なの? どういうことですか、監督!」


「監督! ここにいる須田タツマは一軍に呼ばれた選手たちと遜色ない働きをしていたはずです。何故彼が退部なのか、納得の行く理由を教えていただきたい!」


感情のままに五井に詰め寄ったのは、タツマの中学時代のチームメイトにして、先程一軍の名乗りに含まれていた二人だった。

五井は面倒くさそうに、ファイルに挟んであったタツマの入部届けを取り出した。


「理由ならここにあるだろうが、純血のヒト族で守護神もおらんからアビリティーの一つも書いとらん。たまたま今日だけまぐれで活躍したようだが、ワシの目は誤魔化せんぞ。コイツに才能はない。守護なしのヒト族が冒険者をやれるのは中学までだ」



五井はタツマの入部届をひらひらと振った。


タツマの入部届には、名前と種族、そして希望ポジション『遊撃手』としか書かれていなかった。



「そんな! そんな紙切れ一つで、タツマの事をわかったような気にッ!」


「監督! 言葉を取り消していただきたい!」



今にも監督に掴みかかろうとした二人ではあったが、体が動かなかった。肩が後ろからぎうっと掴まれていたのだから。小さく震えるタコまみれの手によって。



「カヤ、イクアラ、ありがとう、もういいから…、絶対に行ってくれよな。甲子園」



そしてタツマは、逃げるようにダンジョンを去っていった。友人たちの呼ぶ声を振り払ってタツマは駆けた。家までの20キロの道のりを、何度も反吐をはきながら、転がるように駆け続けた。



それがタツマの、夢の終わり方だった。甲子園という夢は、始まることすら許されなかった。





「…あの時はごめんなさい。私がその場にいれば、絶対にあんな事はさせなかったのに…」



タツマが五井に退部宣告を受けた時、コーチである厳島はその場にいなかった。

新入生と入れ替わりでダンジョン演習を始めた上級生達の監視をしていたためだ



「厳島さんのせいじゃないですよ。おれに冒険者の才能がなかっただけですから」



与えられた退部の理由を、タツマは自分の口で繰り返す。



『才能がない』五井の見立ては、統計的には的を射ているとも言えた。

現在、タツマのような純血のヒト族は地球の人口のおよそ3割程を占めており、もっとも割合が多い種族でもある。

しかし、ヒト族の活躍の舞台は科学や研究、文学などの分野に限られている。人間がスポーツの世界で、ましてや冒険者として大成することはまず無いと言われている。


ニンゲンの四肢に獣の特性を持つ獣人達と比べると、ヒト族の身体能力は遥かに低い。体格、反射速度、筋繊維の強さ、野生の勘、全てにおいてヒト族は劣っているのだ。


また、エルフ種や魔族達のように魔法が使えるわけでもない。魔法は血によって使うもの。純血のヒト族ではマッチ代わりの火の魔法すら覚えることはできないのだ。



純血のヒト族がプロの冒険者として活躍した例外も少ないながら存在するが、彼らには皆、一つの共通点があった。それは神の守護により、強力なアビリティーを与えられていた事にある。

神の守護を与えられた者は、同時に固有アビリティーも獲得する。

身体能力の向上であったり、武器を自在に操る能力であったり、守護神の加護さえあれば、種族アビリティーを持たないヒト族であっても、何かしらの力を手に入れる事が可能ではある。


とは言っても、守護神とは本人が望んで得られる物ではない。神の守護は気まぐれな贈り物ともよばれており、生まれた時に先天的に与えられる物であるからだ。

稀に後天的に獲得する者もいるが、それは努力や修練の成果ではなく、ある日突然、何の前触れも無しに与えられる物だ。



人の力ではどうしようもない偶然の産物、それが神の気まぐれと呼ばれる所以である。


純血のヒト族で、守護神も持たぬタツマは、セレクションでのプレイを注視されることなく戦力外と判断された。

その後、ダンジョン部を退部させられたタツマは陸上部へと入部した。個人種目である陸上は種族別に記録が残される。競技中のアビリティーの使用も禁じられている。“才能がない“タツマでも、全国を狙う事が可能な種目である。



「足りないのはタツマ君の才能じゃなくて、あの監督の見る目よ。セレクションでは貴方は最高のパフォーマンスを見せてくれたわ。的確な判断力と、慎重かつ大胆な行動力。人族としては類まれな身体能力。ウチのバカ監督が亜人優位主義者でなければ、間違いなく一軍に合格していた筈よ」



「…ははっ、ありがとうございます」

厳島の賛辞をタツマは世辞として受け取った。全てはもう終わった話である。タツマは困ったような笑顔を返すと、露骨に話題を逸らすことにした。



「ところで、どうかしたんですか厳島さん、今日はダンジョン部は練習試合だって聞きましたけど?」



ダンジョン部は練習試合の為に、市の郊外のダンジョンに向かったはずだ。だからこそタツマはこうして室内練習場を占拠できているのだから。コーチである厳島が、対外試合に帯同していないというというのは奇妙な話であった。



「少し問題があってね。私は今日はチームを離れて別行動なのよ」



「…問題、ですか?」



「神妙君の名前は、知っているわよね?」



「もちろん知ってますよ。この学校で神妙さんの事を知らない人なんていないでしょう」



神妙九児。県の内外から才能を集めている魚里高校ダンジョン部においても最高のプレイヤーだと言われている。狐族の獣人である彼は、種族特有の器用さと鋭い動きを兼ね備えている上に、最高クラスの神である狩猟女神の守護を受けている。

高校生ナンバーワン遊撃手との呼び声が高く、今年の冒険者ドラフトでは、多数のプロクランからの重複一位指名が確実視されている選手である。

タツマにとっても、魚里高校の受験を決めた理由の内の一つが神妙九児だった。


同じ遊撃手として、プレイを間近で見て、学びたい。神妙九児には憧れと尊敬に近い感情を持っていた。



「これはまだ発表されていないのだけれど、神妙君は昨日の練習中にアキレス腱を断裂したの。違和感があってもチームの為にずっと黙っていたみたい。少なくとも半年はリハビリが必要だという診断が下されたわ」



「神妙さんが!?」



厳島の言葉は衝撃だった。アキレス腱断裂。甲子園出場はおろか、選手生命すら脅かされかねない怪我である。



「その…! 回復魔法では!」



「国内でも最高の回復魔法の使い手にあたってはみたのだけれど…」



厳島は首を横に振った。回復魔法と高度な医療技術が併存するこの世界では、大概の怪我はどうにかなる。

しかし、肉体の疲労と摩耗によって生まれる怪我ばかりは魔法ではどうにもならない。そんなことが可能であれば、その魔法はもはや若返りの域に達しているだろう。

時間が作った傷は時間しか治療する事はできない。長い地道なリハビリだけが、それを癒やす事ができるのだ。



神妙九児は今年で三年生。つまり彼の甲子園は、高校最後の夏は始まる前に終わってしまったという事になる。


しかし、神妙九児の怪我の代償は、それだけではなかった。



「…それでね、今朝、神妙君のパーソナルカードから、狩猟女神の加護が消えていたのよ」



「はぁッ!? 何ですかそれは!」



守護が神々の気まぐれと呼ばれるのは理由がある。与えられるのも気まぐれであれば、突然失われてしまうような事もまた、存在しているのだ。


神の加護を失った者は翼をもがれた鳥に等しい。磨き上げてきた数々のアビリティーも同時に全て失われてしまうのだから。そのショックたるや、余人には計り知れぬものであろう。



「アルテミスは神々の中でも特に気まぐれなことで有名だもの、愛でる時は愛でる、飽きればゴミのように捨てる。傷物になった神妙君に愛想をつかしたんでしょうね。…全く、本当に馬鹿にしてるわ!」



厳島の目には憎しみが渦を巻いていた。コーチとして、今まで育て上げてきた選手の未来が一瞬にして失われてしまったのだから、その怒りは想像に難くない。

しかし、人間が神を憎んだ所で詮無きこと、祈りも届かねば呪詛も届かない。

気まぐれで奔放で、文字通り住んでいる次元が違う者、それが神々という存在なのだから。



「神妙君が抜けたことによるチームの動揺は隠せないわ。このままじゃ甲子園どころか地区予選の決勝までいけるかどうかもわからないわね。ウチのチームは神妙君がいることが前提のチームだったもの。…だから彼も、アキレス腱の違和感をずっと黙っていたのでしょうけど…」


厳島の口調からは後悔と罪悪感がにじみ出ていた。神妙の怪我はコーチである自分の責任だと、そう思い詰めているに違いなかった。



「だったら…、他の選手では? 魚里高校なら何人か遊撃手はいるでしょう。神妙さん程ではないにしても」



「神妙君は素晴らしい選手だったわ。いいえ、素晴らし過ぎたのよ。他の遊撃手達が勝ち目のなさに早々に諦めて腐ってしまうぐらいにね…。だから私はあなたの獲得を監督に何度も押したの。神妙君がいるこの魚里高校で、入部届に堂々とした文字で希望ポジション・遊撃手と書いて来たタツマ君をね」



「その節は‥、ありがとうございました…。期待に応えられなくて…、申し訳なかったです」



頭を下げたタツマはそのまま俯いた。


厳島がタツマの何にそこまで可能性を見出したのかは分からないが、結果的には期待を裏切ってしまった。神妙九児の怪我の報告も、タツマの心を陰鬱にさせていた。


俯いたままのタツマの頭に向けて、厳島の声が不意打ちで投げつけられる。



「それでねタツマ君、今更だと思うかもしれないけれど、あなた、ウチの遊撃手をやってみない?」



「へっ?」



 タツマは顔を上げると、驚きを現す間抜けな一文字しか発することができなかった。厳島が凛然とした表情でタツマの目を見ている。暫く見つめ合った後、ようやくタツマは動き出した。



「いやいやいや、何を言ってるんですか!? おれ、セレクションに落ちて退部させられたじゃないですか! 今の俺は陸上部ですよ!」



タツマの言葉に厳島はニヤリと笑い、惚けた風にこう言った。



「タツマ君は退部していないわ。ウチのバカ監督は確かにタツマ君に退部勧告をつきつけたけど、私は貴方から退部届けを受け取っていないもの」



「…へっ? 退部勧告って強制退部の事じゃなかったんですか?」



「ええそうよ。タツマ君が勘違いしていたみたいだったから黙っておいたの。勧告は勧告、相手が受け入れて初めて成立するものよ。今はタツマ君は陸上部とダンジョン部の掛け持ち扱いね。校則もダンジョン競技も、規則はちゃんと確認しなきゃだめよ」



呆けているタツマに向けて、厳島が悪戯っぽく笑う。

黒髪黒目の厳島は、どう見てもタツマと同じ純血の人族ではあるのだが、眼鏡越しのしてやったりの表情は、まるで悪魔族の末裔か何かのようにも見えた。



「本当はこの夏が終わって、神妙君が引退してから声をかけるつもりだったの。あの無能監督を追い出した後にね。そのための根回しも着々と進めてはいたんだけど…」



『根回し』が何を意味するのかは分からないが、ネイルの先を噛みながら、軽い口調でそんな事を言う厳島は、むしろ悪魔族そのものにしかタツマには思えなかった。



「…それでどうかしら、タツマ君。貴方の意志を聞かせて欲しいの。もう一度甲子園、目指してみない?」



甲子園、その言葉にタツマの心臓がトクンと波打つ。

諦めていたはずの夢に、もはや届くことがないと思っていたあの場所へと、突然梯子が伸ばされた気がした。


タツマは下唇をぎゅっと噛む。その梯子は偽物だ。あさましい心が見せた幻覚に過ぎないと。



「…厳島さん、俺なんかを過大評価してくれるのは嬉しいのですが…、俺じゃあ、神妙さんの代わりなんて務まりませんし、誰も認めてはくれませんよ」



 タツマの言葉は正しい。結局のところ、どんなに厳島がタツマを評価をしたところで、タツマがヒト族であることには変わりない。復部したところで、亜人優位主義の監督が守護神を持たぬタツマを試合に出すことはないだろう。守護とはその殆どが生まれながらにして与えられる物。つまりタツマは生まれた時点で、甲子園に出る道など与えられていなかったということだ。



「ヒト族で、神の守護もない俺じゃあ無理ですよ、甲子園は…」



もはや何度自分に言い聞かせたか分からない言葉である。自分には無理だ。そう思い込むことで、タツマは敵わぬ夢から目を背けてきたのだから。そんなタツマに、厳島ミヤジは耳と正気を疑うような言葉を放った。





「ええ、だから明日にでも守護を貰ってらっしゃい。神様に直接会いに行ってね」








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ