第15話 中盤戦
ダンジョン競技は長い。
120分休憩なしで行われるこのスポーツは、モンスターよりも、相手チームよりも、時にこの長さこそが最大の敵となる。
ダンジョンでは装備の持ち込みに制限はない。近代兵器やドーピングの類こそ禁止されてはいるものの、基本的には、ダンジョンに何を持っていくかは全て個人の裁量に任されている。
ある迷宮に挑む上で、自分という個が如何な装備を選択するのか、それを適切に判断することも冒険者の力量の一つなのだから。
その装備選択の上でもっとも判断が難しいのが、水分量だと言われている。必要以上に持ちすぎればその重さで無駄な体力を消耗してしまう。
しかし、不足すると脱水症状により、一歩も動けなくなることさえある。
90分の全力勝負。水の必要量は、気温や湿度に大きく左右される。適切な水の所持量は、ベテランの冒険者ですら、誤ってしまうことがあるものだ。
「ちっ…」
もはや一滴も絞りだすことのないボトルを忌々しげに放り投げながら、バーンは乾いた舌打ちした。
腕時計に目を落とすと、試合時間開始からまだ半分を折り返したばかりである。。
人狼であるバーンは、人に近い外見に、狼の特性を併せ持っている。
そして狼とは、そもそもが夜行性の生き物だ。暗いダンジョンや夜の闇においてこそ、バーンの真価は発揮される。特にそれが満月の夜であったならば、人狼は無敵に近い力を得るであろう。
今は真昼。初夏の太陽が眩むほどに輝いていた。
オノミチ水道迷宮は、バーンの特性から考えると特に相性の悪い迷宮である。
真上から降り注ぐ真夏の太陽と、砂浜から登る熱気のサンドイッチが、毛深いバーンの体を容赦なく痛めつけていた。バーンの道着は、まるで海に落ちてしまったかのように、汗でぐっしょりと濡れている。
ダンジョントラップの存在しないオノミチ水道迷宮であるが、この真夏の太陽こそが、バーンにとっては、何よりも残酷なトラップと言えよう。
燃える鉄拳を持つ男ことバーン・オー・ライク、その異名と見た目に反し、夏の太陽は苦手であった。
「どうぞ」
バーンの眼前に、未だ封も開けてない1リットルのペットボトルが差し出された。
ペットボトルの中程を支える鱗の生えた手は、ほとんど汗をかいていない。
「敵に塩でも送るつもりかよ? 舐めんじゃねえぞ、イクアラァ!」
バーンは、ボトルを受け取る事無く、その持ち主を殺気と怒気の混じった目で見返すが、イクアラは微塵も怯む様子を見せない。
「私の種族は元々は砂漠に住む一族でした。我らデザート・リザードマンにとっては、太陽と砂は友人のようなものです。それに…」
バーンとは正反対に、イクアラにとってはこの迷宮こそ、最もその力を発揮できる場所である。
種族特性。それは多種多様なフィールドで戦わねばならないダンジョン競技においては、何よりも戦況を左右する要因となりうるのだ。灼熱の太陽の下、イクアラはいつもと変わらぬ顔色のままで、言葉を続ける。
「バーン先輩に勝った理由を、種族特性のせいにされてはかなわない」
不遜な後輩の言葉に呆気にとられたのは、バーンは今日、二度目であった。
「くっくっくっ」とこみ上げる笑いを押し殺す、バーンを覆っていた怒気が、闘志へとその色を変えていく。
バーンは乱暴にイクアラのペットボトルを掴み取ると、遠慮なくボトルの半分以上を空にした。
急激な吸引で作られた真空が、パコンッと音を立てながら、プラスチックの形を変える。最後に、口もとに零れた水滴を舌で舐め取ると、イクアラにボトルを突き返した。
「おめぇのジョークは最っ高に俺好みだぜ、イクアラァ! 礼代わりに、望み通り徹底的にぶっ潰してやんよぉ!」
試合は後半へ、地力で勝るバーンと、特性で勝るイクアラの勝負は、夏の太陽のように、熱く燃え上がっていた。
左回りのルートで競い合うカヤと金太、接戦が予想されていた2人のリードオフマン同士の対決は、意外なことに一方的な試合運びとなっていた。
「シィッ!」
鋭く気と息を吐き出しながら、カヤの振り下ろしの一撃が砂の中に隠れたオーシャンワームの胴を打つ。
反射的に砂中から跳ねられた上げた上半身を、続く横薙ぎの一撃が捉える。
細く長いゴムのようなオーシャンワームの体が、振り切れたメトロノームのように砂面に叩きつけられる。
最後にその頭部を、横薙ぎから円を描いた軌道に変えた棍の容赦の無い打ち下ろしが叩き潰した。
「ちょっとはこっちを待たんかい! 天狗の嬢ちゃん!」
流れるような神速の三連撃に、後からようやく追いついた金太は割り込む隙すらあたえられなかった。
カヤは金太を完全に抑えていた。
金太の十八番であるスティールを、スピードと巧みな位置取りで完全に封じていた。
中学時代、無敵のリードオフマンとして県内に名を轟かせた風坊カヤ。その足は、魚里の一軍で最速を誇る金太ですら、捉えきることはできなかった。
試合開始から65分。現在まで、カヤと金太のポイントは、ほぼ、2対1の割合でカヤの優勢となっている。
カヤの足は止まらない。反対側の浜に上陸してきたサハギンを視界にとめると、鋭い孤を描き転身する。
先行していた金太を抜き去ると、長いリーチの棍の突きが、口を大きく開けて威嚇していたサハギンを、まるで鮎に串を打つようにはらわたまで貫いた。
体内の浮袋を潰され、「グェブッ」とサハギンが声ならぬ音を上げる。
今だ命のともしびを残す魔物に、カヤは追い打ちをかける。棍を捻りながら、深く深く突き刺していく。
棍の半分以上がサハギンの体に飲み込まれると、サハギンは一度だけビクンと跳ねて、静かにその姿を魔石へと変えた。
「うっひゃあ、可愛い顔してエグいことするのお」
金太の揶揄する声には、カヤは決して耳を貸さなかった。
試合中、延々と囁いてくる金太に対して、カヤは苛立ちながらも無言を貫き通していた。
多留簿金太とは話をするな。ヒロシマの高校冒険者達の常識である。金太の囁きは、相手のペースを乱すための戦略であるのだから。
圧倒的にリードをしていたカヤではあったが、ヒロシマ一の曲者と言われる男を、カヤは誰よりも警戒していた。多留簿金太には弱みも隙も見せてはならない。
カヤは次の獲物を求めて砂浜を強く蹴った。
カヤの最速を生む両足。絵巻物に見られる天狗の如く、空をも駆けそうな二本の足は、その時何故か絡み合っていた。
―えっ?―と思ったが、声は上げられなかった。
右足の一歩に左足からの重心移動が追いつかない。走るという行為においては、当たり前の大前定が、何故かその時のカヤにはできていなかった。
勢い良くかけ出したつもりだったカヤの体は、その勢いのまま転倒し、砂浜へと身をうずめる。熱い砂との摩擦で頬が焼ける。
カヤは両手を地について顔を上げると、片膝をついた状態で、地を叩き潰すように強く蹴りあげた。
陸上のクラウチングスタートに似たその初動は、再びカヤを、神足の域へと運んでくれるはずだった。
しかし、砂浜を強く蹴り上げるべき左足は、砂の表面を浅くかいただけだった。カヤの体が再びぐしゃりと地に潰れる。
何度立ち上がろうとしても、カヤの足は砂浜の表面を滑るだけだった。
「ここまでかのぉ、まあ、よお頑張った方じゃ」
焦るカヤの耳に、のんびりとした声が聞こえる。
「なあ嬢ちゃん、嬢ちゃんはワシを抑えっとったつもりじゃったんかもしれんがのお、そりゃあ勘違いっちゅうもんじゃ」
カヤは首だけを、声の方へと動す。
「嬢ちゃんがワシの前を走っとたんじゃない、ワシが嬢ちゃんの後ろを走っとっただけじゃあ。楽したかったけんのぉ」
狸族の獣人が、ぬたりと笑うのがカヤの目に写った。
「気付いとったか? 嬢ちゃん。自分の動きにどんどん無駄ができとったんを。そのムダを埋めようと、さらに無駄に足を動かしとったんを。ワシのスティールを警戒するあまりにのお」
金太の笑みは、死にかけの獲物を転がして楽しむような、嗜虐的な悦びを湛えていた。
「スティールはな、あると思わせるだけで武器になるのよ」
カヤはようやく自分の過ちに気が付いた。金太のペースに乱されまいとしていたことが、すでに自分のペースを乱してしまっていたことに。
「最初にゆうたじゃろが。どっちが“早い”か勝負しようとなあ。嬢ちゃんの方が早かったみたいやのお。試合が終わるのが」
カヤの心が屈辱に塗りつぶさる、顔が天狗の面ように赤くなっていく。カヤの赤い顔をみながら、金太はいっそう楽しそうに嗤う。
「天狗の鼻が折られた気分はどうじゃ? それじゃあの、さいならじゃ」
その言葉を最後に、金太はカヤを置き去りにし次の浮島へと駆けだした。
その速度は、カヤの後ろを走っていた時とは比べ物にならない。
『後ろをついて走っていた』その言葉がハッタリでも、強がりでも無かった事を、金太は足で証明した。
「ああ…っ!! あああぁああっ!」
カヤの足は動かず、言葉未満の無様な叫び声を上げることしかできなかった。
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「あああぁああっ!」
浜辺で十分な助走を得たタツマが、気合の咆哮とともに、海へと大きく跳躍する。
空中でぐるんと体の向きを変えると、海中の魔物へとその切っ先を向けた。
タツマの黒い両眼が見つめる先には、琥珀色の体をもつジュエリーフィッシュが海の中を漂うように泳いでいる。
ジュエリーフィッシュは、ここオノミチ水道迷宮においては、もっとも数が多い魔物である。
白い半透明の体を持つ海に住むスライムの一種は、しばしばジェリーフィッシュ(クラゲ)と混同されるが、これでも魔石を持つ歴とした魔物である。
とは言え、その動きは遅く、タツマのように海の中で戦うような愚を犯さぬ限りは、取るに足らぬモンスターでもある。
体の殆どがゼリー状の水分で構成されているジュエリーフィッシュは、物理攻撃への耐性こそそれなりではあるが、核さえ正確に穿けば子供でも倒せてしまえる程度の魔物だ。
魔法攻撃にも滅法弱く、半透明の体は急所である核の位置を冒険者達に教えてくれる。
そのため、ジュエリーフィッシュは数多いるモンスターの中でも、最低ランクの危険度を示すHランクの魔物として登録されている。
弱い魔物というものは、往々にして魔石の質も悪い。
ジュエリーフィッシュの魔石は悪質且つ極小サイズのものであり、ダンジョン競技に置いて得られるポイントは、魔石一個に対してたったの1ポイントと定められている。
一点を競い合うダンジョン競技においては、決してバカに出来ない数字ではあるのだが、魔石の収集によって生計を立てていた中世の冒険者達にとっては見向きもされない雑魚モンスターであるはずだった。
そんなジュエリーフィッシュが“宝石”という名を冠しているのには理由がある。
ジュエリーフィッシュは、他の魔物達と比べると、異常といえるほどの高い確率で変異体が生まれる為だ。
変異体とは、ダンジョンの魔物に極々稀に生まれることがある突然変異種の事である。
変異体は通常種に比べて、並外れた強さと、巨大で上質な魔石を持っていることが特徴である。
もっとも冒険者が変異体に出会うことはまずあり得ない。変異種が姿を表すのは、一つのダンジョンで数十年に一度、あるいは数百年に一度の頻度だとも言われているからだ。
しかし、ことジュエリーフィッシュに関して言えばその法則は当てはまらない。
ジュエリーフィッシュは同種との融合を何度も繰り返すことにより、自らの力で、変異種へと変態する魔物である。
何度も融合を繰り返したジュエリーフィッシュは、その身を宝石のように美しい色に変えていく。
そしてジュエリーフィッシュの持つ魔石も、美しく良質なものへと変わって行く。
歴史上数例しか確認されてはいないが、何十万回という融合を果たしたジュエリーフィッシュは、その身をダイヤのような無色透明に変えるそうだ。
ダイヤモンド・ジュエリーフィッシュとも呼ばれるその魔物の魔石は、もしも市場に出れば数十億円の価値を持つといわれている。
これが、ジュエリーフィッシュが“宝石”と呼ばれている所以である。
しかも通常の変異体と違い、魔物の強さを表すランクは最弱のHのままである。
狙って出会えるものではないが、運良く出会えた冒険者にとってはまさに宝石を拾うような幸運であるといえよう。
タツマが襲いかかったジュエリーフィッシュは琥珀色。
ジュエリーフィッシュの変異種としては最も価値が小さいものの、それでも何十回と繰り返された融合により、十分に育った魔石は一匹で10ポイントの得点となる。
この迷宮でもっとも魔物ランクの高い蟹岩石の得点が一匹4ポイントである事から考えると、破格のポイント数といえよう。
タツマとウィリスの勝負は、依然としてウィリスが大きくリードしていた。
タツマにとってこの琥珀色のジュエリーフィッシュとの邂逅は、願ってもないチャンスである。
なんとしても、琥珀色のジュエリーフィッシュを狩らねばならない。これを取ると取られるとではポイントに20ポイントの差が生まれてしまう。
残り時間が半分を切った今、この差は余りにも大きい。
そして今、タツマの持つ黒剣が、海の中のジュエリーフィッシュの核へと吸い込まれようとしていた。
「寄せ水!」
しかし、それを黙って見過ごすウィリスではない。
タツマの短剣がジュエリーフィッシュの核をつらぬく直前、ウィリスの水流を操る魔法が発動する。
魔法によって造られた急流がジュエリーフィッシュを浜辺へと押し流し、タツマの剣の射程からするりと逃した。
仮にの話ではあるが、もしもここでウィリスがタツマを直接魔法で妨害していれば、ペナルティーとして15ポイントの厳しい罰則が与えられる。
しかし、ウィリスの洗練された魔法コントロールは、タツマに影響を与えること無くジュエリーフィッシュだけを適切に移動させる。目的を失ったタツマの一撃は、虚しく海中に沈んだ。
しかしタツマも諦めの悪い男だ。海中でくるんと水泳のターンのような形で転身すると、海底を両足で蹴り、浜辺の方へ流されていたジュエリーフィッシュにもう一度喰らいつく。
クロールをかいた右腕を、短剣ごとジュエリーフィッシュへと振り下ろす。
「跳ね水!」
ウィリスの水流の魔法が再び発動する。先ほどの波と同じ、なんの攻撃力も持たない魔法であったが、その効果は高い。
瀬戸内海の穏やか海に間欠泉のような水柱が上がる。
ジュエリーフィッシュは、まるでビーチボールのようにぽーんと空へと打ち上げられ、タツマの剣の射程から遥か上空へと逃れた。
「氷槍!」
最後に上空を舞うジュエリーフィッシュに向かって、数本の氷柱が襲いかかる。
タツマのプレイを完全に封じ込めるウィリスの連続攻撃。いかにあきらめの悪いタツマとて、空の上ではどうしようもない。
タツマは目の前で逃した獲物が、相手に奪われる様を歯噛みしながらみつめるしかなかった。
しかし、ウィリスの魔法がジュエリーフィッシュを貫くより早く、タツマの短剣から黒い髪がすさまじい速度で空へと伸びた。
放射状に伸びた髪はジュエリーフィッシュに巻き付くと、網にかかった獲物をぐいっと引き寄せるかのように、魔物をタツマの眼前へと導く。
ウィリスの放った氷柱が、何もないを空を切り裂いた。
「助かった! オルタ様!」
髪の網で動きを完全に封じられていたジュエリーフィッシュの核を、タツマは短剣で確実に突き刺した。
オルタの髪の中で、ジュエリーフィシュが魔石へと変わる。手に入れた魔石は、琥珀色の子供の拳ほどの大きさのものだったが、確かな重みがあった。手に入れた魔石握りしめ、ガッツポーズでアンパイアにアピールする。
「二軍、ゼッケン4番! 10ポイント!」
タツマが手に入れた魔石の重みは、勝利を導く重みでもあった。
他のスポーツと同じ用に、ダンジョン競技には”流れ”という物がある。試合の流れを掴む一撃やポイントによって、負け試合が一転して勝ち試合へと変わるのだ。
『流れ』は時に互いのチームの実力差すらも覆す。タツマとオルタの連携プレーは、まさにその流れを変える物となる。
サポーターとしてタツマについて走っていた金敷江笛が歓喜の声を上げる。
「ナイスガッツだよ須田くん! 10ポイントゲットだよ! あのウィリスさんに競り勝ったんだよ! 最っ高だよ、須田君!」
山羊族特有の、高くよく通る声がダンジョンに響いた。
一軍対二軍の紅白戦。本来であればそれは只の調整試合のはずだった。
紅白戦という名の出来レース。今までにも何度も繰り返した、一軍の蹂躙の為の試合であるはずだった。
二軍の選手達は、これまで負けることに慣れきっていた。噛ませ犬となることに甘んじていた。
一軍選手たちに練習場所を譲り、試合では声援を送るだけの存在。チームの為だからそれでいいと思い込んできた。そう言い聞かせてきた。
諦めから生まれた献身を、自分達の存在意義に変えて来た。
しかし、かれらとて最初は甲子園を目指していたはずだった。
一軍として試合に出ることを夢見て入部したはずだった。観客席ではなく、甲子園のダンジョンで戦う事を夢に見て。
タツマのプレイはくすぶり続けていた二軍選手達の心の火種を再び燃え上がらせる。
「畜生ッ、畜生が…ッツ! あの一年坊! やりやがったぜッ!」
「フンッ‥、魔法も使えない癖に目立ち過ぎなのよ! …ファイアーボール!!」
二軍とは言え、元々は県内外から集められた才能にあふれる選手達。波に乗りさえすれば、その実力は一軍の選手達に及ばないまでも、喰らいつくことはできる。
負け犬であった筈の二軍選手達が、一軍選手にその牙を向け始めた。金敷の遠慮を知らない歓喜の叫びは、迷宮中に響き、彼らの心にも響いたのだ。
『…最っ高だよ、須田君!』
そして、タツマの勝利を告げる声は、砂浜に無様に四肢を投げ出していた風坊カヤにも、確かに届いたのだった。
【途中経過、試合開始から70分時点】
一軍 150ポイント
二軍 128ポイント