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第13話 ヒトの羽ばたき

 イリアが倒れたセーフティーゾーンはにわかに騒がしくなり始めていた。

その中でも特に大きな声を上げていたのが、一軍二軍の両監督である。



「おいイリア! 目を覚まさんか! おいっ! 厳島コーチ、これは一体どういうつもりだ!?」



「私もここまでやれとは言ってません! でもグッジョブよ、タツマ君! これでイリア・スーラは完全に封じたわ!」



「グッジョブじゃないわい! 召喚獣は反則だろうが! アンパイア!」



判断を問われたアンパイアは両手を広げてセーフの判定を下した。



「あれは召喚獣じゃありませんわ、ただのインテリジェンスソードです。ちゃんと試合開始前に審判にパーソナルカードと現物を見せて許可を貰っていますもの」



「あんな禍々しいインテリジェンスソードがあってたまるかー!」



五井の指差す先には、タツマの手に握られたオルタがいた。オルタの美しい黒髪は、タツマが仕込んでいた肉片やレバーに汚れ、見るも無残な姿になっていた。



「ごめんなさいオルタ様。オルタ様にこんな嫌な役回りをお願いしちゃって」



―シクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシクシク―



タツマは泣き続けるオルタの髪を、優しく撫でながら慰めていた。



「オレのこと恨んで下さい。酷いやつだって言って下さい。俺、オルタ様に嫌われても、仕方が無いことをしました」



オルタはぶんぶんと髪の毛を振ってタツマの言葉を否定する。

髪の毛にこびりついていた肉片が遠心力で辺りに撒き散らされていく。

オルタはタツマを悲しませたくないと思ったのだろうか。しゃくりあげるような嗚咽を二・三度繰り返した後、泣き止んだ。



「…ふむ、タツマの奴、オルタ様の扱いが随分と上手くなったな。イリアに対する手並みといい、まるで歌舞伎町のNo.1ホストのようなゲスっぷりだ」



「地獄に落ちればいい…」



タツマにとっては、カヤとイクアラの為に毒を飲んだつもりで踏み切った行為だったのだが、その2人の親友からは、外道認定と、地獄手形を受けていた。


生き物のように動く髪と、その髪を手櫛で梳ながら慰めている少年。

周りの選手たちは目に映る光景に、完全に飲まれていた。試合中だというのに、皆呆気にとられて立ち尽くしていた。 



ただ、一人だけを除いて。



「氷刃!」



氷のように透き通った冷たい詠唱が迷宮に響く。

放たれた氷の刃は、陸に上がっていたサハギンを縦に二つに切り裂いた。



皆が時間を止めていた中で、ウィリス・野呂柿だけは動く時の中にいた。

試合中に何が起ころうとも関係ない。ウィリスはイリアとタツマの一幕に注視することなく、自分の役割を淡々とこなしていた。

一つ目の島で固まるチームメイト達を余所に、一人だけ浮島を3つほど先行していた。



「しまったッ‥!」



迂闊にも、カヤは完全にウィリスの存在を失念していた。直ぐに追いかけようと走りだしたカヤの前に、菅笠の狸の獣人が立ちふさがる。



「おおっと、行かせんぞお、天狗の嬢ちゃん。なんで嬢ちゃんが二軍におるかは知らんがのお。ちょうどええわい、噂は聞いとるぞぉ、ワシとどっちが早いか決めようや」



多留簿金太が、豊かな頬に皺を刻んで不敵に笑った。


ウィリスの一撃を切っ掛けに、試合は再び動き出した。



「コーチ! シフトチェンジを!」



タツマの声に促され、厳島は現状の最適な判断を下す。



「カヤさんは、そのまま金太君のマークを! そしてタツマ君! あなたの相手はウィリス・野呂柿よ!」



「はいっ!」



タツマはウィリスを追ってかけ出した。走りながら、最後にもう一度イリアの方を振り向くと、「ごめん」と掠れた声でつぶやいた。



「ええい! イリアはもう駄目だ! コール! イリアと交代だ! あの人族のマークにつけい! ウィリスを追わせるな!!」



審判が一軍のメンバーチェンジを認めると、一軍の二年、鹿の獣人であるコール・スクワルトがタツマを追いかける。

コールは魚里の一軍で、金太につぐ俊足を誇る選手である。しなやかで長い足が生み出す広い歩幅は、100Mを8秒フラットで駆け抜ける事ができる。人族の足など直ぐに捉えられるはずである。

…本来であれば。



「くっ、速い!? アイツ本当に人族か!」



「何をやっとるか、コール! 早く追いつかんか!」



遅れて駆け始めたとはいえ、獣人のコールが一向にタツマに追いつけない。出遅れた分の差が全く埋まらない。

身体能力では遥かに勝っているはずの獣人コールが、タツマに追いつけない理由は、二つあった。


一つ目は、フィールドとの相性である。

オノミチ水道迷宮は、その足場の殆どが砂浜である。コールの俊足の要である鹿の細い足、コンパスの針のような鋭い足先は、一歩ごとに砂浜に深く埋まって、砂を蹴る力を奪われていた。

もちろん、砂浜というフィールドはタツマとて走りづらいはずである。

しかしタツマは、そこが砂浜であることを感じさせぬスピードでかけていく。タツマの平たい足先が、砂に浅い足あとを残していく。


冒険者部を追われてからこれまでずっと、河原や浜辺などのわざわざ足場の悪いところを選んでタツマはランニングを繰り返してきた。こういった場所での走り方という物を、タツマは既に体で覚えていた。



ヒトという種族は、得意は無いが、不得手も無い。そしてヒトとは適応する生き物である。


固く整地されたグラウンドばかり駆けていたコールとの違い、タツマの無様で孤独な練習が、コールとタツマの持つ本来の脚力の差を埋めていた。

それはタツマが、甲子園への梯子を外された少年が、暗い淵の底で懸命にあがき続けた成果だったと言えるかもしれない。

さらに、コールがタツマに追いつけなかった理由はもう一つある。



「体が軽い! こんなに調子がいいのは初めてだ!」



タツマ自身、自分の動きに驚いていた。タツマは気づいていないが、実はその理由はオルタにあった。


タツマはここ一週間毎日オルタの手料理を食べていた。

最初は吐き出してしまっていたオルタの料理であったが、出し汁の鍋さえ見なければ、タツマはどうにか食べきる事ができた。


オルタの出汁はただの出汁ではない。疲労回復の効果がある完全栄養食品である。

スポーツ栄養学であるとか、筋肉の超回復であるとか、そんな物は一切頭にないタツマではあるが、オルタの出汁に込められた栄養と疲労回復の効果が、自然にタツマを、嘗て無いベストコンディションへと導いていた。

それは数値で表せば、極僅かな違いであろう。しかしその僅かな違いが、頭打ちであったはずのタツマの身体能力を、次の段階へと押し上げていた。

コールがタツマに追い付くことができなかったもう一つの理由。それはタツマもオルタも全く気づいてはいない事ではあるが、オルタがタツマのトレーナーの役割を果たしていたことにある。



「くそッ、コールめ、役に立たん! おい、アイアン! そいつを止めろお!」



タツマをとらえられないコールに業を煮やした五井監督が、先行していた鉱石族のアイアン・マンに指令を下す。

アイアンは、次の島へと続く橋の前で仁王立ちした。



「やられた! あそこをアイアン君に抑えられたら抜きようがない!」



厳島が声を上げる。島と島を結ぶ橋の入り口、そこをアイアンに塞がれてしまっては、タツマとてどうしもないだろう。

アイアンは足こそ遅いものの、ブロックの技術に関しては魚里一である。

相手の体を狙った攻撃は反則となるが、ブロックするだけならば反則ではない。反則にならないギリギリのラインで、相手の足を止める方法という物をアイアンは熟知している。



タツマの前に、身長2m50cmの巨大な壁が立ちふさがる。


アイアンの体の右を抜けようとしたタツマの進路を、すかさずアイアン・マンが、まるで相撲取りの四股のような一歩で踏み潰した。

タツマは一瞬その歩みを緩めて、左に抜けようと目線を動かす。

アイアンが次のタツマの動きを予測し、反対方向に重心を動かしたその瞬間、タツマは爆ぜるように、再び右へと駆けた。フェイントにより僅かな隙間が生まれた右を狙って。


その隙間は、アイアンの左手と左膝の間の僅かな死角。そこに届けと、タツマは左手を伸ばす。

アイアンの左足の膝に手をつくと、タツマは跳んだ。左腕を回転軸にぐりんと体をひねりながら、殆ど全身を90度に傾けた状態で、まるで柵でも超えるかのように狭いトンネルを潜りぬける。

最後に軸となった左手をぐっと押し出すと、まるで羽でも生えたかのような大きな跳躍が生まれた。



その跳躍に、翼のない人族の羽ばたきに、アイアンは目を奪われた。



アイアンの心に深く焼きついたファインプレー。

その瞬間、タツマのプレーはアイアンだけではなく、後ろを追いかけていたコールや、厳島や五井、ベンチの人間全てを魅了した。



一瞬の羽ばたきの後、タツマはアイアンの奥に隠されていた橋の右端ギリギリに着地する。

そして足を緩めることも振り返る事も無く、ウィリスを追って駆けていった。



抜かれたアイアンも、遅れてきたコールも、もはやタツマを追うことはできなかった。



「何者だアイツは!? ヒト族の分際で!」



タツマの見せた一瞬の輝きに、五井は驚愕と苛立ちの声を上げる。

名も知らぬ二軍選手の人族のプレーに魅了されたなどと、亜人優位主義者の五井にとっては屈辱以外の何物でもなかった。


五井の問いに答えたのは、対面ベンチの厳島ミヤジだった。

彼女は五井に向かって人差し指を左右に振りながら、勝ち誇ったようにこう言った。



「何者もなにも、あなたが退部させようとした無能の人族の少年ですよ。お忘れになりましたか? 五井監督」



そこでようやく、五井はタツマの事を思い出した。

純血の人族で守護も持たぬ癖に、身の程知らずにも魚里高校のセレクションに参加した黒髪の少年の事を。

入部届けを見た段階でクビにすることを決めた少年が、一軍選手たち2人をあっさりと振りきり、今、ウィリス・野呂柿へと迫ろうとしている。



「私との秘密の約束、忘れないでくださいね、監督♪」



五井がクビにしたはずの少年は、気がつけば自分のクビにナイフを突きつけていた。






タツマは走る。



周りでは既に選手たちとモンスターとの戦いが始まっていた。

モンスターにも、チームメイト達にも目もくれず、タツマは先頭を走り続けるウィリスを追いかける。


ウィリスの足は早い。魔法使いとは思えない程に。

しかし、モンスターを倒しながら先頭を進むウィリスと、走ることだけに集中したタツマの間には、歴然とした差がある。



「氷槌!」



岩陰から這い出てきた巨大なカニのモンスターを、魔法が生み出した氷の塊が襲おうとしたその瞬間、ウィリスの隣を黒い雷が横切る。

雷は鋭い衝撃音を上げて、魔物の急所である甲羅の窪みを叩き潰した。

ウィリスが黒い雷だと思っていたものは、長くて黒い、髪の毛の鞭だった。


黒い鞭は、先ほどの逆再生を見ているかのように、再びウィリスの脇を抜けながら、主のもとへと戻っていった。



振り向いた先には、まるで猟犬の如くウィリスに向かって凄まじい速度で駆けてくる黒髪の少年がいた。

ついに目標を捉えた少年は、犬が喉笛に食らいつくような形で長身のウィリスに向かい頭を振り上げると、互いの顔がぶつかる程の距離で気を吐いた。



「勝負ですウィリスさん! 今度は絶対に負けません!」



タツマはウィリスが自分の事を覚えているなどとは思ってはいない。

自分など、ずっと昔にウィリスが蹴飛ばした小石の一つに過ぎない。その程度の事はタツマにも分かっている。


『今度は負けない』その言葉は、ウィリスにではなく、自分の為の言葉であるはずだった。ウィリスには何のことだか解るわけがないのだから。



しかし、日常でも試合中でも、決して表情を変えない事で知られるウィリス・野呂柿が、ほんの一瞬、口元を僅かに歪めたのを、タツマは確かに見たのだった。





 【試合経過・試合開始後15分時点】


 一軍獲得得点 26ポイント

 二軍獲得得点  4ポイント




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