第11話 明かされた弱点
「すみませーん、ラーメンセット2つで」
「あいよ、ラーメンセット2つね」
香ばしい音と匂いが店内に溢れる。
ここはタツマ達の学校から最寄りの駅の高架下にあるラーメン屋。赤い長テーブルのカウンター席にタツマとイリアが並んでいる。
タツマは身長の高い方ではないが、それでも極端に小柄なイリアと比べると、座高だけでも頭一つ分の差はある。
二人の会話する姿は、自然とイリアがタツマを見上げる形となっていた。
「ごめんねぇ、結局タツマ君におごってもろおて‥」
「このくらいなんてことないから、気にしないで」
食事代金の支払いはタツマ持ちである。財布の中身が100円にも満たなかったイリアに、「奢るよ」と持ちかけたのだ。
イリアはしばし逡巡していたが、結局空腹には勝てなかったのだろう。何度もお礼をいいながら、申し訳無さそうにタツマについてきた。
道すがら、二人は互いに自己紹介を済ませた。タツマが同じ魚里の冒険者部だとわかると、イリアは急に警戒と遠慮を緩めた。まるで餌を貰った子犬のような、人懐っこさであった。
「ところでイリアさんって、寮暮らしじゃなかったんだね」
「私、一般入試じゃけん。応募はしたんじゃけど入れんかったんよ」
「一般入試!? てっきり冒険者枠の推薦だと思ってたよ」
魚里高校の学生寮は、別名冒険者の宿とも呼ばれている。
広島県内のみならず、全国各地から引き抜いたダンジョン部の学生たちに、寮の部屋は優先的に与えられているためだ。それ以外の生徒にとっては、倍率が高く、よほど運が良くないと入寮はできない。
「私ね、中学まではダンジョン部に入ったことなかったけん。魔法の練習しかさせてもらえんかった。でもね、お父さんと約束しとったんよ。高校になったら冒険者やってもええって。それで、魚里高校を受験したんよ。ダンジョン部に入りたかったけん」
天才の内情はあまりにも普通だった。誰よりも才能に恵まれていながら、自分と同じように一般入試で入学したという少女。才能がないと言われたタツマとは真逆ではあるが、同じ道を辿っていたことになる。
「あれ‥? でもイリアさん、セレクションにはいなかったよね?」
「そのぉ‥、入部届を出した時に、セレクションは受けんでもええって言われたけぇ。他の皆には悪いんじゃけど‥」
「ああ、そりゃそうだよな」
純血エルフで、一級神である太陽神の強い加護持ち、それに加えて強力無比なアビリティー。例え冒険者の経験がなくとも、セレクションなど必要はないだろう。
現にイリアは、入部して一ヶ月で一軍のエースとなっているのだから。
タツマにとっての3年間の目標であった、ウィリス・野呂柿すらあっさりと追い抜いて…。
「へい、まちど!」
威勢のよい声と共に、二人の前にラーメンセットが運ばれる。炒めた香ばしいごま油の香りと、鶏ガラベースの醤油の匂いが二人の食欲を刺激する。
練習の後の空腹は凄まじい。二人は会話をやめて、「いただきます」と手を合わせると、夢中でラーメンセットを胃の中にかきこんだ。
「…お腹いっぱいじゃけえ。ホントにありがとう、タツマ君!」
「だから気にしないでいいって。チームメイトなんだし」
ラーメン屋を出た二人は共に帰路へとついた。住所を尋ねた所、イリアの家はタツマの家の直ぐ側だった。
別々に帰る理由などない。大小の影が夜の町を横に並んで歩いていく。知らず知らずの内に、二人は先ほどまでと比べて幾分近い距離で歩いていた。
「チームメイトかぁ‥、ええ響きやねえ。えへへっ、実は憧れやったんよぉ、チームメイトとご飯食べに行くん」
幸せそうに笑うイリアに、タツマの胸がズキリと痛む。
イリアは知らぬ事だが、タツマはイリアの弱みを知るために近づいたのだから。
胸の痛みを紛らわせるために、タツマは話題を逸らした。
「ところで、イリアさんはあんまり仕送りもらってないの?」
「うぅ‥、多分他の人の倍ぐらい貰ってると思うんじゃけど、赤ヘルのナイターに毎晩行ってたら、お金がなくなってしもうたけぇ…」
「…ええっと、毎晩って、…毎晩?」
「うん! ホームで試合があるときは必ず! 行けるのは練習の後じゃけん、いつも途中からじゃけど」
イリアの金欠の理由は明らかであった。レッドヘルバトラーズの本拠地である赤の迷宮は、魚里高校から電車で30分程の位置にある。その試合を毎回観戦しているとなると、それだけで月3万円以上の出費となるだろう。
先ほどのUFOキャチャーの様子を見る限り、応援グッズも金に糸目をつけずに購入していることも容易に想像がついた。
「それに私、料理は苦手じゃけん。夜はいつも外食しとるんよ」
運動神経に乏しい少女は、生活能力も皆無だった。
親もそれを見越して多めの仕送りを送っているのだろうが、その殆どが遊興費に消えているなどとは、夢にも思っていまい。
「だからタツマ君にはホントに感謝しとるんよ! 仕送りも今週の金曜日じゃったから助かったけぇ!」
もはや今日何度目になるかも解らぬ礼を言う少女に、タツマは水をささねばならなかった。
「仕送りまで、後2日あるねえ‥」
「うぅっ‥、ど、どうにかなるんよ! あと40円はあるけんね!」
イリアはそうは言うが、今のご時世、40円ではパンの耳すら買えはしない。
「お金貸そうか? イリアさん? 俺、バイトもしてるから余裕あるし。」
「そ、そんなんだめじゃ! お金の貸し借りは絶対にやったらいかんって! 友達なくしちゃうからって、お父さんから言われとるけん!」
今どき珍しい子だな。と、タツマは思う。純血エルフということで、親に大事に育てられてきたのがよくわかる。熱狂的な赤ヘル信者でさえなければ、普通のいいとこのお嬢様なのだろう。
しかしいくら親の教えとはいえ、これから二日間食事抜きというのは可哀想だ。それならばと、タツマは提案の内容を切り替える。
「だったらお米を貸そうか? お米ぐらい炊けるよね?」
タツマの提案に暫く悩んでいたイリアではあったが、米ならば借りてもいいと判断したようだ。恥ずかしそうにこっくりと頷いて、こういった。
「あのぉー、お醤油も少し借りてええ?」
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「はい、これ。お米とふりかけだよ。醤油ご飯よりは美味しいはずだから」
「うぅ…、タツマ君、すごいええ人じゃけぇ! 今日、タツマくんに会えて本当によかったけえ!」
タツマからビニール袋を受け取ったイリアは、タツマに深々と頭を下げた。
イリアの住むマンションは、タツマのアパートからまさに目と鼻の先だった。タツマは一升ほどのお米と、家に常備してあったふりかけの袋を二袋ほど家から持ちだすと、イリアをマンションの入口まで送って行った。
12階建のマンションは、駐車場と小さな公園のついた近代的な作りをしている。
高級マンションとまでは言わないが、少なくとも、その日食べる米に困る人間の住むような場所ではない。
「それじゃあイリアさん、また明日学校でね」
そう言って立ち去ろうとしたタツマだったが、子犬が吠えるような高い声が、背中越しに呼び止めた。
「タ、タ、タツマ君! わ、私の事イリアって呼んでもらってええ? チ、チ、チームメイトじゃけえ!」
それは少女の精一杯の勇気だったのだろうか。
イリアはその事をはっきりと口に出すことはなかったが、一軍の選手達とはあまり馴染めていない様子が、言葉の節々から伺えていた。
一般入試の未経験者で、いきなりエースとなった一年生。エリートが集められた一軍の選手たちに、嫉妬や厭気という感情を持たれてもおかしくはないだろう。
ダンジョン部に描いていたイリアの憧れ。
チームメイト達と仲良く会話をしたり、放課後は一緒に帰ってみたかったというささやかな願い。
カヤやイクアラがいるタツマにとっては、当たり前のことではあったが、イリアにとっては、タツマと出会う事で初めてそれを手に入れることができたのかもしれない。
「だって…、チームメイト、じゃけえ」
振り返ったまま、言葉を失っていたタツマに、イリアは恐る恐ると、同じ言葉を繰り返した。
少女の泣き出しそうな瞳とすがるような信頼に、タツマの胸が再びズキリと痛む。
それでもタツマは、イリアが今、最も求めているであろう言葉を明るく叫ぶ。
「また明日な! イリア!」
「うん! うん! また明日! タツマ君!」
イリアの明るい返事に対し、今度はタツマは振り返らなかった。逃げるように早足でその場を立ち去る。
二人の家は近い。タツマのアパートには1分も歩けばたどり着く。
タツマは部屋には向かわず、アパートの外塀に額を預ける。つめたいコンクリートが頭を冷やす。
「まいったな…、敵なのに、いい子すぎるよ…」
タツマはイリアに声をかけてしまった事を後悔していた。ウィリス・野呂柿を倒した人間として、タツマの目標を奪った倒すべき相手として、もはや認識することができなくなってしまった。
イリアの弱点を探す気には、もうなれなかった。
先ほどまでただの剣に擬態していたオルタが、しゅるるっと髪の毛を伸ばすと、タツマの頭をそろりと撫でた。
木曜日。今日も今日とてタツマ達二軍選手はランニングばかりの練習だった。
練習を終え、着替えを済ましたタツマとイクアラが更衣室を出ると、外では既にカヤが待っていた。
「ねえタツマ、今日もイリアの追跡なの?」
そう言ったカヤの顔は、注意深いものでなければ解らない程度にむくれていた。残念ながら、タツマはその注意深い者の範疇には含まれてはいないが。
タツマのイリアに対するストーキング紛いの行為には、カヤにも思う所があるのだが、これも勝利の為と、文句と不平を飲み込んでいるのだ。
カヤの不満の中には、タツマと一緒に下校したいという健気な乙女心もあったかもしれない。中学の時は、練習後は毎日のようにタツマと一緒に帰っていたのだが、高校生になり、タツマが退部してからは、二人での下校もすっかりとご無沙汰なのだから。
「ああ、その事なんだがな‥」
「ターツマ君! いっしょに帰ろー」
その時、カヤの後ろから駆けてきたイリアが、まるで友達の家に遊びに来た小学生のように、大きく、明るい声でタツマを呼んだ。
「ああ、イリア。一緒に帰るか。それじゃあな、カヤ、イクアラ、また明日」
「あっ、カヤちゃんとイクアラくんだー。二人共また明日ねー」
あっけにとられたカヤ達を置き去りにし、タツマとイリアは二人並んで帰っていった。
身長差のある二人の後姿はとても同級生には見えなかったが、兄と妹のような仲のよさが伺えた。
取り残されてしまったカヤは、二人が消えていった方角を見送ると、止まった時間をようやく動かし始めた。
「タツマ君? 一緒に帰ろう? イリア? …ねえ、イクアラ? アレは一体どういうことかしら?」
「お、落ち着けカヤ! きっと追跡から潜入捜査に切り替えたのだ! 相手と仲良くなって情報を聞き出す、スパイの常套手段だ! きっとそうだ! そうに違いない!」
イクアラ・スウェート。ブロッカーとアタッカー、そして友人のフォローまでこなす、万能なリザードマンである。
「…うぅー、ごめんねぇ。またタツマ君に晩御飯ごちそうになってもうて…」
「米だけじゃあ栄養が偏るだろ? 遠慮するなって」
タツマとイリアの二人は、再び昨日のラーメン屋に寄った後に、帰路へとついていた。昨日と違うことといえば、歩く二人の距離がさらに近くなったことと、タツマが気負わない、気安い喋り方になっているという事だった。
「明日は仕送り入るけん、今度は私がタツマ君に奢るけんね!」
「気にしなくていいって言ってるだろ、まあ、そん時は頼むな」
波長が合う人間というのは稀にいる。そういう人間とは、なんの苦労もなしに直ぐに仲良くなれるものだ。まるでずっと一緒に過ごしてきた親友のように。
タツマにとってのイリアと、イリアにとってのタツマは、正にそれに当てはまっていた。
「ねえねえ、タツマ君は赤ヘル好きなん?」
「嫌いじゃないぜ。なんたって地元だからな。そりゃあ、弱くて応援しがいはないかもしれないけど、その分、勝った時は嬉しいしな」
「じゃよね、じゃよね! でもねえ、一軍のみんなは興味ない人が多いんよ! 折角ヒロシマに住んどるのに!」
「一軍の連中は、県外から引き抜いてきた人間も多いしな。仕方ないさ」
一軍・二軍の垣根を超え、二人は既に仲の良いチームメイトだった。
片や一般入試の無能者としてチームに入れなかったタツマと、片や一般入試の天才としてチームから敬遠されていたイリア。その質は全く違うが、二人は裏と表の存在だったのかもしれない。
「そうじゃ! こんどの土曜日、一軍・二軍で紅白戦やるって監督から聞いたんよ! 私も出るけど、負けんけんね!」
「ああ、こっちも負けられない事情があるんでな。本気で行くぞ、イリア」
「望むところじゃけえ! タツマ君」
タツマは思った、もう弱点なんてどうでもいいと。
紅白戦でイリアに勝つ方法はタツマには思いつかなかったが、どうにかなるか、と自分を納得させた。
勝つことを諦めたわけではない。甲子園に行きたい気持ちを失ってしまったわけではない。
だが、イリアの弱点をついてまで勝ちたいとは今のタツマには思えなかった。そのくらいには、タツマはイリアを気に入ってしまっていたのだから。
「ひぃぅっ!」
その時、突然イリアが小さな悲鳴を上げてタツマの腕にぎゅっとしがみついてきた。
「どうした? イリア」
イリアはタツマの腕に体を預けたまま、映画館の前に貼られていたポスターを指さした。そこには夏の納涼シーズンらしく、新作のホラー映画のポスターが貼られていた。
「わたし、ホラー苦手じゃけん」
そう言った後、タツマから離れたイリアではあったが、タツマの制服の裾は、イリアの白い小さな手に、きゅっと握られていた。
「私、子供の頃からお化けとか苦手なんよ。冒険者になりたいけぇ、こんな事いっとったら駄目じゃってわかっとるんじゃけど…」
「あ、ああ、そうなのか…」
タツマは鈍い相槌しか打てなかった。タツマを動揺させたものは、イリアの未成熟な小さな体ではない。不意に知ってしまったイリアの弱点。それがタツマから落ち着きを奪っていた。
「ゴブリンとかオークは大丈夫じゃのに、ゾンビとか幽霊は嫌いじゃけん。…あっ、ここまででええけんね、また明日ねー! タツマ君!」
「あ、ああ‥、また、…明日…」
腕をぶんぶんと振りながら笑顔でさよならを告げるイリアに対して、タツマはどうにか言葉を絞り出した。
フラフラとアパートまで歩いて行くと、昨日と同じようにアパートの塀にもたれかかった。
「どうしよう、俺、俺…」
タツマの顔からは苦悩と後悔が滲んでいた。
「…最低な攻略法を思いついちまった…」
落ち込んでいるタツマを気遣っているのだろう、今日もオルタの髪がしゅるると伸びて、タツマの頭を優しくなでた。
オルタの黒い髪の毛を、タツマは沈んだ、昏い瞳で見つめていた。