第9話 倒すべきエース
「ボーナスって‥、稼ぐ前に危険じゃないですか? あの数は」
余裕を見せる厳島とは逆に、タツマは疑問と焦りを覚える。いくら魚里高校の一軍といえども、圧倒的多数を前にしては、その実力を発揮することはできないだろう。
「普通の学園ならね。神妙君のいない今、ウチの売りはなんといっても全国でも最強クラスのエース魔法使いの存在なのよ」
魔法使い。それはダンジョン競技における花型ポジションである。
遠距離からの強力な魔法攻撃により、魔物を倒す魔法使い。その中でもチームのNo.1魔法使いと認められた者だけにエースの称号が与えられるのだ。ゼッケン1番と共に。
スタジアムのスクリーンが切り替わる。画面には紫の髪を肩まで流した一人の美しい女性が映し出された。
「そうか! ウィリスさんか! 魚里にはウィリス・野呂柿がいたんだ!」
タツマがその名を呼ぶと同時に。スタジアムから歓声が上がった。ヒロシマで冒険者をやっている者であれば、彼女の名を知らぬ者などいないだろう。
ウィリス・野呂柿。通称氷のヴァルキューレ。
ドイツの魔女の血を引き、水氷系の魔法に長け、さらにはヴァルキューレの一人である霧のミストの加護を持つ、本格派の魔法使いである。
画面に映るウィリスの姿は、およそ一般に想像する魔女の姿からはかけ離れている。
白を基調にしたレザー製のジャケットにズボンを身に纏い、膝丈まである革のシューズを履いている。頭には黒と白のまだら模様のベレー帽。伝統よりも機能性を重視した彼女の冒険者服はまるで軍服だ。
右手に持つゴツゴツとした黒い木製の杖だけが、魔女らしさのかけらを残しており、そこだけ異質に目立っていしまっている。
全体的に身体にピッタリとフィットした服は、露出箇所こそないものの、ウィリスの女らしさを十分に強調していた。
「二年の差は大きいのよ」
それは誰に向けて言った言葉なのか、カヤの憮然とした声がタツマの側から聞こえた。『今のカヤは三年前のウィリスさんにも届いていないじゃないか』と言ってしまえるほど、タツマは阿呆ではなかった。
タツマとウィリスは面識がある。面識があると言っても、タツマがウィリスの事を一方的に覚えているだけにすぎないが。
三年前、まだタツマが中学一年生だった時に、秋の地区大会でタツマは彼女と対戦したことがある。
当時から県下に名を響かせていたウィリス。彼女を抑える為に当時のタツマ達の監督は、ある作戦を立てた。
「タツマ、お前がウィリス・野呂柿を抑えろ」
エースへの徹底的なマンツーマン。その役目を与えられたのが、まだ一年生ながら持久力だけは飛び抜けていたタツマであった。
監督の指令に、タツマは「はい!」と力一杯答えた。絶対にウィリス・野呂柿を抑えこむと、そう意気込んで試合に望んだ。
結果は、タツマの惨敗だった。ウィリスにマンツーマンで挑んだタツマではあったが、そのタツマのマークなどないかのように、中学3年生のウィリスは次々と魔物を水魔法で葬っていった。
試合終了の笛が鳴った時、圧倒的な点差と、何もできなかった自分に、タツマは地に膝をついた。唯一自信があった持久力も、とっくに底をついていた。
「ナイスプレイ」
顔をあげれば、ウィリス・野呂柿が見下ろしていた。勝者の余裕か、それとも慰めの言葉なのか、氷のような無表情からは判断できなかった。
ウィリスはそれだけ言うと、タツマにくるりと背を向け、ダンジョンの出口へと歩いて行った。タツマ膝立ちのまま、首だけをウィリスの方へと向ける。
ふわりと風に乗って運ばれてきたさわやかなレモンのような香りが、タツマの鼻腔に残り続けた。
その日から、ウィリス・野呂柿はいつか超えるべき壁として、タツマの心に深く刻み込まれた。
ウィリスが魚里高校に進んだと知った時、同じ魚里高校に進学先を決めた。タツマが魚里高校を選んだ最も大きな理由が、ウィリスの存在だった。
倒したいと願いながらも、同チームで有ることを望んだ相手。矛盾した反骨心の中に、思春期の憧れも混じっていた事には、タツマは気付いていない。
画面上のウィリスは、三年前よりももっと美しくなっていた。そして魔法は、三年前よりも、もっともっと洗練されていた。
「水錐!」
細い水流の槍が、ポップしたばかりの魔物を次々とつらぬいていく。これ以上はないという絶妙なコントロールとタイミングは、ウィリスのたゆまぬ鍛錬と持って生まれた才能が生んだ成果だろう。
「すごい! 確実に魔物の急所だけを貫いている。魚里のエースは伊達じゃない!」
画面上のウィリスの卓越した技量に、タツマは感嘆と賞賛の声をあげる。一週間後に、このウィリス・野呂柿と戦う。その事を思うと体が震えた。
ウィリスの成長に、目指していた人物の成長に、タツマの心臓はトクンと踊った。
しかし、そんなタツマを見て、カヤとイクアラは何故か怪訝な表情を浮かべていた。
「何言ってるのタツマ? ウィリスさんはもうエースじゃないわよ」
「…ふむ、タツマは陸上部に入ってから、本当に一度も練習を観に来なかったんだな」
「へっ? 何言ってんだ? おまえら‥」
そこでようやく、タツマはウィリスの肩の番号をみた。ウィリス・野呂柿が肩につけている番号は、エースの証である1番ではなかった。二番手の魔法使いを表す10番をつけていた。
「タツマ君。今の魚里のエースはね、一年生よ」
「はぁっ!? 一年生って、嘘でしょう!? あのウィリス・野呂柿ですよ! ウィリスさんがなんで‥」
タツマは言葉を最後まで続けられなかった。スタジアムが突然、轟音と強力な光に包まれたのだから。
それは圧倒的な光の暴力。スクリーンを焼け焦がすのではないかと思う程の、強烈な白であった。
スピーカーからは巨大な爆発音の後、マイクの不具合による金切り音が鳴り続いた。
しばらくして、ようやく光がおさまったその場所には、一人の少女が立っていた。どう見ても小学校高学年ぐらいにしか見えない小柄な体は、白く柔らかなローブにつつまれており、ピンク色のショートカットの髪は、天然物の軽いカールがかかっている。
小柄な体と相まって、まるでルネサンスの天使像のような愛らしさがある。しかし、天使とは違い羽もないし、髪からは二本の特徴的な長い耳がにょっきりと生えていた。
「イリア・スーラ。純血エルフで太陽神ラーの強い加護を持つ超高校級の天才児よ。入部して僅か一ヶ月で、ウィリスさんからエースの座を奪い取るほどのね。彼女を攻略しないことには、私達の勝ちは絶対にないわ」
「イリア・スーラ…」
タツマは呆然とその名前を呟いた。ウィリス・野呂柿を、自分が倒したかった相手をあっさりとエースの座から蹴落とした人物。
恵まれた血と、最高クラスの加護を持つ本物の天才。
スクリーンからは魔物は残らず消え去っており、コールド勝ちを告げるサイレンの音が高らかに鳴り響いた。
小柄なエルフの少女は、画面の中ではにかみながら笑っている。先ほど圧倒的な魔法を放った人物と、同一だとはとても思えない姿だった。
「そしてタツマ君、貴方がイリア・スーラを抑えなさい」
監督の指令に、タツマは頷くことができなかった。