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サイレント・ブルー  作者: kaku
6/15

6 現在

 教師の仕事は、好きだった。

 あんな形で辞めることにはなってしまったけれど、今でも、教師になったことを後悔はしていない。

 もし、後悔をしていることがあるとすれば。

 あんな形で、仕事を辞めてしまったことだけだった。



 『そう……聞いたの……』

 携帯越しの柚木の口調は、重いものだった。

 ため息抑えながら話していることが、携帯越しからでもわかる。

「じゃあ……本当なんですか?」

『そう。新見じゅえるさんは、亡くなったわ』

 まるで苦いものを吐き出すかのように、柚木は言った。

「なんで……」

 思わず、ぎゅっと、携帯を持つ手に力が入る。

『わからないの。天降川の橋の上から落ちたってこと以外は』

「え……?」

 だが、柚木が続けて言った言葉は、千華子が考えていた以上に、衝撃的なものだった。

「柚さん……それって……」

『自殺か事故か……はっきりしていないのよ』

 柚木の口調も、いつもの快活さが嘘のように暗く、重い。

『千華ちゃんが、このこと知っているかもしれないと思ってたけど、中国()地方(っち)では、ニュースにならなかったみたいね』

 ―新見じゅえるは、千華子が最後に担任をした、クラスの児童の一人だった。

 そして、千華子が退職するきっかけを作った子でもあった。

『でも千華ちゃん、どうしてじゅえるさんのこと知ったの?』

 今度は、逆に柚木がそう千華子に尋ねてくる。

「刑事さんが、教えてくれたんです」

『……千華ちゃん?』

「私のバイト先で、子どもが殺される事件があって……その現場検証の時に、刑事さんが私に新見さんが亡くなったことを教えてくれたんですよ」

『どうしてその刑事さんが、新見さんのことを知っているの?』

「柚さん?」

『おかしいと思わない? 例えこっちで起こったことがその刑事の耳に入ったとしても、どうして千華ちゃんが、新見さんの担任だってことを知っているの?』

「そりゃあ、刑事さんだから、調べたんじゃないんですか?」

 だが、千華子は何故柚木がそんなことを言い出すのかわからなかった。

『千華ちゃん……?』

 そんな千華子に、柚木はとまどうようにして、千華子の名を呼ぶ。

「だいじょうぶですよ」

 だが千華子にしてみれば、何故柚木がそんなにとまどうのか、そちらの方がわからなかった。

『……本当に……?』

 けれど柚木は、やはり心配げに聞いてくる。

「新見さんのことは、正直ショックです」

 だから素直に、千華子はそう言った。

『……』

 携帯の向こうで、柚木が黙り込む。

「でも……何か、現実感がなくって……」

『……そう』

 柚木の返事に、千華子はそれ以上言葉が続かなかった。

 千華子が新見じゅえるを担任していたのは、一学期の間だけだった。

 だが、それでも。

 彼女は、「教え子」だった。

 「教え子」を亡くすということ。

 先輩の教師達から、時々話に聞くことはあっても、短い教師生活の中で、千華子がそれを体験することはなかった。

 だが、今。

―たまらないよ、本当に。保護者の方々の嘆きも半端じゃないけど……それ以上に、自分より若い―自分が教えていた子が、亡くなったって事実は……本当に、たまらない。

 以前、先輩教師の一人に聞いた言葉が、甦る。

 実感はない。

 ずっと会っていなかったし、あの当時は、一生会うこともないだろうと思っていた。

 それでも、言いようのないむなしさを、千華子は感じていた。

『千華ちゃんは……哀しい?』

 唇を噛み締める千華子に、柚木がそっと尋ねてきた。

 それに対して、千華子は唇を噛み締めたまま、答えることができなかった。

『……柳瀬先生にお会いしたのも、本当は水泳大会じゃなくて、じゅえるさんのお葬式でだったの』

「お葬式で?」

 教育長である柳瀬が、わざわざ新見じゅえるのお葬式に出たことも意外だったが、柚木もそのお葬式に出席していたことも驚きだった。

 新見じゅえるは、今ではもう中学生で、柚木の赴任する学校も、あれから変わっている。

『私は、てぃあらさんの担任だったことがあったからね。……まあ、言葉は悪いけれど、保身のためよ』

「……」

 新見じゅえるの母親ならば、有りそうだった。

 何せ、自分の娘は事故か自殺かわからない状況で死んだのだ。

 それなのに、どうして教員達はお葬式に来ないのか、ぐらいは言いそうだったし、場合によっては、マスコミにも言い出しかねない。

 「マスコミ」というものがいかにめんどくさいものなのか、千華子も身をもって知っているつもりではあった。

 あの当時、手馴れた弁護士の対応がなければ、千華子の名は、もっと広まっていたはずだった。

 新見じゅえるのお葬式に出た教師達の本音は、きっとそこにあっただろう。

 苦いものを感じるが、それもまた、確かに現実なのだ。

『―千華ちゃん』

 柚木に名を呼ばれ、千華子は、はい、と返事をした。

『千華ちゃんはやっぱり、教師に戻るべきだよ』

「柚さん」

 だが思ってもいないことを言われ、さすがに目を見張る。

『正直、綺麗ごとではやっていけない仕事だよ。どうしたって、私も含めて、保身に走る人が多い仕事だけどー、千華ちゃんは、そうじゃないでしょ?』

「柚さん、私は……」

『うん。でもね、学童の先生よりも、千華ちゃんは、学校の先生に戻るべきだと思うよ。亡くなった、じゅえるさんのためにもね』

 千華子は、返す言葉がなかった。

 それは考えもつかなかった選択肢だった。

 ―否。避けていた、と言った方が正解なのかもしれない。

 あの場所に。

 自分が悩みに悩んだ末、捨て去ったあの場所に帰るということ。

『とにかく、私明日そっちに寄るから。時間はいつでもいいから、また会わない?』

 黙りこんでしまった千華子に、柚木は明るい口調でそう言った。

「はい……」

 千華子はそれに対して、ただ、そう頷くしかなかった。


 電話を切って、携帯をテーブルの上に置いた。

 こんっと軽い音を立てて、携帯がテーブルの上に転がる。

 ぱっと、その隣にあったナツ用のパソコンの画面が明るくなった。

「ナツ?」

 千華子はそう声をかけて、画面を覗き込んだ。そこに出ていた文字は。


『だいじょうぶじゃない』

 

 七十二ポイント、つまり最大の文字サイズで、そう打ち出されていた。

 千華子は思わず、テーブルの上についていた手を、そのまま折り曲げそうになった。

「ナ、ナツ~」

 最大の文字サイズで打ち出された文字は、ご丁寧にゴシック体でもあった。いったい誰がナツにこんな細かいテクニックを教えているのか、と千華子は正直突っ込みたくなる。

 だが、千華子が、がっくりとしている間にも、ビシバシと厳しい視線が飛んでくる。

 千華子には見えないが、どうやらナツはテーブルの上に座り込み、上目遣いで千華子を睨んでいるらしい。

 千華子は、ため息を吐いた。幼い子どもながら、ナツは頭が回る。

 多分、今までのように「大丈夫よ」と言っても納得しないだろう。

「正直……ショックだよ」

 だから、素直にそう答えた。

 どこまでナツが理解できるかわからなかったが、柚木と同じように、千華子は正直に自分の気持ちを伝える。

「実感は全然ないんだけど……どうしてなんだろうって、思うよ」

 

『おねえちゃんをいしめたのに』


 カチャカャという音がして、ワードの画面に、そんな文字が打ち出された。

 どうやら、「お姉ちゃんをいじめたのに」と言いたいらしい。

「いじめたって言うか……。じゅえるさんのことは、きっかけ。結局、私が『適応障害』になったのは、じゅえるさんのお母さんに上手に対応できなくて、そうしているうちに、クラスまで荒れていったんだよ。まあ、そうこうしているうちに、保護者の人達も騒ぎ出してね、最終的に管理職に『教師失格』って言われてしまったのよ。教育センターに研修に行かされそうになったりしたから、おかしくなっちゃったわけで」

 ナツがどこまで理解できるのかわからないが、千華子は、簡単ではあるものの、真実を正直に話してみた。

 もちろん、事実はそんな単純なものではない。

 だが、よけいなことを省くと、結局はそういうことなのだ。


『おこってないの』


「怒るとか、そういう問題じゃないのよね。何て言うか……あの出来事全てが、試練と言うか」

 ナツの打ち出した文字を見ながら、千華子はそう答えた。

 あの頃。

 千華子の周りは、「敵」ばかりだった。

 事あるごとに学校に来る、新見じゅえるの母親。

 落ち着かない子ども達。騒ぎ立てる保護者。

 責めることしかしない、管理職。そして、理解のない両親。

 あの状況を抜け出すために、千華子は自分の持てる力を全て払った。

 力を貯めるために静養しながら、どうすればこの状況を脱出できるのか、考えて行動した。

 その中で田村に出会い、真紀に出会い、他にも、カウンセリングをしてくれたカウンセラーや、公務労災申請をしてくれた弁護士とも出会うことができた。

 それは、「お金」というものを媒介にした関係でもあったが、それでも、それ以上のことをしてもらった、と千華子は思っている。

 それに、幼馴染の友人達や、心配をしてくれた大学時代の友人達の存在もあった。

 死ぬかと思っていたし、衝撃的に死にたいと思った時もあったが、千華子は今、生きている。

 教員という仕事は、確かに失った。

 でも、あの時の状況からは脱することはできたのだ。

 過去を全て許し、忘れたというわけではない。

 あの頃のことは、今でも胸の中に「痛み」として残っている。

 ただ、あの頃に感じていた、憎しみや絶望といったものは、今では遠い感情(もの)になっているのだ。

「それに、やっぱりショックだよ。自分より小さい子どもが死ぬってことだけでもショックなのに、それが自分の教え子なら、なおさら」


『おねえちゃんは』


 パソコンの画面に、そう打ち出された後、しばらく、「は」の最後で、カーソルは点滅したままだった。

「ナツ?」

 千華子はけげんに思い、そう声をかけた。


『どうなってほしかったの』


 そんな千華子に答えるように、パソコンの画面に文字が打ち出される。

「それは、新見じゅえるさんがどうなって欲しかったかってこと?」


『うん』


 千華子が問いかけると、今度はすぐに文字が打ち出された。

「幸せに、なって欲しかったよ」

 だから、千華子は答えた。正直に。

 それは、掛け値なしの本音だった。


―助けて。先生、助けて!

 夢の中で、そう呼ばれた。「先生」と呼ばれるのも、久しぶりだった。

―誰?

 呼びかけると、それは鮮明な「人の形」になった。

―先生、私を助けて!

 セーラ服姿の女の子が、自分の前に現れる。

 その女の子は、涙を流し、自分にすがりつくように手を伸ばしていた。

 制服を着ているということは、中学生か高校生ぐらいだろうか。

 だが自分には、その子が誰なのかわからなかった。

―誰?

 だから、もう一度そう問いかけた。しかしその瞬間、

―何で、わからないの!?

 女の子の顔が、鬼のような形相になった。

―図々しさもここまで来ると、見苦しいの一言じゃな。

 と、その時だった。

 一本の刀の刃先が、女の子に突きつけられた。

―『サイ』……!

 女の子に刀を向けている者は、忍者の格好をしていた。

 その者の名を、自分は何も考えず呟く。

―己のために、切り捨てた者に助けを求めるとは、笑止じゃな。ここまで図々しいと、やはり人は醜くなるものじゃ。

 毒々しいまでに言葉を吐く「サイ」を、自分は止めようと思った。

―止め立ては無用! 姫がどれだけこの者を哀れに思おうが、我らには関係のないことなのでなっ!

 だが、強い口調で、「サイ」は言った。

―そう。全ては、この者が選択した果ての出来事。その果てに選んだ結果。ゆえに、あなたが気に病む必要はない。

 そして、「サイ」の隣に立っていた、平安時代の貴族の格好をした男が言う。

 その男には、見覚えがあった。

―セイ……?

―思い出して下さって、恐悦至極……と申したいが、戻られよ。

 だが次の瞬間。

「セイ」がそう言って、袖を大きく振った。


 がばっという音がした。

 その音を聞いて、うさぎをなでていた自分は、立ち上がった。

「何……?」

 音がした方を見ると、眠っていたはずの「おねえちゃん」が、起きていた。はあはあと大きい息をしている。

―戻ったか。

 それを見て、「にんじゃ」の人がそう言った。

―私がおるのじゃ。当然のこと。

 そして、自分の隣には、「ひな人形」の人が、立っていた。

 さっきまではいなかったのに、いきなり現れたみたいだった。

―しかし、「夢」に入り込んでくるとはな……。やはり、千の姫が原因か?

 その「ひな人形」の人に、自分には「へんなかっこう」にしか見えない姿をした、「おじさん」が言う。

―蛟。

―あいかわらず、甘いようだ。我らが守護する者は。

―しかし、それゆえに救われた者もおる。私のように。

 だが、「おじさん」に、今度は「みはる」がそう言った。

―そなたは、直接千の姫に何かをしたわけではない。だが、あの者は違う! あの者があの方にしたことを、忘れたとは言わせん!!

 それに対して、「にんじゃ」の人が大きな声で怒鳴る。

 びくっと、自分はその怒鳴り声に体を震えさせた。

―落ち着け、サイ。子がおるのじゃぞ。

 そんな「にんじゃ」の人に、「ひな人形」の人が言った。

「夢……?」

 そんな中、ふいに、「おねえちゃん」の声が聞こえる。自分は、そのまま、「おねえちゃん」の方に行った。

 それと一緒に、「おねえちゃん」の近くに自分が使っているパソコンが出て(・・)きた(・・)。

「ナツ……?」

 それを見て、「おねえちゃん」が自分の名をよぶ。

 さっきまでテレビのテーブルの上にあったパソコンが、どうしてそうなるかはわからないけれど、「おねえちゃん」の部屋の中だけだったら、パソコンとか携帯を「もっていく」ことができるみたいだった。

―たいじょうぶ

 そして、自分用のパソコンには「繋がる」ことはしなくて、そのまま、ひらがなが書いてあるボタンを押した。

 そうすると、「たいじょうぶ」と、パソコンの文字が見える場所に出てくる。

「うん……。ちょっと、変な夢見ちゃったみたい」

 それを見て、「おねえちゃん」はそう言った。

 「おねえちゃん」が言う、「へんなユメ」とは、さっきまで、おねえちゃんの「夢の中」に女の人が来て(・・)いた(・・)ことだ。

 自分は目を閉じて、冷蔵庫の中にあるはずの麦茶と、台所の棚に置いてあるはずのコップを、「おねえちゃん」の枕元に持って(・・・)くる。

 そうすると、「おねえちゃん」の枕元に、お茶が入ったボトルと、コップが出て(・・)きた(・・)。

「飲めってこと?」

 そして、「おねえちゃん」がそう聞いてくるのを、コップを動かすことで返事をした。

 こんっと、麦茶が入っていないコップは、いつもと違う音がする。

「ありがとう」

 「おねえちゃん」は、自分にお礼を言うと、コポコポと麦茶をコップに入れて、ごくごくと飲んだ。

 それをじっと見ていると、

「ありがとう、ナツ。もう大丈夫だよ」

「おねえちゃん」はまるで自分が見えているかのように、言った。

 自分達を「見えなく」されているのに、まるで見えているようにしている「おねえちゃん」は、本当に不思議だった。

―おねえちゃん。

 今度は、声に出した。

 そうしたら、パソコンの画面に、そのまま文字が打ち出される。

「何? ナツ」

 空になったコップを片手に、「おねえちゃん」は、そう聞き返してくる。

―こわいゆめみたの。

「それが、忘れちゃった」

 そして、自分の質問にそう笑いながら答えてくれた。

―わすれたの。

「うん。何だか変な夢ってことだけは覚えているんだけどね」

 「おねえちゃん」はそう言うと、ベットから降りて、テーブルの上にコップと麦茶が入った入れ物をテーブルの上に置いた。

―記憶は、「消した」のか。

 それを見て、「おじさん」が言った。

―そんなことをしなくても、たいていの人間はそう。生きている人間に、そんな記憶は必要ないから。

 そして「ひめおねえちゃん」が歌うように言った。

―姫は、何をお考えです?

 そんな「ひめおねえちゃん」に、「おじさん」が聞く。

「ナツ」

 と、その時だった。「おねえちゃん」が自分の名前をよんだ。

「私、もう寝るから。心配かけてごめんね」

―うん。

 パソコンのボタンを押して、自分は「おねえちゃん」に返事をした。

「おやすみ」

 「おねえちゃん」はそう言うと、おふとんに入って、すぐに寝てしまった。

―あいかわらず、情が深い方だ。何故に御自分の仇となった者に心を寄せることができるのか。それ故に、あの者が図々しくも「夢」を通して来訪しておると言うのに。

 そんな「おねえちゃん」を見て、「おじさん」が怒ったように言った。

―いつまで、あの者の来訪を許すおつもりですか?

 そして、「みはる」は「ひめおねえちゃん」に聞く。

 だけど、「ひめおねえちゃん」は何も言わなかった。

 黙って、眠っている「おねえちゃん」を見ていた。


 新見じゅえるは、発達障害の中でも、学習障害を持っている子だった。

 もちろん千華子はプロではないので、本当のところはわからない。

 だがあきらかにーその「特徴」は持ち合わせていた。

 しかし、やっかいだったのは新見じゅえるではなく、その母親だった。

 娘に「宝石」と意味する名を付けた母親は、その名の通り、娘が宝石のごとく輝くことを望んでいた。

 しかし、現実はそうではなかった。

 宝石のごとく輝くどころか、「普通」のレベルさえ―勉強も、運動も―達しない子だった。

 その事実を、新見じゅえるの母親は、決して認めようとはしなかった。

 新見じゅえるは、確かに勉強も運動もできる子ではなかった。

 それに、自分に自信がないせいか、人とも上手に付き合えず、クラスからは浮いた存在だった。

 だけど。そう―だけど。

 笑顔が、とても可愛い子だった。

 母親の期待に答えようとして、すごく頑張っている子だった。

 一生懸命―生きている子だった。


  重い気分で、千華子は自転車を降りた。

 昨日何台ものパトカーが留まり、物々しい雰囲気だったバイト先の駐車場も、今はお客の車が留まっていて、通常の姿に戻っている。

 ただ、千華子はテレビ局の取材も来ているかもしれない、とは思っていたが、そんな様子は見られなかった。

 それを確認して、千華子は、少しだけ気分が軽くなったことを感じた。

 マスコミの厄介さは、公務労災申請が認定された時に実感している。

 県で初の生きて(・・・)いる(・・)教師が認定されたということで、それなりに注目されてしまったのだ。

 その時は既にこの街に住んでいたのだが、実家にも取材の電話が来たらしいし、誰かから聞き出したのか、携帯にまで電話があったのだ。

 千華子は、携帯に電話があった時点で速攻弁護士に相談をして、対処をしてもらったのだ。

 それ以前に、田村にはこれから先のことを相談した時、「何かあったら、プロに任せなさい。自分で何でもやろうとしたらダメ」とアドバイスをもらっていたのだ。

 実際、早々に弁護士は千華子の代理人としいて千華子のコメントを短めに発表して、事を収めてくれた。

 その後は、マスコミの取材も見事にシャットアウトできるようにしてくれたので、千華子の周辺が騒がしかったのは、ほんのしばらくの間だけだった。

 それでも、柳瀬や柚木にも迷惑をかけたのだろうな、と千華子は思う。

 もう二年も前のことだし、ほんの一時のことではあったので、あちら(マスコミ)は千華子のことなど覚えてもいないだろう。

 だがあれ以来、千華子は「マスコミ」というものには、警戒するようになってしまっていた。

 そこまで考えて、千華子はため息を吐いた。

  どれだけ、新見じゅえるが死んだことに衝撃を受けても、かあくんの時と同じで、結局は、自分のことが先に来る。

 タロットの「正義」も、オラクルカードの「マート」も、そんな千華子に、「自分の器以上のことはするな」と言っているかもしれなかった。

 暗い気持ちのまま、自動ドアの方に行くと、ちょうど出入り口の近くで、花束を持っている店長が立っていることに、千華子は気付いた。

「店長?」

 違和感ありまくりのその光景に、千華子は目を見開く。

「あ、瓜生さん」

 マーガレットらしき白い花を抱えたまま、千華子に気付いた店長が振り向く。

「ちょうど良かった。手伝ってくれない?」

「はい?」

「祭壇―お花を供える場所を作るんだよ」

 だが、言われた言葉は、重いものだった。

「昨日、現場検証があったでしょ? それで、お店の前にお花が幾つかあってね」

 咄嗟に言葉が出なかった千華子に、店長はそう説明した。

「本格的な物を作ったら、それはそれで問題だけど、まあ、花を供える場所ぐらい簡単に作ってもいいからってことだったから」

「そうですか……」

 多分、本部が世間―特にマスコミ―に対して、色々考えた対策の一つなのだろう。

 供えられた花束をそのまま放置しておけば外聞が悪いし、あまり大々的に祭壇を設置すれば、今度は「やり過ぎだ」という声が出るに違いない。

「やっかいだけど、仕方ないよね」

 千華子が何とも言えず頷いたのを見て、店長はそう言った。

 やっかい―それは、まぎれもなく店長の本音だろう。

 昨日の現場検証はいきなり行なわれ、騒ぎを聞きつけた誰かが、この事件と結び付けて、花を供えたに違いない。

 凶悪な事件の後にある、よく見る光景だ。

 だが、実際に「その場所」に関わる者達には、「よく見る光景」ではすまされないのだ。

 店長が、死んだ男の子―かあくんを助けようとしたことは、嘘ではない。

 だがやはり人間(ひと)は、自分のことが先に来るのだ。

 そう、千華子と同じで。

「着替えて来てからでいいですか?」

 とりあえず、千華子は無難な言葉(こと)を言った。

「あ、そうだね。じゃあ、急いでお願い」

「わかりました」

 千華子は店長の言葉に頷くと、素早く店に入って、事務所から更衣室へと向った。

「あら、瓜生さん」

 ドアを開けて中に入ると、ちょうどパートの女性が、身支度をしているところだった。

「西さん、しばらくお休みするんじゃなかったんですか?」

 「かあくん」を助けるために、いち早く千華子に氷が入ったバケツを渡してくれたパートの女性が、この西だった。

 そして彼女は、あの出来事があった次の日から、長期の休みに入ることになっていて、店長が代わりにシフトに入っていたのだ。

「そうなのよ。息子が夏休みの間は休むつもりだったのだけど、店長に拝み倒されてね~」

「店長が?」

 千華子は、ロッカーの鍵を開けながら、そう聞き返す。

「あ、瓜生さん知らなかった? 相田さん、辞めたんですって」

「えっ?」

 だがその瞬間、制服を取り出す手が止まった。

「相田さんが?」

 そうして、西の方を見て、そう問い返す。

「そ。電話で昨日、いきなりですって」

「そうですか……」

 西に言葉を返しながら、千華子は最後に会った時の、相田を思い出した。

 あの、相田から分かれるようにして、浮かんでいた顔。怨念の表情をしていた顔。

 あれが相田の生霊だと言うならば、何故、あのような感情を抱えていたのだろうか。

「本当に非常識よね。まあ、店長は新しいバイトをすぐ入れるって言っていたけど」

 だが西の言葉で、はっと我に返る。

「何かあったのかもしれませんね」

 制服を広げながら、千華子は言った。

「まあ、そうかもしれないけど、こっちはたまったもんじゃないわよ。旦那の親に頭下げてさ、子どもの世話頼んで、義母に嫌味言われながらの出勤よ。『何で子どもがいるのに、働きに出るの』てさ。でもさあ、子どもには、これからお金がかかるのよ。旦那の稼ぎだけじゃ足りないっての。まったく、嫌になるわ」

「それ、そのまま言ったらどうですか?」

「もちろん、言ったわよ。『旦那の稼ぎじゃやっていけないんで』ってね」

 西を見ていると、「母は強し」と言う言葉を思い出す。

 西は小学生の子どもがおり、家も夫の実家の近くに住んでいる。

 日々大変そうだが、それでもパートに出て、義理の両親とも渡り合い、子どもを育てている。その逞しさには、千華子も救われていることが多い。

「おっと、いけない。先に行っているわね」

 ふくよかな身体を翻して、西は千華子に手を振り、更衣室を出て行く。

 それを笑って見送った後、千華子は制服を着ながら、相田のことを思った。

 相田に何があったのかは、わからない。

 ただ、あの「感情」は、決して相田を幸せにはしないだろう。

 そのことだけは、確かなことだった。

 だが千華子は、そう思う一方で。どこか安心している自分がいることも、感じていた。

 あの感情から向けられる悪意は、千華子にとっても決して気持ちの良いものではなかった。

 正直、気持ち悪いとすら思っていた。

 それを向けられることもなくなったから、気が軽くなったのは、事実だった。

 千華子とて、聖人ではない。

 自分の身が一番かわいいのは、誤魔化しようがなかった。

 軽くため息を吐きながら、千華子は準備を済ませると、急いで店の入口へと戻った。

「じゃあ、お願いしていい?」

 千華子が店長に駆け寄ると、開口一番、店長はそう言った。

 もうすぐお昼で、お客が増える時間帯なのだ。

 店長としても、店に戻りたいのだろう。

「わかりました」

 そう考えた千華子は、店長の言葉に頷く。

 祭壇を作ると言っても、バケツに花を生けるぐらいだ。

 ただ、バケツを置く場は、考えなくてはならなかった。

 あまり店からは離れていなくて、しかしあまり目立たなく、自動ドアの開閉や、道路や駐車場を通る車にも、邪魔にならない場所でなくてはならない。

 千華子は周囲をぐるっと見回し、ふと、裏の出入り口付近はどうだろうか、と思い付いた。

 裏の出入り口付近は、仕入れのトラックが止まる場所なので、客の車は止められない。

 しかも、表通りの国道ではなく、細い路地に面しているので、あまり目立たない。

 さらに言えば、車で店の駐車場に出入りする時に必ず通り過ぎる場所なので、「ああ、この店はわざわざ祭壇を作っているんだな」ぐらいは、客に認識されそうだった。

 千華子は近くにあったバケツに、店長から渡された花を入れると、それを持って裏の出入り口へと移動した。

 夏の日差しは強く、ちょっと歩いただけでも汗が出てくる。

 千華子はバケツを裏の出入り口近くに置くと、流れ出る額の汗を、腕で拭った。

「やっかいだな」

 そして、どの辺に置こうかと思った時だった。

 まるで、今の千華子の気持ちを代弁するかのように、男の声が聞こえた。

 はっとなって、千華子が声をした方を見ると、スーツを着た、千華子より少しだけ若そうな男が一人、立っていた。

「まったく、自己陶酔の塊だな。この花束は」

 葬式の帰りなのだろうか。

 真っ黒なスーツの上着を、肩越しに持っていた男は、千華子のすぐ足元にある、バケツを見ながら言った。

「そう思わないか?」

「えっ?」

 そうして顔を挙げ、千華子に同意を求めるように言葉を続ける。

「だって、そうだろう? ここに花を供えた奴らは、殺された子ども(ガキ)が生きていた頃は、絶対に係わろうとしなかったぜ。だが、報道されたとたん、手の平を返したように、花を供えだす。まあ、実際に関わるのと違って、花を持ってくるだけだからな。簡単なものさ。そして、それで満足する。『自分はいいヤツだ』ってな」

「……」

「そのくせ、自分の『善意』がちゃんと扱われないと、怒るからな。花をそのまんま放置したら、絶対文句言ってくるよな。『せっかく供えたのに』ってさ」

 千華子は、呆然となって男を見た。

「あんたも、災難だな」

「仕事ですから」

 だが男が同意を求めてきた瞬間、千華子はそう答えていた。

「えっ?」

「仕事である以上、やることはやります。お客様の感情と、そのことは、また別です」

 眉根を寄せる男に反論させないように、千華子は言葉を続けた。

 確かに、男の言うとおりなのかもしれなかった。

 花を供えた人達の中には、自己満足で店の前に花を置いていったのかもしれない。

 だが、それを理由に、供えられた花束を放置しておくのは、論外だ

 。はっきり言って、「大人」の態度ではない。

「ホンネとタテマエってヤツ?」

 そんな千華子に、どこか挑発するように男が言った。

「あなたは、そうじゃないんですか?」

 だが千華子は、逆にそう問いかけた。

 その瞬間。

 男の目に、鋭い「何か」が走ったような気がした。

 しかし、千華子がえっ?と思い、目を凝らした時、男は踵を返して駐車場の方へと歩いて行ってしまった。

「……」

 千華子はしばらく呆気にとられていたが、やがて軽くため息を付くと、バケツの花に視線を戻した。

 とりあえず、バケツをきちんと決めた場所に置こうと思ったのだ。へんな男に絡まれてしまったが、千華子が今やるべき仕事は、それなのだ。

 そう考え、バケツに生けた花に手を伸ばした時だった。

 ブルブルと、ジーンズのポケットに入れた携帯が震えた。

 仕事中なので出るかどうか迷ったが、店長からのメールか何かもしれないと思い、千華子はポケットから携帯を取り出した。


『おかおがない』


 だが、開いた携帯の画面には、そんな文字が打ち出されていた。

「ナツ……?」

 思わず、千華子はナツの名を呼ぶ。

「顔がないって……さっきの人?」

 チリンと、まるで返事をするかのように、携帯ストラップの鈴が鳴った。

 千華子は思わず、駐車場を振り返って見る。

だが、さっきの男の姿は見当たらなかった。

 仕事(バイト)をしている以上、携帯を片手に余所見をしているのは、あまり外聞的にも良くないから、それ以上探すことはできない。

 千華子は携帯をポケットにしまいながら、ナツの言葉の意味を考えた。

 「おかおがない」とナツは打ち出してきたが、人間には―動物には、例外的なものを除いて、顔がある。

 特に人間は、()が(・)ない(・・)もの(・・)は(・)生きて(・・・)いない(・・・)。

 当然、さっきの男にも顔はあった。

 だが、ナツはその顔がない、と言うのだ。

 幽霊のナツに、顔が「見えない」男。

 あの男は、何者なのか。

 バケツの花を見苦しくないように整えながらも、千華子はその事実を考えた。

 だが、霊感もなく、霊のことにもくわしくない千華子にわかりようがない。

「瓜生さん、レジに入ってもらえますか?」

 そして行き詰まった考えは、ふいに入り込んできた熊谷の声で、断ち切られた。

「わかりました」

 千華子はそれに頷きながら、バケツの花達から離れた。

 とにかく、これ以上のことはわからないのだ。

 ならば、後でナツに聞くしかない。とにかく今は、バイトに集中しようと思いなおし、千華子は店の方に足を向けた。


 だが、ナツはやはり幼児(こども)だった。鋭い指摘をしたり、千華子の言葉に誤魔化されない賢さを持ってはいるが、「大人」ではない。


『おかおがない』


 案の定、周りを気にしながらも、「今日の昼間の人って、顔の部分は、どんな風に見えたの?」と千華子は聞いてみたが、返って来た言葉は、昼間と全く同じものだった。

 携帯を片手に、千華子はファーストフードの席で、ばったんと身体を椅子に寄りかからせる。

 まあ、予想はしていたのだ。

 多分、そうなるだろうなあとは思っていたし、期待は全くしていなかった。

 ただそうなると、どうしてナツには「顔がない」ように見える男が、自分に声をかけてきたのか、それがわからなくなる。

 単なる偶然、と言えばそれまでかもしれない。

 だが、そんなに「偶然」と言うものは、続くものなのだろうか。

「なあに、唸っているの?」

 と、その時だった。

 あきれたような口調で、話しかけられた。

「柚さん」

 千華子が体を起こすと、コーヒーをトレーに載せた柚木が、けげんそうな表情で、千華子を見下ろしていた。

「何か、あやしい人になっているわよ?」

 柚木は、椅子に座りながら千華子に言った。

 バイトが終わった後、昨日の電話で約束した通り、千華子は前回と同じ、県で一番大きい駅にある、ファーストフード店で柚木と待ち合わせをしていた。

 駅近くのホテルに泊まっていると言う柚木は、午後九時という遅い待ち合わせ時刻にも関わらず、時間通りに現れた。

 千華子のバイト終了時刻が夜の七時なので、どうしてもこんな時刻になってしまうのだ。

「すいません……」

 そんなわけで、バイトが終わった後、柚木と待ち合わせ時間を間に合うようにバタバタしていた千華子は、昼間の男について聞く時間があまりなく、早めに待ち合わせの場所に着いたので、少しナツに聞いてみたのだった。

 だが、「子ども」のナツには、「昼間のお顔が見えなかった人は、どんな風に見えた?」と尋ねてみても、「おかおがない」としか返って来なかったのだ。

「ところで千華ちゃん、いきなりで申し訳ないんだけど、今日泊まらない?」

 だが、柚木は座ってすぐにそんなことを言い出し、千華子は飲んでいたコーヒーを、噴出しそうになった。

「ゆ、柚さん?」

 相変わらず、思ってもいないことを突然言い出す人である。

「ゆっくり話ししたいけど、こんなところじゃ、周りに人目もあるしね。閉店時間も気にしなきゃいけないし」

 柚木はそう言葉を続けるが、千華子は、全然そんな気はなかった。

 今日の仕事(レイキ)は、柚木と約束していたこともあるから、午前中に全て済ませてきたが、明日は明日で、バイトも仕事も入っている。

 千華子はめったにやらないが、レイキは先に「時間設定」をして送ることもできるのだ。 

 いつもなら、クライアントが指定した時間にリアルで送るようにしていたが、今日は午前中に、全てのレイキを「時間設定」して送ったのだ。

 その時に感じたことは、もうメールに書いてあり、それもフリーメールの「下書き」に保存してあるので、明日にでも送るつもりだった。

「柚さん、それは……」

「いきなりで、ごめん。でも、そうでもしないと、ゆっくり話せそうにないのよ」

 だが千華子が言葉を続けるよりも先に、柚木がそう言った。

 それは、新見じゅえるのことであることを、千華子は言われなくても理解した。

「あ、宿泊(ホテル)のお金とかは気にしないで! 着替えとかも全部用意してあるし」

「え、それは柚さんっ」

「いきなりな私が悪いの。気にしないでくれた方が、私も気楽なのよ」

 コーヒーを飲みながら柚木に言われ、千華子は何も言えなくなる。

 実際、新見じゅえるのことは、千華子も知りたいのだ。

 何故、彼女は死んだのか。

 携帯で話したこと以外で、もし柚木が知っていることがあれば、聞いておきたかった。

「わかりました」

 やがて、千華子は柚木の言葉に頷いた。

 遠慮していても、仕方がない。

 このまま遠慮して帰っても、柚木が何を話したかったか気になるだけなのだ。

「それじゃあ、その前に御飯を食べに行こうか」

 千華子が頷くのを見ると、柚木はそう言って、席から立ち上がった。

「もうですか!?」

 さっき席に着いたばかりと言うのに、その速さには千華子も思わず声を上げてしまう。

「ここで食べるわけじゃあないでしょ? だったら、早く行きましょ」

 相変わらずの、即断即決であった。

 それは、いつもの柚木の姿で。

 だから、千華子は、何の違和感も抱かなかった。


 柚木が泊まっているのは、駅から歩いて五分のシティホテルだった。

 ただ駅からは近いものの、大通りから一歩、路地裏に入ったところにあった。

「こんなところに、ホテルがあったんですねえ」

「そうなのよ。けっこう、お洒落な感じでしょ~」

 感心するように言った千華子の隣で、真っ赤な顔をした柚木が頷く。

「柚さん、大丈夫ですか?」

 晩御飯の時からお酒を飲んでいた彼女は、少し飲みすぎたらしく、立っているのもやっとと言う感じだった。

「大丈夫、大丈夫~」

 笑いながら柚木は答えるが、酔っ払いの言うことは、当てにならない。

 千華子は、今日はもう詳しい話は無理だな、と思った。

 幸い、千華子のバイトは午後からだから、明日の朝に話はできるかもしれない。

 千華子は軽くため息を吐くと、

「しっかりしてください、柚さん」

 そう言って、柚木の身体を支えて歩き出した。

 そのまま、ホテルの入口へと向かう。

 ―チリン。

 と、その時だった。

 肩にかけたバックの中から、鈴の音が聞こえたような気がした。

「―ナツ?」

 その瞬間。どうして、ナツの名を呼んだのか。

 チリン。チリン。チリン。

 鞄にしまった携帯の、ストラップに付いた鈴が何かを知らせるように、鳴り続けている。

 それはまるで、千華子に警告を与えているかのようだった。

「何……?」

 千華子が、そう呟いた瞬間だった。

「あっあっあっ……!」

 身体を支えていた柚木が、苦しそうに呻き出した。

「柚さん!?」

 チリンチリンチリンチリンチリン

 鈴が、鞄の中で激しく鳴る。

「ああああああああ!」

 千華子の手を振り払うように、柚木は大きく叫んだ。

「柚さん、しっかりしてくださいっ」

 千華子は何が起こったかわからず、柚木の身体を支えようと、手を伸ばした。

「いやああああっ!」

 だが、柚木は絶叫し、千華子から離れようとする。

 チリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリンチリン。

 それと当時に、鈴の鳴る音が、激しさを増す。

「柚さん!」

「あっあっあっ……止めて、止めて、先生(・・)!」

―その瞬間。柚木が口にした言葉は。

 今の千華子に、その言葉で呼びかける人はいない。

 それどころか、柚木は教師をしていた頃から、千華子のことは「千華ちゃん」と呼んでいたのだ。

 チリンチリンチリンチリンチリンチリンチンチリンチリンチリンチリンチリンチリン

「お願い、先生! 止めさせて!!」

 鈴の音が苦しいのか、耳を両手で塞ぎながら柚木が叫ぶ。

「誰……?」

 だが、それは、柚木ではなかった。

 柚木ではない者が、柚木の中にいるのだ。

―鈴は、魔よけと申すが、こうも効くとはな。

 と、その時だった。

 千華子と柚木の間を遮るように、狩り衣姿の男が現れた。

―さすが、()の姫が案じて贈ったものだけはある。

 笑い声でそう言った狩り衣姿の男は、だが、生きている者ではなかった。

 その姿は見えるものの、その身体を通して、柚木の姿も見える(・・・)の(・)だ(・)。

「『セイ』……?」

 千華子は、知らずそう呟いていた。

 その男のことを、千華子は知らなかった。

 だが、それと同時に知って(・・・)いた(・・)。

 そう。

 千華子は、知らない。

 だが、千華子の本能は知っている。

 それが、自分を生まれた時から守護している者だと。

―当たり前たい。わしらが守護する者が送ったもんだけんね。こぎゃん白状なもんに、よう思いばかけらすばい。

―それは聞き捨てならぬぞ、ぬい殿!

―その言葉には、我も賛成じゃ。じゃが、今はそのような場合ではないぞ、サイ!

チリンチリンチリンチリンチリンチリンチンチリンチリンチリンチリンチリンチリン

「助けて。先生、私を助けて!」 

 その瞬間。

―。

白い爆発が、千華子の目の前で起こった。






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