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サイレント・ブルー  作者: kaku
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2 邂逅(かいこう)

「はあ、なるほどね」

 案の定と言うか、住宅街のど真ん中にある交番で、対応してくれた警察官は、何とも言えない表情になって言った。

 何でこんなことを、交番(ここ)にもってくるんだ?と言いたそうだ。

 だが千華子にしてみれば、警察署まで行くのは、手間がかかりすぎるのだ。

 わざわざ警察署まで行って、あらぬ疑いをかけられるのも面倒だった。

 己の良心に反さず、しかし手間をかけぬようにするには、マンション近くにあるこの交番に行くのが一番だった。

「しかしこれ、本当なんですか?」

 三十代とおぼしき警察官は、千華子が差し出した、プリントアウトした紙に視線を落としつつ聞く。

「子どもを専門にした、殺人代行サイトって」

「本当にやっているかはわからないですけど、サイトはありました」

「う~ん」

 考え込むように、警察官は唸る。

「冗談じゃなくて?」

「私も、そう思いたいです」

 本気で、千華子はそう言った。

 こんなタチの悪いサイト(もの)、冗談であって欲しいと。

「とりあえず、調書をとりましょう」

 そう言って、ガタっと椅子から立ち上がる警察官を見ながら、本気にしていないな、と感じた。

 だが、調書はとってくれるのだ。

 それだけでも、来たかいはあるだろう。

 どこまで本気にされているのかは、わからないが。

「ここに住所を書いてください」

 そう言われて、千華子は言われた通り、渡された用紙に自分の名前と、住んでいるマンションの住所を記入した。

 まちがいがないかを確認した後、警察官に紙を返す。

「どうして、このサイトを見つけたんですか?」

それを受け取りながら、警察官は聞いた。

「もしかしてお子さんがいらっしゃいますか?」

「残念ながら、独身です」

 第一発見者を疑えとは、捜査の基本ではあるだろうが、残念ながら、見当違いだった。

 あのサイトを見つけたのは、本当に偶然だったのだ。

「仕事をしている時に、見つけたんです」

「……お仕事中に?」

 どんな仕事をしているんだ、という表情で、警察官は千華子を見た。

「はい。私、レイキヒーラーをしていますから、ネットで営業しているんです」

 そう素直に言って、千華子はしまった、と思った。

「れいき……ひぃらあ?」

案の定、警察官は、けげんそうな表情で、顔を歪めている。そ

 れこそ、いかにもうんくさげな物を見ました、という表情だ。

 レイキとは正確には、「霊氣」と書き、発祥は日本である。

十九世紀に日本人牧師の薄井(うすい)甕男(みかお)氏が、今現在世界中に広まっている「レイキヒーリング」の原型となるヒーリングの方法を確立し、その後世界中に広がった。

 薄井氏の死後、その弟子の一人であった林忠次郎氏からハワイ在住の日系人、高田ハワヨ氏へと伝わったものが主とされているが、若干の別ルートから伝わったものもあることが判明している。

 現在は、世界中で五百万人以上の人達がレイキの使い手であり、イギリス、ドイツなどでは他の代替療法とともにレイキが保険適用されている。

 だがここ日本では、この数年で知られるようになってはいるものの、はっきり言って、メジャーなヒーリング方法ではない。

 ごく普通に生活していれば、知る機会など、ほとんどない類のものだ。

 千華子のように、ネットでレイキヒーラーの仕事をしている人も多いが、はっきり言って、知る人ぞ知る、レベルであることは否めない。

「何ですか、それは。……占いですか?」

 もう百パーセント疑っています、という視線を、警察官は千華子に向けた。

 そう言えば、数年前に、警察の幹部が「あなたにパワーを送ります」と言う女性の、団体かなんだかの役員に名を連ね、問題になったことがあったことを、千華子は思い出した。

 あの頃は違う仕事をしていたから他人ごとのように思っていたが、この手の仕事は兎角詐欺に使われやすいので、誤解されやすい。

 よって、そういう事件が起きるたびに、苦い思いを今ではしていた。

 だが、この仕事を始めて早二年半。

 一応、それなりに場数も踏んできたし、それなりの対処方も覚えた。

 もう一つの仕事場では、「お仕事何しているの?」と聞かれることはないから、なおさらだ。

「サイトの更新をしていた時に、どういうわけか、そこのサイトに繋がったみたいです」

「それもまた、不思議ですね」

 どこか疑わしげに聞かれたが、

「そうですね」

と、千華子は素直に頷いた。

 いくら疑われても、事実だ。

 千華子が自分のホームページを更新していた時に、ダブルクリックもしていないのに、いきなりあの画面へと切り変わったのだ。

「正直、気持ち悪かったんですけど、そのまま、見なかったことにもできなくて」

「なるほど」

 嘆息するように、警察官は言った。

「とりあえず、署には報告しておきます」

「よろしくお願いします」

 千華子は、ぺこりと頭を下げた。そうして、椅子から立ち上がる。

「あそうそう、念のため、そのサイトにはもう行かないようにしてくださいね」

 念を押すように、警察官は千華子に言った。

「言われなくても、もう行きたくないです。ヘタなホラー映画より、怖かったですから」

 それは、正直な気持ちだった。

 ジョークであれ、タチの悪いいたずらであれ、我が子を赤の他人に頼んでまで殺したいと思う人達が見るサイトなど、千華子はもう二度と行く気はなかった。

  



 交番の外へ出ると、カッと、太陽の光がゴシック体で書きたくなるほど、眩しかった。

 帽子をかぶり、マンションへの道を戻って行く。

 世間では夏休みだが、道に千華子以外、歩いている人間はいなかった。

 この暑さのせいもあるだろうが、最近は、あまり外で遊ぶ子どもの姿を、見ることがない。

 ここ数年、子どもを相手にした凶悪事件が立て続けに起こっており、親も、用心深くなってしまうのだろう。親ならば、当然の心理でもある。

 あの小学校で起こった痛ましい連続殺人事件の時、千華子はまだ学生だった。

 だが、それでも殺された子どもと、その親の気持ちを思うと、本当にいたたまれない気持ちだった。

 しかし、その後も子どもを犠牲にした、凶悪な事件は続いている。

 今では、「知らない人には挨拶しません」や「話しかけられたら、逃げましょう」ということを、学校で教えなければならないのだ。

 千華子の住むマンションは、独身者専用で、小学生や小さい幼児はいないが、それでも、時々は、近くの公園で遊んでいる姿を見かける。

 それに、前の仕事は、子どもを相手にしていた。だから、どうしても、子どもを相手に、「殺そう」と考える人の気持ちが、千華子にはわからないのだ。

 そしてそれ以上に、見も知らぬ他人に頼んでまで、実の子を殺そうと思う親の気持ちは、わからなかった。

「……何が、欲しいんだろう」

 実の子の死を引き換えにして。

 そこまで考えて、はっと我に返った。

 とりあえず、警察には届けたのだ。

 たとえ、交番であろうと、だ。

 ならば。

 後は、自分には何の関係もないことだ。

 と言うか、関わらない方がいい。

 そう、千華子は思った。

 考え事をしているうちに、いつのまにか、マンションの前に戻っていたらしい。

 気がつくと、昇降口の前まで来ていた。

 とにかく、とそこで千華子は意識を切り変えた。

午前中に、済ませなければならないことは、たくさんある。

 まずは、部屋の掃除。

 レイキヒーラーという、言わば人をヒーリングする仕事に就いている以上、自身の浄化はとても大切なことだった。

 だから、千華子は毎日自分の部屋を掃除して、自分自身にもレイキをかけ、自己ヒーリングをしていた。

 また、それが済んだ後は、メールの問い合わせに、返信をしないといけない。

 どういうわけか、最近はヒーリングの依頼が増えており、メールの返信と、スケジュールの調整に時間がかかるようになっていた。

 そうして、午後からは、バイトである。

 それが終ったら、深夜までまた仕事の時間となる。

 日のある時間帯でも薄暗い階段を上りながら、これからやるべきこと手順を、千華子は考えた。

 最上階の四階、端っこにある部屋が、千華子の部屋だった。

 どういうわけか、角部屋なのに、家賃が他の部屋より安いようだった。西日が当たるわけでもないし、日当たりが悪いわけでもないので、不思議だったが、まだまだレイキヒーラー一本で食べていけない身としては、ありがたいことではあった。

 ガチャガチャと鍵を開けて、部屋に入った。

 案の定、むわっとした熱気が流れてくる。

 千華子は急いで靴を脱ぐと、そのまま、部屋の窓へと直行した。

 からからと、1DKのベランダに沿ってある窓を、大きく開けとたんに、朝のまだ爽やかな風が、部屋の中に入ってきた。

 目隠し用のレースのカーテンが、風にあおられ、翻る。

 それをほっとした気分で見つめていると、遠くの方から、学校のチャイムの音が聞こえた。

キーンコーンカーンコーン

キーンコーンカーンコーン

 誰もが、必ず聞く音だ。

「学校」という場所に通っていれば、絶対に聞いていた音。

『先生にはわかりませんっ。私の気持ちなんて!』

 はっと、なった。

 そうして、ぶんぶんと首を振った。

 どうも、思考が暗くなっているようだ。

 前の仕事を辞めて、二年半。

 最近では、ほとんど思い出さなくなったと言うのに。

「掃除しますかね」

 気分を変えるように千華子は呟き、部屋の内に向き直った。

 そうしてふと、ノートパソコンを置いている、仕事用のデスクに視線を向けた。

 その時、パソコンの電源ランプが付いていることに気付いた。

 画面には何も映っていないが、待機画面になっているようだった。

「昨日、消し忘れたのかな?」

 そう呟きながら、千華子は仕事用のデスクに近づいた。

 電源ボタンに軽く触れると、黒い画面がぱっと切り替わり、起動画面になった。

 スタートボタンにカーソルを置き、終了画面に切り替えて、そのまま、千華子はパソコンの電源を切った。

 それからノートパソコンを閉じると、かぶっていた帽子を脱いで、パソコンの上に置いた。

「それでは、始めますか」

 そうして、部屋の掃除を、千華子は始めた。

 てきぱきと、部屋と台所、風呂場、トイレと、順番に掃除を終らせた。

 毎日掃除しているので、酷い汚れなどはない。

 細かい所は、バイトが休みに時にやっていた。

 一時間ほどで掃除を終らせると、千華子は、台所でアイスティーを入れて、仕事用のデスクの前に戻ってきた。

「あれ?」

 上に置いた帽子をどけて、パソコンを開くと、またしても、パソコンの電源ボタンが、点滅していることに、気付いた。

「……消したわよね?」

 思わず、確認するように呟いてしまう。

 確かに、終了画面を出して、電源を落としたはずだ。

 ねんのため、電源のボタンを軽く押してみる。

 そうすると、今度はワードの画面に切り替わった。

「ワード……?」

 今の千華子は、ワードは、めったに使わない。

 仕事上で使うことはあっても、レイキのテキストをまとめる時ぐらいだ。

 それとも、電源を落とす時に、まちがって押したのだろうか。

 千華子は、がしがしと頭をかいた。

 前の職場の同僚に、「男の人じゃないんだから」と、再三直すように指摘されたくせだ。

「ま、いっか」

 そうして、思い直したように、千華子は呟いた。

 この時、何故か周りの空気が動いたような気もしたが、それも気のせいだ、と思った。

 アイスティーをパソコンの横に置き、椅子に座ると、千華子はワードを閉じて、アウトルックを起動させた。

 今日来ているメールは、全部で十通あった。

 遠隔レイキヒーリングの問い合わせが二件。

 後は、遠隔レイキヒーリングの申し込みだった。

 レイキヒーリングは、遠くにいる人達にも、そのエネルギーを送ることができるのだ。

 本当かどうかは、千華子にもわからない。

 ただ千華子には、「送っている」という感覚はあった。

 その感覚をどう説明していいかはわからないが、千華子としては、手から「カメハメ派」が出ているような感じだった。

 それを前の職場の同僚に言ったら、「よけいにわからないっ」と叫ばれたのだが。

 まあ千華子にしてみれば、レイキもヒーリングの一つだった。

 マッサージや整体、鍼や灸などと同じように、人を癒し、リラックスさせるものだ。

 同業者の中には、まるでレイキを魔法のように、何でも叶える道具として宣伝している者もいるが、千華子は、「?」と思うのだ。

 レイキが使えるようになっただけで、レイキヒーリングを受けただけで、人生が魔法のように変えられるのならば、どうして同じように、人の「気」を感じる整体師や、鍼灸師では、そんな話が出ないのか。

 実際、千華子がレイキを習い、使えるようになったのは、まだ前職にいた、三年前のことだ。

 その頃の千華子は体を壊し、心も疲弊していた。

『向いているわよ、あなた。人を呪うより、こちらの方に、お金を使わない?』

 追いつめられた千華子が縋ったのは、呪い代行という手段だった。

 だが、依頼したサイトの呪い代行者は、そんな返事のメールを、千華子に送ってきた。

 それが縁となって、今の千華子がいるのだが、しかし、レイキヒーラーとして活動を始めたのは、その半年後だった。

 それも最初は、心の回復を図るための、行動療法みたいなものだった。

 当時通っていたカウンセリングのカウンセラーが、『レイキのホームページを、作りませんか?』と言ったのがきっかけだった。

 千華子自身は、レイキを使えるようにしたのは、あくまでも自分のためだった。

 だから、レイキを使って人をヒーリングする、という考えはあまりなかった。

 だがそのカウンセラーは、『あまり、難しく考えないで。ホームページを作る勉強だと思ってやってみましょう』と、千華子にそう奨めた。

 そしてこれまた、それがこうやって今現在に繋がっているわけである。

 結局、レイキヒーラーとして営業を開始すると同時に、前職を辞めたので、こうやって続けているわけなのだが。

 それでも、レイキを習い、使えるようになったからと言って、幸運な出来事が、次々と起こったわけではない。

 三年かけて、誠実に丁寧に続けて来たことが、今に繋がっているのだと、千華子は思っている。

 しかし、中には、そう思わないお客もいるのは事実だ。

 案の定、今日の問い合わせをして来たメールの送り主は、その手のお客だった。


『初めてメールを送ります。

 私は、今までタレント事務所に所属してきました。人一倍がんばってきましたが、現実は厳しいです。だから、これからのことを考えて、シフトチェンジすることにしました。私は将来、たくさんの人に注目されるようになりたいです。そのために、とりあえず「人に注目されて、お金も楽にたくさん稼げる」仕事を探したいと思います。 私は、何時頃、どのようにすれば、そんな仕事を探せますか?

 そして、レイキをどのくらい受け続ければ、そんな仕事を見つけられますか?』


「……」

 千華子は、がしがしと頭を掻いた。

 レイキは、「霊氣」とも書くせいか、時々、霊感のある人がやっている、と思い込んでいるお客がいた。

 そんな人達は、占いをやっていると思い込んだり、除霊をしてくれると思い込んだりして、こんなふうに問い合わせをしてくることがあった。

 そしてさらに、レイキを受けたらすべて上手く行く、と思い込んでいるお客もいた。

 やっかいなのは、このメールを送ってきた人物のように、その二つの思い込みをしたお客だった。

 今回は問い合わせだが、遠隔レイキヒーリングを申し込むお客の中にも、この手の者はいる。

 安易に引き受けたりすると、「思うような効果が出なかった」と言って、クレームを出したり、挙句の果てには、「PL法違反だ!」と消費者センターに通告したりするのだ。

 だから千華子は、こういったお客からの依頼は、絶対受けないようにしていた。


『お問い合わせをありがとうございます。

 当サイトは、ヒーリングサイトでございます。よって当サイトの目的は、レイキを利用して心身共にリラックスをすることです。

 お客様がお望みのような、就職の時期を占ったり、願望を成就するようなお手伝いをしたりすることはできません。

 せっかくのお問い合わせですが、そのような理由で、お力にはなれません。まことに申し訳ありませんが、ご了承ください。』

 

 メールにそう書いて、返信する。この三年間、何度も使ったテンプレートだ。

「やれやれ」

 千華子は、ため息を吐き、アイスティーの入ったグラスに手を伸ばした。

 たかだかレイキを何日か受けたぐらいで人生が激変するならば、自分の人生は、とうの昔に激変している。

 レイキはあくまでも健康法だ。

 ちょっと言い過ぎかもしれないが、健康のためにラジオ体操をする、という感覚と同じものだ。

 しかし、ラジオ体操をしても人生が激変するとは、誰も思わない。

 でも結局は、そういうことなのだ。

 ラジオ体操をした人は元気になり、仕事を沢山することができるようになるかもしれない。

 そうしたら、給料も上がるだろう。

 それと同じことが、レイキにも言えるのだ。

「さてっと……」

 グラスをパソコンの横に置くと、千華子は意識を切り替えた。

 デスクの横に置いているグリーンのバックを引き寄せて、ハローキティが表紙のスケジュール帳を取り出す。これに、遠隔レイキヒーリングのスケジュールを、書き込んでいるのだ。

 と、その時だった。

 携帯電話が、ころんと、バックの中から転がり落ちてきた。

「ありゃ」

 同じくバックに入れている千華子は椅子から立ち上がり、携帯を拾う。

 と、その時。

 携帯がチカチカと光っていることに気付いた。

 着信があったのかと、二つ折り型の携帯を、ぱかっと開けてみた。

「テキストメモ……?」

 だが、画面に映っていたのは、ステーショナリーのツールである、テキストメモの入力画面だった。

 しかし、千華子は、このテキストメモを起動させた覚えはなかった。

 携帯電話は、主にフリーメールのサイトに行く時に使うことが多く、次に電話、という千華子には、テキストメモなど使うことは、ほとんどない。

 さっきのワードの起動といい、何かしら、文章を書くツールが、起動しやすくなっている。

「……」

 千華子は、またしてもがしがしと頭を掻いた。

「ま、いっか」

 そうして、これもまたしてもそう呟き、バックの中に携帯を直してしまう。

 だが、その瞬間。

 千華子は何故か「おいっ」と突っ込まれているような気がした。

 しかし、気のせいだろうと思い、バックをデスクの横に戻すと、スケジュールの確認のために、パソコンに向き直った。


 千華子のバイト先は、ファーストフード店である。

 日本でも有数の―と言うか、世界でも有数のチェーン店を誇る店だ。

「世界中どこに行っても同じ味」なのが、売りなのだそうだ。

 確かにな、とテレビか雑誌でそのコメントを読んだ時、そう思った。

 なんせ、完璧なマニュアルがあるのだ。

 入ってきたばかりの頃は、それを見て作っていたのだが、勤め始めて早三年近く。

 今では、どのメニューでも、家で再現しろと言われたならば、似たような物を作ってしまえるぐらい、慣れてしまった。

 だが、仕事はハンバーガーやポテトを作るだけではない。

 レジの接客や、テーブルの片付け、トイレや床の掃除も、大切な仕事だ。

 こと、掃除となると千華子は燃える。

 なんせ、まだそれだけでは食べてはいけないが、本業はレイキヒーラーだ。

 掃除をすることは、自分を浄化することでもあるのだ。

 それは自分のバイト先であるこの店でも、変わりはない。

瓜生(うりゅう)さん、もう上がりでしょ?」

 入口近くのドアを拭いていると、同じバイト仲間の女性が、声をかけてきた。

「これ拭いたら、上がります」

 千華子は窓を拭いていた手を止めると、女性に顔を向けて言った。

「余分に働いても、給料は上がらないわよ」

「まあ、最後までやった方がいいですから」

 千華子はそう言うと、窓拭きを再開した。バイト仲間の女性が声をかけてきたのは、千華子が余分に働くことで、それがだんだんと店の習慣のようになることを、嫌うからだ。

 ようするに、余分に働いて当然、という雰囲気を作って欲しくないのだろう。

 女性は主婦みたいだが、あまり積極的には働きたくないらしい。生活がかかっていないと、そんなものなのかもしれなかった。

 しかし、この女性はどこからか千華子がネットを使って仕事をしているようだ、と聞きつけて、「やり方を教えてくれない?」と一度頼んできたことがあった。

 断るつもりでいたが、「どんな仕事をしたいんですか?」と念のため聞くと、「インターネットで、楽して稼げる方法ってあるんでしょ? それを教えて!」との返事だった。

 それはちょっとわかりません、と言って断ったのだが、以来、この女性はあまり千華子に良い印象を持ってはいないようだった。

 だが、しかし。

 千華子にしてみれば、「楽にネットで稼げる方法」なんてものは、「ない」としか言えないのだ。

 確かに楽して大金を稼ぐような煽りの教材もネットで見かけるが、それは、大金を稼ぐために必要なシステムと手順を説明したに過ぎない。

 それをいざ実行するとなると、かなりの根気と、高度な知識と、熟練した感覚がなければ、とてもじゃないがやっていけないのだ。

 そこまで考えて、ふと思った。

 今は、誰もが安易に楽をしたがる。

 「楽」ができて、「儲け」ができればいい、と思っている。バイト仲間の女性にしかり、自分にレイキヒーリングを申し込んでくるクライアントしかり。

 それならば、「子育て」に関してもそうなのだろうか。

 「楽して」子育てして、「良い子」が欲しいと望む親が、増えたのだろうか。

「……」

 千華子は軽く首を振ると、窓を手早く拭き終えた。

 考えても仕方のないことだった。

 確かに、モンスターペアレントと言う、やっかいな保護者も昨今は増えた。

 いやそれどう考えても、あなたのお子さんがおかしいんですが、と言いたくなる、自己中な親も多かった。

 だが、それでも。

 赤の他人に依頼してまで、我が子を殺すことを望む親が増えたとは、思いたくなかった。

 しかしそれを、子どももいない、結婚もしていない自分が考えても、仕方がないのだ。

 と、その時だった。

「かあ君、待って!」

 幼いーまだ、四・五歳ぐらいの男の子が、走って入口に近づいて来ようとした。その勢いのまま、自動ドアに走りこんでこようとする。

「ちょっと、待った!」

 千華子は持っていた雑巾を放り出し、男の子と自動ドアの間に体を滑り込ませた。

 間一髪、男の子の体は千華子の体に飛び込むようになり、千華子は男の子の体を抱きかかえたまま、何とか踏ん張った。

「放せよ、ばばあ!」

 しかし、腕の中の男の子は、ばたばたと暴れる。おいおいおいと、心の中で突っ込みを入れながらも、

「うーん、ちょっと待ってね。危ないから」

 じたばたと暴れる男の子を放して、でも、彼の肩の上に手を置いた。

 こうして力を入れておけば、勝手に離れることはできないし、噛まれる危険も避けられるのだ。

 昔の経験がこんなところで役立つとはなあ、と思いながら、千華子は母親らしき人物が、入口の所まで来るのを待った。

「ママ!」

 だが、男の子の方が、乳母車を押した母親の方に走り出しそうにしたので、肩から手を離した。

「勝手に先に行っちゃだめでしょ」

 母親は、男の子にそう言いながら、千華子の横を通り過ぎ、店の中に入って行った。

 その様子にやれやれとため息を吐いていると、

「礼もなし?」

と、バイト仲間の女性が近づいて来て、そう言った。

「あのままだと、絶対自動ドアに衝突して、ケガをしていたのかもしれないのに」

「まあ、そうならなくて良かったですよ」

「ま、そうなんだけど。でも、あの手の親は、自分のことを棚に上げてそうなったら、文句言いそうよね。何年か前にも、同じことがあったでしょ。子どもが自分で自動ドアに走って行って、事故にあったの」

 自動回転ドアに子どもが挟まれ、亡くなった事故のことを言っているのだろう。

 あの時は、自動回転ドアの性能について批判が集まっていたが、その一方で、「親がきちんとしていないからだ」という批難もあった。

 ただ、はしゃぐ子どもを、止めることが難しいことも事実だ。

「私なら、自分の子があんなことをしたら、張り倒しているわよ」

 バイト仲間の女性はそう言うが、実際子育てをしていると、本当に、そんな甘いものではない。

 第三者の立場から見てきたにすぎない自分でも、それをひしひしと感じてきた。

 だが、自分の以前の職歴を知らない彼女にそれを言っても、意味はないだろう。

 だから、千華子は「そうですね」と返事をして、その話を終らせようとした。

 と、その時だった。

「やだっ、ぼくが先!」

 と言う声と、何かが入口の自動ドアに、ガチャンっと当たる音がした。

 ぎょっとして、入口の方を見ると、さっきの男の子が、レジの前でひっくり返り、大泣きをしていた。

 投げたのは、何かのおもちゃだったらしく、青い色をしたゴム製の小さい人形が、自動ドアの近くに転がっていた。

 周りのお客も、レジのスタッフも、皆困惑している。どうなら、我先にと注文したいのに他にお客が並んでいたので、「お待ちください」と言われたのかもしれない。

 母親はいたたまれなくなったらしく、男の子の手を掴むと、ぐいっと乱暴にそのまま起き上がらせ、泣いている子の腕をつかんだまま、乳母車を押して店から出るつもりなのだろう、千賀子達がいる自動ドアの方へと近づいてきた。

 慌ててそこから離れると、自動ドアが開き、子どもの突き刺さるような泣き声が、その瞬間、千華子の耳に刺さった。

「さっさと歩いて!」

 ほとんど悲鳴のように、母親は男の子にそう言った。

「いやあ、買う~食べるんだもんっっ」

「待てないかあ君が悪いんでしょ!」

 母親の怒鳴り声を聞いて、乳母車の赤ん坊も泣きそうな状態だった。

千華子は手伝おうかと思って、声をかけようとしたが、母親と目が合うと、きっと睨みつけられてしまった。

「痛い~、腕が痛い~」

「うるさいっ」

 泣き叫ぶ男の子と、怒鳴る母親と。

 見ていて、決して気持ちのいいものではなかった。

 母親は泣き叫ぶ男の子を乱暴に後部座席に放り込むと、乳母車の赤ん坊を、チャイルドシートに乗せて、乳母車を畳んで、車に入れた。

 あの調子では、車から男の子が飛び降りないかと千華子はひやひやしたが、最近の車は勝手にロックが解除できないように、なっているのだろう。

 バンっと、乱暴に車のドアが閉められ、その親子は立ち去った。

「やれやれ。あの親にして、あの子あり、ね」

 あきれたように、バイト仲間の女性は言った。

「あの子、ADHD(注意欠陥多動性障害)かもしれませんね」

「えっ?」

 だが、千華子のこの言葉には、目を丸くする。

「発達障害の一つですよ。多動―落ち着きのないことが、特徴の一つだそうです」

「ふ~ん……でも、迷惑なお客には、変わりないでしょ」

 しかしこの言葉には、千華子の方が目を丸くした。

「どんな障害のある子かは知らないけど、あんな風に自動ドアに飛び込みそうになるは、持っているおもちゃをドアに投げつけるわ、ひっくり返って駄々をこねるわなんて、接客するこっちの立場からすれば、迷惑以外の何物でもないでしょ。何かあったら、こっちのせいにされるのに」

「まあ……そうですね」

 けれど、彼女の言うことも、もっともなことだった。

 接客する立場としては、ああいう子どもは、はっきり言ってやっかいである。

 特に客として来ている以上、強く言えないから尚更だ。

 だが、あの母親の目は。

 散々、周りに責められているようにも見えた。

 どうしてあなたの子は、こんなに落ち着きがないの。あなたの、育て方が悪いんじゃないの?

 そんなふうに、責められているようにも、感じた。

「ま、いいじゃない。どうでも。私達には、何の関係もないんだし」

 黙りこんだ千華子を見たせいか、バイト仲間の女性は、そう言った。

「そうですね……」

 その言葉に、千華子は、素直に頷いた。

 もう、前の仕事に就いていた自分ではないのだ。

 まして自分では良かれと思ってやったことが、相手を追い詰めてしまうことがあることも、前の仕事で散々味わってきた。

 結局は、どうすることもできないのだ。

 親自身が、事実を受け入れて、行動しない限り。第三者の立場である者には、何もできない。

「じゃあ、上がります」

「はい、お疲れ様」

 千華子は挨拶をすると、雑巾を持ったまま、店の中に入った。

 思わず吐いてしまいそうになるため息を抑えつつ、事務所の方へと歩いて行った。

 バイトを終えて、マンションの自分の部屋に戻ると、パソコンが、テーブルの上に置いてあった。

 多分、それだけを見れば、何でもない光景だろう。

 だが、千華子にしてみれば、それは異様だった。

 なぜならば、パソコンは、仕事用のデスクの上に置いていたからだ。

 最近のパソコンはテレビも見られるので、ノート型のパソコンを部屋中に移動させて使う人もいるが、千華子は違う。

 千華子がパソコンを使うのは、仕事用のデスクだけなのだ。

 まして、出かける前に、パソコンをテーブルに移動させた覚えはない。

「泥棒……?」

 そう、千華子が呟いた時だった。

 ぱっと暗かったパソコンの画面が明るくなった。

 そして、明るくなったパソコンの画面に、ワードの文章作成画面が映る。

「!?」

 千華子は、目を見張った。


『こんにちはぼくはナツといいます』


 点滅しているカーソルが、文字を打ち出していっているのだ。

 もちろん千華子は、キーボードは、触っていない。触りようがない。テーブルからは、離れた場所に立っているのだから。


『ぼくはおばちゃんにおねがいがあります』


 だが、文字は、現れ続ける。

 しかし、千華子は驚くよりも先に、その文にクレームを付けたくなった。

「見も知らぬ人に、『おばちゃん』と呼びかけていいと思っているの!?」

 その瞬間。

 たくさんの「おいっ!」という突っ込みを受けたような気がしたのは、決して千華子の気のせいではなかった。




『苦情が来ているんだけど』

 と、電話の向こう側の相手は言った。

『あなたの後ろの方の一人から。もうね、扇をばしばしさせて、うるさい、うるさい』

「えーと、先生……」

『普通なら、腰を抜かすところを、『おばちゃん』のところに反応したんだって? 私に苦情を言いに来た方は、そっちに腰を抜かしていたわよ』

「私は、先生からの電話に腰を抜かしましたよ……」

 けたけたと笑う相手に、千華子はそう言葉を返した。

 なにせ、キーボードを打っていないのに、パソコンの画面に文字が入力されているのを見た直後。

 いきなり、携帯が鳴ったのだ。それはもう、グットなタイミングで。

『なに、そんなことで驚いたの? たかが携帯が鳴ったぐらいで』

「鳴ったシチェーションを考えれば、誰でも腰抜かしますよ」

『そんなホラー映画みたいなこと、あるわけないでしょ。生きている人間の方が強いのに。霊が人間襲って、人間が殺されていたら、この世はあっという間になくなるわよ』

 物騒なことを明るく言ってのけるこの人物は、三年前に、千華子が「呪い代行」を依頼したサイトの運営者だった。

 「依頼者を幸せにする呪い代行を」がポリシーの彼女は、上司への報復のために呪い代行を申し込んだ千華子に、「二人分の呪術料で六万かかるんだよねー。だったら、もうちょっとプラスして、自分のために使わない?」という返事を、メールに書いてきた。

 それがきっかけで、千華子はレイキヒーラーの道に入ったのだが、「呪い代行」を、生業をしているには風変わりな人物には違いなかった。

『しかし、「鈍いのにも程があるっ」って言っているわよ。あ、その他の方々も同感みたいね』

 そして彼女は、今千華子が置かれている状況を、的確に把握していた。

 そう。千華子は、何も話していないのにもかかわらず、である。

田村(たむら)先生……いっつもお聞きしますけれど、私の後ろには、いったい何人の方がいるんですか!?」

『さあ?』

「さあって……いっつもそう言われますけど!」

『いいじゃない。何人後ろにいても。取り付かれているのなら問題あるけど、そうじゃないんだし』

 田村は、明るくそう言い切った。

「先生……」

『後ろの人達は、まあ、いいのよ。放っておいても、害意はないし。でも―今回のは、そうもいかないみたいなのよ』

 だがその瞬間、田村の声ががらりと変わった。

「先生?」

『子ども、ね。小さい男の子。名前は……ナツだって』

 田村の言っていることは、パソコンの画面に入力されたものと、同じだった。

『……あ、切られた』

「切られた?」

 霊を見る力がない千華子には、何が何だかわからないが、田村が言っていることが本当だと言うことは、理解していた。

『うん……どうもね、千華ちゃんの後ろの方達の中でも、一番えらい人が、匿っているみたいなのよ』

「―はっ?」

 だが、この言葉には、目を丸くするしかなかった。

「どういうことですか!?」

 思わず携帯を抱えなおし、受話器口で叫んでしまう。

『言葉通りの意味よ。苦情を言いに来た人にも聞いてみたんだけど。彼にも、くわしいことはわからないんですって。……うん? とにかく、その子の話を聞け、ですって』

 と、その時だった。

 ぱっと、待機画面になっていたパソコンが、明るくなった。

 千華子がそちらの方に視線を向けると、ワードの画面に、文字が打ち出される。


『おねえちゃんにおねがいがあります』


 千華子の突っ込みに気を使ったらしく、「おばちゃん」が「おねえちゃん」に変わっていた。

 しかし、次に打ち出された言葉は。


『ぼくのしたいをさがしてください』


 だった。千華子は大きく目を見張り、だが次に言った言葉は。

「とにかく今は、電話中だから。話すのは後にして」

 だった。その瞬間、部屋のあちこちで、パシンッ、パシンッと、家鳴りが起きる。

『突っ込むところが、そこなの……?』

 電話の向こう側の田村が、あきれ気味に言う。

「何言っているですか、先生。こういうしつけは、大事なんですよ」

『……もう、死んでいるけどね……』

「関係ないですよ、そんなこと」

 千華子にしてみれば、死んでいようが生きていようが、関係なかった。

 とにかく、今優先するべきことは、田村にある程度の情報をもらうことである。

『まあ……私はいいんだけど。後ろの人達が頭抱えているから、ほどほどにしてあげてね……』

 千華子の言葉に、そうあきらめたように、田村は言った。




 千華子には、霊は見えない。

 田村に、何人かの守護霊みたいな人達が付いているとは言われているが、くわしいことは教えてもらっていない。

『必要ないでしょ』と言われて、まあそうだなと納得したせいもある。

 だが、しかし。

 今回ばかりは、田村が言う「後ろの人達」にも、協力していただきたかった。

 とにもかくにも、話をきちんと聞く必要がある。

 千華子は気を取り直すと、

「ちょっと待っててね」

 と、パソコンの近くにいるらしいナツにそう言って、まずは、部屋中の窓を開けた。

 衝撃的なことが続けて起こったので忘れていたが、窓をずっと閉めたままの部屋は、サウナ状態だった。

 そして持っていた荷物を仕事用のデスクの上に置くと、台所に行って、自分用のビールとグラスに麦茶を入れて、それをどちらも手に持って、テーブルの方へと戻る。

 千華子がテーブルの傍に座るのと同時に、待機画面になっていたパソコンが、ぱっと明るくなった。

 どうやら、ちゃんと千華子がテーブルに戻るまで、待っていたらしい。

「えらいね。ちゃんと待っていたんだ」

 パソコンの近くにグラスを置きながら、千華子は言った。そして、プシュッと、ビールの缶を開けていると、カチャカチャと、キーボードを打つ音がした。


『おねえちゃんはぼくのことこわくないの』


 ビールを飲みながらパソコンの画面を見ると、そんな文字が打ち込まれていた。

「ナツくんだっけ? お名前」

 千華子がそう聞くと、グラスが、チンッと鳴った。それが、どうやら「その通りです」という合図らしい。

「どうして、私にナツくんの死体を捜して欲しいの? ナツくんは、本当に死んでいるの?」

 しばらく間があり、文字がパソコンの画面に打ち込まれる。


『わかんない』


 正直、くらりと眩暈を感じた。

  それと同時に、「子どもだからね」「相手は、子ども!」と言う、自分を必死に宥めようとする雰囲気も、千華子は感じた。

 考えてみれば、こんな風に「後ろの人達」の「気持ち」を「感じる」ことなど、今までになかったことだ。

 何か、意味があるのだろうか。この、ナツと言う男の子の霊と、自分との出会いは。

 まあ、そうは言っても。話を聞きださないと、何も始まらない。

 千華子は、質問の方法を変えることにした。

 幼い子に質問をする時は、細かく分けて聞かないといけないのだ。

 確かに、子どもを相手にしたあの仕事をやっていたのは、わずか三年だった。

 それでも、その仕事を就くために勉強はしてきたのだ。それなりの知識(スキル)は、多少はある。

「昨日から、この部屋にいたの?」

 

 千華子の問いに答えるように、文字が打ち出された。


『わかんないでもおねえちゃんからここからでてきたっておしえてもらった』


「お姉ちゃん?」

 素直にその言葉が出てくるということは、ナツにとって、「お姉ちゃん」と思える人物のことだろう。

 そして、幽霊であるらしい、ナツに「教える」ことができるのは、自分の後ろの人達しか、千華子には思い当たらない。


『おばおねえちゃんのうしろにいるひと』


 案の定、ナツはそう打ち出してきたが、途中であわてて「お姉ちゃん」に変えてきたところを見ると、やはり、最初に打ち出した「お姉ちゃん」とは、自分のことではないな、と千華子は確信した。

 しかし、打ち出された文字の、「おばおねえちゃん」が、少し切なくもある。

「ここって、もしかして、これ? パソコンから出てきたの?」

 そして、パソコンを指差しながら聞くと、これは、グラスがキンッと鳴った。

「なるほどね~」

 がしがしと頭をかきながら、千華子は頷いた。

「じゃあ、その前にいた場所は、どんなところだったか覚えている?明るいとか、暗いとか」


『まっくら』 


 その問いに、パソコンの画面にそう打ち出された。

「真っ暗……って、何も見えなかったってこと?」

 チン、とグラスが鳴った。つまり、先ほどナツが「わかんない」と答えたのは、「真っ暗だったから、わかんない」という意味もあったのだろう。

「そこは、暖かいとか寒いとか、あった?」


『つめたい』


 打ち出された言葉に、千華子は目を細めた。

「真っ暗」「冷たい」

 どれも、「生」をイメージさせるものではない。千華子は、質問を変えることにした。

「自分のことは覚えている? ナツという名前以外に、お父さんのこととかお母さんのこととか、お話できる?」


『わかんない』


「それは、覚えていないってこと?」

 その問いに、またしてもグラスが鳴る。

 つまり、ナツは記憶喪失の幽霊なのだ。

「マジですか……?」

 二十八年生きてきた人生の中で、そんな幽霊の話など、聞いたことがない。

「じゃあ、何で自分が死んでいるってわかるの?」


『おねえちゃんからおしえてもらった』


 この「おねえちゃん」とは、千華子の後ろにいる人達の一人なのだろう。

「そのおねえちゃんが、私にナツの死体を捜してもらいなさいって言ったの?」

 その言葉に重なるようにして、チンッという音が、部屋に響く。

「断っていいかしら」

 千華子は自分の後ろを振り向きながら、そう言った。

 もちろん、後ろには誰もいない。

 だが、しかし。千華子には、冷たい視線を投げかける者達が、何人もいるような気がした。

 言葉にすると、「ほおっ、お前はこの幼子の頼みを、無視するというのか」「哀れな幼子を、見捨てるのか」といった類のものだ。

「無理ですからっっ!」

 しかしそれを無視して、確かにそこにいるであろう彼らに、千華子はそう叫んでいた。



 記憶のない、子どもの幽霊の死体を捜すこと。

 はっきり言って、それは無理であると言うか、限りなく不可能に近い。

 千華子は、警察でも探偵でもないのだ。

 そんな推理とか捜査の方法とか、知るはずがない。

 大学で学んだのは人を教える立場になるための知識だったし、その後学んだのは、レイキヒーリングのやり方と、タロットカードの占いと、オラクルカードのリーディング方法だ。

 タロットカードは言わずもがな、二十二枚あるいは七十八枚のカードを使った占い方法だ。

 一枚一枚のカードに絵柄があり、意味がある。

 その意味も、「逆位置」と言われる絵柄が逆立ちになる状態になると、まったく違うものになってしまう。

 だから、占いに使うカードの枚数が多くなればなるほど、読み取ることが複雑になってくるのだ。

 それに対し、ドーリン・バーチュと言う人が作った「オラクルカード」は、単純と言えば単純である。

 最初に発売された天使の絵柄のものを始め、ユニコーンの絵柄のもの、マーメイドやフェアリーの絵柄のものと、種類は色々あるが、ようは四十四枚の絵が描いてあるカードを使って、「神託(オラクル)」をもらう。

 何も知らない人は、タロットカードと同じように思えるかもしれないが、これには「逆位置」がないのだ。

 またタロットカードのように、「悪い意味のカード」がない分、はっきりとした結果が出ないのだ。

 タロットと同じで、カードの意味は一枚一枚あるのだが、どれも前向きな言葉にあふれている。

 良いことしか書いていない、と言っても良いだろう。

 それらは、落ち込んでいたり、傷ついていたりするときは、本当に救いとなる。

 が、しかしである。

 千華子が持っているのは女神が絵柄のオラクルカードだが、ナツの死体について「神託(オラクル)」をもらっても、「あなたの周りにはたくさんの愛があふれています」とか、「もうすぐあなたの夢が叶います」等しか出てこないだろう。

 死体を捜しているのに、「愛が溢れています」もなにもない。

 そしてタロットカードを使っても、それは同様である。

 例えば、「ナツの死体はどこ?」と聞いて、「塔」の絵柄のカードが出たとする。

 「塔」はその名の通り、塔の絵が描いてあり、その塔が崩壊する様が絵柄となっている。

 そこで単純に「塔」だと考えるのは、違うのだ。この現代日本で、「塔」と言える建物などあるのだろうか。

 それこそ、イスラム教圏にまで出かけないとならないだろう。

 確かに神戸にもモスクもあるが、「塔」と言えるほどの高さではないはずだ。

 そうなると、現代日本のイメージで考えて、「高い建物」となる。

 だが、この日本に「高い建物」など、ごまんとある。

 それは東京タワーのような鉄塔かもしれないし、街中にある高層ビルかもしれない。

 岬にある灯台もそうだし、遊園地の観覧車もそうだ。

 つまるところ、当てはまるものが多すぎて、絞り込めないのだ。

 当たり前のことだが、タロットもそしてオラクルカードも、「占い」の道具である。

 「占い」は、天気予報と同じで、「運」を予想し、「どのようにすれば良いのか」を探るものだ。

 だから当然、外れることだってある。

「無理だって、やっぱり」

 湯船に浸かりながら、千華子は呟いた。

 どう考えても、タロットやオラクルカードでナツの死体を捜すことは無理である。

 まあ、ナツを匿っているという、千華子の後ろの方も、よもやタロットやオラクルカードを使って、死体を捜すとは考えていないだろう。

 そう思いながら、千華子は湯船から立ち上がる。そうして、ふいに。

 思い出したのだ。

 そのナツが、自分を匿ったと言う後ろの者を、「お姉ちゃん」と呼んでいたことを。

「えーと」

 湯船から上がろうとしていた千華子は、そこで固まってしまった。

 ナツはどうやら、まだ幼い子どもだ。

 パソコンに「、」や「。」を打たないところからも、おそらく小学校に上がる前の年頃だと考えられる。

 その年頃の子どもに、「お姉ちゃん」と言われるのは、どう考えても、小学生から高校生ぐらいだろう。

 もちろん、大学生など二十代前半ぐらいまで「お姉ちゃん」と呼んでいる可能性もあるが、しかし、それにしては、千華子に「おばちゃん」と呼びかけていることを考えても、ナツの感覚では、二十代は「おばちゃん」なのだ。―とすると。

 あまり考えたくないことなのだが、ナツを匿ったという千華子の後ろの方は、ナツとあまり変わらない年頃という可能性もあるのだ。

「マジですか……?」

 じゃぼんと、体を湯船に再度つからせながら、考え込む。

 子どもの霊は、千華子より先に生まれていようが、千華子が生まれる前に亡くなっていようが、関係ない。

 意識が「子ども」であれば、ずっと子どものままなのだ。

 田村によれば、成長する者もいるらしいが、あちらの世界の時間の流れは、こちらとは全く違うものだから、意味がないらしい。

 つまるところ、子どもなのだ。

 そうして子どもは、大人が考え付かないことを、思い付く。

 実行できると、思い込む。

「つまり……本気でタロットカードやオラクルカードで……」

 ナツの死体を捜せると、考えている可能性があるのだ。

「ええ~~~~!」

 その瞬間、千華子は風呂場で絶叫してしまった。

 そうしてその予想は、全く外れていなかったのである。

「マジで!?」


『ほんとうだよ』


 千華子がお風呂場から出て、リビングに戻ってくると、テーブルに置いてあったパソコンの場面には、そう打ち出してあった。

 その画面を見たとたん、眩暈を感じたのは、お風呂上りのせいではなかった。

「な、何が?」

 しかし、念のために、そう尋ねてみる。


『おねえちゃんがおふろでいっていたこと』


「あ、そ……」

 がくうと、パソコンの前に千華子は座り込んだ。

「つまり、私の後ろにいるお姉ちゃんは、私にタロットやオラクルカードでナツの死体を捜してもらえと言っているのね?」

 パソコンの前に置いたままのグラスが、ちんっと鳴った。

「でもねえ、ナツ。タロットやオラクルカードで探し物って、よほど力のある占い師にしか無理よ」


『やってみなきゃわかんない』


「……それ、後ろのお姉ちゃんの言葉?」

 画面に打ち出された文字を見ながら、千華子は聞いた。ちんっという音が部屋に響く。

「まあ、ねえ……」

 がしがしと千華子は、頭をかいた。それは昔、教え子でもある子ども達に、自分が言っていた言葉だった。

 その頃も、ナツが「お姉ちゃん」と呼ぶ人物は、千華子の後ろにいたのだろう。

 喉の渇きを覚えて、千華子はパソコンの前に置いたグラスに手を伸ばした。

「ナツ、これはもういい?」

 そしてそう問いかけると、パソコンの前にいるらしいナツが、ちょっととまどっているような感じがした。

 もちろん千華子はナツの姿は見えないので、感じるだけなのだが。

「これ、ちゃんと飲んだ?」

 もう一度そう聞くと、今度は千華子の後ろにいる者の一人が、教えたのだろう。


『おねえちゃんぼくはもうしんでいるんだよ』


 しばらくして、そう画面に文字が打ち出された。

「何言っているの。亡くなった人でも食事するのよ。でなきゃ、なんでお供え物なんてするのよ。食事の波動かなんかを吸い取るんでしょ?」

 だが打ち出された文字を見て、千華子がそう答えると、さらにナツは困惑しているようだった。

「ちょっと、後ろの方々。肝心なことをナツに教えてないじゃないの!」

 姿の見えない者達に、千華子は言った。

 とりおえず、生ぬるくなった麦茶は、自分が飲むことにして、千華子はグラスを口に運ぶ。

 その間に、またカチャカチャとパソコンの画面に文字が打ち出される。


『おねえちゃんは』


 しかし、そこで止まってしまう。

「何?」

 先を促すように、千華子は麦茶を飲みながら言った。


『ぼくがこわくないの』


 千華子は麦茶を飲むのを止めて、グラスをテーブルの上に置いた。

「怖くないわよ」

 そうして、そう言った。

 とりあえず、今はそうだった。


『へん』


 その千華子の言葉に返すように、パソコンの文字が打ち出される。

「へんって言われてもねぇ……」


『へんへんへんへん』


「だぁ~パソコンが壊れるっっ」

 続けて打ち出される字に、千華子は叫んだ。

 一応、仕事用としてメインに使っているものなのだ。

 インターネット接続を設定しているのもこれだけなので、壊されたらたまらない。

「ナツ用のパソコンを出さなきゃね」

 やれやれと思いながら、そうつぶやくと、


『いいの』


 と言う文字が、画面に打ち出される。

「良くない。しばらくはうちにいるんでしょ? 前に使っていた小さいパソコンがあるから、それを出すわ」

 そうして、濡れた頭をかきながら立ち上がる。

「携帯のメールやテキスト画面じゃ、打ちにくいだろうしね」

 クロゼットを開けて、しまったはずのパソコンを探す。

 と、その時だった。

 おねえちゃん。そんなふうに、呼びかけられたような気がした。

 気のせいかな、と思ってテーブルの方を見ると、


『へん』

 

 パソコンの画面に、そう打ち出されたのが見えた。

「いちいちゴシック体で、七十五ポイント拡大文字にしなくていいっ」

 千華子は顔を真っ赤にして、そう叫んだ。



 へんな人だ。

 ベットで眠る姿を見ながら、そう思う。

―どうした?

 その人の眠っているところを見ていると、自分のすぐ傍に立っている人が、話しかけてきた。

 前にテレビで見た、「にんじゃ」みたいな格好をした人だ。

 この女の人の周りにはこんな感じで、人がたくさんいる。

 何人いるか数えようとしたけれど、自分が数えられるのは、「五」までだった。

 それ以上はわからないから、「たくさんいる」と思っている。

―何を見ているのじゃ?

 今度は、ひな人形みたいな格好をした人が近づいてきた。

 その人が男なのか、女なのか。それも、自分にはわからない。

―勝手に持ち場を離れるでない。

―だいじょうぶじゃ。我らが守護する者は、そこまで弱くはない。

―そういう問題ではない。

 自分の頭の上で、「大人」がそんな話をする。

 言っている意味はよくわからないが、たくさんの人達に囲まれて眠っている人は、周りにたくさん自分のような者達がいるのに、気付かない。

 と、その時だった。

 柔らかい感触が、目の上に現れる。それは、誰かの手だった。

バシュッ

 それと同時に、何かが破れるような音がする。

―もういいぞ、三春(みはる)

 そうしてそんな声がして、同時に、自分を目隠ししていた手が離れていく。

 不思議に思って後ろを見ると、にこっと優しげな笑顔を浮かべた女の人が膝をついて立っていた。

―あれは何?

 みはる、と呼ばれていた女の人に切り裂かれた物を指差しながら聞くと、

―子どもは知らなくて良い。

 とだけ、言われてしまった。

―子どもじゃないよ。

 と言うと、困ったように微笑まれてしまう。

―あれは、人の慣れの果て。自分の心をしっかりと持たない人は、ああなってしまうの。

 だが、眠っている人を挟んで、自分の反対側にいた、「お姉ちゃん」が、そう教えてくれた。

 「お姉ちゃん」は、唯一、自分が「同じ」と感じている人だ。

 着ている服も、自分が見たことがあるようなものだ。

―姫。

 そして、「みはる」と呼ばれた女の人が、「お姉ちゃん」を注意するように呼んだ。

 「お姉ちゃん」は、「姫」とも呼ばれている。

―まあ、良いではないか、三春。この小僧も我々と共にいるのであれば、こういったことは、しばし遭遇する。

 そんな「みはる」をとりなす様に、「にんじゃ」の人が言った。

―それはそうですが。

 そう、みはるが言った時だった。

「ナツ?」

 眠っていたはずの人が目を開けて、そう、自分を呼んだ。

 自分達の姿は見えないはずなのに、起き上がり、まっすぐに自分を見つめてくる。

「眠れないの?」

 そして、自分の声も聞こえないくせに、そう聞いてくる。

 その人は、がばっと布団を持ち上げると、

「おいで」

 と、ポンポンと、敷布団を叩いた。

 姿は見えない。

 声も聞こえない。

 だがそんな相手に、「一緒に眠ろう」と言う。

 正直、戸惑っていると、

―行きなされ。

 と、「ひな人形」の人に言われた。

 近くにいた「みはる」も、そっと自分の肩を押してくる。

 促されるままに近くにいき、布団の上に体を乗せると、ふわりと布団がかけられた。

 「体」を持たない自分は、それは通りすぎるだけだ。

 だが、それでも。何か温かいものに包まれているような気がした。



 




 

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