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サイレント・ブルー  作者: kaku
14/15

終章

 時計がわりに付けたテレビでは、ワイドショーが、二週間前に起きた奇異な事件について、検証する特集を流していた。

 確かに、傍から見れば奇怪な事件だった。

 発見された子どもを殺すためだけの殺人サイトを作った女は行方不明で、それに関わったと思われる者達の死体が、廃ビルの中から幾つも出てきたのだ。

 廃ビルの中に幾つもの死体があるのを発見された当初、集団自殺かと、世間は思っていたし、警察もそういう見解を示していた。

 だが、身元が判明していくうちに、恐ろしいことが発覚して行く。

 その廃ビルで死体となって発見された者達の何人かは、子どもを事故で亡くしていたのだ。

 それは、最初の内は「不幸が重なって」という見方だったが、やがて、警察の捜査が進むに連れて、その死体となった者達の共通点がわかってきたのだ。

 それは、一つのサイトだった。

 そう……あの廃ビルで発見された者達は、子どもの殺人を専門とした、殺人代行サイトをパソコンやスマホで閲覧していたのだ。

 そうして、明らかになったのは、彼らの驚愕の関係だった。

 殺人代行を依頼して者と、それを受けた者―。

 さらに、「目撃者」と言われた者達の存在もわかった。

 「目撃者」とは、この言葉通り、殺人現場に行き、子ども達の殺人が実行されることを「目撃」する者達のことだ。

 彼らはあの殺人代行サイトに設置されたチャットルームを使い、子ども達の殺される現場を実況中継していたのだ。

 これら一連の事実に、世間は騒然となった。

 それはそうだろう。

 子どもの殺人代行サイトがあるというだけでも衝撃なのに、それに依頼する者と、受ける者、そして「目撃」する者達がいた、という事実は、あまりにも衝撃的過ぎた。

 そうなると、世間は次にこう疑問を持つのは、当然のことだった。

 こんな恐ろしいサイトを作ったのは、いったい誰なんだ、と。

 でも、それに対しての答えは、酷く曖昧なものだった。

 そのサイトを作った人物は、行方不明になっている、ということのみ―。

 どんなに探りを入れても、どんなに調査を進めても、その人物を探り当てることはできなかった、とテレビの報道は締めくくっていた。

 その明かされない「事実」は、操作されたためだと、千華子は知っていた。

 つまり、「隠された事実」の部分があるのだ。

 それは、「相田若葉」という警察官の元妻だった人間が、この恐ろしいサイトを作っていた、ということ。

 そして、その彼女は人外の者に成り果て、最後は死んでしまったということ。

 警察にとって都合が悪く、なおかつ非現実……あれは決して夢ではないと千華子は言えるが、世間に知らせればろくなことが起こらない内容のものは、全て伏せられていた。

 あれから。

 あの廃ビルにいた千華子達は、駆けつけた警察官達に「保護」された。

 廃ビルの中には幾つもの死体が発見され、意識のなかった安藤と愛理は病院へと運ばれた。

 だが、千華子と宝は、警視庁へと車で連れて行かれた。

『このまま帰りたいなら、何も聞くな。向こうが言うことには、わかりましたと頷いとけ』

 車の中で、宝がそう言うのを、千華子は呆然としたまま聞いていたが、その意味は警視庁へと連れて行かれて、小さな会議室のような場所で戸口と面会した時にわかった。

 戸口が千華子に求めたのは、黙秘だった。

 つまり、この件に関しては、誰にも何もしゃべらるな、何も知らないふりをすることが、千華子には求められたのだ。

『加藤さんにもですか?』

 千華子は、自分に親身になってくれた加藤の顔を思い出しながら問うた。

『そうです。このまま、普通の生活をしていきたければ、誰にも話さないでください』

『嫌だ、と言ったらどうなりますか?』

『我々の監視下に、完全に入ってもらわなければならなくなります』

 そう言った戸口の目は、怜悧に細められていた。

『……わかりました』

 戸口の言葉に、千華子は頷いた。

 戸口達の思惑は、何となくわかる気がした。

 つまるところ、相田が人間でなくなったことは、「事実」として、戸口は認めているのだ。

 だが、それを「世間」には知らせるわけにはいかない。

 相田は警察官でもある安藤の元妻だったこともある。

 戸口の後ろには、千華子もそして世間も知らない、「組織」の存在があるのだろう。

 そしてそこに、宝も所属しているのに違いない。

 ただ、それを知ったからと言って、何がどうなるわけでもなかった。

 それと同じで、今回のことを、世間に声高に叫んだとしても、何ら変わるわけではないのだ。

 行ってしまったナツ達や、我が子の死を望み挙句の果てに死んでしまった親達や、殺人代行を引き受けた者達が救われるわけではない。

 そんな方法で、救われるはずもない。

 愛理のこともある。

 千華子は、自ら黙秘することを選んだ。

 全てのことを明らかにしたところで、どうにもならないからだ。

 それよりも、「愛育園 若草の家」の子ども達のフォローや、光村の手助けをしなければならなかった。

 芳賀は、愛理が保護されたことによって、警察へと連行された。

 簡単に言えば、現行犯逮捕だった。

 未成年への淫行罪。

 こちらの方は、短く地方のニュースで流れただけだったが、「愛育園」は大騒ぎになった。

「愛育園」は、社会福祉法人の形態を取っていたが、そのトップである理事長の息子が、子どもの仕事に関わる者にあるまじき所業で逮捕されたのだ。

 前々から、県からの補助金を着服していたこともあきらかになり、「愛育園」は、社会福祉法人の認可を取り消されることになった。……「愛育園」は、廃園されることになったのだ。

 とは言っても、すぐになくなるわけではない。

 光村によると、子ども達のケアのことも考えると、その目星はどうやら来年の春になるとのことだった。

 幸恵の受験のことを考えても、それは適切な処置のように千華子にも思われた。

 運営は、理事長を中心としたトップのメンバーでは行われず、舞場市……つまり、行政が肩代わりすることになった。

 それによって、「愛育園」で働く職員は、市の臨時職員という立場になる。

 それに関しては、今まで働いていた職員にも反発の声が上がり、辞めていく人も出たらしい。

 確かに、このまま働いても、臨時職員という立場になれば、来年の春には職を失うのだ。

 そんな中、光村は来年の春まで「愛育園 若草の家」に残ることを決めていた。

『私は、身軽な独身だからね。養う家族もいいし』

 その言葉は、決して退職を選ぶ職員が悪いのではないことを、暗に言っていた。

 それは、確かにそうだと、千華子も思った。

 退職していった職員にも、「生活」がある。

 その「生活」を守るために、「臨時職員」という立場では、心もとなかったのだろう。

 「児童養護施設職員」とは、「仕事」なのだ。

 子ども達には接するうちに「情」も湧いてくるけれど、自分の足場を危うくするまで、子ども達に尽くすわけにはいかない。

 ただ、そうは言っても、千華子としても今すぐに「愛育園 若草の家」を離れることはできなかった。

 本来「刑事」だった榎本は、あのまま「愛育園 若草の家」に戻ってこなかったし、(子ども達には、臨時だったと説明した)、「愛育園 若草の家」を光村一人で切り盛りするのは、とても負担が大きいように思えた。

 光村は気にしないでと言ってくれたが、千華子自身も、気楽な独身であり、職もない状態だ。

 だから、当座の仕事があるのは正直ありがたかった。

『でも、四月からの仕事は大丈夫なの?』

『大丈夫です、春からの仕事は決まっているので、それまでの間、働かせてください』

 咄嗟に、千華子はそう言ったのだが。

 それが千華子の、四月以降の進路を決定づけることになってしまった。

 CMに切り替わったテレビの音を聞きながら、スーツケースに荷物を詰めていると、テーブルの上に置いた携帯が鳴った。

 一瞬、びくりと体が固まったが、表示された名前を見ると、それは柚木だった。

 それに、着信のメロディも、プライベート用に番号にかかって来た時に鳴るものだ。

 千華子は、軽いため息を付きつつも、携帯に出た。

「はい、瓜生です」

『千華ちゃん、久しぶり』

 耳元に、明るい口調の声が届く。

「柚さん。体調の方はどうですか?」

 少なくとも、携帯越しに聞こえる声は元気そうだった。

『大分良いわよ。あれから、結局全部休ませてもらっていたの。暇で暇でしょうがなかったわ。傷の方も、完全に塞がったしね』

 笑いながら言われる言葉に、千華子は知らず微笑んだ。

 新見じゅえるの母親から千華子を庇い、怪我をした柚木だったが、どうやらその傷も癒えて、元気に新学期を迎えそうな様子だった。

『それよりも千華ちゃん、柳瀬先生から聞いたわよ。学童に行くことにしたの?』

 そして、本当にうれしそうな口調で、そう言葉を続けてきた。

「はい。四月からお世話になることになりました」

『柳瀬先生も喜んでいらっしゃったわよ。でも、どうして決めたの? 会った時の千華ちゃんの様子からじゃ、乗り気じゃないかな?とも思ったんだけど』

「ちょっときっかけがあったんです」

 柚木の言葉通り、千華子も最初は学童の仕事を引き受けることには躊躇していた。

 だが、「愛育園 若草の家」で仕事を続けるにあたって、光村が「四月で働く場所の書類を見せて」と千華子に言ってきたのだ。

 警視庁の方からは、「愛育園 若草の家」の仕事を続けることには何も問題がないが、後は千華子と「愛育園 若草の家」との話し合いで決めてくれ、と言われていた。

 千華子としては、「愛育園」が亡くなる四月以降のことは、未定でも良かったのだ。

 だが、光村が納得しなかった。

 千華子が嘘も方便と、「四月から仕事が決まっている」と言った言葉を鵜呑みにせず、確実な証拠を出してくるように迫ったのだ。

 そうなると、千華子としても「実はあれは嘘でした」とは言い出すことはできず、結局、柳瀬の申し出を受けることにしたのだ。

 柳瀬に、学童の仕事をさせて欲しいと携帯で連絡すると、彼女はとても喜んでくれた。

 そして手間をかけるんですが、と千華子が頼んだ採用通知を、学童を一緒に作る福祉法人にかけあって、千華子の言った住所に送ってくれたのだ。

 実家ではなく、東京の住所を言う千華子に、だが柳瀬は何も言わず、ただ「一緒に働くのを楽しみにしているわ」と言ってくれた。

 千華子としては、自分の意志ではなくて、「何か」に背中を押されて、「学童」を選ばされたような気もしていた。

 このことを田村に携帯で報告すると、「そんなこともあるわよ」と言われた。 だから。

 千華子は、この「選択」を、一度受け入れようと決めたのだ。

 そうでないと、自分の成すべきことが見えて来ないような気もした。

 それに、ナツのような子ども達のために何ができるのか、それを考えていきたい、という思いもあった。

『そっかあ。実はね、私も千華ちゃんに報告したいことがあるの』

 でも、携帯越しの柚木の声は、少しトーンが下がっていた。

「何ですか?」

 その部分だけ柚木らしくない口調になったことに気付いた千華子は、問い返した。

『ふふ、今は内緒。でも、ちゃんと決まったら教えるから』

「柚さん……」

『ちょっと千華ちゃんに元気なパワーもらおうと思って、電話したの』

 でも、そう言った柚木の声は、明るかった。

 迷いはある。躊躇いもある。

 でも、「それ」を選ぶ。

 そんな「思い」に溢れているような気がした。

 千華子は、携帯を握りなおした。

「楽しみに待っています」

『ふふ、じゃあね。今から、私いざ出陣!だから』

 笑いながら柚木はそう言って、通話を切った。

 千華子は、しばらく通話が切れた携帯を見つめた。

 柚木も、何かを迷い、そして選ぼうとしているのだ。

 千華子か迷い、そして選択して、歩き出したように。

 千華子は、テーブルに携帯を置くと、荷物の整理を再開した。

 今日、千華子はこの部屋を引き払い、光村が住む部屋へと引っ越すことになっていた。

 千華子から福祉法人の採用通知を見せられた光村は、それならば、と納得してくれて、「愛育園」を経営することになった舞場市に、千華子も臨時職員として働くことを伝えてくれた。

 そうなると話は早く進み、千華子は今のまま「愛育園 若草の家」働くことになった。

 ただ、どう考えても家にはあまり帰れないと言うか、ほぼ、光村は住み込み状態になるのは、目に見えていた。

 千華子が慣れてくれば、交代で夜勤の勤務をこなしていけるだろうが、増員も見込めない今、光村はほとんど自分の家には帰れないだろう。

 だから、自分のアパートに住めばいい、と光村は言ってくれた。

 実は宝も「榎本」として「愛育園 若草の家」で働いていた時に、光村の部屋に泊まっていたらしい。

『一度自分の部屋に帰った時に、びっくりしたわよ。誰の部屋!?って思っちゃった』

 そう言われて、なるほど、と思った。

 宝が使うにしてはかわいらしい食器があったのは、そういうわけだったのだ。 光村は車を出すと言ってくれたが、千華子は大丈夫です、と断った。

 できるだけ、千華子は光村に負担をかけたくなかった。

 来年の四月までとは言え、これから半年、光村にとってはハードな勤務が続く。

 近くにコンビニがあるから、自転車に乗らない荷物は、時間指定をして送ればいいのだ。

 光村の住むアパートは、千華子の借りていたマンスリーのマンションからは少し遠かったが、「愛育園 若草の家」からは、自転車で十五分ぐらいの距離だった。

 千華子が夜勤の勤務の時は、朝の九時までに来て、翌日の朝までいる。

 何も問題はなかった。

 問題があるのは、もっと別のことだ。

 そう思いながら、千華子が荷物を詰め終わり、バックのチャックを閉めた時だった。

 テーブルに置いた携帯が鳴った。

 その着信音は、レイキのお客用に使っている物だった。

 携帯に手を伸ばし、画面に映し出された番号は、千華子の知らないものだった。

 だが、頭に03が付いているので、東京から発信されているものだということは、わかる。

 おそらく十中八九マスコミ関係の方からだった。

 千華子はこの事件の捜査に関わった者達と田村以外には、誰にも言っていない。

 だが、人の口に戸口は立てられないと言うのか、何時の間にか、サイトで「レイキヒーラー」をやっている「千華子」が、この事件に関わっている、という話があちらの方に繋がったらしい。

 レイキヒーリングを申し込んでくれた誰かが漏らした可能性は高かったが、確かめる術はなかった。

 あの事件の後、千華子は仕事用の携帯には出ないようにしていた。

 レイキヒーリングを申し込んでくれるお客達のやり取りは、たいていフリーメールで済んでいたし、携帯番号の方にかけてくる者はあんまりいなかった。

 だが、ここ二週間ぐらいは、毎日のように仕事用の着信音が鳴る。

 どのみち、今待たせているお客のヒーリングが終了したら、しばらくは、レイキヒーリングの仕事は休業するつもりでいた。

 これから四月までは、「愛育園 若草の家」での仕事は千華子もハードを極めるし、それから間をおかずに学童の仕事が始まる。

 東京から九州に引越しもしなくてはならないから、レイキヒーリングの仕事は、とてもじゃないが、落ち着いてできる状況ではないのだ。

 完全に待たせているお客のヒーリングが終了したら、仕事用の携帯番号は解約する。

 それまで、後二ヶ月近くもあるから、しばらく放っておけば、マスコミの方もあきらめるだろう、と千華子は思っていた。

 だから。

 今日もそのつもりで、今度は持っていく荷物をまとめようと、立ち上がった時だった。


「本日、東京都舞場市の新見川から、男児の死体が発見されました」


 ふいに。テレビの音が、はっきりと耳元に響いた。

 それと同時に、テーブルの隅に置いた、ナツ用に使っていたパソコンが目に入った。

 千華子は思わず、テレビを振り返った。


「死後数ヶ月経ったと思われる男児の身元確認をすると共に、警察は事故か事件のどちらかに巻き込まれたものとして、捜査を進めることにしています」

―お姉ちゃん。大好きだよ。

 そうして。

 あの共にいた、幼子がくれた言葉を思い出す。

 あの幼子がくれた言葉は、自分を一生支えていくものになるだろう。

 ならば、自分にできることは。

 きっと、ナツは母親だけが悪者になることは望んでいない。

 殺されてしまった子達も、それは同じような気がした。

 確かに、親に「死」を望まれ、殺されてしまったけれど。

 それでも、「愛された」瞬間はあったのだ。

 そして、「恐ろしいサイト」と言われるあのサイトを作ったのは、家族を亡くし、「自分の家族を持ちたい」と思った小さな女の子が夢に敗れて、絶望の果てに作り出したものだった。

 それは、許されることではない。

 そしてその動機も、許される理由にはならない。

 でも、それで全てが済まされて良いわけではないのだ。

 何故、我が子の死を望むようになったのか。

 何故、そんなサイトを作ろうと思うまでになってしまったのか。


 あの人は、そんなことを平気でする人間だった。


 それで、ほとんどの人が済ませるだろう。


 それで、ほとんどの人が済ませるだろう。マスコミですらも、「こんな悪人がいました!酷いですよね!!」的な報道をして、自分達が正義の味方になったような報道で済ませる。

 でも、それは違うことを、千華子は知っていた。

 最初から悪人なんて、一人もいなかった

 。皆、自分の「理想の子育て」をしよう、としていた。

 そして、追い詰められていった。

 どこまで届くかわからない。

 最初から、結果が出ないこともわかっていた。

 でも、何もしないであきらめることは、してはいけない、と思った。

 それが今の自分にできる、唯一のことであるのならば。

 後悔は、後でやれば良いのだ。

 そう思って、千華子は鳴り続ける携帯に手を伸ばした。

          

 スマホの通話を切ると、柚木は車の助手席に放り投げた。

 そうして、炭酸水が入ったペットボトルに手を伸ばし、一息に飲む。

「やれやれ……」

 ペットボトルをホルダーに置き、軽くため息を吐いた。

「千華ちゃん、頑張っているな……」

 教え子の保護者に刺されたという事実は、思った以上に柚木に衝撃を与えていた。襲われたのは千華子で、柚木は庇ったに過ぎないが、それでも考え込んでしまうには十分だった。

 柚木としては、精一杯仕事をしているつもりだった。

 所謂モンスターペアレントと言われる昨今の保護者達にも、誠実に対応しているつもりでいた。

 それは、新見じゅえるの母親にも、同じだった。

 確かに、じゅえるではなく妹の方の担任ではあったが、それでも、新見じゅえるの母親は、十分にモンスターペアレントだったのだ。

 でも。

 その結果が、あの傷である。

 そう思いながら、柚木は刺された場所を服の上から押さえた。

 別に、新見じゅえるの母親だけが問題ではない。

 毎年、どのクラスを受け持とうが、問題のある子は必ずいた。

 そして、そんな子の親達は、たいてい何らかの問題があった。

 毎年、そんな親子に出会うたびに、「できるだけのことはしよう」と思って努力してきた。

 けれど、感謝されることはまれだった。

 大概は、罵声や侮蔑の言葉をかけられ、悪く言われるのがオチだ。

 それでも、柚木は自分にできることはやってきたつもりだった。

 でも、その果てにあるのは、空しい空虚な気持ちだった。

 そのことを、ずっと見ないふりをしてやってきた。

 千華子が教員を辞めた時も、悪いとは思いつつも、表立って庇うことはしなかった。

 だが、千華子のように誠実に教員としての仕事をしようとしていた人間ほど、この仕事に着いて行けずに辞めていくのを幾度か見て、疑問に思うようになってきたのだ。

 どうして、誠実な人間ほど追い詰められるような仕事に、「教師」はなってしまったのか。

 そもそも、そんな仕事を続けていくことに、意味はあるのか。

 柚木は、今でも千華子は教師に向いていると思っている。

 本当は、千華子のような人間が教師としてやっていくのが望ましいのだ。

 でも、今の実情では、千華子のような人間ほど、追い詰められていく。

 同じ職場で働く者達も、必死で仕事をやっているのにも関わらず、世間の批判は止まない。

 それがわかっているのに、皆耐えていくしかないと思っている。

 そんな現実が、柚木は堪らなく嫌だった。

 そして、そんな中で教師を続けていくということが、とても疎ましく感じられてしまったのだ。

 だから。

 辞めてしまおうか、と思ったのだ。

 これはけっこう本気で考えた。

 教員を辞めた後のことは不安だったが、それでも、このまま報われない思いを抱き続けるよりは、はるかにマシに思えたのだ。

 ただ。

 そう決めた瞬間に思い出したのは、教員を辞めると自分に告げた時の、千華子の表情だった。

 あの時。

 確かに、千華子は苦しそうだった。けれどその瞳は、決して諦めていなかった。

 教員を辞めることで、千華子は前に進もうとしていた。

 そうして。

 そんな時に、柳瀬から連絡があり、千華子が学童の仕事を引き受けてくれた、と教えてくれたのだ。

 その知らせを聞いた時、自分はどうなんだろうか、と柚木は考えた。

 今のまま、空虚を抱えながら仕事を続けていくことはできなかった。

 だけど、そのまま辞めていくことは、何か違うような気がした。

 ならば、考えれば良いのだ、と思った。

 どうして、教師の仕事がこんな空虚を抱えるようなものになってしまったのか。

 その答えを求めてみようか、と。

 そうして、今。

 柚木は学校の前のコンビニ駐車場にいた。

 怪我は癒えたが、事後始末というヤツである。

 柚木が教え子の保護者に刺されたということは、もう学校の管理職には伝えてあった。

 柚木の今の赴任先の保護者ではないものの、その事実に、管理職は危機感を持ったらしい。

 保護者に刺されるなどあってはならない、と。

 電話で報告をする柚木に、そう言い放ってくれたのだ。

 あってはならないも何も、柚木は巻き込まれた方なのだ。

 友人を刺そうとしていたから、庇ったに過ぎない。

 そもそもおかしいのは、どう見ても新見じゅえるの母親の方だった。

 自分の子どもの担任をしていた教師全てに探偵を付けてその行動を探っていたなど、警察から事実を聞いた時はぞっとした。

 だから。

 柚木は、譲る気はなかった。

「外聞が悪い」と言われるかもしれないが、「自分は悪くない」と言うことを、伝えていこうと思っていた。

 もしかしたら、今の仕事を失うのかもしれない。

 けれど、自分の心や誠実さを曲げてまで続ける意味はない、と静養している間に決めたのだ。

 「教師だから」と言って、全てのことを飲み込むことも、耐えることもしなくて良いのだ。

 嫌なものは嫌だと、理不尽なものは理不尽だと、声に出す。

 新見じゅえるの母親は―今は、心神喪失になっていると言う。

 もし千華子が刺されていたら、多分、それ以上彼女に責を追わせるようなことはしないだろう。

 でも、だからこそ、なのだ。

 自分のような人間が、声を出して言う。

 保護者だからとか、教師だからとか関係なく。

 嫌なものは、嫌だと。それでまちがっていると言われるのならば、それまでなのだ。

 だけど、そのことであきらめるつもりはなかった。

 その時は、大学に行く。

 どうして、教師の仕事がこんな空虚を抱えるようなものになってしまったのか。

 その答えを求めていく。

 そして、その解決方法も探っていく。

 また子ども達と、誠実に向き合うことを、選んだ千華子に負けないように。

「それじゃあ、いっちょ行って来ますか」

 柚木はそう呟くと、車のエンジンをかけた。


『お話することは何もありません。ただ、お願いがあります。どうか、「こんな親だから、子どもは死んだんだ」という報道だけは、止めてください。親を悪人に仕立て上げて、それで終わりにするようなことだけは、しないでください』

 それは、祈り。

 一蹴されることはわかっていた。多分、相手にされないことも。

 ただ、それでも。伝えなくてはならない、と思った。

 大勢の人に伝わらなくていい。

 ほんの少し、そのことをわかってくれる人がいれば。

 そして、そのことで何か一つでも、「きっかけ」が起きるならば。

 何も伝えないよりも、良いと。

 少しでも、可能性があることはしておきたかった。

 報道されるかどうかは知らないし、確認する必要もない、と思った。

 後は、自分のやるべきことをして、考えて行くだけだった。

 どうして、我が子の死を望む親がいるのか。

 どうしたら、良いのか。

 自分にできることは、何なのか。

 答えは出なくても、考えたいと思った。

 自分を支えてくれた、幼子のために。

 母に認められたいと願いながら違う世界へと行ってしまった教え子や、殺されたしまった子達のために。


「見事に叩かれているな」

 テレビを見ながら、男が言った。

 宝は、ベッドに座ったまま、ミネラルウオーターで喉を潤しつつ、テレビの画面に目を向けた。

 今週の初め、千華子がテレビ局の取材に応じて出した短いコメントは、そのテレビ局では、目玉証言として報道された。

 「ついに謎の事件の証言が取れた!」と。

 だが、しかし。

 流された千華子の証言はとても短く、真っ当すぎるぐらい真っ当なものだった。

 狂気じみた物を―野次馬根性で面白がって期待していた視聴者達は、テレビ局を責めた。

 それこそ誇大広告だ、視聴者をバカにしているのか、と。

 そうして。

 事態は千華子が望んでいたものとは、別の方向へと向かい始めてしまった。

 曰く、テレビの誇大した報道問題とか。

 視聴率を取るための、捏造とか。

 そう言った問題の方へと視聴者の意識は向かっていった。

 結局千華子の証言を報道したテレビ局が謝罪して、それが今日の朝テレビで流れていた。

「これ、わざとか?」

 上半身裸の男の後ろ姿に、宝は問うた。

「いや」

 だが、男の答えは短い。ならばそれは、

「君達の仕業か?」

 宝は、ベッドのすぐ脇にいる少女の霊に話かけた。

 千華子とよく似た面差しをしたその少女は、小さく笑っただけで何も言わなかった。

「何でここに来た?」

―お礼を言いに来たの。

 だが、次の問いにはあっさりとそう答えた。

「お礼?」

―あなたは、あの子を助けてくれたから。あの子も、ずっと気にしていたし。

 その言葉を聞いて、千華子らしいと、宝は思った。

「俺は、何もしていない」

 実際、自分は何もしていなかった。

 死を覚悟して悪鬼と化した若葉の所に乗り込んだものの、悪鬼を倒したのは、若葉が作ったサイトを利用して「殺された」子ども達の霊だった。

 彼らも、あのままだったら悪鬼化していただろう。

 もしそうなっていたら、宝も、愛理も、護も死んでいたに違いない。

 だがそれを、千華子が阻止した。子守唄を歌い、子ども達の記憶を甦らせて、その「哀しみ」を癒した。

 そのおかげで、宝は死ぬこともなく、愛理と譲をこの世界に連れ戻し、悪鬼と化した若葉の「欠片」も、回収できたのだ。

 その「欠片」は、警察病院に入院した譲に渡した。

 「欠片」は「欠片」だ。

 それを持っていても、「若葉」は生き返らないし、それは、遺骨と同じようなものだった。

 かつて「若葉」として存在していた者の、一部。

 それを譲がどうするのか、宝は知らない。

 ただ、本当に貝殻ぐらいの大きさの白い欠片を渡すと、譲はそれをぐっと握り締めて静かに泣いた。

 悪鬼に半ば「同化」していた愛理は、意識は戻ったが記憶の混乱を起こしていて、母親と弟と過ごしていた頃までの記憶しかない。

 何れ回復するだろうと医師は言ったが、それでも時間は必要になるだろう。

 そんな中、廃園が決まった「愛育園 若草の家」で働き続けることを千華子が選んだと、宝は香から聞いていた。

―それでも、あの子を助けてくれたでしょ?本当に、ありがとう。

 微笑みながら、少女―理華子は頭を下げて、そして消えた。

「……あれは、()だ(・)?」

 その直後、男が振り返りながら言った。

「どうして、あんな恐ろしい者と平気で話せる? あれは、聖と邪の狭間にいる者だぞ!?」

 いつも飄々している男の珍しく取り乱した姿に、牽制の意味もあったのか、と宝は気付く。

「だから、言っただろう? 瓜生千華子には手を出すなって。『退魔』の力を持つ者、『破邪』の力を持つ者、『守り』の力を持つ者を守護に持っているけれど、あの姉がその中でも、一番『力』を持っている」

 だが何よりも、千華子自身が。

「それ以上の『力』を、あいつは持っているんだ」

 無自覚とは言え、「神」を召還させていた。

 あの時、聖母マリアのイメージが浮かんでいたが、あれは紛れもなく、「神」の力だった。

 「神」を召還し、「神」の力を使う。

 今回は癒しの力だったが、己の身が「死」に近付いた時、容赦なく千華子は「力」を使うだろう。

 そして、そのことを「姉」である理華子も止めはしない。

 妹に「力」を使わせないことを最上としているらしい理華子も、「命」に関わる時は、その邪魔をしなかった。

「戸口さんにも、言っておいたけど。絶対に、手を出す相手じゃない。……ヘタに手を出したら、こっちが殺される」

 「人」は、「神」には勝てない。

 「触らぬ神に祟りなし」という諺は、人が長い経験を積んで得た知恵の一つだ。

「どんな化け物なんだよ……!」

 男が、頭を掻きながら呟く。

「ただの一般人」

 そんな男の姿に、苦笑を浮かべながら宝は言った。

「はあ!?」

「少なくとも、本人はそう思っているみたいだったな」

 神のごとくな「力」を持つくせに、その感覚は、あまりにも真っ当だった。

 ごく普通の人間が持つ、真っ当な感覚を千華子は常に持ち続けていた。

『何か、また電話をかけてきた妹さんに、怒られていたみたいよ』

 香から聞く千華子の姿は、ごく普通の女性―多少、間が抜けている部分もあるがーのものだ。

 きっと彼女はこれかも、中断していた親子の絆を回復しに行くのだろう。

 そして、四月まで、「愛育園 若草の家」で一生懸命働いていくのだ。

 自分が、「神」のような力を持っているとは少しも気付かずに。

 でも、それで正解なのかもしれなかった。

 人は、「神」にはなれないのだから。

 そこまで考えて、ふと宝は思った。

 人は、「神」にはなれない。

 だが、「神」とて。万能でないのかもしれない、と。


>あの報道見た? ちょーわらけるんですけど~~~~~。

>ああ、あのサイトのヤツ?

>ばかなテレビ局がはりきって放送して、ポシャったヤツな。でも、あの女の言っていることも、綺麗ごとじゃね?

>子どもを殺したヤツだけを責めるなって?マジで頭沸いているかと思ったわ。

>子どもは親を選べないのにね。あれ、何様???

>偽善者様~~~~~~。なーにが「親達のことも考えてください」だ。殺された子ども達は帰って来ないっての。

>本当、あの親達って、自分のことしか考えていないよな。何の権利があって、子どもを殺して良いって思ったんだが。

>あんな親達の方が死ねっての~~~~~。クソ親! マジで胸糞悪くなる。

>ありますよ、そんなサイト。

>はっ?

>クソ親を、殺してくれるサイト。

>マジ? あんた釣り話してんじゃないの?

>子どもは、自分の親を選べないんです。親が我が子を殺しているんですよ? クソ親の死を子どもが望んで、何が悪いんですか?


 平成二十五年度児童虐待件数 七万三千七百六十五件。

 内、死亡児童数・五十四名。


 親族間(親や兄弟の間で)殺人発生件数 年間約五百件(平成二十三年度)


 これが、この国の現実―。


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