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ひだまりの絵


 カタカタと背中のランドセルが鳴るのすら煩わしく感じる程、橘伊織は気が滅入っていた。小学校から重い足取りでなるべくゆっくり歩いても家にはついてしまうもので、見慣れた玄関の前で立ち止まり大きなため息をつき、意を決してドアノブに手をかける。家人が留守なことを願いつつドアノブを回すが当然のように開いてしまいガックリと項垂れる。項垂れた視界にいつもの見慣れた黒地に赤のラインが入ったハイカットのスニーカーともう一つ、見慣れないが記憶に残る紺地に紫のラインが入った履き古されたスニーカーが映る。一瞬固まった伊織は先程までの憂鬱さを一時胸の片隅に追いやり、靴を脱ぎ捨てばたばたとリビングへと駆ける。


「ただいま!!お帰りカナエ兄!」


 ばたんと力いっぱいリビングのドアを開けた伊織の目に飛び込んできたのはよく似た顔の青年二人。長髪をハーフアップにした眠そうな目の青年、弟のカナメと短髪にヘアピンのダルそうな目の青年、一つ違いの兄カナエが勢い良く入ってきた伊織をきょとんとみている。伊織はカナエに飛びついて満面の笑みを浮かべた。


「おかえり、いー君。とりあえず…兄さんから離れてランドセルを置いておいで。兄さんも驚きのあまり固まらないの」


「…びっくりした。えーと、お帰り伊織。それとただいま。お土産あるから荷物置いて来い」


「うん!僕の分食べちゃ駄目だからね!!」


 ぴょんとカナエから離れ伊織はまたばたばたと二階にある自室へと走る ばたばたと走って二階にある自室へと向かった。後ろでカナメが走ると危ないと間延びした声で告げたがそんな事に構っていられない。一刻も早くランドセルを置くという名目で自室に行きたいのだ。カナエが仕事から一カ月ぶりに帰宅したためにテンションが上がり一瞬忘れてしまったが、カナエが帰っているということで憂鬱になる理由が増えてしまった。ドアを閉め、ベットに腰かけランドセルを下す。そこから一枚のプリントを取り出して書かれているお知らせに目を通して深々とため息をつく。


 そのプリントには四年二組授業参観のお知らせと書かれている。伊織を憂鬱にさせているのがまさにこのお知らせプリントの内容で、伊織は頭を抱えてベッドに倒れこんだ。


 伊織とこの家の主である柊カナエとカナメ兄弟は親子でも兄弟でも無い、従兄弟同士である。伊織の母が海外へ長期出張中に柊家に居候させてもらっている、という中々複雑な関係なのだ。カナエは著名なカメラマン、カナメは著名な画家で、忙しく中々一緒にいることは出来ないが二人とも伊織を可愛がってくれている。


 母と二人暮らしの時も多忙な母に授業参観に来てくれと言えず、参観日にさびしい思いをしたが、親子でも無いのに参観に来てくれとわがままを言って二人を困らせたく無いという子供心ながら遠慮して、言い出せずにいる。


 プリントを眺めて去年の参観日を思い出す。皆保護者が来てくれてすごく嬉しそうで、羨ましかった。それでもこんなわがまま、二人には言えない。そこまで考えて言うのは止めようと決意した途端にドアをノックされ慌ててプリントを隠す。


「伊織、どうした?カナメがそわそわしているから早く行ってやれ」


 ひょっこりと顔を出したカナエはベッドに寝転ぶ伊織に首を傾げた後、ベッドに近づいて伊織の額に手を当て熱を測る。じっと伊織の目を覗き込んで何かを確かめているようだ。


「具合でも悪いのか?」


「そんなことないけど…ちょっと学校ではしゃぎすぎて疲れちゃっただけだよ。心配しないで。僕、リビングに行くね」


 ひんやりと冷たいカナエの手を名残り惜しく思いながら退けて伊織はリビングに向かう。軽い足音が離れて行ったのをカナエは微笑みながら聞いていたがふと、ランドセルの下に不自然に隠されているプリントに気づき目を通す。


「これは…」


 暫し考え込んだ後、そのプリントをポケットに忍ばせカナエはリビングに向かった。


 三人でカナエのお土産であるケーキを食べた後、宿題をする為に伊織は自室に戻る。ランドセルから教科書を取り出してから例のプリントがないのに気づいた。どこに行ったのだろうとランドセルをひっくり返したり、布団をめくったり、ベッドの下も見たが見当たらず伊織はどうしようと半泣きになってしまう。丁度その時部屋のドアが開き、カナエとカナメが立っていた。


「いー君探し物はこれ?」

 

 独特の間延びした声でカナメが言う横でカナエが手に持っている物はまさに探していたプリントで、何故兄弟が隠していたはずのプリントを持っているのか理解が出来ず、伊織は顔を歪めてしまう。


「何で持ってるの…?」


「ランドセルの下から不自然にはみ出していたのが見えた…何故言わなかった?」


 普段はダルそうに緩められているカナエの視線が鋭く伊織を射抜き、それを受け伊織の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。一度零れた雫は止まる事を知らず伊織の子供独特の柔らかい頬を濡らしていく。


 伊織の涙を見たカナエは無表情を僅かに崩し慌てだした。そしてそれを呆れたように見つめるカナメ。


「あ~あ。兄さんいー君泣かしたー。お兄さんしらなーい」


「なっ…俺が悪いのか?」


「兄さんが睨むからいー君泣いたんだよー?」


「断じて睨んで等居ない!」


「自分の目付きの悪さ自覚してよねぇ。ほらほら、いー君も泣きやんで。別に怒っていないから」


 兄弟のコントの様なやり取りを伊織は涙を流しながら茫然と見つめている。どうやら状況についていけないようで頭上にたくさんのハテナを飛ばしている。


「本当に怒ってない?」


「うん、怒ってないよ。でもね、悲しいかな。僕たちを授業参観に呼びたくないのかなとか、家族って思

ってくれていないのかなって思っちゃうよ」


「違う!!そうじゃないよ…。二人とも忙しいからこんなわがまま迷惑じゃないかなって思って。カナエ兄も帰ったばっかりで疲れているって思ったんだ」


 授業参観を隠していた理由がまさか自分達を気遣っての事とは思ってもいなかった兄弟は顔を見合わせた後、ふと肩の力を抜いて微笑む。


「ばぁか。子供がそんな心配するんじゃない」


「そうだよ。授業参観くらいわがままでもなんでも無いし、それくらいの時間なんていくらでも作れるん

だから。遠慮なんてするんじゃありません」


 そう言って優しく頭を撫でる手の温もりと言葉にカナエからプリントを渡された伊織は、大きく息を吸いここからの笑みを浮かべ二人に言う。


「二人とも授業参観に来てください!」


 兄弟は息の合った動きで頷き伊織を両側から抱きしめた。


 そして、時間は過ぎ、授業参観日当日。


 伊織はクラスメイトが教室に入ってくるのをそわそわと眺め落ち着かなかった。二人は来てくれると言ったが、急に仕事が入って来れなくなったのでは無いかと不安になっては、二人を信じなくてはと考えを打ち消したりと、一人で百面相をしてはクラスメイトに奇異な目を向けられていた。


 ちらちらと扉を見ていたら聞きなれた声と共に滅多に見る事の出来ないスーツ姿の兄弟が姿を現す。色

違いの細身のスーツを纏った二人は髪をセットしていて、いつもの緩めの私服とは違った格好良さがあり戸惑ってしまう。

癖のある中身が想像できないくらいに整った容姿の二人は、教室に入った瞬間クラス中の視線を集めてしまう。そんな視線も職業柄慣れている二人は気にもせず伊織の席に向かう。


「やっほー、いー君」


「二人とも来てくれたんだね。ありがとう」


「いや、こちらこそ誘ってくれてありがとう。しかし、小学校の天井はこんなに低いものなのか?」


「こんなもんでしょう?ねぇいー君」


 別人の様に見えた二人だが中身は変わっていないことに安心しながら、談笑をしていたが、チャイムが鳴り担任が入って来た為慌てて席に着く。


 授業参観といっても特別なことをする訳ではなく、普段通りに授業を進めている。しかし、授業は普通と言っても保護者という異分子が居る為生徒たちは落ち着かなく後方を盗み見ている。それは伊織も例外ではなくちらちら兄弟を盗み見ている。


 担任はそれを微笑ましく思いながらもこのままでは授業にならない為、気を引き締めさせる為に誰かランダムに当てようと思い、出席簿から一人適当に指名した。


「そうね、じゃあ第一段落を橘君に読んでもらおうかな」


「へ!?あ、はい」


 当てられた伊織は声を裏返しながら返事をして、指定された個所を読み始めた。緊張から手が小刻みに震えているが、堂々と朗読していく。何とか読み終わりちらりと兄弟に視線を向ける。それに気づいた二人は伊織にだけ分かるように親指を立て、笑う。伊織も親指を立て返した。


 大きな問題もなく授業参観が終わり、クラスメイト達が保護者と帰る中、伊織は気が抜けて机に突っ伏している。


「いー君大丈夫?」


「カナメ兄、大丈夫だよ。少し気が抜けちゃって」


 高めの温度のカナメの手が背中を労わるように撫で、対照的に低い温度のカナエの手が頭を撫でる。二人の手の感触に安心した伊織は少しずつ眠気を誘われていく。


「…眠いのならばおぶってやるぞ」


「兄さんずるい。僕もいー君おんぶしたい」


「わかった。じゃあ俺はランドセルを持っていく」


「んーありがとう。二人とも」


 大人しくカナメにおぶわれ、その広い背中の温かさに伊織は早くも寝息を立て始めてしまう。

 少し先を行くカナメの後姿を眺めて少し微笑みを浮かべた後、カナエは口を開いた。


「そうしているとまるで親子だな?」


「この歳で子持ちかぁ…それもいー君なら悪くないかもしれないね」


「だろう?しかし、カメラを持って来ればよかったと今激しく後悔しているよ」


「何かインスピレーションでも来たの?」


「嗚呼、カメラを後ろに固定して俺達三人の後姿を撮ろうと思ってな」


「いいねぇそれ。あ、僕も次の作品思いついた」


 二人でにこやかに話しながら少しでもこの時間が続くようにと、ゆっくりとした足取りで帰路につく。



 その数か月後カナメは、新しい作品を生み出す。その絵は二人の青年が一人の少年を囲んで本を読み聞かせている、柔らかなタッチで描かれた温かみ溢れるもので、後にその絵はカナメの代表作品となる。その絵の題名は「ひだまりの絵」。


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