すべてが卒業式なのです
完全にタイミングを見失っていた。
俺のネクタイをひらひらさせながら、階段を駆け下りる斉ちゃんを追うことも忘れるほど。
今起こったことがどういう事なのか理解できずにいる。
「・・・好きな男のネクタイをもらうんだよな。」
自分でつぶやいてみた言葉が、理解できるまでに何分かかっただろう。
・・・ええっ?
そうだよ。好きな男のネクタイもらうんだよ。
なんつーの。
そういうイベントなんだよな。
右手にピンクのチェックのリボンを載せたまま俺は完全にフリーズしていた。
しかしだ。
俺はゆっくりと階段を降り始めながら考える。
何分相手は「あの」斉ちゃんだ。
深い意味はないのかもしれない。というか俺が深読みしすぎなのかもしれない。
ただの思いつきで俺にリボンを押し付け、俺のネクタイを取って行っただけなのかも知れないんだ。
斉ちゃんならありえる。
そう思うとだんだんそうに違いないと思い始めた。
「おせーぞ永井」
松谷の声がして俺はとっさにリボンをポケットに仕舞うと中庭へ向かった。
それでも。
自分のネクタイなんかよりはずっと大切にポケットへ仕舞った。
右のわき腹あたりがふわっっと暖かくなったような気がした。
「何やってたんだよ」
松谷が携帯片手に俺に向かい、そして胸元を二度見した。
まるで「二度見」のお手本のように。
「・・・なんだよ」
「ネクタイどこいったんだよ」
「あっちいった」
そう言いながら俺は斉ちゃんのほうを顎で指した。
「・・・え?・・・・ええっ?何?春が来ちゃったの?」
・・・春は来たのだろうか。
「そんなんじゃねーよ」
「だってそういう意味・・・でしょ?」
・・・俺だってそう思いてぇよ。
「・・・わかんねぇ」
「つーかさ」
やれやれという風に松谷はため息を吐いた。
「いいの?お前はわかんないままで。もう会わなくなるんだぜ?」
もう会わなくなる。
その言葉は意外なほどに胸にずしんと来た。
同時に、右ポケットの中身が存在を主張していた。
クラスメートじゃなくなる。
ピンクのリボンをつけた斉ちゃんは毎日何もしなくても会える人ではなくなる。
・・・それがこんなにも痛いのに。
「・・・卒業式に告白なんてだせぇじゃん」
息が苦しくなるほど胸は痛むのに、俺は裏腹な言葉を吐く。
ださいって何だろう・・・そんなことを頭の遠くの方でぼんやりと考えて。
「ださくって悪いかよ」
「・・・松谷?」
「良くわかんねぇけど、多分このままでいる方がよっぽどカッコわりぃぞ、お前」
そう言った松谷の目はどこかで見たような真剣な色をしていた。
目力のある色・・・斉ちゃんのあの時の目だ。
「お前、実はカッコイイ奴だったんだな」
思わずそうつぶやくと、松谷はびっくりしたような顔をして、そして真っ赤になった。
「ばっ、馬鹿。俺に告白してもなんもでねーぞ」
「・・・告白してねーし。」
「それに実はってなんだよ。俺はいつでもかっこいいじゃねーかよ」
「・・・知らなかったし」
「いや、俺のことはいいから」
ぶははは。
二人して噴出して。
ああ。これも毎日じゃなくなっちまうんだな。
「なんかさぁ」
松谷はひとしきり笑った後、ふとまじめな顔をして言った。
「卒業するって、切ねーんだな」
・・・そしてまた、真っ赤になった。
「・・・柄じゃねぇーや」
中庭でひとしきり写真を取り合うと、一人帰り、二人帰り、なし崩しのように皆別れて行った。
正直なところ卒業式よりも中庭で「またなー」と言いながら手を振っているときの方が、寂しくなって切なかった。それも含めて「卒業式」なのかも、なんて少し文学的なことを思ったりもする。
教室に戻り、卒業証書の入ったナップサックを担いで俺は正門へ向かった。
正門で振り返り、何となく深く一礼して。
いろんな事があったような気がするし、大した事もなかったような気もする。
長かったような気もするし、短かったような気もする。
でも。とりあえず。
何だかわかんねーけど、ありがとう。
そんな気持ちを込めて。
そして俺は正門を一歩踏み出した。
ポケットに突っ込んだ右手にはさらさらとした張りのあるなぜか暖かいピンクのリボンを感じながら。
そして左手には携帯を持ちながら。
・・・その画面には「斉藤」と言う名前と番号を表示して。
一歩踏み出した。