挨拶は大きな声で
このネクタイを締めるのもあと2回かぁ。
俺は制服のネクタイを締めながらそう思った。
卒業式予行。
高校へ行くのは今日を入れて2回。
俺が高校生なのも僅かな日数を残すだけ。
でも大したことが変わるわけじゃない、とも思う。
一つ式を終えたからって劇的に世界が変わるわけじゃない。多分。
というか、そう思いたい。
そんな変化するんだったら、ちょっと怖いな。
俺は楽しみなような、不安なようなそんな気持ちで3年間通学を共にしたちゃりんこに跨ると家を出た。
・・・そういや不安はもう一個とっても身近にあったんだっけ。
学校の正門へ向かう交差点を曲がった所で、前方にオレンジ色のちゃりんこを見つけて俺は少し焦った。
オレンジの・・・斎ちゃんのちゃりんこ。
いつもだったら追いつくし、追い抜く。
で、その時に「斎ちゃんおはよー」って言うんだけど。
それは俺の朝の一杯(なんの?)にも匹敵する大切なことなんだけど。
・・・さ、斎ぴょんっていうべき、なの?ここは。
心の中で斎ぴょんって名前を浮かべただけで、赤くなる。
どうしよう。
さすがに斎ぴょんは、この俺でも恥ずかしいんだけど。
でも、せっかくそう呼んで良いよって言ってくれてるものを・・・。
色々思い悩んで少しちゃりを漕ぐペースが落ちる。
このまま、後から登校しちゃおうか。
と、その時。
「まっさぴょーん、おっはよー」
「うげっ!!」
後ろから追い抜きざまに俺に声をかける笑いを含んだ・・・松谷っ!!
・・・つーかまさぴょんって言いやがった?
「松谷!!てめー待ちやがれっ!」
一気に加速。松谷の後姿を追っかけながら俺は正門を駆け抜ける。
・・・あ。斎ちゃん追い抜かしちゃった・・・。
ロッカーで上履きに履き替えながら、松谷にヘッドロックを見舞いつつ『まさぴょん禁止令』を言い渡しておく。
全くもう、面白がりやがって。俺をまさぴょんって呼んで良いのは斎ちゃんだけなんだよ。
・・・いや、呼んで良いわけじゃないけども。
「呼ばれ慣れたほうが良いと思ったんだよっw」
俺のヘッドロックを何とかかわしながら松谷が笑う。
「そんなもん慣れたかねぇって」
「俺の親切がわからんのか~」
「わかんねぇっつーの」
そして追いかけっこ。そしてこんな事できんのも今のうちだけ。
じゃれあう俺と松谷の脇を「おはよ、永井」とさらりと斎ちゃんが通り過ぎた。
・・・あ、あれ?
「お。おはよ」
・・・なんか拍子ぬけっつーか。
昨日からのドキドキな感じは、どこへもってけば良いんでしょうか?
まさぴょんって呼ばれたら、斎ぴょんって返さなきゃな、とかあの一晩の妄想はどこへっ?
「なぁ、松谷」
斎ちゃんの後姿をみながら立ち尽くして俺は言う。
「何だよ」
思わず俺と一緒に立ち尽くした松谷に俺は尋ねる。
「これが・・・これがツンデレのツンって奴ですか?」
「あのなぁ永井」
少し哀れんだような表情で松屋は答えた。
「ツンデレは・・・デレがなきゃツンデレじゃねぇんだよ。デレはどこにあるんだ?」
「さあ?どこにあるんでしょう?」
「・・・だったらツンデレじゃなくてツンツンじゃねぇかよ」
・・・全く仰るとおりで。
ツンデレは萌えですがツンツンは萌えなんでしょうか。
そんな馬鹿なことを考えているとホームルームのベルが鳴る。
「やべっ」
俺と松屋は教室めがけて走った。
・・・予行演習は長くて退屈なものだ。
卒業生である俺でさえ思うんだから、在校生代表なんてもっとそう思ってるだろうな
どうせ明日には本番だというのにわざわざ練習する意味がわからないって。
うちの高校は学年に10クラスもあるもんだから、卒業証書授与の練習だけで1時間もかかる。
おまけに俺たちは10組だ。
授与が始まってから自分が呼ばれるまでに小一時間かかっちゃう。
・・・緊張感も切れるっつーの。
「ふあ」
あくびをかみ殺しているとマイクの前に立った担任と目が合っちゃった。
少し睨み付けられた気がするが、多分気のせいだ、ということにしてしまおう。
やっとうちのクラスか。
「・・・斉藤真奈」
「はいっ」
その名前と返事の声にまた心が弾んだのは松谷には内緒。
後ろの席に座ってる松谷が背中を突っつくけど・・・内緒。
もうすぐ俺の順番が回ってくる。
こうして同じ場所にいるのも今日と明日だけ。
松谷も・・・斎ちゃんも。
そう思うとなんだか何かに急かされるような気持ちになるけど。
事実俺は急かされるように何かを急いだけど。
明日が終わると急に何かが変わっちゃうわけじゃないだろうから。
・・・焦らずに行こう。
「・・・永井将文」
「はいっ」
俺の高校生活は、あと一日。