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終わるための音楽、君と奏でる最後の曲

作者: 最後の挑戦
掲載日:2026/04/29

卒業式まであと二週間という中途半端な時期に、校内放送で呼び出されるのは、だいたい面倒ごとだと相場が決まっている。


瀬尾奏多はそう思いながら、三年二組の席で開きかけていた弁当箱を閉じた。唐揚げが一つだけ顔を出しかけていて、昼休みを途中で止められた感じが少し残る。


『三年二組、瀬尾奏多くん。至急、第二音楽室まで来てください』


放送が流れると、教室の空気がわずかに動いた。前の席の男子が振り返って、楽しそうに口角を上げる。


「呼び出しってことは何かやっただろ」と軽くからかわれ、奏多は肩をすくめて立ち上がる。「してないと思う」と曖昧に返すと、「その言い方が怪しいんだよ」と笑われた。


適当に手を振って教室を出る。廊下に出た瞬間、三月の乾いた空気が頬に触れる。受験を終えた三年の空気は軽いが、どこか落ち着ききらない静けさが残っていた。


特別棟に向かう足取りは自然とゆっくりになる。避けてきた場所に向かうのだから。


第二音楽室の前で足が止まる。扉の向こうから、ピアノの音が漏れていた。途切れがちで、次の音に進むのを迷っているような弾き方だった。


数秒だけその場に立ったまま、音を聞く。誰が弾いているかは考えるまでもない。


「失礼します」


扉を開けると、窓際のグランドピアノの前に白石莉音が座っていた。合唱部の部長で、卒業式では学年全体の合唱をまとめる立場にいる。


子どもの頃から同じ音楽教室に通っていた幼なじみで、中学から高校一年の終わりまで付き合っていた相手でもある。別れてから、奏多はピアノに触らなくなった。


莉音は鍵盤から指を離し、ゆっくりこちらを見る。「来てくれてありがとう」と口にする。その声はやわらかく、無理に距離を詰める感じはない。


奏多は扉を閉めながら一歩だけ中に入る。「放送で呼ばれたら来るしかないだろ」と軽く返すが、視線は鍵盤から外せなかった。


莉音は小さく息を吐く。

「直接だと、来ない気がしたから」


少しの間が空く。余計な話を長引かせる気にはなれず、奏多が先に口を開く。


「それで、何か用があったのか」


莉音は譜面台に置いた楽譜に手を添える。端には細かい書き込みが並んでいて、卒業式の合唱曲だとすぐに分かる。


「伴奏、お願いしたいの」


短い言葉だったが、意味ははっきりしていた。


奏多はすぐに答えず、ピアノの黒い表面に映る自分を見た。伴奏は目立たないが、崩れれば全体に影響が出る役割だ。


「もう演奏者は決まってたはずだろ」と視線を外したまま聞くと、莉音は頷く。「昨日、指を痛めてしまって」と説明し、そのまま「先生も無理はさせられないって判断した」と補足する。


奏多は腕を軽く組む。「他にも弾けるやつはいる」とだろと選択肢を出すと、莉音はすぐには否定しない。


「いるよ。でも少し違う」と言葉を選びながら続ける。「今回の合唱、伴奏で結構変わるから。崩れたら全体も崩れちゃう」


落ち着いた説明だった。


「この学校で奏多が一番いいと思った」


まっすぐな結論だけが残る。


奏多は少しだけ眉を寄せる。「もう弾いてない」と短く口にする。


莉音は頷く。「知ってる…」

そのあと少しだけ視線を落とす。


「弾けなくなったわけじゃないのも分かってる」


その一言で、言い訳が一つ減る。


「……今さらだろ」


低く出た声に、自分でも少し驚く。


莉音はそのまま受け止める。

「うん、今さらだと思う」と否定しない。


短い沈黙が落ちる。


莉音は譜面から手を離し、奏多を見る。


「音楽やめたの、私のせいだよね」


静かな声だったが、目は逸らしていなかった。


奏多は答えない。否定も肯定も、どちらも簡単には言えない。


別れてからピアノに触れなくなったのは事実だった。嫌いになったわけではない。思い出すのが嫌で、距離を置いた。


莉音はそれ以上踏み込まない。ただ、その事実をそこに置く。


空気が少しだけ重くなる。


奏多は鍵盤を見る。触れれば戻ると分かっているから、触らなかった。


莉音は一度息を整える。


「それでもお願いしたい」と続ける。その声はさっきより少し低い。


「上手い人に弾いてほしいだけなら、他の人に頼んでる」


そこで言葉を切る。


「でも、今回はちゃんと合わせたい」


少しだけ間を置く。


「最後に一回だけでいいから、一緒に音楽やってほしい」


押しつける強さはないが、引くつもりもない響きだった。


奏多はすぐに答えない。断る理由はある。怖さも残っている。


それでも、その言葉は外れない。


「それはあのときの……今それ出すのか」


小さく息を吐くように漏らすと、莉音は視線を外さない。


「今しかないと思った」


短い言葉だったが、迷いは感じなかった。


奏多はしばらく黙る。天井を一度見上げてから、ゆっくり椅子を引く。


「一回だけな」


軽くはない言葉だった。


莉音の表情がわずかに緩む。


奏多はピアノの前に座る。遠ざけていた時間のわりに、素直に受け入れることができた。


最初の音を鳴らす。


響きがそのまま次に繋がり、考えるより先に指が動く。流れは止まらない。


最後まで弾き切り、音が消える。


奏多は鍵盤の上に手を置いたまま、小さく息を吐く。「……弾けてるな」と自分に確認する。


莉音は小さく頷く。「うん」とだけ声を置く。


奏多は視線を落としたまま動かない。


弾けるかどうかじゃなかった。弾いたあとに残る感覚の方が、避けていた理由に近い。


「……いろいろ思い出しちまうな、やっぱ」


言葉がそのまま落ちる。


莉音は何も挟まない。


奏多はゆっくり息を吐く。


「卒業式までだ」


短く区切る。


「最後に一回だけ、一緒にやる。それで終わり」


莉音は小さく頷く。


奏多は楽譜を受け取り、鍵盤に手を戻す。


莉音は横に立ち、姿勢を整える。


「お願い」


その一言のあと、奏多が音を鳴らす。


莉音の声が重なる。


声が重なった瞬間、さっき一人で弾いたときとは違う感覚が指先に伝わる。鍵盤を押す力の加減が自然に変わり、歌に合わせて音の出方を整えようと体が先に反応していた。


莉音は楽譜を見ながらではなく、少し前を見て歌っている。合唱の中で先頭に立つときの発声に近く、音を引っ張る意識がそのまま声に出ている。


一度目の通しは、途中でわずかにズレた。奏多の右手がほんの少し強く入り、歌の流れと噛み合わなくなる。それでも止めずに最後まで通す。


音が落ち着いたところで、二人ともすぐには言葉を出さない。余韻というより、どこがずれたのかをそれぞれ確認している時間だった。


奏多は鍵盤に触れたまま、指先を軽く動かす。「サビ前、少し重くなった」と短く整理する。責める響きではなく、事実を置くだけの言い方だった。


莉音は小さく頷き、譜面のその部分に視線を落とす。「入り、少し遅れたかも」と自分の方も確認する。言い訳はせず、そのまま言葉にする。


奏多は一度だけ鍵盤を叩き、テンポを取り直す。「ここ、軽めに入る」とだけ言うと、莉音は呼吸を整えて立ち位置を少しだけ直した。


もう一度同じ箇所に入る。今度は歌の入りに合わせて音を置く。鍵盤を押すタイミングがわずかに前に出るだけで、流れが自然に繋がる。


短いフレーズを終えると、二人ともほぼ同時に視線を上げる。言葉にしなくても、さっきより良くなったことは分かる。


「今の方がいい」と奏多が小さく呟くと、莉音は少しだけ肩の力を抜く。「うん、歌いやすい」と短く返る。


そのまま流れを切らずに、もう一度最初から通す。さっき調整した部分がそのまま反映され、音が途切れない。


中盤に入る頃には、余計な意識が減っていた。奏多は鍵盤だけでなく、莉音の呼吸に合わせて手を動かしている。莉音も伴奏に乗る形で声を伸ばしている。


最後まで通し終えると、音が揃ったまま止まる。さっきよりも自然な終わり方だった。


奏多はゆっくり鍵盤から手を離す。「この感じならいけるな」と軽く言葉を置く。確信というより、手応えに近い。


莉音は譜面を軽く押さえながら頷く。「うん、このまま詰めれば大丈夫そう」と落ち着いた声で答える。


壁の時計に目をやると、放課後の時間がだいぶ進んでいた。完全下校まで余裕はあるが、無理に続けるほどでもない。


奏多は椅子から立ち上がり、指先を軽く振る。「今日はここまでにするか」と言いながら、体に残った感覚を確かめる。


莉音も譜面をまとめながら頷く。

「明日も同じ時間で大丈夫?」

無理のない範囲で続けるつもりなのが分かる。


「問題ない」と答えると、莉音は小さく息を吐く。緊張が少し抜けたように見えた。


電気を消して廊下に出ると、校舎はさっきより静かになっていた。遠くの部活の音が、逆にこの場所の静けさを強くする。


並んで歩く距離は変わっていない。昔と同じ位置に自然と収まる。


階段を降りる途中、莉音が前を見たまま口を開く。

「さっきの演奏、よかった。引き受けてくれてありがとうね」


奏多は少しだけ視線を横に流す。「まだ一回目だろ」と返すが、否定の響きはなかった。


昇降口に着くと、外の空気が流れ込んでくる。昼よりも少しだけ冷えていた。


靴を履き替えながら、奏多は軽く息を吐く。

「明日、遅れないようにする」


莉音はわずかに笑う。

「無理しないでね」


校門の前で足が止まる。帰る方向が分かれる場所だった。


「じゃあ、また明日」奏多が言うと、莉音は一度だけ頷く。そのまま振り返らずに歩き出す。


距離は近かったはずなのに、どうしても越えられない何かがあった。

それでも、その隣にいた時間だけは、嘘じゃなかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


派手な展開はないですが、少しでも空気や距離感が伝わっていたら嬉しいです。


感想やダメ出し、気になった点などあればぜひ教えてください。全部ちゃんと見て、次に活かします。


面白いと感じてもらえたら、フォローやブックマークで応援してもらえると励みになります。


続きが読みたいと思ってもらえる短編があれば教えてください。読んでくれた人が次も読みたいと思える作品に集中して書いていこうと思います。


4000文字くらいだけど4時間かかりました泣

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