ある日
自分が未来を信じている理由は何だろうか
自分がそれでも希望から目を背けないのはなぜなのか
今の自分には、その理由はわからない
なぜ生きているかもわかっていないのだから
だけど、未来を信じたことを、希望を抱いたことを、今日を生きたことを
無意味にしない方法なら、自分はわかっている
こうやって疑問を抱いて、答えのない問いに、こたえを求めようとしているのは
変わり映えしない今日に意味を持たせるためだ
何も考えずに生きるなんて、自分はできない。したくない
だからこそ自分は、頼れる言葉を探し続けてきた
そんな日々に、ある言葉を見つけた
"自分を誇る"
この言葉は自分の生きる意味になり、理由になるのではと思った
後悔の対義語は、"誇ること"だとも思った
自分はまだ、自分を誇れない
自分を誇って、「これが自分の人生だ」なんて、到底言えない
いつかは言いたいけれど、すぐには言えないだろう
けれど、それでもいい。それでいい。
今日、少しでも自分を誇れることをすればいい。
それを続けていれば、すぐには誇れなくとも、未来にはきっと誇れている
未来というのは、何が起こるか決まっていない
過去と違って、変えられない出来事ではない
だからこそ、何が起こるか分からなくて、未来は怖く感じるのだけれど
何が起こるかわからないのなら、それさえも希望にしてしまえば
そんな、未来のある日には、自分は自分でいられているはずだから
いつかじゃなくて、ある日、自分が自分を誇れていますように、と
少し願って