3.遠い記憶
スウェルがまだ年若い頃、兄の友人に一目ぼれした。美しいエルフの娘、リュウール。
金色の髪は日の光を受けて眩く輝き、深い紫の瞳は夜のとばりを思わせた。
どこか物憂い表情も、それに色を添えている。
館へ遊びに来た兄ソムニオの友人の中に、彼女がいたのだ。
兄は度々、知人友人を招き茶会を開く。茶会と言っても、茶を飲むばかりでなく、詩をそらんじる者もいれば、竪琴をつま弾く者もいる。
リュウールは唄を歌った。
透き通った声音。細いようでいて、それは時に太く深く広がり。辺りを別世界へと導いていく。
皆が聴き惚れた。スウェルもその一人。容姿だけでなく、その歌声にも強く惹かれたのだ。
会が終わると、すぐさま彼女のもとへ駈け寄る。兄は他の者たちと歓談していた。
彼女は一人少し離れた場所で、一息つくように色とりどりの花が咲き乱れる庭に置かれた椅子に座っていた。
スウェルは胸を高鳴らせつつも、おずおず近づくと。
「あの…、あなたのお名前は?」
するとスウェルに気づいた彼女は、ふうっと口元をほころばせ笑みを浮かべると。
「リュウール。あなたは…確か、ソムニオの一番下の弟さんね?」
話す声音はとても穏やかで凛としていた。紡がれる言葉はまるで歌っているようでもあり。
「…スウェルと言います。その、兄の友人で?」
リュウールは笑んだまま、
「そう、友人…ね」
一瞬、その表情に翳りが浮かんだものの、自分に言い聞かせる様にそう口にした。
「そう、ですか…。あの、さっきの歌。とても綺麗で、感動しました。あんな声、今まで聞いたことがない…」
「そうかしら。まだ未熟で…。それでも気に入っていただけたなら嬉しいわ」
「誰かに師事しているのですか?」
「いいえ。ただ、あなたのお兄様、ソムニオには良く聞いていただいているわ」
「兄に?」
「ええ。彼もはじめて私の歌声を聞いた時、とても気に入ってくれて…。その後も、せがまれて何度も。彼の歌声も素敵なのに、ちっとも歌ってはくれなくなってしまって」
「そう、兄が…」
兄とは頻繁に会っているらしい。そこに二人の親密さを垣間見た気がした。
もしかして、リュウールは…。
と、リュウールは視線を背後で歓談している兄へと向けた。
一番上の兄ソムニオは、美しい金糸に深い海の色の瞳を持つ、朝の光のような容姿だった。
美丈夫で今生きているエルフの中でもひと際輝く存在で。人望もあり、能力的にも父王に次ぐ存在だ。
勝ち目はない。
けれど、当時のスウェルはまだ若く。
その事実を感じ取っていても、自分の思いを止めることは出来なかった。
何とか気を引く為、エルフの里でも幾分、森の奥に住まうリュウールのもとへ懸命に通ったのだ。
当初はやや距離を持って接していたリュウールも、次第に心を開き、屈託ない笑顔を見せるようになった。
そんな時、兄に婚約の話が持ち上がったのだ。同じく王族の血筋の、美しい娘。父王の薦めであった。
それを知ったリュウールはショックを受け、うち沈んだ。兄の催すお茶会にも姿を見せなくなり。
兄ソムニオはそんな彼女を気遣い、幾度となく会いに来ては言葉をかけていたが、彼女は悲しみ暮れ、次第に兄とは距離を置くようになっていった。
彼女にとってそれは不幸であっても、スウェルにとっては好機であり。
弱った所につけこむようで気が引けたが、それでも、恋の熱を止めることはできず。
スウェルは日々彼女に会いに行き、うち沈む彼女の側に付き添った。
徐々に彼女にも笑顔が浮かぶようになったある日、山に住むオークの群れが人里を襲うという出来事があった。
それが頻繁に起こる様になり、ついにオークらを鎮めるための戦が起こったのだ。
兄たちもスウェルも例外なく戦へと狩りだされ。
出兵するスウェルを、見送りの為、訪れた館のテラスからいつまでも見送ってくれたリュウールの姿を、今でも思いだすことができる。
彼女にようやく受け入れられたのだと思った瞬間でもあった。
人も交え戦ったそれは、数か月に及び。
ただ、ひたすらリュウールを思い戦った。この戦が終われば思いを告げるつもりで。その為にも、無事に帰らなければならなかった。
そうして長い戦が終わり。
すっかり疲れ果て、汚れた身体を引きずりつつ、それでもリュウールに会う為、帰還した。
しかし、そこで見たのは、先に帰還した兄を見て泣きながら抱きつく、そして、それを優しく抱きとめる兄ソムニオの姿だった。
ああ、終わったと、その時に悟った。
自分は結局、兄に勝つことは出来なかったのだ。リュウールは自分に見せた笑顔の裏で、ずっと兄だけを思っていたのだと気づく。
兄はその後、婚約の話を辞退し、リュウールを妻に迎え入れた。
婚儀の際のリュウールの美しさは目を瞠るばかり。今は海を渡った、太古の美しいエルフが蘇ったかのようだった。
恋はすべての不都合を隠し去ってしまう。
自分に都合の良いところだけを選び、そこだけを繋ぎ合わせ。
スウェルは大事な、リュウールの心を見ようとしていなかったのだ。本当は気付いていたのに、気付かぬふりをして。
それから、スウェルは荒れた日々を送るようになった。
もう、どうでも良くなってしまったのだ。
道楽にばかりいそしみ、美しいと噂の娘があれば、すぐに行って手中に収め、飽きるとまた別の娘へと手を出す。それの繰り返しだった。
リュウール以降、真剣に誰かを愛したことがない。
そして、二度と愛するつもりもなかった。もう、疲れてしまったのだ。
それくらい、彼女、リュウールを愛していた。
遠い昔の記憶だった。