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森のエルフと養い子  作者: マン太
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2.名前

 それから赤子と共に家に帰って。

 久しぶりの我が家の気がする。それまで大樹の見張り台や、逢瀬を重ねた相手の部屋にばかりに入り浸っていて。家を離れて一週間は経つだろうか。

 いない間はきちんと掃除や片づけをする従者がいる。先ほどもルフレが話題上らせたエルフだ。

 遠方への配置替えに、流石にスウェル一人にしては生活が荒れ放題になると、父グリューエンは使用人を数名スウェルにつけたのだ。

 執事に従者に下僕に、キッチンメイドにハウスメイド数名。それは貴族、王族にとってごく当たり前の数だったが。

 しかし、スウェルはせっかく用意した使用人を、一人残して後は必要ないと全て帰してしまったのだ。

 残った者の名はニテンスという。濃い茶色の髪と、グレーの瞳をもつエルフ。良く言えば落ち着いた、悪く言えば無表情の男性エルフだ。

 恐ろしいほどまじめで、冗談の一つも言わない。ただ、主の性質を熟知していると見え、余計な事は何も言わないし、しない。

 いるかいないかも、わからないほどの存在感。

 それが心地よく、ニテンス一人いれば十分と、後は帰してしまったのだ。

 自分一人が住むだけの家。そう散らかることもない。それに、ニテンスは家事に加え料理の腕も完璧で。本当に一人いれば十分だった。


「お帰りなさいませ」


 久しぶりの主人の帰宅にも顔色一つ変えず、ごく普通にスウェルを出迎える。

 ただ、腕に抱いた小さな塊を目にした時は、流石に目を僅かに瞠った──ひどく珍しい光景だ──が。


「ああ、これな? 今日から少しの間世話をすることになった。まるまる太るまで面倒をみる。そうなったら適当な人間に渡して来ようと思っているんだ。森の木の下で拾ってな。面倒の見方は、ルフレに全部聞いた。俺がやるからお前は手を出すなよ?」


「…はい」


 僅かではあるが、水たまりに張った薄い氷のごとく、心配の色が浮かんだ気がしたが、それもすぐに消えると。


「お食事は?」


「ああ、こいつの面倒を見ながら食べる。軽くていい。つまむ程度だ」


「分かりました」


「あと、彼女に断りの連絡を入れてくれるか? 今夜、会う約束をしてたんだ。ええっと、名前を──」


「アネローゼ様です」


「そうそう、そうだった。頼んだ」


 ニテンスはなぜかスウェルの付き合う相手全ての名前、出自、居所を心得ているのだ。


「はい」


 事務的にそう答えるとニテンスはすっと奥へと消えた。

 ニテンスはいったい、主人をどう思っているのか、スウェルには全く持って謎ではあるが、彼に裏がないことは分かっている。気にしないことにした。


 さて、なんだったかな?


 数時間置きにミルクを飲ませろと言われていた。

 ミルクと言っても牛ではなく、樹液から採取した、見た目は牛のミルクに近い、更に栄養価のある飲み物だった。

 人間の赤子の口にそれが合うのかは分からないが、こんな子どもに上手いもまずいも分かるまい。

 シリルはやや心配そうにしていたが、スウェルは栄養があるならそれを飲ませておけば充分だと思った。


「ええっと、ミルクミルク、っと」


 普段、大人のエルフも口にする。


 食卓にも良く上がるから家にないはずはないが──。


 赤子を腕に抱え台所へ探しに行けば、すっと脇からそれが近くにあったテーブルに置かれた。蓋つきのピッチャーに入っている。

 続いて温めるための水の入った小鍋も脇のストーブに置かれた。哺乳瓶は既にルフレから渡されている。


「すまないな。ニテンス…」


「いいえ。ここにベッド用の籠と毛布も用意いたしました。他に必要なものがあればお呼びください」


「ありがとう、ニテンス」


 いや。本当にできた従者だ。


 ニテンスが去ってから、赤子を一旦、側に置かれた籠に寝かすと、ルフレに言われた通りミルクを消毒済みの哺乳瓶へと移し、人肌に温める。

 そうして、さて、と赤子を振り返った。

 見れば深い緑色の目をくりくりと動かしている。

 まだこの幼さでは見えていないのでは? と思うが、辺りかまわず視線を向けていた。


 エルフの家が珍しいのだろうか?


 石造りのごく一般的な建物だ。至る所に植物や昆虫、動物の彫り物がしてある。子どもにはもの珍しいのかもしれない。


「名前…か」


 ルフレには名前を呼びながら、あやしたりミルクを飲ませろと言い聞かされていた。


 名前名前。


 ふと、幼い頃、読んだ本にあった名を思い出した。

 海に捨てられた子どもが、老夫婦に拾われ育てられ成長し、最後は悪い龍を退治した、という、ありがちな勧善懲悪の物語。

 確か主人公の名を『タイド』そう言った気がする。


「それでいいか。別にすぐにお別れだしな。そしたらそこで新しい名前を付けてもらうといい。だが、今は──タイドだ。どうだ、強そうだろ?」


 そう言って、つんと柔らかい頬を指先でつついた。

 と、思いのほか強くつついてしまったらしく、タイドの顔がくしゃっと崩れ、あっという間に大音量の鳴き声が館内、いや敷地外にも響いた。


 まずい。これはまずいぞ。


「おーおー、痛かったな? タイド。だが、今のはちょっと突いただけでな? ほら、今ミルクをやるから、これで落ち着け──」


 と、無理やり泣き叫ぶタイドの口へ哺乳瓶の口を突っ込もうとすれば、その手を誰かが静かに引き留めた。

 ここにいるのはスウェルの外に彼以外いない。ニテンスだ。


「…泣き終えてからがいいでしょう。喉に詰まらせてしまいます」


「そ、そうか。そうだな。ありがとう、ニテンス」


「いいえ」


 そう言うと、籠からタイドを取り上げ、腕に抱くと慣れた手つきであやし出した。


 なんで、こいつ、こんなに慣れているんだ? 子どもを持ったことがあるのか?


 不審の目を向ける主人の意図に気づいたのか、ニテンスは無表情のまま。手はもちろん止めていない。


「歳の離れた弟がおりましたので。彼が成長するまで、母の代わりによく面倒を見ていました」


「そ、そうか! それは良かった…」


「お名前はタイドと?」


「おう、そうだ。いい名だろう?」


「──昔読んだ、絵本の話の主人公ですね。いいお名前かと」


 心なしか、無表情のはずのニテンスに笑みの欠片が浮かんだ気もしたが──気のせいかもしれない。


「お食事の用意ができました。食卓へどうぞ。タイドは私が連れて行きましょう」


「うん。それがいい。食べている間は頼んだ。下手に抱いていてこぼしてもいけないしな」


「左様です。さあ、籠ごとお持ちします」


 ニテンスにせかされるように次の間の食卓につく。

 ニテンスはタイドを籠に移すと、それごとそっと食卓の横に寄せてあった椅子に乗せた。

 手摺も背もたれもあるしっかりした椅子だ。少しくらいタイドが暴れても落ちるようなことはない。ニテンスが先を見越して用意したのだろう。気の利く従者だ。


「ほら、これをやるといい」


 先ほど作ったミルクの入った哺乳瓶をニテンスに渡す。ニテンスはそれを受け取り、再びタイドを抱き上げそれを与えた。

 慣れたものだ。自身は軽めの食事を口にしたが。

 何か面白くない。

 だいたい、ルフレに任せろと言った手前、このままニテンスに全てやらせるつもりはなかった。

 それではルフレを見返してやれないからだ。自分一人で面倒を見切ったのだと自信を持って宣言したい。

 赤子をあやす様子からも、ニテンスは全て面倒をみてもかまわないかもしれないが。

 スウェルは用意された香ばしい薫りのする焼き菓子──植物油と豆の粉と先ほどのミルクを混ぜて練った甘くない焼き菓子──を口にしながら、


「これを食べたら俺があやす。飲ませ終えたらそこに置いて行ってくれ」


「わかりました。おむつの替えなどは寝室の方へ用意してあります。産着の替えもそこに」


「わかった、わかった。まるでタイドが来るのが分かっていたような準備の良さだな? ──もしかして、先にルフレから連絡があったか?」


 ここでの知らせには鳥を使う。

 一般的な野鳥ではなく、ここの森にしか生息していない貴重な鳥だ。身体は白く、彼らはとても素早く便りを持って飛ぶことができるのだ。

 ニテンスの余りの準備の良さに、ルフレがそれを使って連絡した可能性が高いと踏んだのだが。


「はい。スウェル様がお帰りになられる少し前に。赤子を暫く預かることになるだろうから準備をと」


 案の定だ。ニテンスは嘘をつかない。


 ったく、ルフレの奴。


 シリルがルフレを手放さないのが良くわかる。口うるさいのは玉にきずだが、本当によく気が回る。

 それに黙っていればかなりの美人だ。金糸に薄い紫の瞳。シリルも金糸に青い目。二人並ぶとまるで明けの星がそこに人型を取って下りてきたかのようにも見える。

 シリルもただの冴えない薬師の癖に、やたらと見た目は派手な男ではある。


 まあ、今回は感謝しておくとするか。


 流石のニテンスも、突然赤子が現れては、対応に苦慮した事だろう。

 タイドが飲んだものと同じミルク──樹液だが──を飲み干すと、さあとばかりにニテンスの方へ手を差し伸べた。


「ほら、あとはいい。貸せ。俺がやる」


 早く取り戻したくてニテンスをせかす。


「わかりました」


 すると、すぐにニテンスはタイドを渡してくれた。

 腕に抱えると、最初に抱いた頃より、重くなった気がした。もちろん、そんな急に太るはずはないのだが、そんな気がしたのだ。


「おー。よしよし。タイド、ニテンスは顔が怖いな? ちょっとは笑えばいいのにな?」


「…笑えば、余計に泣きます」


 無表情で答える。鉄面皮だ。


「そ、そうか。…だな」


 開け放たれた窓の外を、野鳥がひと声、鳴いて飛び去った。


「それでは、私はこれで。何かあればいつでもお呼び下さい」


「おう、分かった」


 そうして、ニテンスは食器を下げると、音もろくに立てず退出して行った。


✢✢✢


 ニテンスが去った後、スウェルは腕の中で眠り始めたタイドを見つめる。

 赤茶の髪がふわふわと揺れ、やせっぽちの手足は小さくも、夢でも見ているのか微かに動きを見せた。


 頬も、ふにふにだな。


 赤子をこうして見つめるのは初めてかもしれない。自分が末っ子だったせいもある。成長してからは、幼いこどもと接する機会は早々なかったのだ。


 子を持つつもりもないしな。


 兄の中にはすでに結婚して子供をもうけたものもいる。たまに家族で集まると、賑やかなことこの上ない。

 しかし、子をなすほど女性を愛したこともなく。いや、一度は夢見たこともあったが、その人は今、長兄の妻となっていた。


 子どもが欲しいと思う気持ちも、そこまではないしな。


 相手をするのは、兄弟の持つ子どもらで十分だった。例え妻を持ったとしても、できればそれで、できなければそれで。

 エルフには死というものが訪れない。戦や不慮の事故で命を落とさない限り、永遠に生き続けるのだ。そのため、子を成そうという欲求は薄い。

 成長もある程度行くと止まってしまう。その為、老いたエルフなど、見たこともなかった。

 そうして、あまりに長い年月を過ごしたものは、また別の世界へと渡っていくのだ。

 父である、森のエルフの王グリューエンの父母も、既にこの世界からは去っていた。


 まあ、それも当分先だな。


 スウェルはまだこの世界に飽きてはいない。

 この世界には美しいもの、心惹かれるものが山のようにあって。特に美しいエルフの女性たちはスウェルの心を惹きつけた。

 そんな彼女らとは、遊びで付き合うのが一番だ。真剣に一人だけなど、今のスウェルには考えられない。

 美しい花は至る所にあり、どれも美しく、どれかひとつに──などとは、とてもではないが出来そうにないからだ。


 ま、要は自分が一番、可愛いのだろうな。


 楽しく過ごせればいい、それだけだった。

 が、この赤子がいる間はそうはいかない。自分だけ──などとは言っていられないのだ。


「さて、寝かすか…」


 ルフレに言われたことを思い出し、ニテンスが用意した籠の中へタイドを寝かそうとして、手を止めた。

 新品の白い産着にくるまれたタイドは、スウェルの腕の中で気持ちよさそうに眠っている。

 大きく開いた窓からは月の光が差し込み。

 照らし出されたタイドは、どこか神秘的に見え、まるでエルフの子の様にも見えた。

 スウェルはじっと見つめていたが、ふと、幼い頃、母に唄って聞かされた子守唄が口をついて出た。

 鼻歌だ。旋律だけが頭に残る。

 スウェルは赤子の身体を軽く叩くようにしながら、暫く唄を歌っていた。

 久しぶりに、誰かの為に歌った気がした。


✢✢✢


「ああ、寝不足だ…」


 ベッドではなく、タイドの眠る籠の傍のソファで目を覚ます。

 美しく艷やかな自慢の銀糸はくしゃくしゃ、翡翠色の瞳の下には一夜にしてクマが出きた。


「おはようございます。スウェル様」


「…おはよう。ニテンス」


 寝乱れたスウェルの姿に驚きもせず、変わらぬ態度でニテンスは接してくる。


「昨晩は、幾度かタイドに目を覚まされたようですね?」


「そうなんだ…。こっちが寝た途端、目を覚ますんだ。それで、あやしてミルクを与えておむつを替えて…。ようやく寝たかと思えば、またこっちが寝入った所で泣き出す…。こいつはモンスターか? 小鬼か?」


 スウェルはぐっすり眠るタイドの籠を指ではじいた。


「滅相もない。赤子はそういうものです。さあ、湯あみを済ませて来てください。さっぱりするでしょう。その間は私が見ております。その後、朝食を」


「…ふう。しかし、弱音は吐かないぞ。ルフレの鼻を明かしてやるんだ」


「いい心意気です」


 ニテンスは笑んではいないが、どこか微笑んでいるようにも見えた。

 スウェルは肩をすくめてそれに答えると、ぐんと伸びをして髪をかき上げつつ、すっかり寝乱れた衣服をそのままに、浴室へと向かった。


 そんな主人の後ろ姿を見送った後、ニテンスは眠るタイドを見下ろし。


「タイド、ご主人様の歌声を聞けて良かったですね? …本当に、久しぶりです」


 そうして、どこか遠い目をしてから、


「…リュウール様がご結婚されて以来でしょうか」


 ニテンスの言葉にタイドは、あうあうと言葉にならない声を上げた。



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