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森のエルフと養い子  作者: マン太
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1.プロローグ

「どうか…この子に幸せを…!」


 そろそろ日も落ちかける頃。

 誰かがそう言って、スウェルが惰眠をむさぼる大樹の根元へ『何か』を置いていった。

 『この子』の時点でそれが何かの想像はつく。


 時々、あるんだよね。


 やれ、仔牛が産まれただの、やれ今年は麦が豊作だったの。果てはようやく息子に嫁が来ただの。

 何かことあるごとに『お礼』と称して、供物を置いて行くのだ。大抵、それらは野生の生き物の糧となる。

 ただ、今回はどうも様子が違うらしい。供物として置いていった訳ではなさそうだ。


 面倒だな。


 正直な感想だった。

 そのまま暫く大樹の上に作られた見張り台の上で、肘をつきゴロリと横になっていたが。今にも消えいりそうな泣き声に、このまま無視を決め込む訳にも行かず。

 それに放っておけば、泣き止むより先に野生の生き物に喰われるのが落ちだった。流石にそれは気が引ける。

 スウェルはハァと大袈裟なほど深いため息をついた後、身体を起こし、長く垂れる銀糸の髪を億劫そうに肩へと跳ね上げた。仕方なく樹を降りて様子を伺う事にしたのだ。 

 この樹はかなりの年月を経た大木で。

 森の奥、知らねば到達出来ない場所にあるのだが、近隣の村人には代々言い伝えられているらしく、多くはないにしろ、訪れる人が絶えることはなかった。

 どうやら、この辺りの守り神と思われているらしい。その為、人々はここへ願い事や感謝をしに訪れるのだ。

 エルフは樹の上を好む。特に時を経た大樹は何よりの棲みかで。

 この大樹には、人には見えないよう、目に入っても気づかれないよう、ニ、三名が寝られる程の広さの台が上部に築かれていた。

 見張りの為だ。森にはごく稀に野蛮な生き物が入り込む事があり。その警戒の為に作られているのだ。

 そんな役割を持つ樹なのだが、そこを本来とは違う役割、寝場所のひとつと決め込んでいるスウェルは、人々のそれに遭遇する確率が高かった。

 しかし、ただ聞くだけだ。ここに誰もいない時と同じように、ただ静かにしているだけ。

 人々は知らずに必死に祈り、時にはお礼に来る。こちらが何かした事はない。勝手に祈って勝手に感謝して。


 面白いものだな。人間と言うものは。


 大木を降りきると、木の太い根と根の間、守られるようにして粗末な布にくるまれた赤子がいた。すでに置いて行った人の姿はそこにない。

 髪は赤茶色。瞳は深いグリーン色。しかし、綺麗な瞳に対して、その瞼は泣きすぎですっかり赤く腫れあがっていた。


 ふん。瞳は俺と同じ色か。いや、俺の方が薄いな。


 まだ生まれて間もない割には痩せている。

 この年頃の赤子は、もっと丸々と太って手足などふくふくしているものだが。


 さて?


 泣き声も小さかった。ひぃひぃと最後には絞り出すようなかすれ声になっていて。今まで見てきた人の赤子とは明らかにかけ離れている。


 きっと栄養が足りていないのだな。


 粗末な布にくるまれている所からも、この赤子の育ってきた環境が伺い知れた。貧しい家に生まれて、口減らしに捨てられたのか。

 同情の余地はある。

 このまま放っておけば、どの道近いうちに命を落とすだろう。

 最近、この辺りは不穏な空気に包まれている。人々は国と国との戦いに明け暮れ、その傍ら、人の黒いオーラに触発されたかのように、オークやゴブリンなど、闇に生きる者たちの動きも活発化しているのだ。

 ここはエルフの里にも近く、聖域となっている。滅多なことでは質の悪いオークどもはやってこないが、野生動物に襲われるより先、奴らに襲われる可能性もなくはない。


 このままって、わけにもな…。


 仕方なし、ひーひー泣き続ける赤子を根元から取り上げた。

 しかし、その身体の軽さに驚く。

 まるで羽毛のように軽い。しかも、両手で持たずとも片手で十分なほど。

 生まれた時も未熟な状態で生まれたのだろうか。それでも目鼻口、手足はきちんと人のそれだ。

 育てるつもりはさらさらないが、とにかく、今は栄養を与えることの方が先決だろう。

 しかし、スウェルは長い生の中で、一度として婚姻したことも、子を持ったことも、育てたこともない。

 一時、預かるにしても、何をどうしていいのか全く分からなかった。馬に餌を与えるのとはわけが違う。


 さて、どうするか。


 そう考えている間にも、次第に泣き声は小さくか細くなっていく。


 これは…不味いな。


 兎に角、既知の友人の元へ向かう事にした。

 赤子など連れて行けば、何時の子だ、誰の子だとはやし立てられるのは目に見えていたが、今はそれどころではない。


「ったく。面倒だな…」


 泣きすぎて疲れたのか、はたまた温もりに安堵したのか、寝入ってしまった赤子を腕に抱え、途方に暮れつつもスウェルは友人の元へと向かった。


✢✢✢


 スウェルはエルフとしても、まだ年若い方だった。

 兄弟は多く、上に男ばかり六人もいる。

 森のエルフの王である父と、后である母との仲の良さの結果だろう。

 今でも仲睦まじい二人に、また子どもができるのではと噂されるほどだ。自身はその最後の子どもだと信じているが。


「あれ? スウェル、いつ子どもを持ったの? いったい、どちらのお嬢様との子どもなの?」


 懇意にしているエルフ、薬師シリオの伴侶であり、助手もしているルフレが、腕の中にいる赤子を認めて、菫色の瞳を意味ありげにきらりと光らせながら声を掛けてきた。

 そこにはすでにからかいの色がある。


「そんなんじゃない…。見ればわかるだろう? 人の子だ。俺のねぐら──いや、見張りをしている木の下に人が捨てていったんだ。すぐに人に返すが、その前になにか与えないと死にそうだ。どうしたらいいか、シリオに聞きに来た。奴はいるか?」


「そうなの? あれ、かわいい子。でも確かに痩せすぎだ…。シリオ! シリオ!」


 スウェルの腕の中の赤子を覗き込んだあと、肩までの金色の髪を揺らし、急いで石造りの建物の奥へと駆けて行った。

 館は白亜の石で出来ていた。その壁や柱には、美しい意匠の彫刻が施され、そこへさまざまな植物の蔦がからみ、また上から垂れ下がっている。それがまるで屋根のようにも見えた。館のほとんどはその蔦の中に埋まっている。

 シリオはエルフの薬師だ。かなり腕の立つ薬師であり、彼の薬で治らないものはないと言われている程で。

 そんなシリオなら、赤子を一気に太らせる妙薬を知っているのではないかと思ったのだが。


「あぁ、なんだ。スウェルか…。何の用だ?」


 奥からルフレと共に姿を現したシリオは、金色の前髪をかき上げながら不機嫌な顔をして見せた。青い目には明らかに不信の色が浮かんでいる。

 しかし、スウェルはそんな態度など、気にも留めない。

 シリオとは幼馴染だった。

 幼い頃、よく連れまわし、無茶に付き合わせたため、今ではすっかり煙たがられている。


「そんな、嫌そうな顔をするな。お前に仕事を持ってきた。この赤子を今すぐ太らせろ」


「はぁ?」


 シリオは素っ頓狂な声を上げて、スウェルの腕の中の赤子に目を向けた。そうして、すぐにその腕から赤子を取り上げると、抱え上げ。


「…こりゃあ、薬じゃだめだ。人の乳がいいが、そんなもの、すぐには手に入らない。俺たちが乳代わりにするもので良ければあるが…」


「なんでもいい。すぐ太らせろ。そうしたら、さっさと人里に置いてくる」


「おいおい。そんな簡単に太る訳ないだろう? 幾らお前の父君、エルフの王グリューエン様の力を持ってしても、やせっぽちの人の子を一瞬にしてまるまる太らせることなんて出来やしない。太らせるには時間がかかる。それまではちゃんとお前が面倒を見るんだ。それが看る条件だ」


「はぁ?」


 今度はスウェルが声を上げる番だ。


「冗談じゃない! そんな赤子がいたら、おちおち遊びにもでかけられんだろ? 今夜も約束があるんだ…。せっかく頑張って落とした娘と初デートだ。甘い夜を過ごすんだ。彼女も首を長くして待ってる。行かないと男が廃れ──」


「ああ、はいはい。あなたはそういう軽薄で薄情なエルフですものね?」


 横で聞いていたルフレは、シリオの手から赤子を取り上げ大事そうに抱えると、館の中へと連れていく。

 スウェルは、ああもうっ! と半ば癇癪を起して、銀色の髪をくしゃくしゃにかき回し、そのあとを追った。


✢✢✢


「流石、王家の末っ子、甘ったれ王子様。やりたい放題、あちこちの娘に手を出しては、それはそれは充実した日々をお過ごしのことでしょう。では、今夜も逢引きにいってらっしゃいませ。そうして、その間にこの子が短い生涯を終えた所で、あなたの胸はひとつも痛まないのでしょうね? 流石、王家の放蕩息子。遠方に放逐されることだけはありますね?」


 すべて言い切ると、ルフレは冷えに冷え切った目をスウェルに向ける。

 その言いように、暫くスウェルは口をぱくぱくさせていたが。はたと我に返り、ついてきたシリルに向けて。


「シリル! お前の伴侶はなに様だ? 俺をそこまで貶める権利があるのか? しつけはどうなってる?」


 しかし、ルフレの言葉はいちいち、スウェルの胸に突き刺さった。その通りだからだ。

 スウェルがあちこちの娘に手を出しているのは有名な話で、時にはそれが女性同士の諍いの種になったりもする。

 父である森のエルフの王グリューエンは、さすがに見過ごすことができず、罰を与える代わりに、末の息子を遠方の警備の長に充てたのだ。

 長と言っても実質、指揮を執るのはその下の優秀な部下達で。

 長であるスウェルは日々、件の大樹の見張り台で惰眠を貪り、飽きれば見目麗しい娘の部屋を訪れ、そこで事に及んでいるのだ。

 シリルは苦笑しつつ。


「俺もしつけられている口だ。ルフレは赤子を心配しているだけさ。拾ったのなら、最後まで責任を持てとな。当然のことだ」


「…信じられん。俺が王だったら、即座にそんな口などきけないよう、封じてやるところだ」


 それを耳にしたルフレは、わざと大きな声で。


「ああ、良かった! あなたのような人が王にならなくて。さぞ、酷い暴君となったことでしょう。きっと、自分に都合の悪いことを口にするものは、端から全て処罰したでしょうから。優秀な兄上たちがいらっしゃって、本当に良かった!」


「おい! シリル! こいつの口の悪さをなんとかしろ!」


「…仕方ない。本当の事だ」


 笑うシリルに、スウェルは苦虫を噛みつぶした様な顔になるが。

 ルフレは言いながらも、赤子を柔らかなソファの上に一旦おくと、大理石のテーブルにたらいをのせ、その中に沸かしてあったお湯を移し、赤子に丁度いい適温にする。

 ちなみに、エルフの声音は耳に心地よいらしく、幾らルフレが大きな声を出しても気にならない様だった。


「何をする気だ?」


 スウェルが不審気に見やれば。


「湯あみです。こんなに薄汚れて…。このままじゃ、病気になってしまう。身体もすっかり冷え切っていますし。兎に角綺麗にすることが先です!」


 と、赤子に巻かれていた粗末な布を取り去った。と、ルフレがあっと声を上げる。すぐにシリルが反応した。


「どうした?」


「…こんなものが」


 赤子に巻かれていた布を取り去ると、中から厳重に皮で巻かれた棒状のものが出てきたのだ。

 ルフレからそれを受け取ったシリルが慎重に、棒に巻かれたそれをほどくと、中から一振りの剣が現れた。

 ナイフに近い大きさで、長さは二十センチほど。片刃で象牙でできた柄には、美しい竜の彫り物と赤い宝石が埋め込まれていた。


「…これは、スプレンドーレ家の紋章…」


 見事な竜が一匹、赤い石を抱くように掘られている。良く見れば刃にも同じように龍の絵柄が彫り込まれていた。

 スプレンドーレ家とは、この地方を治めるセルサスの王家の名だった。

 大陸の北方よりを守る国でかなりの強国だったが、ここ最近、各国の諍いに巻き込まれ、自国を守り、周囲を治めるのに手を焼いている。


「なんだ? こんな死にぞこないの赤子が関係しているとでも?」


「そんな言い方、止めてください! ほんっと、優しさの欠片もないんですから。あなたに愛される女性が可哀そうでなりません」


 言いながら、ルフレは剣はシリルに任せ、赤子をそっと優しい手つきで洗っていく。いつの間にか目覚めた赤子はルフレの手の中でここち良さげにしていた。

 シリルは顎に手をあてながら。


「…これは、王家につながるものを意味しているんじゃ…。もしかしたら、この子は王族に関係しているんじゃないか?」


「だが、木の根元に捨てるくらいだぞ。そんなはずないだろう? しかもこんなやせっぽちで。王族の子どもをそんな目に遭わすか? 何処かで拾ったんじゃないのか? で、せめてもと、子どもの産着に潜ませた…」


「しかし、拾ったにしては…。この子を置いていった主は見なかったのか?」


「いや…。俺もすぐには下りて行かなかったからな…」


「どうせ暫く放っていたのでしょう? 可哀そうに…。だって、声も枯れています。きっと沢山、泣いたんでしょうね?」


 ルフレはよしよしと言いながら、温まって軽く赤くなった頬を撫でた。


「…うっ」


 まさにその通りで。スウェルは反論もできない。そんなスウェルの肩をシリルは叩くと。


「お前は忙しいだろう? 今晩はここで面倒を見よう。明日からしっかり面倒を見てやってくれ。今からきっちり面倒の見方をルフレから教わってな?」


 しかし、スウェルは奮起すると。


「いいや…。今日から面倒をみるぞ! みてやるとも! 俺が無慈悲で冷血なエルフじゃないと証明してみせる! こんな赤子、すぐに手玉にとってやるさ!」


「…スウェル。この子はお前の付き合う女性とは違うんだ。手玉にとるんじゃない。面倒をみるんだ」


 呆れたようにシリルが口にした。


✢✢✢


 その後、ルフレから事細かに世話の仕方を教え込まれ、なんとか一通り出来るまでになると、漸くルフレは赤子を託す許可を出した。

 ルフレは赤子を抱いたスウェルの背をぴしゃりと叩き。


「いいですか? どうしてもダメな時はすぐに私を呼んでください。手遅れになってからじゃ遅いですからね? ひとつでも手を抜いたら、この子は命を落としますよ? よく、肝に銘じておいてくださいね。まあ、あなたには優秀な従者がついていますから、きっと大丈夫でしょうけど…」


「俺をみくびるな。従者の手など借りない! 完璧に面倒を見てやるさ。俺はできる男だ!」


 見返してやるとばかりに胸を張って見せれば。


「その自信が心配なんです。ああ、でもシリルがいいと言うのなら、信じましょう…」


 いつまでも不安がるルフレに、そろそろ許可をと、提案したのはシリルだったのだ。


「そうさ。スウェルはこう見えて、案外面倒見がいい。いい経験にもなるだろう。さあ、もう夜も遅い。早く帰って休ませてやるといい。──ああ、あと、名前は忘れずにつけてやるんだぞ?」


「けど、すぐに手放すんだぞ? 名前なんて必要ないだろう?」


「少しの間でも必要だ。太るのには数か月かかる。彼もひとりの人間だからな? ただの可哀そうな赤ん坊じゃない」


「わかった、わかった。何か考える…」


「あ! ポチとかタマとか、安易なのは止めてくださいよ!」


 ルフレが慌てて付け足した。


「…分かってると言ってる」


 どこまでもスウェルを信用しないルフレだった。



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