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「さて、どうしますかグレイル様。まずは何から始めましょう」


 広場の横に作られた階段。

 街中へと続くその階段を下りながら、タームテールは前を歩くグレイルに指示を仰いだ。


「まずは拠点じゃろうな。何をするにも起点となる場所が必要じゃ」


 彼女は足元に注意をはらいながら答える。

 ここにくる道中でタームテールが言っていた「陣地を作成する」ということにも通じるかもしれない。


 一日ごとに塔に戻るという選択もあるが、それをするにしても転移門を設置ないしあるいは、転移魔法を人目を忍ばず使えるような場所が必要になる。

 今の時代にしろ前の時代にしろ、当然というべきか神代に匹敵するほどの魔法や魔術に関する技術力はない。あまり見られるような使い方は控えた方がいいだろう。


「となると宿ですか」

「そうじゃな」


 階段の下の方から三人組の大柄な男たちが近づいてくる。

 彼らはグレイルたちをチラリと見上げると、興味なさげな雰囲気を出しつつも、二人のほうを注意深く観察しているようだった。

 兵士ではなさそうに見えるが、胸当てなどの防具を着用して直剣を腰に提げている。傭兵のようなものだろうか。


「もし、そこの方。お尋ねしたいのですが、ここらに宿はございませんか?」


 タームテールはちょうどいいと、すれ違いざまにその三人組に問いかける。その中のリーダーらしきスキンヘッドの男がタームテールの声に反応した。


「ああ? なんだお前ら、外から来たのか?」

「ええ、まあ旅人のようなものでして。娘と二人で旅をしているんですよ」


 男の視線がタームテールからグレイルに移る。

 グレイルはまたタームテールの法衣にしがみつき、いたいけな子供のように、その影に隠れるように立ち振る舞う。

 それを見た男は愉快そうに口元を歪めてくつくつと笑うと、タームテールのほうに視線を戻す。

 グレイルの演技力に対して笑っているわけではないだろう。彼女の演技は上手なものだ。


「そうかい。マァここら辺は治安がいいとは言えねえからな。ここから向こうにまっすぐ行った先の、大通りにある薬屋のわきの路地に『赤い箱』って呼ばれる宿がある。そこならいい夢が見られるだろうぜ」

「なるほど。赤い箱」

「聞きたいことはそんだけか?」

「ああ、それと。教会があると聞いたのですが…」

「それならあれだな。あそこに見えるデカい鐘塔のところに教会がある。この街で教会っつったらアレだろうよ」


 階段の中ほどからは、まだ十分に街並みを見渡すことが出来る。

 男が指差す方向に目をやれば距離はあるが──確かに街の中心部あたりに、他の高い建造物に混ざって立ち並ぶ背の高い塔と、そこに設置された黄金色の大きな鐘が見えた。


「ありがとうございます。助かりましたよ」

「いいってことさ。宿の名前を忘れるなよ? 『赤い箱』だぞ」

「ええ、この頭に刻みましたとも」


 屈託のない笑顔で笑うその男は、手を振りながら他の二名を引き連れてグレイルたちがきた門へと向かって階段を上っていく。

 二人はそれを見送ると再び、正面に向き直って階段を下り始める。


「欲しい情報が二つも集まるとはな。やるではないか」

「くふふ、ただ話をしただけですよ……いえ、もしや皮肉ですか?」

「おぬしのきな臭さが悪さをしなくて良かったと安心しておるんじゃ」


 住宅街に入り、男に言われた方向に向かって進んでいく。

 大通りにある薬屋のわきの路地、と彼は言っていた。「まっすぐ」とも言っていたから、取り敢えずは広い通りに出るまで歩けばいいだけだ。


 それにしても。

 報告書にも簡単に記載されていたとおり、ここフィリップスはかなり綺麗な街並みであるようだ。

 広場から眺めた時にもそう感じた。

 中央あたりから外側にかけて、背の高い建造物と低い建造物がなだらかな曲線を描くように区画分けされて建てられている。

 このゲネア皇国には首都を含め六つの大きな都市が存在しており、その全てがしっかりと隅まで整備されているとの話だ。


「ところで、あやつらは何者じゃ? 兵士には見えんかったが」

「おそらく冒険者というやつでしょう。まあ、傭兵とさして変わらないかと」


 あれが冒険者。

 石畳の路上を、左右に立ち並ぶレンガ様式の住宅を眺めながら。グレイルは先程の三人組のことを思い返した。

 冒険者とはなかなか耳慣れない言葉だった。昔もああいうような連中がいたが、特に個別の名前などは無かったような気がする。

 それこそ傭兵と一括りに呼ばれていたくらいか。


 ただ確かに、タームテールの言うように装備や得物は我々の知る傭兵と大して変わらないように見えた。ならば性質も大して変わらないだろうし、特段目新しいものというわけでもないだろう。

 むしろ二千年前とあまり装備様式が変わっていないことに、すこしの安心感を覚えるくらい。


「これだねパパ。看板にアルマ薬剤店って書かれてる」

「流石ですテスタ。確かにポーションの絵がありますね。これなら読めなくてもわかりますよ」


 歩き続けること十数分。人の行き交う大通りに出た二人は、周囲を見渡してポーションの絵が大きく描かれた看板を見つける。

 薬屋だ。

 その店の横には男が言っていたであろう路地があるものの、そこは大人一人がようやく通れるくらいの狭い道であり、太陽の光が差し込まないこともあってちょっと薄暗い。


 こんなところに宿を構えて、客入りは大丈夫なのだろうかとグレイルは要らぬ心配をしてみる。


 その路地を奥へと進んでいくと、『赤い箱』と書かれた看板の付いたドアを見つけた。

 ドアノブには宿であるにも関わらず「営業中」の札がかかっている。そのドアノブをタームテールは躊躇なくつかんで回す。

 ギキイと蝶番のきしむ音がしてドアが手前に開き、二人はその中に踏み込んだ。


「……見ない顔だな」


 中に入った瞬間、グレイルの鼻をついたのは微かに香る奇妙な匂いだった。

 宿のフロントらしき空間。

 そのドアの正面にあるカウンターでは一人の老人がパイプを口に咥え、椅子に座って新聞を読んでいた。

 その顔がゆっくりと入ってきた二人のほうに動く。眼鏡の奥の瞳が鋭い眼光を帯びており、彼らを警戒しているのが否応なく伝わってくる。


「こちらが、赤い箱でよろしいでしょうか?」

「そうだが……どちらさんだ?」

「私たちは旅の者なのですが、三人組の方にここを紹介されまして。ここならいい夢が見られるだろうと」


 老人はそれを聞くと目を細め、タームテールの隣に隠れるように立つグレイルを見やる。

 ちなみにではあるがこの老人を含む第三者の視点においてタームテールとグレイルは、「法衣姿で赤髪のありふれた顔立ちの若い青年」と、「白いワンピースを着た赤髪ショートヘアの貧乳少女」という外見で映っている。


 グレイルを見て何かに納得したような様子の老人はその鋭い眼光をやわらげ、パイプを口から離して厚い煙をふうと吐き、片眉を上げて口元に深い笑みを浮かべた。


「……ああ、そうだな。ここのベッドならいい夢が見られるだろう。数は二人か? 一部屋で構わんな?」

「ええ、一部屋でお願いします」

「代金は一日あたり三ヘクトンだ」


 タームテールは懐に手を入れて手のひらサイズの膨らんだ革袋を取り出すと、その紐を緩め、中から三枚の銀貨を取り出した。親指の第一関節くらいの直系の、ドラゴンの脚にも似たルビライトの葉の模様が彫られた銀貨が三枚。

 どこからどう見てもゲネア皇国で使用さていれる貨幣のヘクトン銀貨にしか見えないそれは、グレイルたちが丹精込めて偽造して作り上げたもの。

 彼はそれをカウンターに置かれたカルトンに置くと、老人のほうにそれを押しやる。


「あいよ。部屋は二階にある。階段はあっちだ」

「どうも」


 タームテールは渡された鍵を受け取ると、グレイルを伴って奥にある階段に向かって歩き出す。カウンターの奥には食堂か酒場か、どちらにせよ飲食を提供してくれそうな厨房とたくさんのテーブルや椅子が置かれていた。

 階段を上る二人の背中に向けて老人が思い出したように、言い忘れていたことがあると語りかける。


「あとそれと、ここは夜九時には入り口を閉めちまう。外出するんなら、それまでには戻ってくるようにしてくれ」

「なるほど。わかりました」


 鍵には二〇七号室のタグがつけられていた。

 彼らが階段を上り、二階の廊下を歩いて一つ一つ部屋の番号を確認した結果、それはどうやら廊下の突きあたりにある一番奥の部屋のようだった。

 鍵を開けて部屋に入ったグレイルとタームテールは、無言のままベッドにバックパックを置き、コート掛けにそれぞれの濡れた上着をかける。

 路地に面して建てられているため日当たりなどあったものではなく、窓はついているが中はかなり薄暗い。

 天井のランプを付けて内装を確認してみると、簡素な造りかに思えた部屋には珍しくもトイレと浴室が付いている。

 それも割としっかりとした設備のようだ。


「さて──」


 そんな部屋の中心に立つグレイル。

 一旦の確認を終えた彼女は早々に、魔法陣を宙に描き、部屋を覆うように結界魔法を展開させた。

 それは特に人除けの効果があったりするものではなく、単純に音を完全に遮断するだけもの。

 ただそれだけでは少し不安なため、念には念をということでグレイルはタームテールに向けて三回手を叩いて見せる。

 それは事前の打ち合わせで決めておいた、特殊な会話方法に切り替えるための合図だった。


「……これでどうでしょう?」

「うむ、問題あるまい」


 特殊な会話方法、とは言ったが別に暗号を使ったり隠語を使用したりするわけではない。


 この世界に生きる者は、言葉を発する時に無意識に魔力を消費している。

 それは喋る言葉に魔力を乗せているからであり、そしてそのおかげで、言語が違う者同士でも何事もなく会話をすることができている。

 この会話方法はそれを逆手に取る。

 要は言葉に「意味の異なる魔力を乗せる」ということである。それだけで言語が違う場合、いや最悪同じ言語だとしても、途端に何を言っているのかが分からなくなってしまうだろう。

 タームテールはもともとそんな芸当が出来るような技術は持っていなかったのだが、此度の観光の伴に抜擢されてからというもの、グレイルによる直接指導を受けてそれを習得していた。


「それにしてもグレイル様、トグロの言葉も話せるのですね。少々驚きました」

「長年の暇つぶしの賜物じゃ」


 これまで約十万七千年間。

 寂しさと暇を埋めるために彼女はありとあらゆる事柄に手を出してきている。

 語学の学習もそのうちの一つだった。何の気なしに赴いた国々で適当に書物を買いあさり、謎解きゲームのように言葉と意味を理解する。その積み重ねが、ドトーノが苦労して整理した本の山々でもあった。

 もっとも難しいのは発音であったが……。


「しかしまあ、見慣れぬもんじゃな」


 洗面台の鏡と向かい合うグレイルは、そこに映る自分に眉をひそめた。

 その様子を見たタームテールは愉快そうに笑う。


「その髪色もそのお顔も、とても可愛らしいですよ」

「いや褒められても全然嬉しくない。というかおぬしの場合、そもそも顔を見たことがないからてっきりそれが本当の顔かと思ってしまうぞ」

「良い顔してますか?」

「普通な顔じゃな。取り立てて格好いいとかもない」

「これ、実は知り合いの顔なんですよ。もう生きているか分かりませんが……いやはや複雑ですねぇ、くふふ」


 彼らの使用している高度認識阻害魔法が発揮する効果は主に三つ。

 一つは外見の投影。

 二つ目に生命力、魔力などの生体情報の書き換え。

 三つ目に記憶から消えやすくなるといった効果がある。

 今回は構築をいじっているためその中で外見の投影のみ適用しておらず、代わりに併用しているのが幻影魔法となる。


 その理由は認識阻害魔法ではかけ直すたびに姿が変わってしまうから。外見──主に頭部を固定させる目的で使用している。

 タームテールの顔が見えない白布もそうだが、特にグレイルはその髪がやや光を帯びるように輝いてしまっているために、目立たないような外見を意図的に投影する必要があった。


 二人は一時間ほど部屋で休んだ後、上着だけ部屋に置いて宿のマスターに挨拶をすると、宿を出て教会の方へと足を伸ばす。

 マスター曰く大通りを歩いていればそのうち着くだろうとのことで、彼らは親子らしく手を繋ぎ、人で賑わう大通りを周囲を眺めながら歩く。

 飲食店や屋台、魔道具店や服飾店など様々な店が隙間なく立ち並び、そのどれもに目移りをしてしまう。


「あの服かわいい。帰りに買っていこうかな」

「いいですねぇ。似合うと思いますよ」


 まあ、使うのは偽造貨幣なのだが。


「それにしてもずいぶんと良い活気。私のような者でさえ陽気にさせてくれそうです」

「大きな街だから、周辺から人が集まってきてるんじゃないかな」

「そうかもしれませんねぇ。外はあの有様ですし」


 彼女たちの推測はあながち間違いでもない。

 ここゲネア皇国には六つの大きな都市があると先述したが、それ以外にも小さな村々が各地に少なからず点在している。

 それらの村にも政府の支援により結界魔法の魔導柱が設置されてはいるものの、交通や物資の輸送など、生活維持のための問題点は多岐にのぼっている。


 特に大きいのがお金の問題だ。大きな街との行き来を支える政府の用意する輸送車があるとはいえ、それを利用するのにも馬鹿にならない金額が必要になる。

 結界魔法の魔導柱にしても、エーテル結晶の定期的な供給が必要だ。エーテル結晶が有り余る国家とはいえ、それだって別に無料タダというわけではない。

 それらを節約するためにある程度の食糧自給を行ったとしても、当然それだけで生きていけるわけもなく、長年の苦心に耐えかねた各地の村々から大きな街に人が移住してきているという状態であった。

 そうしてもぬけの殻となった村が、今度は富裕層の別荘地に早変わりするというわけだ。


「あの服と、屋台の串焼きはマストだね。あそこの宝飾店にも寄ってみたいかも」

「あまり買うと資金がつきますよ? 影響も考慮して、偽造貨幣アレはそれほど作っていないのですから」

「でもほら。もしまた戦争アレが始まったら、たぶんこの場所も見納めだよ? 今のうちに買っておいた方がいいんじゃない?」

「くふふ。これはこれは、恐ろしいことを」


 タームテールに冗談めいた台詞をいうグレイル。そんな彼女はにこやかに笑うが、実を言えば割と本気で、氷結戦争の続きをする準備をひそかに進めていたりもするのだ。

 もっとも始めるとしても、リソースとなるエネルギーと戦力を塔に十二分に貯蓄してから。

 そして次の戦争はあの二の舞いにならないよう、アプローチを変えなければいけないとも彼女は考えている。

 どこかに消えてしまった二名──ラファリア・オーメンターとカルーカルア・ブリムショットを見つけるというのも、先立ってやらなくてはいけないことだった。


 彼女が戦いの先に見るのは願い。

 それは在りし日を取り戻すための妄執。

 何が彼女をそうさせるかといえば、彼女の心の奥底にくすぶり続ける悲しみがその原動力といえるだろうか。


 さて大通りを歩き続けた二人はその視界に、あの階段から見えた大きな鐘塔を捉える。

 中心部に近づくにつれて建物の高さや建築様式が変わり、見慣れたレンガ造りから繋ぎ目のない、まるで巨大な岩から切り出したような造りの建物が多く見受けられるようになった。


 その鐘塔も例外ではなく、その外壁には一切の繋ぎ目がない。

 グレイルの横でそれを見上げながら、タームテールは力を抜いた様子でぽつりと彼女に問いかける。


「──それにしても、教会ですか。なんと言いますか、怒りの対象であったりはしないのですか?」


 それは実に、彼にとって何気ない一言のはずだったのだが。

 直後、息が止まりそうなほど奇妙な静寂が訪れた。

 まるで強い耳鳴りの前兆のようなそれは、予期する間もなくタームテールを恐怖の底に陥れる。


「……あまり知った口を聞くなよ」


 ぶわりと。ほんの一瞬だけ、グレイルから怒気が発せられた。

 タームテールの手を握る力がそれを容易に砕きかねない剛力に変わり、彼は背筋が凍るような感覚に冷や汗を流す。

 ──しかしそれは本当に一瞬だけのこと。


 次の瞬間には彼女からあふれた怒気は立ちどころに消え去り、いつも通りの空気が何事もなかったかのように漂っている。

 タームテールが目だけで恐る恐る様子をうかがうも、そこにはただ鐘塔を見上げているいつものグレイルがいるだけ。

 それがかえって彼を怖がらせたのは言うまでもない。


「……! 申し訳ございません」

「いやすまぬ。気にするな」


 鐘塔は鉄柵で囲われたとある敷地内にあった。

 その隣には件の教会らしき、三角屋根の神殿のような大きな建物が建てられている。

 情報が正しければ、ここはアルスター聖教の教会のはず。


 勝手に入って良いものかとしばらく観察していたところ、人の出入りは普通にあるようで、道行く人々がそれなりの数その扉を開けて中に入っていく。

 二人はそこに入っていく数名の人に紛れ、何食わぬ顔で一緒に教会の扉をくぐり抜ける。


 巨大な礼拝堂らいはいどう

 グレイルは先行く人々の後を追ってその空間に入った。

 天井から吊り下がるランプの明かりは控えめで、曇りガラスから差し込む光が柔らかく中を照らしている。

 奥の高い壇上には差し込んだ陽の光で美しく輝くステンドグラスと、それに照らされるように一体の大きな彫刻像が台座に安置されている。

 天を見上げ、宝杖を掲げている修道服姿の女性。

 グレイルはそれが誰なのかを知っている。知らぬわけがない。


 ステンドグラスもさることながら、やはり一番美しいのは彼女を生き写したようなその彫刻像。

 あれはこの時代の人間が手掛けた彫刻だろうが、二千年が経っていても、その造形にほとんど差異がないのは奇跡と言って差し支えない。


「──大丈夫?」


 グレイルがその彫像に少しばかり昂る胸を落ち着かせ、半ば放心状態のまま、それをただ眺め続けること数分。ふと、そんな声を伴って彼女の隣に誰かが腰を下ろす。

 タームテールではない。彼には礼拝堂の入口のところで待機するように言ってある。


 彼女が表情をこわばらせながらゆっくり横を見やると、そこに座っていたのはこの教会で仕えているであろう修道服をきたシスターであった。

 いったいどういう了見で私に話しかけてきたのか。グレイルは邪魔されたような気分になって、少しばかりその女を強く睨みつける。


「ふふ、そんなに怖がらないで。食い入るように見てたから、気になってしまって」

「……」


 シスターはグレイルの睨みなど意にも介さない様子で、静かな小さい声で彼女に語りかける。


「あれはシエンタ様っていうの。私たち人族をお創りになられた神様なのよ」

「……知ってる」

「あら、詳しいのね。うふふ」


 邪魔にならないよう、邪魔されないように一番後ろの方の席にいたというのに。

 グレイルは心の中でひそかに嘆息する。

 しかしまあそんな彼女の気も知らず。彼女を単なる「親に連れられてきて退屈をしている子供」だと思っている様子のシスターは、まさしく子供に語りかけるような口調でグレイルに話しかけてくる。


 興冷めというとまた違うが、感傷にどこか割り込まれたような嫌な気分だった。

 こいつはお守りでもしているつもりなのか。これならば親役としてタームテールに居てもらったほうがまだ良かったかもしれない。

 ……はやくどこかに行ってくれないかな。


 とりあえずは彼女を無視することに決めた彼女は、一旦は横から聞こえてくる雑音を気にしないようにする。 


「美しいわよねぇシエンタ様。最初にあの像を作った方は、きっと聖女のように心清らかな人だったのでしょうね…」


 そう。気にしないようにしようと思ったはずなのだが。

 グレイルは耳に届いたシスターのその言葉に、なんとも言えない気恥ずかしさを覚えてしまった。

 どうしようもなく体がむず痒くなってしまってしょうがない。


「だってあんなに綺麗な彫刻を仕上げられるんだもの。シエンタ様を実際に見たのかどうかは分からないけど、どちらにしても、きっとそれに相応しいに心だったに違いないと思うわ」


 ……決してそんなことはないんじゃないだろうか。


 確信めいたシスターの表情。それに対してグレイルは気恥ずかしさよりも否定したい気持ちが強くなる。

 彼女の思いを突き放したくて仕方がなくなる。

 綺麗な物を作るやつがその心まで綺麗だなんてのは、受け手側の抱く幻想にすぎないだろう。

 事実、表と裏がぴったり同じ方向を向いているやつなんて神でもなければ滅多に存在しないもの。

 だってそうだろう?

 大体は自分の中に無いもの、あるいは憧れるもの、もしくは──失ってしまった何かを求めて作品を作るのだから。


「私、シエンタ様のようになるのが夢なの。どんなお方だったのか、今じゃもうほとんど文献も残ってないんだけどね? ……おこがましいかしら?」

「……好きにすれば」

「うふふ、そうよねぇ」


 そう言ったものの、グレイルは心の中で彼女を肯定した。

 元来生命は神に向かっていくもの。自分を星の大海に生み出した起源へと、その歩みを進めていくものだから。

 グレイルにとってのそれはとうの昔、記憶の続かぬほど過去に、星々の遥か彼方へと行き去ってしまったが……見失ってしまえど、その本質は彼女にも当てはまるだろう。


「あなたには、なにか夢はある?」


 翻って、シスターはグレイルに問いかけた。


「……ある。とっても大事な夢。この命をかけても成し遂げたい夢」

「ふふ、そんなに? まだ若いのに、素敵な夢を持っているのねぇ。あなたくらいの時、私どうだったかしら」


 しばし無言の時間が続き、二人はそれぞれの物思いにふける。

 片方は己の過去について、片方は己の未来について。その二つは決して交錯することはないけれど、それに付随する熱量は似通っているようにも見える。

 少しだけ神妙な雰囲気が二人の間に流れる。


「ねぇ。面白い話してあげよっか」


 そんな空気を流し去るように、シスターはグレイの顔を覗き込んでいたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「私たちアルスター聖教のシスターって、みんな似たような夢を見たことがあるのよ」

「……夢?」

「まあ、そんなにすごいのってわけでもないんだけどね。簡単に言っちゃうと、誰かは知らない四人の女の子と遊んだりする夢なの。

 どこかの浜辺だったりあるいは森の中だったり、それぞれ場所は違うんだけどね。その女の子たちの容姿が、みーんな一緒だって言うのよ」

「ふーん」


 なるほどとグレイルは適当な相槌を打つ。

 とりあえず話を聞いてみたものの、いまいちよくわからない内容の夢というのが彼女の所感だった。

 同じ女の子たちと遊ぶ夢。

 大丈夫か?

 夢の内容よりも、シエンタを信仰している教会のシスターが全員そんな夢を見ていることに、グレイルは僅かばかりの不安と心配を抱いてしまう。


「あなたみたいな赤髪の子もその中にいるわ。風景がぼやけてるから、そのくらいしかわからないんだけど……でもその中に一人だけ、髪が光ってる子がいるのよ」


 グレイルはピクリと体を硬直させる。

 与太話の一つとして聞き流そうかと考えていた彼女だが、そう言うわけにもいかなくなった。


 その特徴に当てはまるような誰かを彼女は間違いなく知っている。しかもこれまで数多を見てきた彼女にとって、その特徴を持つ人物はおそらく、後にも先にも一人しかないだろう。

 単なる偶然の一致?

 内容についてもう少し深掘りしてみるべきかと、彼女は考えを改める、シスターのほうを見上げて尋ねてみることにした。


「……その子はどんな容姿なの?」

「あら、気になる? えーとね確か──」





「おや、もうよろしいのですか」

「うん」


 入口で待っていたタームテールは、およそ二十分足らずで礼拝堂から出てきたグレイルとすれ違う。もしかしたら一時間くらいここにいるかもと言われていた彼は、その短さにはてと首を傾げた。

 気難しそうな表情をしたグレイルは、そんな彼すらも置いて足早に教会を出ていってしまう。


 宿への帰り道。

 グレイルとタームテールは終始無言であった。

 グレイルは気難しい顔をしているが別に怒っているわけではない。自分の中に湧いてしまったよくわからない疑問を整理しようとしているだけだった。


「……チッ」


 無意識に舌打ちが出る。

 考えれば考えるほど、自分が何を考えているのかが分からなくなっていくようだった。

 あのシスターから聞いた夢の話。その内容の全て。

 それはおそらく、いや間違いなく私たち・・・・の過去に関係する出来事。

 未だ色褪せない記憶

 今まで長く存在を続けてきたが、こんな現象は一度も聞いたことがない。なぜアルスター聖教のシスターたちがそんな夢を見るのだ。

 意味がわからない。

 心に土足で踏み込まれたような気分だ。


 手が震えてしまう。グレイルは頭をかきむしりたくなる衝動を必死に抑え込んでいた。


 一方でタームテールはといえば、かなり神経を張り詰めている様子である。「教会に入る前に自分が言ってしまった一言のせいでグレイル様が機嫌を損ねてしまったのではないか」と、本気で心の底からどうするべきかを思案していた。

 この命で足りるかどうか。姉の方にツケがいかないかどうかと心配するところまで、彼は真剣に考えていた。


「──大変申し訳ございません。何なりと罰をお申し付けください」


 結局、帰りに寄ろうと言っていた店にも寄ることなく宿に戻ってきた両名。

 そうしてグレイルが部屋に結界を展開したのを確認した直後、タームテールは素早く彼女の前に跪いて頭を垂れた。

 その突然のことに、グレイルは鳩が豆鉄砲を食らったような表情になる。きょとんという擬音が一番似合うだろう。


「……どうした? 待ってるときに変なものでも食べたか?」

「私の至らぬ発言がグレイル様のお気に障られたご様子。何なりと、何なりと罰をお申し付けください」


 その言葉で彼女はようやく事の状況を理解する。

 自分の行動を振り返り、それが客観的にどう見えていたかを俯瞰して目を押さえた。


「あー……いや、そうか。そう思ってしまっても無理はないのう。さっきも言ったが気にするな。むしろ気を害してしまって申し訳ない」


 いつもは飄々としている彼が跪いているのを見て、気まずくなってしまったグレイルは頬をぽりぽりと掻いて謝る。


「いえ、いえいえいえ! グレイル様が謝られることなど何一つございません。私が不快にさせてしまったことは紛れもない事実」

「それにしろ、おぬしは当然の疑問を抱いたに過ぎん。儂が浅はかだっただけじゃ」


 タームテールに怒った瞬間。

 あの時はあまりに見当違いにもほどがあることを言われて思わず感情を発露させてしまったグレイル。

 とはいえ彼を含め、ナハト以外の住人には伝えていないことが山ほどあるわけで、それで彼を責めてしまうのはこちらの方が見当違いというもの。

 慌てて冷静さを取り戻して何事もなかったように振る舞っていたのだが、それでも彼には相当な不安を与えてしまったようだ。


「ひとまず、気にするな。分かったか?」

「……かしこまりました。ありがとうございます」


 とりあえずは納得した様子を見せるタームテールに、グレイルは妙なやりづらさを感じる。

 あのきな臭い雰囲気がないとちょっとだけ話しづらいんだよな、なんてことは罷り間違っても本人にはいえない。


「おぬし、これからどうする? 儂はここで休もうと思うが」

「そうですね……。ナハト殿から連絡が来ていたので、一度塔に戻ろうと思います。地図や、追加の資金を受け取っておこうかと」

「そうか」


 グレイルは俯いて腕を組み、しばらく考える。


「それならおぬし、今日はここに戻ってくるな」

「……それは、つまり?」


 ちょっと言い方が良くなかったかもしれない。グレイルの言葉にまた不安そうな顔をするタームテール。

 いや、実際にはタームテールの顔ではないのだけれど。たしか知り合いの顔と言っていたような。

 にしてもこいつ、普段からこの幻影魔法を使っておけばいいんじゃないだろうか。間違いなくこっちの方が表情豊かでいい感じである。


「だから気にするなと言っておろうが。そうではない。ちとやりたいことがあってのう。一人の方が都合がいいのじゃ」

「ああ……なるほど。安心いたしました」




 ◇




 ──ガチャガチャと、ドアの方から音がする。


 宿の一室にて。

 暑苦しいタイツを脱ぎ捨ててベッドで意識を閉じていたグレイルは、部屋の前に集まる複数の気配に目を覚ました。

 時計に目をやれば、タームテールが塔に戻ってから早くも数時間が経過しており、時刻は夜の十時を回っている。

 こんな夜中に誰が一体何の用だと思うかもしれないが、彼女はこの状況におおよそのあたりをつけている。


 結界魔法と部屋の扉にかけていた魔法鍵をわざと解除し、グレイルは起き上がり、ベッドに腰掛けてそれらが部屋に入ってくるのを静かに待つ。

 ちらりと窓の方を見てみればいつのまにか、そこには無かったはずの鉄格子がはめられていた。

 くだらない細工だ。


「──お、開いた開いた」


 そんな声がしたかと思うとガチャリと部屋のドアが開き、ガタイの良いスキンヘッドの男と、それに続くようにして五人の男たちが部屋に入って来る。

 よくよく見てみれば先頭で入ってきた男と後ろの五人のうち二人は、あの階段ですれ違い、この宿のことを教えてくれた三人組のようである。


「あれ、嬢ちゃん一人かい? お父さんはどこかな?」

「……お父さんはいないよ。今は出掛けてるの」

「そうなのかい? 聞いてた話と違ぇが……まあそれならそれでかまわねぇ」


 三人組のリーダー。スキンヘッドの男はグレイルに近づくと、彼女の細い腕をがしりと掴み、力強く引っ張って立ち上がらせる。


「こっちに来な。パーティの時間だ」

「やめて……!」

「抵抗してんじゃねえよ!」


 ベッドの柵を掴んで手を振り払おうとするグレイルの左頬に、男の鋭い平手打ちが入った。

 彼女はそれに対して大袈裟に倒れ込み、続けざまに嗚咽を漏らして泣いている演技を始める。

 演技をするのには慣れたもの。その目からこぼれ落ちる涙を見て、まさかそれが演技だと誰が気づくであろう。


 男たちはそんなグレイルを見て、さらにニヤニヤと下卑た笑顔を浮かべていた。

 もう一度腕を掴まれた彼女は、今度は抵抗を見せることはなくスキンヘッドに引っ張られるがままに、大人しく一階にある食堂まで連れて行かれる。

 一階のカウンターの奥、二階に上がる階段の横にあるその食堂には、いくつかの椅子やテーブルとそこに座る冒険者らしき男たち。

 そしてその足元に、血だらけで横たわる二人の子供の姿が確認できる。残念だが生きている気配はしない。


「ニック、どうだった? 親父さんはぶちのめしたのか?」

「いやそれが居なくてよ。マスターの話なら居なきゃおかしいんだが……おいマスター!」

「うるせえな、知らねえよ。いなかったんならそれでいいじゃねえか。あとは好きにおっぱじめとけ!」

「ったぁくわかってねぇぜ。目の前でやんのが良いんだろうが」


 椅子に座る冒険者のうち、頰に傷のある男がスキンヘッドに話しかけた。どうやらスキンヘッドの名前はニックというらしい。

 昼間と同じようにカウンターで椅子に座っているマスターは、我関せずと言った様子で夕刊らしき新聞を読んでいる。


「ヤクはどんぐらい残ってる?」

「まだまだあるぜ。そこの薬屋で大量に仕入れてきたからな」

「いいねぇ」


 話を聞くに、どうやら通り沿いの薬屋のことのようだ。

 やはりと言うべきか。来た時にも嗅いだこの宿全体に漂っている奇妙な匂いは、おそらく麻薬の類の香りなのだろう。

 この匂いが階段ですれ違った男から香っていたものと同じだと気づいたとき、グレイルはこのあとに訪れるであろう展開をある程度予想してしまっていた。

 およそ、その通りになっている。


「さて諸君。今日は本来ならそこのガキどもで終わりの予定だったんだが、運の良いことに飛び入り参加のゲストが一人いる」


 ニックはそう言ってグレイルの腕を掴んで、男たちの中心に彼女を連れて行く。彼はグレイルの頭をポンポンと叩き、彼女の目線に合わせるように腰をかがめた。

 涙で少し赤くなった目に、見たくもない男の顔が強制的に映り込む。


「お嬢ちゃん、お名前は何ていうのかな?」

「……テ、テスタ」

「テスタちゃんか。かわいい名前だねぇ、今日はいっぱいその名前を呼んであげるからね」

「おい気持ちわりぃぞお前! そういうのは一人の時にやれ!」

「ウルセェ! 俺が捕まえたんだから文句言うなや!」


 目の前でそんな馬鹿騒ぎをする彼らをグレイルは今にも泣き出しそうな、怯えているような演技をしながら観察する。

 今この場にいるのはマスターを含め、全部で十七人。

 地下のほうにも何体か感知できる気配があるが、それらの気配は等しくかなり弱々しいもの。

 敵にはなり得ない。


「そんじゃ、まずは恒例のアレ。行っときますか!」

「よっ! 待ってました!」

「やっちまえ!」


 どのタイミングで、どうやって料理したものかと思考を巡らせている彼女をよそに、男たちがまた騒ぎ始める。

 何事かとグレイルが意識を戻したその瞬間、グレイルの前にしゃがんでいたスキンヘッドのニックが、彼女の首を鷲掴みにしてその体を高々と持ち上げた。


 ──ん?

 その行動の意味が分からず、グレイルは一瞬だけ母親に咥えられた子猫のようになる。

 とりあえず首根っこをつかまれているから。その手を振りほどくようにバタバタともがいて一応は苦しそうな演技を見せるものの。

 彼女の意識は、目の前の男が自分に何をしようとしているのかという興味とワクワクでいっぱいだった。


「おらよっと!」


 グレイルの首を掴んで持ち上げるニック

 彼はその掛け声と共にグレイルの着ているワンピースの襟首をむんずと掴んだかと思えば、そのまま真下に向けて勢いよく破り裂いてしまった。

 途端に周囲から上がる歓声。

 布切れに早変わりしたワンピースがはらりと床に落ちる。


 彼女の細い肢体──幻影魔法で上書きされたものではあるが──と黒いショーツがあらわになり、周囲の男たちはさらに指笛を鳴らし歓喜の声を上げた。


 これは彼らにとっての恒例行事。どこかから女をさらってきてはその体に傷を付ける前にそいつの着ている服をボロボロにしてしまう。

 とまあ、言ってしまえばそれだけのことなのだが……それは心の拠り所を奪う行為であり、相手に手っ取り早く恐怖と屈辱を与える一つの手段でもあるのだ。

 それが子供相手なら効き目はなおさらである。

 子ども相手なら。


 グレイルは目を見開き、足元に落ちた白いワンピースだったものを見やる。それはドトーノが彼女のために仕立て上げてプレゼントしてくれた服だった。

 彼女の頭の血管がブチリと一本だけ切れる。


 直前まで割と……いや、実はノリノリで演技をするくらいにはかなりこの状況を楽しんでいた彼女だったが、今はもう到底そんな気分ではなくなっている。

 心の中で浮かべていた赤子のような満面の笑みはどこかに消えてしまった。


 周囲で「もっとやれ!」などと笑いながら手を叩く男たち。それをいまだ宙に持ち上げられたまま、苦しむ演技をすることすらやめた彼女は事もなげに見渡して一言──。


「──下郎、誰がこれを直すと思うとるんじゃ?」


 静かにそう呟いた。

 その瞬間、怒気のこもった魔力波がニックを貫く。

 破り裂いたワンピースをタオルのように振り回しながら首を掴んでいた彼は、それをゼロ距離で受け、瞬く間に意識を消失させて地面に転がる。


 男の手が離れてもなお、グレイルの身体は宙に浮かび続ける。

 その後ろにはすで六枚の黒い羽が花開いており、髪の色も次第にほのかな光を帯びる金色に変化していく。

 認識阻害魔法と幻影魔法の解除。

 ……胸の大きさも僅かにグレードダウンしているように見えなくもない。


 真にあらわとなった陶器のような肌。艶やかな赤さを内包し、ほどよい温みと柔らかさを持つ肢体。

 傷一つ、くすみ一つないその身体はまるで輝いているようでもある。

 そして、そこにある緩やかな凹凸を描く慎ましやかな双丘の下には、蒼く光り輝くさかずきのような紋様が浮かび上がっていた。


 視線を遮るのはショーツ一枚。床に降りた彼女はそれを恥ずかしがることもなく、それらすべてを見せびらかすようにしながら硬直した男たちに近づいて見せる。


「どうじゃ、さぞ美しかろう? 十万年ものの身体じゃぞ?」

「なん……お、ま……?」

「なんじゃ、感想はないのか?」


 先ほどまでの喧騒はどこへやら。

 男たちは呆気にとられた様子でグレイルを見やる。何かを言いたげに口を開いてはいるが、ただの一文字すらそこから言葉が出てくることはない。

 ヒューヒューと空気が通る音が聞こえるのみである。


 喋らないわけではなく、喋れなくなっている。グレイルから放たれるおぞましい威圧が彼らから体の制御を完全に奪ってしまっているのがその原因だった。


 グレイルが自らこの状況に混ざり込んだゆえ、加えて人間相手ということもあって本気ではないにしろ、彼女の放っている威圧は容易に彼らを彼女の支配下に置いてしまう。

 一種の金縛りのような状態であった。


 一応は、彼らからの称賛の声を待っていた彼女。

 彼女はしばらく待っても何も返ってこないことに残念そうにため息を吐くと、表情を消した顔で男たちを一瞥する。


「我は星の杯の娘。大神が願いし蒼き泉の子。我が姿を見た対価、そこらの娼婦の数万倍は高くつくぞ──『瞳は潰れるノル・グラマニア』」


 魔印。

 直後、男たちの眼球がグニュリと小気味の良い音を立てた。叫び声を上げる間も目を押さえる間もなく、一秒前まで眼球だったものが捻られて眼孔から垂れ落ちる。


 ぶちりと音がして血が噴き出した。もはや何を見ることも叶わない彼らの暗い穴が、血の涙を流し始める。


「あがっ、ぁあぁあああぁアぁ゙ッ!!」

「不思議なものよな。こんなお前たちにも、あの美しさが流れている。あの高貴さが受け継がれているのじゃ。だと言うのに、その輝きに気づけぬ愚か者どもが──『心臓は潰れるノーツ・グラマニア』」


 ゆっくりと男たちに語りかけるグレイルの言葉が室内に響くが、彼ら自身の上げる叫声が邪魔をしておよそその耳には届いていないだろう。

 魔印の込められた魔力が、地面にうずくまる彼らに向けて放射される。


 その胸の奥でグチュリと汁気を纏ったような、吐き気をもよおす嫌な音がした。


「……まあ、私も人のこと言えないよね」


 血を吐いて一人残らず倒れた彼らを横目に、グレイルは床に落ちたワンピースだったものを拾い上げる。

 ドトーノがくれたワンピースを破られて頭に血が上ってしまったのが駄目だった。


 もうちょっとくらいは楽しんでみたかったのに。

 あの男たちが私に何をしようとしていたのか、この身体に何をしようとしていたのか。そこに伴う人間の複雑な感情を、それを想像するだけでもう身体が熱を帯びてしまう。

 もしかしたら新しい刺激をくれたかもしれないと思いさえするが、そんなことを思ったところで今となっては遅すぎる。


「これ掃除すんのかあ……。メイドでも呼ぼうかな……」


 ため息をついて立ち上がるグレイル。

 周囲を見渡し、壁と床が血でかなり汚れてしまっているのをみて彼女はひどく憂鬱な気分になった。

 料理にしろ何にしろ、散らかしたあとの後片付けほど面倒なものはないだろう。


 血が出ない処し方にしておけば良かったと本日二度目の後悔をしながら。グレイルはそっと人差し指にはめた文通の指輪を起動させた。




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