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エーテルの除去という作業はそれほど珍しいものではない。この世界に実にありふれた作業である。
例えばエーテル結晶に覆われた遺物を取り出すときだったり、敵の魔法罠を取り除くときだったり。
エーテル干渉で壊れてしまった機器なんかを修理するのにも欠かせない作業だ。
方法は様々で、例えばちょっと時間はかかるけど何かの魔術道具に取り付けてエーテルを消費させ続けるとか、普通に砕いたり、少し危険だが反発させて消し去ってしまうなんて手もある。
「ふーむ、どうしたもんかな」
だがもしその中に誰かが溶け込んでしまっている可能性があるとしたら。
そいつを助けるのはちょっと、いやかなり難しいと言わざるを得ない。
グレイルは正面にそびえ立つ結晶塊を見据える。
上から下まで一通り改めて確認してみたが、なんの姿も確認できなかった。
だが彼女はその結晶の中に、自身のギフトが存在していることをしかと感じ取っていた。それはつまり、そこに血肉を分けた仲間がいるという間違いようのない証拠。
それを確認した彼女はうれしい反面、ちょっとばかり自分の判断を悔いていた。
「──安全を絶対のものにするという意味でも、やはり皆を集め、広間にて行うべきではないでしょうか?」
「いやあ、たぶん大丈夫よ」
この会話である。
神霊級魔法【時の牢獄】を発動させる前、彼女はナハトとそんな会話を部屋で行っていた。
結果として、第百二十階層付近までが損壊。この有り様となったというわけだ。
彼女の言う通り広間のある第百九十九階層に皆を集めていれば、こんな手間は発生しなかったはずである。
過ぎたことを振り返っても仕方ないとグレイルは自分に言い聞かせた。今は眼前のこの状況に対処しなければならないのだ。
しかしながら、この状況は実に都合がいいものだった。なにせ肉体を再生成するために必要なエーテルがすぐそばにある。それも全員分の肉体を作ったとしてもおつりがくるくらいの量。
加えて、エーテルに完全に溶け込んでしまっている場合は普通であれば助けることなどできはしないが、今回に限っては起点となるものがある。
「『励起せよ』」
まずは、この結晶塊をエーテルに戻す。
それと同時にそのエーテルを使って肉体を再生成する。
やることは至極単純だった。
手をかざし、魔印を込めた自身の魔力を結晶の中心付近に向かって放射する。
一瞬の出来事。
結晶全体に雷のように光が走ったかと思えば、どこからともなくヒビが入り一気に崩壊し始める。
周囲に淡い光が霧のように立ち込め、グレイルはそれに合わせてギフトの位置を再確認し、大規模魔術を術式投影による無詠唱で発動させる。
【神よ、再度の奇跡を】
空にも届く眩い発光が彼女の視界を埋め尽くす。
彼女はその光の中で、自身の魔術にエーテルが吸われ、光り輝くなにかを核としてそれぞれの肉体が形作られてゆくのを見届けていた。
数十秒ほどして、光は次第に弱まり、あたりはまた朝焼けの空に照らされる。
塔に張り付いていた虹結晶は跡形もなく消え、あとには中が見えそうになっている、縦に大きく抉られた塔があるのみである。
その瓦礫から小さな光がいくつも浮かび上がっている。
結晶を除去したことで、塔の修復機能による修繕が始まっているようだ。もうしばらくすれば、外面だけは元通りに直ることだろう。
一足先に地面に降りた彼女が一息つく中、空から素っ裸の奴らが光りに包まれてゆっくりと降りてくる。
なぜか彼女の前にきれいに積み重なり、一番下のやつが重さに耐えかねて情けないうめき声を上げている。
一部、裸なのかすらわからないのもいるがその数、全部で五名。起きる様子はまったくない。
念のため脈を確認してみるも、一名を除き、血液はしっかり流れているようだ。
グレイルはやれやれといった風に肩を竦めると、青いディスプレイを中空に表示させて文字を打ち込み、ナハトに連絡をする。
《五人運びたいからちゅおいやつよこちて♡》
そのディスプレイは『文通の指輪』と呼ばれる指輪をはめることで使えるもので、随分前に塔の地下工房で開発された。
傍目からはひたすら指を動かす変人に見えると請け合いのこのアイテムは、どこにいても指輪をはめるだけで連絡が取れるという画期的な発明であった。
それぞれの使用者に合わせてオーダーメイドされているこの指輪は、人によってデザインが違うのもその特徴の一つ。
《了解しました。私兵を七名向かわせます》
返ってきたのは簡素な言葉だった。
とはいえ急に文字だけキャラチェンジしてきたら、それはそれで困るのはグレイルのほう。
しばらく待っていると、空からナハトの私兵である鬼武者たちが黒い翼を羽ばたかせて降りてくる。
簡素な兜に顔には般若の面、額に生えた長い二本角、垂れ下がる長い黒髪、そして首から下には極東の侍がつける大鎧を身に纏っている。
あの般若の面は確か女性型だったはず。
グレイルは彼女らに、布でぐるぐる巻きにした仲間をそれぞれの部屋に運ぶように指示を出し、六枚羽を広げて自分の部屋へと舞い戻る。
上に向かう途中でふと、塔の上に輝く天輪がちらりと目に入った。頭から抜けていたが見たところ、あれもどうやら問題なく動いているらしい。
「よいしょっと」
窓から部屋に入ると、まだナハトは戻ってきていないようだった。
グレイルは羽をコンパクトに小さくさせ、ふよふよと宙ぶらりんのような姿勢で飛んでソファにダイブする。
ぁ゙ーと喉を絞ったような声を出しながらクッションに顔をうずめ、それから顔だけ横を向き、壁にかかっている大きなからくり時計を見た。
魔法仕掛けの時計。時間はもう合わさってあるようで、長針と短針が七時二十分を示している。
なんでかは知らないけれど眠気がすごい。
やることは山積みではあるものの、現実逃避をしようとしているのか頭は睡眠を欲している。
これから、どうしようか。
現実逃避の一つ。彼女はぼうっとした頭でそんな事を考える。
そうだ、あれの続きをしよう。
なんて。
──あの日、我らは撤退を余儀なくされた。
炎と氷が埋め尽くす視界。嵐が覆う空。どこまでもひび割れ、裂かれ、暗い底を見せつける大地。
吹き荒れるエーテルストーム。空気がねじれ、大気は痺れ、弩級の旋風が全てを吹き飛ばす。
勝ち進んできた我々にとって、それは実にひどい邪魔立てであったと言える。戦争は中途半端に、あるいは志半ばでお開きになってしまった。
あの続きを?
おそらく反対はされないだろう。仕切り直しにはなってしまうだろうが、そもそも、ここの連中は最初から腕試しだなんだと勝ち負けそっちのけだった。
しかしながら、先程の光景が頭をよぎる。
まるで手を付けられない汚部屋のような、神の落し子が何匹も駄々をこねたようなあの光景。
彼女はあれら惑星規模の災害がおそらく、自分たちによって引き起こされたものなのではないかと考えていた。
確証はないが疑念は払えなかった。
氷結戦争と名付けたあの戦争では、我々は地殻からエーテルを大量に吸い上げる技術で流れを有利に進めていた。
それらのエーテルをふんだんに使用して、大規模魔術で各地を氷漬けにしたのは記憶に新しい。
だがそれでもエーテルは枯渇しなかった。
むしろ有り余るほどに溢れかえるようになった。
当初は気に留めることさえしなかったが、それが危険な兆候だと勘付き始めた頃には、すでに手遅れだったと言えるだろう。
「──お疲れ様です」
カチャリと音がしてドアが開き、ナハトが入ってくる。
グレイルの思考は中断され、彼女は寝返りをうってテーブルのそばに立つナハトを見上げる。
ナハトはティーカップを二つ乗せたお盆を片手に持っていた。
「彼らは無事でしたか?」
「いや、やられてたよ。見事なまでに」
グレイルは大きなあくびと伸びをしながら答える。
「でもギフトが残ってたから、そこからって感じ。私じゃなかったら無理だったろうなぁ、流石だよね」
「消えてなくてよかったですねギフト」
「消えてたら私が困るよ」
それは彼女が考える中でも、上から数えたほうが早いくらい恐ろしいことだろう。
起き上がり、ナハトの持ってきたティーカップに口をつける。
グレイルの口に合うように砂糖と生乳を調整して淹れられた、甘みの強いミルクティーだった。
「みな、時間停止から開放されて少しばかり疲れを見せていました。精神への負荷がだいぶ大きかったようです」
「あらあら。メンタルケアとかしとく?」
「そこまではしなくていいかと」
「そう? けどあとで何かやるだろうし、その時に私も様子見ておくよ。ダメそうなら安らぎの間も開放するから」
グレイルは再び大きなあくびをすると、ティーカップをテーブルに置いてのそのそと簡易ベッドの方に向かう。
「ナハト、寝るから膝枕してー」
いそいそと布団にくるまったグレイルが、芋虫状態のまま頭だけ動かしてナハトを見る。彼女の眠気は限界だった。
はやくーと駄々をこねる彼女に対し、ナハトは微笑を含んだため息を吐き、武装装飾を解除して簡易ベッドに腰を下ろした。
すかさずその太ももにグレイルの頭がセットされる。スカート越しではあるものの、その温もりとふかふかさは他の枕では味わえないオンリーワン。
「十分だけですよ?」とナハトは言ったが、すでにグレイルは夢の中。その言葉はもはや彼女の耳には届いていなかった。