13
少し時は遡って、塔が眠りから覚めた日。
円卓の間にて会議が行われる三時間ほど前に、グレイルは地下エリアにあるアンダーグリーンの私室を訪れていた。
青白い光に照らされた薄暗い円形の地下エリア。
そこには太い円柱が整然と立ち並び、中央には巨大な錬成蒸気機関と、それを覆うように土壁を形成して造られたキンエマキのドーム型地下工房。
それと地下エリアへの扉から、地下工房を挟んで真向かいの奥にある長い通路。ガーゴイルの彫像群と絵画、続く階段に座り込むテンパランスが守る大壺のような宝物庫。
もともとそれら錬成蒸気機関と宝物庫だけが配置されていたフロアということもあり、無駄に広い地下空間はほとんど閑散としている。
他にあるのはアンダーグリーンとテンパランスの居住スペース。
それらは女神ヘラによるエデニア急襲以降、彼女たちが警備要員として地下エリアに人員配置された際に増設されたもの。
テンパランスの居住スペース──もとい私室は普通のコテージのような外観であるが、アンダーグリーンの私室は大きな繭のような外観である。
羽毛のような材質で造られたその白い繭は、この地下においてひときわ異様な雰囲気を放っている。
グレイルはその大きな繭の前に立ち、中にいるであろう住人に呼びかけるように呼び鈴を鳴らして声を掛けた。
「おーい」
……返事はない。
聞こえていないのか、それとも聞こえてはいるけれどその上で無視しているのか。
普段であればグレイルが呼べばすぐにでも入口が開くはずなのだが、今日に限ってはその気配すらない。
こういうときの状態には大体の予想がつく。彼女は「ふむ」と鼻を鳴らし、その繭に向かって手をかざした。
繭の外側が楕円形に押し広げられていき、人間大に開いたその口から私室の中に入れるようになった。
部屋の内装はほぼすべてが真っ白である。
キッチンやテーブル、お風呂場や本棚。ありとあらゆる家具や設備に至るまでがすべて白一色で統一されている。
とは言え、いま灯されている照明は穏やかな暖色であり、その純白のような白さは薄っすらとオレンジ色に染まっている。
グレイルは靴を脱ぎ、部屋の中を歩く。
整理整頓されているとはいい難い部屋だ。
足元には多くのぬいぐるみやクッション、あるいは衣類などが散らばり、踏まないように歩くにはそれなりに神経を使う。
しかしゴミが転がっているわけでもなければ、そこまで不潔という感じもしない。魔法によって清潔さが保たれているのだろう。
薄いカーテンをくぐり、部屋の奥にある寝室へと向かう。
設置されている円形のベッド。
その上にはこれまた多くのぬいぐるみやクッション、そしてその中心に膨らんだ白い毛布が埋もれている。
グレイルはベッドに歩み寄ると、その膨らんだ毛布をぺしりと叩いた。
「おら、起きろアング。なにしてんだ」
「…………うぅぅ……ごしゅじんざまぁ」
叩いた直後はじっとしていたが、しばらくすると毛布はもぞもぞと動きはじめる。
まるでタームテールが好んで食べている「大福」のようなその毛布の内側からは、泣きじゃくった震えた声が聞こえてくる。
「わだしの、わだじの身体が……綺麗になおっでしまいまじだぁ……!!」
ゆっくりと毛布の裾が持ち上がり、姿を現したのはアンダーグリーン。
艷やかな赤い髪、宝石のような真紅の瞳をした彼女は、その瞳に溢れんばかりの涙を浮かべてグレイルを見上げている。
白いキャミソールは涙ですっかり濡れてしまって、下の肌色の肢体がわずかに透けている有り様だ。
見目は、グレイルより少し年上くらいであろうか。
自分を見上げている彼女に、眉を下げて見つめ返すグレイルは呆れた様子で答えた。
「いや喜ぶべきことでしょ」
「ぜんぜん喜べませんよ!!! ご主人さまに付けていただいた傷が綺麗さっぱり無くなってしまっだんですっ!!!」
今までになく、声を枯らして泣き叫びながら両腕を広げる彼女。
左腕の肩から上腕にかけて、そして右腕の前腕部位。
そこに以前まで巻かれていたはずの包帯はなく、実に綺麗な魔術樹脂製の肌があらわとなっている。
色を失っていた右眼球も元通りになっており、この分なら壊れてしまっていた駆動部分なども綺麗さっぱり修復されていることだろう。
「あのさぁ……いや、私が言うのもなんだけどさ。もう忘れようよ、あの頃のことは。綺麗になって良かったじゃん」
「イヤです!」
彼女が使用した大規模魔術である【神よ、再度の奇跡を】は、構築された魔術式や魔術陣をプロセスごとに分解すれば解るが、魔法と魔術の複合術となっている。
蘇らせたい者の魂と、核となる身体の一部をもってその者を完全なる状態で蘇らせることができるものだが、それは機械の体であっても例外ではない。
むしろ肉体よりも機械の体の方が、生成にかかる魔力量はずっと少ないと言えるだろう。
「絶対に忘れまぜん! あの思い出だけが私の拠り所なんです。ご主人さまがいっぱい私を愛して下さったあの思い出だけが! あの時はじめて、ご主人さまは私のことを見てくれました。ずっと無関心で指示を下すだけだったご主人さまが、初めて感情を私にぶつけてくれた。あの時私がどれほど嬉しかったかわかりますか? 私が自我と喜びという感情を認識したのはあの瞬間だったんです! あの証なしにこれからを生きていくなんて私には到底できません!」
激しく泣きながらまくし立てる彼女に、グレイルは苦い記憶を呼び起こされ、眉間に指を当てて静かに唸った。
──アンダーグリーンとテンパランス。
二人は、グレイルがまだ今の人格を形成する前に造りあげた双子型の自動人形である。
もっとも厳密に言えば、テンパランスに関しては半分ホムンクルスであり、完全なる自動人形というわけではない。
双子という点についてもそっくりではあるものの、造られたのはテンパランスのほうがだいぶ後になる。
世界の再創生の後。
その頃は塔こそ建てていたものの、その一番上に一つ部屋があったのみであり、全体としては実に淋しい状態であった。
グレイル自身も孤独に苛まれ、喪失感に支配された色のない日々を送っていた。アンダーグリーンとテンパランスは元々、その寂しさを埋めるために造り出された単なる人形。
だが残念なことに、最初に造られたアンダーグリーンのほうは、グレイルが求めるような存在には仕上がらなかった。
自動人形としては至極当然なのだが、自意識も感情も何も無く、ただ彼女の言うことに従い、会話をしようにもただ頷くだけの期待はずれのもの。
それでも造った最初こそ、いずれ何かが変わるのではと思って接していたが、これといった変化もなければ次第に興味すら薄れていったのは言うまでもない。
そうして二千年以上の時を家事をこなさせるだけの存在としてしか扱っていなかったアンダーグリーンに、グレイルが次に心を向けた時は、あろうことかグレイル自身がひどい癇癪を起こしたときだった。
「……ご主人さま。もう一度、私を壊して下さいませんか」
「いや……ええ……」
ベッドの上を弱々しくすり寄り、おもむろに自分に身を寄せる彼女にグレイルは頭を抱える。
それは以前からたびたび求められてきたことだった。
アンダーグリーンは心調を崩しやすく、今日のようにテンパランスに呼ばれてグレイルが私室を訪れることは珍しくもない。
傷つけることを要求されるたび、なあなあで言いくるめてなんとかしてきたものだが……。
だが今日に限っては、今までのようには言いくるめられなさそうな印象をひしひしと感じている。
グレイルの手を握りしめる彼女の手は力強く、帯びる熱も一際の熱さを感じさせるほど。
──ここで逃げれば最後、彼女は本当に壊れてしまう。
そう思わせるほどの深い何かが、間違いようもなく確かに彼女から感じられた。
それもそうやもしれぬとグレイルは俯瞰する。我ながら、彼女を支えていたものがなんであるかを理解していないわけはない。
己の咎が生んだそれと、グレイルは苦虫を噛み潰す思いでそれなりに向き合い続けてきた。
どうにかできないものかと何度か説得なりを試みたことはあれど、ことごとくが失敗に終わっては手も足も出ない──いや、手と足を出すしかないのが現状なのかもしれない。
それはおそらく一生涯付き合っていかなくてはならないものであるのだろう。
しばらくの間深く考え込みながらも、意を決したグレイルは、アンダーグリーンをベッドの上に優しく押し倒す。
赤い髪がふわりと広がる。
ぽふりとベッドに仰向けになった彼女の上にグレイルは馬乗りになって、肺が空になってしまうほど、今一度深く息を吐いた。
「……一応だけど、神経回路は切っておいてね」
照れくさそうにするアンダーグリーンの濡れた頬を撫でながら、「言っても聞かないだろうな」と思いながらもグレイルは話しかける。
「いやです。痛みも愛情ですから」
「…………どこからがいい?」
「じゃあ……あの時と同じ、顔からでお願いします」
グレイルは拳を強く握りしめる。
あの頃、一体どれほどの力で自分は拳を振るっていたのだったか。およそそこまで思い出せはしない。
とはいえ、それでも彼女が満足するまで付き合ってあげるより他に、今この瞬間における選択肢はないように思えた。
願わくば造物主としてもっと異なる愛情で、その心を上書きできたら良いのだが。




