猫と疑惑と男爵令嬢
数え間違いじゃなければ投稿した短編が今回で百話目となりました。間違ってても四捨五入すれば大体そんな感じなので誤差です誤差。
ともあれ、いつも誤字脱字報告などありがとうございます。
ただ最近ちょっと誤字脱字報告の中でそれは適応できないよ、っていうのも多数含まれるようになったので、報告されてもすぐに対応できない事があるという事をお知らせしておきます。
実際間違ってるやつも早く直したいんですが、そうじゃないのも大量にあるのでまずそこら辺チェックしてくのとても 時間 かかる。
なろうに一日中張り付いてるわけでもないので、できるときに少しずつという形になります。
意図的にひらがな表記にしてあるものとか、誤用だけど語感的にあえてその表現にしたやつだとかはどれだけ報告されても対応は致しかねますご了承ください。
ルビなどに関しましても強敵と書いてともと読む、みたいなのをそのままきょうてき、と直されてもそちらも対応いたしかねます。
イザベルをイザベラに間違えた、などの訂正はありがたいのですが、イザベルをキャロラインとかで訂正されるようなのも対応いたしかねます。どこから出てきたのキャロライン……!?
なおこちら横書きで書いて投稿しているので、縦書きに一切配慮はしておりません。縦書きで見てレイアウトがおかしいぞ、というので訂正などされる場合も横書きでみたらレイアウト崩れてるのとかあるのでそちらも対処いたしかねます。
というのを活動報告で書いたところで多分読まれないので前書きにてお知らせさせていただきます。本来の誤字脱字報告はありがたいです本当に。ただ今ちょっとそういうのがいっぱいあって対応は遅れます。作品投稿を優先してそれ以外は時間に余裕がある時に少しずつ対応していく予定です。気長にお待ちください。
長い前書きとなりましたが、以下、本編をゆる~くどうぞ。
いかにも中世ヨーロッパ風だけど所々に現代日本のような生活様式が組み込まれている、ご都合主義観満載の世界にルルエッタは生まれた。
いや、転生したと言うべきか。
ルルエッタの生まれはあまり裕福とは言えない男爵家である。
毎日贅沢はできないけれど、月に三回くらいはちょっとした贅沢ができるかな、といった程度の家だ。
トイレは水洗だしお風呂もシャワーだけではない、きちんと湯船に浸かる習慣があるし、なんだったら白米や味噌醤油といった調味料も手に入るので、それ以外の不便にはある程度目を瞑っている。
むしろ、転生先として考えるなら割と当たりではないだろうか。
普段の生活は節制というか清貧というか、まぁ慎ましくとしか言いようがないのだけれどそれでも毎日ご飯は食べられるし、着る服に困るでもない。住む場所だって貴族という言葉から思い浮かべるイメージからはちょっと残念な感じではあるけれど、雨風が入り込むような隙間だらけの家でもない。
異世界、それも文明レベルの低い場所に生まれていたらきっともっと苦労していたのは間違いないのだ。下手をすれば明日を生きていられるかわからないようなサバイバルたっぷりな世界で毎日死にそうになりながら生きていた可能性もある。
前世のあまりにも便利な生活を思い出せばそりゃあ文句というか愚痴の一つは出てしまうけれど、今を生きている身であれば充分に恵まれているのだ。前世は前世として割り切る他ない。
それに、もし文句ばかりを垂れ流すような事をしていたとして。
どうして自分が異世界転生をしたのかもわかっていないのだ。万が一神様的な存在が関わっていたとして、転生したルルエッタの愚痴を何度も聞かされていたら。
じゃあ次はもっと過酷な環境に放り込んで今がどれだけ恵まれてたかわからせてやろう、とかあるかもしれないのだ。
そういう展開が必ずしもある、とは言えないけれどあった時の事を考えるとあまり不平不満を表に出すのはよろしくない。
まぁとはいえ、人間だものちょっとくらい時としてぽろっと愚痴が零れる事もあるのは許してほしいものである。神様とやらが本当にいるかどうかはさておき。
さて、そんな感じで生きてきたルルエッタであるが、彼女も貴族の端くれ。
ある程度の年齢になったら貴族は学校に通わねばならない、という法律があるが故に、勿論彼女も学校へ通う事となった。
おわー、何かネットの小説で見た乙女ゲームに転生したやつとかにありがちなやつー……
と、とてもざっくりとした感想を抱いたものの、しかしこの学校、王都に一つしかない、だとかそういうわけではない。
大体国中の年頃の貴族たちが一か所に集まるとか、小さな国ならともかく大きな国では色々と問題があったり難しかったりするだろう。
まぁゲームだとか創作の中ではそこら辺ふわっとそれっぽく纏められてそういうもの、で通されているが。
そもそも貴族が皆王都に住んでいるわけでもない。地方の領地で生活している者たちだって多くいるのだ。
そしてルルエッタは、王都からやや離れた街で暮らしていた。
王都の学校に通うのは、できなくはない。
ただ、毎日通うには距離があるし、かといって王都で住む場所を用意するとなると金がない。王都の学校だともしかしたら王子様とか王女様とかいるんじゃないかな、と思いはしたけれどルルエッタは物珍しさで一度くらい拝んでみたいなと思っても直接知り合いたいなと思った事はない。
いやだって、アレでしょ?
休暇とって温泉宿に泊まって満喫してたと思ったら隣の部屋にいた客が職場の上司だった、みたいな気まずさとかない?
四六時中上司にあたる相手と一緒にいたいとか、その相手が余程気が合って休みの日でも一緒にいて苦じゃないならともかく、そうでなければ常に気を使い続けなければならないではないか。
下手に接点持ったらそれを利用してやろうと考える他の誰かの厄介事に巻き込まれるかもしれないし、身分の垣根を超えて親しくなるとそれはそれでまた面倒。その逆で目の敵にされたら人生詰む。
そう考えると、王都の学校に行く事がなくてよかったなとしか思えなかった。
とはいえ、ルルエッタが通う学校にも身分が上の貴族は沢山いるのだが。
しかし王族に比べればそこまで気を張る心配もないだろう。大体身分が上の貴族たちは幼少時から家庭教師が家にいてそこである程度学んでいる。
家庭教師を雇うにしても継続して雇い続けるのは厳しい我が家と違って、学ぶべき基礎はとっくに理解しているはずだ。
なら、クラスが一緒という事にもならないだろう。
ルルエッタはそうやって安心していたし、実際予想通りであったので同じクラスになった令嬢たちとお友達になったりして学校生活を満喫していたのである。
さて、そんな毎日が平穏なルルエッタであったけれど、ある日教師に頼まれて上位クラスの教室に物を運ぶのを頼まれてしまった。
授業が終わってほとんどの生徒は帰った後。
他に目ぼしい――というか手ごろな頼める相手がいなかったからルルエッタに頼んできたらしく、教師はこれから会議があるんだ……頼む、頼むよ……! と見ているこちらがなんだか可哀そうになる雰囲気で頼み込んできた。成績に加点するわけにはいかないけれど、礼は何らかの形で必ず……! とかこれを逃したらアウトだとばかりに頼み込まれてしまっては、ルルエッタとて嫌ですめんどくさい、と断れるはずもない。
これがやりたくもない仕事を押し付けられたとかであれば、ルルエッタとて「NO」を突きつけられるのだが、まぁちょっと教材を運ぶくらいなら……と思ってしまったのである。
とりあえず成績がとても優秀というわけでもなく大体真ん中にいるルルエッタはひとまずここで教師に恩を売っておいて損はないと考えた。打算たっぷり。
まぁ、明日の授業で使うらしき教材は少しばかり重たかったけれど。
別にルルエッタは忙しかったとかそういう事もなかったので、人助けをして徳を積んでしまったな……と一体何目線かわからない満足感を胸に教室のドアを開けたのである。
「……ぅゎ……」
囁くような小声であったけれど、しかし教室のドアを開けて見えた光景にルルエッタは思わず声を漏らしていた。うっかり手にしていた教材を落としかけたが、流石に落としたら後が大変なのでしっかりと抱え直す。
ドアの開いた音に、教室にいた生徒がちらりとこちらに視線を向けたようだがルルエッタが教材を手にしていた事で察したのだろう。特に何を言うでもなく、彼女は机に突っ伏していた。
とんでもなく空気が淀んでいるような気がする……! とは流石にルルエッタも言えなかった。
それくらい突っ伏しているご令嬢の周辺の空気はどよんとしていたのだ。
一先ず教卓の上に頼まれていた教材を置いたルルエッタは、さてどうしたものかなと考え込んだ。
見なかった事にして出ていってもいいのだが、あまりにも空気が重たい。
一応自分より身分が上のご令嬢なのは確実なので、せめて一言挨拶をするべきだろうかとも思うのだが、しかし令嬢の雰囲気から気軽に話しかけられそうでもない。
何せ普段学校の中で見かける上位クラスのお貴族様はこんな風にどよんとした空気を纏わず常にキラキラしているのだ。隙を見せない、という風に育てられたからこそ周囲の目があるところではそういう風に振舞っているのかもしれないが、普段は凛と佇んでいるであろう令嬢が、まるで残業を押し付けられて終電も逃した挙句今後デスマ確定のリーマンみたいな雰囲気を漂わせているのだ。
大丈夫かな、突発的に首吊ったりしない……? そんな風にも思ってしまう。
どうしよう、私が教室出た後でこの人が突発的に「そうだ! 死にましょう!」みたいなノリになって屋上から飛び降りたりしたら。
最後の目撃者私って事が知られたら、一言も会話してなくても私が何か言って追い詰めたみたいな空気出てきたりしない……?
心配もあるが、万が一の事を考えると自己保身も芽生えてくる。
どうしたものかと思いつつ、そっと近づいて「大丈夫ですか?」と声をかけるだけかけて、令嬢がルルエッタに早くどっかいって、みたいな雰囲気をちょっとでも出したら速やかに立ち去るつもりだった。
だが――
「あの、だいじょ……あっ、ネコチャン。可愛い~」
心配は、令嬢の机に置かれていた魔石式映像記録具に映っていたネコチャンが見えた時点で吹っ飛んだ。
突っ伏すようにしていたから気付かなかったけど、近づいたところでその映像にルルエッタは釘付けであった。最初から気付いていたら教材ほっぽり出してそっちのけで映像を見ていただろう。
ちなみにネコチャンというのは、猫にとてもよく似た魔獣である。
もう一度言う。
魔獣である。
前世で言うなら野生の山猫とかそういう感じに近いだろうか。それよりもうちょっとだけ凶暴さを秘めていると言ってもいい。
だがしかし、とても可愛いので一部のお貴族様の家ではネコチャンを飼い慣らすのが一種のステータス、みたいな部分があった。
前世にあった携帯ゲーム機みたいな形状の魔道具に映っているネコチャンは動画で撮影されたらしく、室内でお気に入りの玩具をちょいちょいと前足でいじっている。
どこからどう見ても猫だが、普通の猫と比べるとちょっと大きい。
あと本気出したら普通の猫と違って人間を屠れる程度に実力はある。ただ、高い知能を持っているので余程ネコチャンの嫌がる事でもしない限りそういった事はないのだが。
「……わかりますか、この可愛らしさが」
「勿論、可愛いのにカッコ良くて凛々しくてでも時々あざといくらいにかわゆくて、ネコチャンは自分の情緒をどうしたいんだって翻弄されっぱなしになりますよね」
「そう……ふふ、貴方、話の分かる方ね……」
机に突っ伏して死んだ目でネコチャンの映像を見ていた令嬢がのそりと身体を起こす。
「そう、見ているだけで精神的に癒される。それがネコチャン……普通の猫も可愛いのだけれど、愛らしさの中に垣間見える逞しさ、生命の煌めき、一見無駄のない動きをしているように見せて実は無駄でしかない時もあるちょっと抜けた感じのする面白さ……ネコチャンには全てが詰まっているのよ……」
「見てるだけで寿命伸びそうですよね。そのうち多分何かの病気とかにも効くようになりますよきっと」
「そうね、早くその時がくると良いのだけれど」
さながら戦友とでも出会ったかのように親指をぐっと立てた次の瞬間、令嬢は親指を引っ込めて拳を作る。ルルエッタもまた同じようにグッジョブ、とばかりに親指を立てていたけれどやはり同じように拳を握って――
コツン。
と、お互いの拳を軽く当てた。
なおこの二人、初対面である。
ネコチャンは世界を救う。
ルルエッタは根拠はないがそう信じていたし、前世もそもそも猫に狂っていた。
犬も勿論可愛いのだが、恐らく自分の遺伝子には猫に狂えという命令が刻まれていたのではないかと思っている。転生し、こちらの世界でも猫を見るとキュンキュンしていたくらいだ。
だがしかし、ルルエッタの家は裕福ではないので猫やネコチャンを飼うような余裕まではなかったのだ。
飼う以上は責任を持たねばならない。
ご飯をしっかりと与え、飢えさせるなど以ての外だし、家の中を快適にしなければならないし、更に体調不良であると思った時点で速やかに病院へ連れていき医者に診せる事は必須事項である。
この世界の医療に保険というものはなかったが、それでも人間の医療費に関してはそこまで高くはないのだ。高くはないといってもやはり平民の、生活が厳しい者たちからすれば高いと感じるかもしれないが。
だがしかし動物のお医者さんは、そもそも人とは違う身体構造をしている生命なのと、魔獣と一言で言っても種類があるし動物だってそうなので、診察するのもそれはもう大変なのだ。医者をしていると言っても専門の動物が決まっている医者が多く、色んな動物や魔獣を診る事ができる医者はどちらかと言えば少ない。
あまり飼うのに適していないような生物が病気になった時、困るのはそれを診てくれる医者がいない事だ。
その点ネコチャンは医者にかかっても比較的――個体の性格にもよるが――大人しく診察を受けてくれるのでまぁマシな方だし大半の医者は診てくれる。それ故に飼育しやすいというのもあった。
とはいえ、医療費に関しては人間よりもとんでもなくお金がかかるのである。
前世だとそもそも人間は国にもよるが保険証出せば全額負担しなくていいけど、動物はそういうのがないので一度の診察で結構な金額が飛んでいく、そしてそれはこちらの世界も大体同じだった。
そこはもっと違ってご都合主義であれよ! と思ったがそれはさておき。
「どうやら貴方、話の分かる方のようですし……あぁ、申し遅れましたわ。わたくし、グスタリオ伯爵家のティートリンデと申します。気軽にティトと呼ぶ事を許しますわ」
「恐れ多い……! あっ、すみません私はトワラット男爵家のルルエッタです。すみません、その、礼儀作法に疎くて……!」
一応貴族ではあるけれど、それでも限りなく平民に近い男爵家なのだ。
正直いつ没落しても別に不思議でもなんでもないと思われている程度には存在感もないのではなかろうか。
公式の場であったなら間違いなくルルエッタは礼儀作法がなっていないと言われていただろう。
とはいえティトはまぁそれも仕方のない事とあっさり許していた。
何故ってここは別に公式の場でもなければ、放課後の教室である。
さっさと家に帰らなければならないのにいつまでもここに居座っていたのはティトであるし、教師に頼まれて教材を運んできた見知らぬ生徒はティトがいるとも思っていなかったのだろう。行儀悪くも足でドアを開けていたけれど、ティトに気付いて、そしてぐったりとした様子で机に突っ伏すティトを見て、一応心配から声をかけたようだし、ついでに言うならネコチャンの事をかなり好意的に見ているようなので、礼儀に関してここでチクチク言う必要を感じなかったのであった。
「あの、それで、どうしてこんな……? いえ、おかげで映像とはいえネコチャンを見る事ができたのでいいんですけれども。でもあの、もうほとんどの生徒帰ってるし、ご家族の方心配しません?」
「問題ありませんわ。帰るのが少し遅くなると伝えてありますし、そろそろ馬車が迎えにくるはずですので」
「それならいいんです……私みたいな裕福じゃない家の娘なら誘拐の心配もないですけど、ティト様はそういうわけにもいかないでしょうから……」
「ティト、と気軽に呼んでちょうだい」
「あ、はい。わかりました、ティト」
できれば口調だってもうちょっと砕けてもいいのですよ、と言いたいところであったが、流石にそれはルルエッタが余計恐縮するだろうなと思ったので言葉は出さずに飲み込んでおく。
迎えがくる、とはいえそれでもその間一人にしておくのは心配だと思ったのか、それとももうちょっとネコチャンについて語りたいと思ったのかは定かではない。
ティトがルルエッタに早く立ち去って、という雰囲気を出していたならルルエッタとて空気を読んで速やかに教室を出たけれど、ティトはネコチャンの魅力をわかっているルルエッタに悪い感情は持たなかったし、それ故にルルエッタは立ち去るタイミングを少しばかり逃してしまった。
ぽつりぽつりとネコチャンに関する話をしながら、ティトは疲れ切った笑顔を浮かべていた。
何でそんなに疲れてるんですか……ちゃんと休んでますか……? と初対面のルルエッタが心配するレベルの疲労っぷり。
そしてそれが顔に出ていたらしく、ティトはちょっとだけ疲れた笑みから苦笑へと切り替えて教えてくれた。
ティトの家、グスタリオ伯爵家はメルギス商会を立ち上げている。そしてそのメルギス商会は王都の中では知らぬ者などいないし、なんだったら王国の外れにあるような辺境でも知らない者などいない。
隣国と接している辺境から隣国にもメルギス商会の名は広まっており、商会の規模としてはかなり大きなところであるのだ。
正直歴史だけが取り柄みたいな古くからある大きな貴族の家の資産以上に金を持っていると言って過言ではない。
ルルエッタもメルギス商会の名はよく知っていた。高位貴族が利用するようなお店に関しては足を踏み入れた事もないけれど、平民向けの商品を扱っている店もあるのだ。そちらはルルエッタもよく利用している。
あれもこれもメルギス商会のお店……と以前王都に足を運んだ時に様々な店を見てきたが、あまりにも手広く展開されすぎていてメルギス商会以外のお店を探す方が大変だったくらいだ。
もしメルギス商会がこの国を見捨てたら、間違いなく王国は経済崩壊を起こし阿鼻叫喚の地獄が作られるだろう。メルギス商会が抜けた穴を好機とみる商会も出るかもしれないが、それだってメルギス商会がこの国を出ていく理由次第だろうか。
グスタリオ伯爵家以外の家との事業提携なども行っているのでグスタリオ伯爵家だけが美味しい思いをしているわけではないが、この国一番の商人は誰だ、となれば間違いなくグスタリオ伯爵家であろう。
そんなお金に絶対困ってなさそうで、裕福な暮らしをして苦労なんてなさそうに思える家の娘ティトは、しかし今現在もう三か月くらい家に帰ってないし休みもロクにないんだよね……とブラック企業に拘束されてそうな社畜の目をしている。
前世の記憶があるルルエッタからすれば余計見捨てられなかったのだ。
ティトは将来家を継ぐかどうかはまだわからない。けれども、今現在既に商会の一員として働いてはいるようなのだ。
ルルエッタは利用した事もないけれど、王都で最先端をいくと言われているドレスに関わるデザイナー。その中の一人がティトなのだそうだ。
今から名前をあまりにも大々的に出してしまうと余計な面倒が増えるというのもあって、デザイナーの名前は別のものにしているようだが、名前が違おうともデザイナーとして活動しているのはティトである。
そしてここ最近、ドレスのオーダーが増えてきたのもあってティトは中々に忙しい生活を送っていたようだ。
成程、だからそんな疲れ果てて……とルルエッタは瞬時に理解したし納得もした。
だが、疲れている原因はそれではないらしい。
「ラス……あ、我が家のネコチャンなんですけれど、わたくしが疲れているのを見て心配そうにこちらに寄り添ってくれるのです。それ自体はとても嬉しいしそれだけで疲れなんて飛んでいきそうなのですけれど……せめてもの感謝の気持ちとして共に遊ぼうとネコチャン用の玩具を手にしてみても、最近あまり乗り気じゃないみたいで……見ている分には体調が悪いとかでもなさそうなのです。けれど、今まではとても楽しそうに玩具に飛び掛かっていたのに今ではそんな事もなくて……それが少し、心配なのですわ」
「さっきの映像にあった玩具ですか?」
「えぇそうよ」
「単純に飽きたのでは」
「だとしても、他にいくつか玩具を用意したけれど、どれもあまりいい反応をしなくて……」
玩具で遊ぶイキイキとしたネコチャンを見るのもとても心が洗われるのでティトの癒しになるのだが、それがここ最近めっきりなくなってしまっている。
単純に今そういう気分じゃない、というのならいいけれど、もし心身の不調などが原因であるならばという不安がある以上放置しておくわけにもいかない問題なのだ。
ティトが疲れている様子を見て、早く休めよ、とばかりに見てくるネコチャン。
遊んでほしいけど疲れてるなら仕方ないなと思っているのがわかりやすいくらい表情に出ているネコチャン。
そんなの見たら寝る前に遊ぶに決まっているでしょう!? と言うティト。
わかる。
とルルエッタは深く頷いた。
映像に映っているネコチャンとネコチャンの玩具を見て、ふとルルエッタは気付いた。
「音が足りないんじゃないでしょうかね、玩具」
「音?」
「えぇ、そりゃドンドンパフパフチュインチュイーン、みたいな騒々しい音出されたら流石のネコチャンもうんざりするとは思いますけれど、こう、シャカシャカするタイプの音とかならいい反応するんじゃないでしょうか」
ネコチャンは大体猫とおんなじである。
身体の大きさとか知能とか攻撃力の高さとかそりゃあ違いはあるけれど、それでも猫をおっきくしたようなのがネコチャンである。
なので、遊ぶ玩具も普通に猫が好むものならいけるのだが。
ティトの持つ映像記録具に映るネコチャンの玩具は形こそ違えど自分で適当に転がしてそれを追っかけるタイプの物ばかり。それが悪いわけではないが、流石に飽きがきてもおかしくはない。
リボンタイプというか紐でもいいが、場合によっては飲み込んだりすることもあるのでネコチャンだけにしておくとその手の玩具は出しっぱなしにはできないが、一緒に遊ぶ時に使うくらいならむしろ自分も多少なりとも身体を動かせるのでティトにも気分転換として良いのではなかろうか。
そう思ったルルエッタはこういう感じの玩具とかないんですか? と身振り手振りで問いかけた。
「生憎うちにはこういうのしかなくて……ちょっと待ってルルエッタ。貴方この後時間はある!?」
「え? あ、はい。まぁそれなりに……?」
「ならば是非家へいらしてくださいな。帰りは我が家の馬車でお送りいたしますわ」
「えっ」
そんな恐れ多い、と言う前にティトは勢いよく立ち上がるとルルエッタの手をがっしと掴んで教室を出た。
学校からルルエッタの家までの距離はそう遠いものではないが、ティトの家は少し離れていた。
とはいえ、あっ、時々見かけてたあの大きなお屋敷、あれティトのお家だったのね……とルルエッタも場所は把握できていたので帰りはわざわざ馬車を出してもらう必要はない、と言ったがそれは残念ながら聞き入れられなかった。
それで先程の玩具のお話ですけれど、と言われて、ついでにティトのお家にいたネコチャンを生で見る機会に恵まれた以上ルルエッタとしてもやっぱり何でもないです忘れてくださいと言うわけにもいくまい。
ティトのお家のネコチャン――ラスと言う名だったか――は初めて見るルルエッタに、しかしティトが親し気にしているのを見て「お? なんだ友達か? ちょっとだけなら撫でていいぞ」とばかりに友好的であったので。
なのでルルエッタとしてもティトのため、ラスのために一肌脱ぐしかないなとなったのだ。
猫やネコチャンが狙う獲物は常時物音を立てるわけではないが、しかし野生であるならば野山を移動する事は多い。故に時折草葉を踏んだ時のカサッという音に反応する事だってあるわけで。
ルルエッタはそういった本能的な部分を説明しつつ、こういう感じのリボンで振ったらちょっとカサカサなるようなのがあればネコチャンもちょっとはいい反応してくれると思うんですけど……と紙にこういう感じとざっくりイラストを描いて説明した。
ティトはふむ、と持ち手やリボンの長さはどれくらいにするべきかを計算する。
普通の猫相手の遊び道具なら小さくてもいいが、ネコチャンは大きめなので下手をすると勢い余って玩具を振るこちら側に突っ込んでこないとも限らない。その気はなくても爪を出した前足がこちらの玩具を持つ手をかすめれば流石にそれなりに痛い思いはするだろう
とはいえあまりに大きくするとリボンを振るのに大変そうだ。
なんて真剣に考えているティトを見て、ルルエッタはというと、
(この世界ねこじゃらしないんです……?)
と困惑していた。
ともあれ、家にある材料で作れそうねとなったティトは早速メイドに言いつけていくつかそれっぽい材料を持ってきてもらい、ネコチャンの玩具作成に着手してしまった。
実際棒に紐つければ大体完成なので、クオリティに拘らなければ作るのは簡単である。
そうして出来上がったねこじゃらしにネコチャンは――大喜びであった。
「わ、わたくしラスがこんなにイキイキした目をしているの初めて見ましたわ……!!」
一心不乱にリボンを追うネコチャンをティトもまた感動した眼差しで見ていた。
今までだって別に死んだ目をしていたわけではないけれど、ここまで楽しそうにはしていなかったのだ。
なんだったらちょっと急に激しい運動をして疲れてるっぽいけどそれでもリボンを追うのをやめず、軽く息切れすらしている姿なんてティトは初めて見たのだ。
今までは玩具を転がしてそれを追いかけて適当なところで遊ぶのを切り上げていたので、あぁもう疲れたからやめたのね、と思っていたくらいだ。
ネコチャンは猫と同じく瞬発力はあっても持久力はない生き物なので。
最終的にぐったりするまで遊び疲れたラスは床に寝そべっていた。猫は液体と言われているが、ネコチャンも床の上で溶けるように伸びていた。お腹のあたりの呼吸する時の動きを見る限り、まだ息が整っていないようだ。
「これは……売れますわ……ッ!!」
ねこじゃらしを見てティトが震える声で呟く。
猫用サイズにネコチャンサイズとサイズを分けて売り出せば、一定の需要があるはず。何故ってそこそこの貴族の家で猫やネコチャンが飼われているのだ。今までの玩具とは異なり一緒に遊ぶタイプではあるが、あまり運動をしないタイプの猫あたりには良い感じだと思う。
「ルルエッタ、契約しましょう」
「え?」
ティト曰くこの玩具の発案者はルルエッタなのだから、という事だが、ルルエッタからすれば契約とかそんな大げさな……というものである。けれどもティトはこういうのはきっちり契約しておくのが大事なのですよとあまりにもはっきりした口調で言うものだから、ルルエッタは押し切られてしまった。
身分的にもあまり強く言えなかったというのもある。
そうしてあれよあれよといううちに、強度や素材などが改良されたよりネコチャン的にもいい感じのねこじゃらしが発売され――猫やネコチャンを飼う家で飛ぶように売れた。ここら辺ルルエッタには怒涛の展開すぎてついていくのがやっとだった。
そして商品開発したルルエッタの所には、それなりの金額が振り込まれた。
貧乏男爵家にとってはかなりの大金である。
大金が振り込まれたものの、ルルエッタもルルエッタの家族もそれに目が眩んで途端に豪遊という事はしなかった。ルルエッタはともかく家族は突然の大金にタガが外れてしまうのではないか……と思ってしまったが杞憂であったようで何よりである。
さて、これっきりそれっきりかと思われたルルエッタとティトの関係であったけれど。
猫友としての繋がりができてしまったのである。
というか、気付けばルルエッタはティトの家の商会でネコチャン関係の商品開発担当に任命されていた。気付いたら就職先が決まってたのは有難い限りである。
だがしかし、仕事となれば手を抜くわけにもいかないルルエッタは前世のペットフードや玩具関係の知識を引っ張り出して様々な物を作り出していった。玩具はさておき、次に着手したのはペットフードである。
こちらの世界も無いわけじゃないけれど、種類が少ない。
ティトだけではなくそのご両親からの後押しも受けてルルエッタはキャットフードとネコチャンフードの開発に取り掛かっていた。とはいえ、以前は作る側ではなく買う側だったので中々に難航したけれど。
さて、そんな中、ある程度の仕事を終えたティトはすっかりお疲れであった。
癒しが……癒しが足りない……もうラスの毛並みを撫でるだけじゃとてもじゃないけど心が癒されない……!
そんな風に心はとてもお疲れであった。ぐっすり眠ったところで肉体の疲労は回復しても精神は一向に回復しない。
気分転換をしようにも、どうにもそういう気分にもなれず。
困り果ててティトはすっかり親友と言ってもいいルルエッタに相談する事にしたのだ。
そしてルルエッタはティトの話をうんうんと聞いて、提案した。
「あ、じゃあそれなら――」
――フリードリヒ・シュティーニヤ侯爵令息は現在眉間に皺を寄せ大層小難しい顔をしていた。
原因は自らの婚約者であるティートリンデである。
彼女は名こそ大々的に知らせていないが、かなり名の知られたデザイナーであるのだ。そのせいで日々忙しく、婚約者であるフリードとも中々会う時間が取れない。
そもそもこの婚約は表向き政略として知られているが、フリードは婚約者であるティトの事をそれはもう愛していた。最初に出会った時点で恋に落ちていたし、会えば会う程愛おしさが留まるところを知らない。
季節の挨拶だとか誕生日だとか、何かの折にするべき挨拶を欠かす事などあり得ないし、何だったら特に何があるでもない時にも手紙を送り贈り物をしていた。
とはいうものの、資産的にはティトの家の方が圧倒的に上。自分が贈る物などティトからすればゴミに思われているかもしれない。そう思う事だって何度もあった。けれどもティトはそれら贈り物に対して礼を欠かさなかったし、手紙はさておき直接会って言われた時のふわりとした微笑みから迷惑だとは思われていないはずだ。
貴族が浮かべる表情と感情が一致していないなんて事はよくある話だが、それでもフリードはそう思いたかった。
忙しくしているティトがフリードと会う機会を減らしていたのはわかっていた。
もしかして、他に誰か好きな人ができてしまったのではないか……そんな不安もできてしまった。
不安で、どうしようもなくなったフリードは先触れもなしに咄嗟にティトのもとを訪れてしまったのだ。
けれども、結局ティトと会う事はできなかった。いなかったのではない。いた。いたのだが。
ティトがいる部屋に赴いて、そうして扉をノックして声をかけようとした矢先の事。
扉の向こうから声が聞こえてきたのだ。
『凄い……今までこんなの知りませんでしたわ』
『すーって吸い込むだけでこんなに疲れが吹き飛ぶなんて』
『もう知る前に戻る事などできそうにありませんわ』
愛する人の声だ。聞き間違うなどあり得ない。
その合間に何やら別の声も聞こえた気がするがそちらは小さすぎてフリードの耳では上手く捉える事ができなかった。
浮気。不貞。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
勢いのままに扉を開けて中の様子を確かめたかったが、しかしフリードはそれを堪えた。そして物音を立てないように急いで引き返したのだ。
ティトの家の使用人たちには直前で急用を思い出したと言った。実際ティトと会う前の話であるし、先触れもなかったので訪れた事そのものは伝わるかもしれないが、そんな事はフリードにとって些細な問題であったのだ。
フリードは速やかに自宅へ戻り、そうして使える伝手を使って調べた。
扉の向こうから聞こえてきた愛しい人の声は、何と言っていた?
まるで何か薬をしているような言い方だった。
あの時、扉を開いて確認していれば真実はすぐさま明らかになっただろう。
フリードの予想が全て正しければ、しかしそれではダメなのだと思われる。
仮に何らかの薬物であったとして、その場をおさえればそこにある分は押収できる。けれども同時に醜聞が広まるのは言うまでもない。社交界でティトの名が貶められるのは望むところではないのだ。
もし薬物であるならば、まずはそれら入手経路を探し、それらを作り売りさばく相手を潰さねばならない。薬物の依存症度合がどれくらいかはわからないが、ティトが辛く苦しい思いをしているのであればその間は勿論寄り添い立ち直るまでをサポートするつもりだ。
むしろ、そんなものに手を出さねばならぬ程追い詰められていた事に気付かなかった自分の不甲斐なさを恥じる。
あの時、ティトと同じ部屋にいた相手が不貞相手にしろよからぬ輩にしろ、こちらはタダでは済まさない。自分の愛する者を傷つけられて黙っている程フリードは優しくなどないのだから。
……とはいえ。
調べても調べても怪しい薬物の証拠は出てこなかった。
ティトと最近よく一緒にいるようになった相手について調べても、出てきたのは男爵令嬢が一人。令息であったならまだしも令嬢。学校でもよく話をするようになったと噂を聞いているし、こちらはただの友人のようだ。いや、一応商会に比較的最近所属したらしいという話も聞いているので、一緒にいる回数が多いのはもしかしたら仕事がらみの話をしているのかも。
ともあれ、ティトがその男爵令嬢ルルエッタと共にいるという事はそう不自然ではない。
けれどもそれ以外の男の影など全く出てこなかった。
おかしい。それではあの時の言葉は一体……?
こういうのって調べたら普通怪しい埃の一つ二つは出てくるものではないのだろうか、それとも自分が無能なだけか……? とフリードは悩みに悩みまくってここ最近すっかり眉間の皺がデフォルトになってしまったのである。
こうなったら例えしらばっくれられようとも本人に直接問い質すしかない……!
と、最初の時点でそれやっとけよと突っ込まれそうな部分に着地したフリードは、先触れを出した上でティトの家を訪れた。
以前は自分が来るなど知らなかった。けれども今回は来ると知らせているのだ。きっとそういった怪しげな物は綺麗に片付けられているだろう。
それでも。
フリードはティトの口から真実を聞きたかった。
そうしてティトの口から聞かされた真相は――
「すまない、ルルエッタ・トワラット男爵令嬢で間違いないだろうか」
「え? はい。そうですが……?」
ある日ルルエッタは学校から帰る途中、おもむろに声をかけられてとりあえずそちらを見た。
そこにいたのはなんだか思いつめた表情をしている男性と、それに付き従うようにしている老紳士風の男が一人、明らかにメイドですよというのがわかる風貌の女が一人の計三名。
従者がいるという時点で身分が高い相手なのはルルエッタでも見ればわかる。だが、その三名は馬車に乗るでもなく徒歩でこの場にいた。
確かにこの辺り、馬車で移動されると道が狭いからあまり馬車で通る人はいないけれど……
と困惑しつつもとりあえず主人だろう男性に視線を合わせる。
「単刀直入に聞きたい。ティトに一体何を教えた?」
「ティト」
「婚約者だ」
「あ、あぁ~」
言われてルルエッタは男の正体を把握する。そういやティトには婚約者がいると聞いた事があった。ちょっと前に一緒にデートに行く予定だったけどデザインの締め切りが近すぎてキャンセルしてしまった事をティトもとても申し訳なく思っていてしゅんとしていたのを覚えている。
ティトのデザインするドレスが人気なのは、良い事なんだと思う。
けれどもそれはティトにとんでもない忙しさをもたらしているのである。
仕事の量はまだ学生というのもあるからセーブしているらしいのだが、それでも忙しいってどういう事なの……? とルルエッタは恐れ慄いた程だ。
ご飯も睡眠もきちんととっているはずなのに、精神的な疲れが一向に癒えないだとかで、ティトは日々お疲れであった。それでもどうにか仕事を一段落させたけれど。
次に仕事をするまでにコンディションを整えておかねばならない。
だが、精神的な疲れが癒される気がまるでしない。気分転換に何かをしようとも思えないし、ティトの家のネコチャン――ラスを撫でまわしても一時的にほんわかした気分になれるが本当に一時的。このままではいけない、と更に思い悩んで余計ストレスをため込んでいたのでルルエッタはある事を提案したのだ。
「何って……ティトから聞かなかったんですか?」
「聞いたがよくわからなくてな。その、なんだ。猫吸いとは」
「そのままの意味ですが」
「何かの隠語ではなく?」
「普通に猫のお腹とか背中に顔を埋めて息を吸うだけです」
「……なんの意味があるんだそれ」
「癒されますね。あとなんか幸せな気分になれます」
とはいえ、やりすぎると猫にもネコチャンにも嫌がられる諸刃の剣なのだが。
しかしラスはとても賢いネコチャンなのでティトがお疲れすぎてあまりにも不憫だと思っているのか、一日一度だけなら猫吸いを許可しているらしい。普通の猫ならそんなお許し出ないのでとても寛大。
やりすぎると猫パンチか猫キックが飛んでくるので要注意である。
「普通の猫ならいててで済むんですけど、ネコチャンの場合一撃の威力がそこそこ強めなので……いくらラスが賢くても反射的に手足が出た場合はやっぱ加減もあまりされてないだろうし……でもティトは自己責任ですね! って言って実行してるみたいですね」
ほらこれ見てください、とルルエッタはもらったお給料で購入した映像記録具で撮影したラスを見せた。
そこにはラスの背中に顔を埋めてすーはーと息を吸っているティトの姿も。
そして――
「凄い……今までこんなの知りませんでしたわ」
「まぁそりゃあ普通はやらないっていうかやろうと思わないよね」
「すーって吸い込むだけでこんなに疲れが吹き飛ぶなんて」
「ネコチャンて存在自体が癒しだからね。多分何かそういう成分とかある」
「もう知る前に戻る事などできそうにありませんわ」
「やりすぎ注意ね」
「ニャン」
フリードにとって何やら聞き覚えのある声まで映像から聞こえてきた。
てっきり浮気相手と怪しげな薬でもやっているのかと疑ったあの時のやつである。
あの時はティトの声だけは聞き取れたけれどそれ以外の音は何かあったがよくわかっていなかった。
しかし映像からは他の音声もしっかりと聞こえてくる。
映像にはティトとラスが映っているが、ルルエッタの姿はない。ルルエッタは撮影している側のようなので映っていなくてもおかしくはないが……
思わずフリードは崩れ落ちていた。
「えっ、大丈夫ですか!?」
「あぁ、大丈夫だ」
「声震えてますけれども!?」
「はは、なに、てっきり色々と考えていたのが全て無意味だったというだけだ……」
あの時、浮気かと思って踏み込めばその時点で真実は明らかになっていた。
けれども、フリードはそうしなかった。仮に怪しげな薬を使っていたとして、その場に踏み込めば一部の薬とティトに近づく不埒な輩を捕える事はできただろう。
しかし仮に怪しい薬があったなら、それらを根絶しなければ次またティトがその薬に手を出さないとも限らない。だからこそ、情報を集め薬を作っている者や売っている連中を一網打尽にしようと決意までしたのに。
実際そんな犯罪者は存在していなかった。
フリードの完全なる空回りである。
とはいえ、調べていくうちに別のちょっとした犯罪者を見つけてしまったのでそちらは然るべき場所へ知らせたのだが。
最悪婚約破棄まで覚悟していたというのに。
ありとあらゆる可能性を考えて、その中で最悪なものが現実となるかもしれないという恐怖に潰されてしまわないように、たとえ嫌われたとしてもティトを救うのだと決意までしていたというのに。
これら全てが空回りだったと知れば、まぁ崩れ落ちても仕方がない。
従者の手を借りてフリードはちょっと足元がふらふらしていたが、それでもどうにか立ち上がった。
「その……すまない。勘違いだった」
「え? はい。なんかよくわからないんですけど、解決したなら良かったです……?」
「あぁ、そうだな……」
何かの事態が解決したはずだというのに、ルルエッタはわけがわからず困惑しているしフリードはすっかり疲れ果てているしでおめでたい雰囲気ではない。
「お疲れなら、ティトに頼んで一度だけ猫吸い試してみるのもありですよ」
まぁ、猫派ならともかくそうじゃなかったらあまり効果はないと思うけど。
でもラスなら一度くらいならティトの婚約者にも猫吸い体験を許してくれる気がしている。あのネコチャンはとても賢いので。
なんかわからないけどとても哀愁たっぷりに去っていくティトの婚約者を、ルルエッタはさよーならーとひらひらと手を振りながら見送った。
後日この事を誰かに問い詰められても、婚約者のいる異性と二人きりという状況ではなかったので疚しい事は何もないと言い切れる。勿論ティトには次の日にはこんなことがあったんだけど……と報告した。
賢いティトはこの時点で婚約者であるフリードが何をしようとしていたのか薄々把握できていたが、全てはフリードの勘違いにして空回りである。結局なんにも起きてはいないのでティトとしても責めるつもりはない。というか責めるべき部分が出る前に事態は片付いている。
さて、後日フリードはルルエッタに言われたからというわけではないが、ティトに頼んで猫吸いを体験させてもらう事にした。
結果、ティト以上にハマるという事態になってしまった。
とはいえラスはあまり頻繁にフリードに猫吸いを許しているわけではないので、普段は顔を近づけられたら大きな肉球で近づくなとばかりに頬を押しているのだが。
爪が出ないだけこのネコチャンはとても優しい。
そんな優しいネコチャンのためにルルエッタは前世の知識をどうにか活かして猫用合法麻薬とまで言われていたちゅ〇るを開発するべく張り切っていたのだが。
開発できたかどうかはまた別の話である。
ふわっと補足。
基本的に貴族の家で飼われているネコチャンは野生で生活できるけど面倒だから誰か養ってくれないかなぁ、という割と怠惰な個体が多め。なのでお金持ちのお嬢様の家で飼われてるとか一部のネコチャン界隈ではご褒美です。
本気で嫌になったらしれっと家を脱走できるだけのポテンシャルはある。
猫型魔獣がネコチャンだけど、犬型魔獣も勿論いる。イヌサンは貴族の中でとりわけ騎士だとかをしている男性に人気。