2-⑤
日時と場所を決めて、女子と2人きりで待ち合わせする。そんな経験が自分には初めてだと気づいたのは、コーヒーを啜っている最中だった。
本来はもっと陽気なシチュエーションで迎えるべきイベントなのではないだろうか。時刻は14時50分である。
入店時に待ち合わせである旨を伝えたからか、ボックス席を1人で占領する形になってしまった。穴場的な喫茶店ということもあって見渡す限り客数は多くなく、罪悪感は少ない。
最早聞きなれたドアベルの音に視線を向けると、乙瀬さんの姿が見えた。一瞬違和感を感じたのは、彼女の私服姿を初めて見たからかもしれない。清潔なカラーシャツと黒のスニーパンツというシンプルな取り合わせは、彼女の流れるようなロングヘアーと調和した取り合わせに見える。
「すいません先輩。待ちました!?」
鳩時計がちょうど、3度鳴く。
「全然」
対面に座った彼女は、メニューを開くことなくスラスラ紅茶の名前を店員に向かって唱えた。特に会話を促したりはせず、まっすぐ僕の方を見据えている。視線が元気いっぱいである。
知り合って間もない彼女だが、学校で見かけるどのタイミングでも常にハツラツとしている印象で、口角が落ちている姿をイメージできない。人様のラブレターに対して変な細工をする様なタイプとは、最もかけ離れているように思う。
ここまで来たら、考えても仕方がない。
鞄から例の便箋を取り出しテーブルで開く。今朝方、冷凍庫からとりだしたソレは思った通りの変化を見せた。これほどハズレて欲しかった予想もなかなか無い。
「これで話を理解してくれると、僕としては助かるんだけど」
乙瀬さんの表情をうかがう。
彼女は手紙を一瞥すると、ソファに背中を預けた。腕を組み、目を閉じて、ふーーーっと、細く、長く息を吐く。
「朝陽のラブレターが復元されてココにあるってことは、そういう事なんでしょうねぇ……」
高永君から預かった、紙面いっぱい『呪』とだけ書かれた手紙は、はたして先日僕たちの目の前で枕木さんが綴った文面を取り戻していた。大きな『呪』という文字を背景に、恋文が浮かび上がっている形だ。
「ってかどこまでお見通しなんです!? それなりに頭ひねったつもりだったんですけど?」
パッと目を見開き、ぐいと身を乗り出す。その勢いに、テーブル上のカトラリーケースが少し揺れる。訪ねてくるその表情は、まるで小さな子どもがいたずらの真相を明かすのを楽しんでいるかのようだった。
「乙瀬さんがやったことはひと通り。動機だけはよくわからなかったけど」
「ん~……じゃあこうしましょう! 私のやったことぜ~んぶ当てられたら、何でこんな事したのかお教えしますよ」
犯人の裏が取れれば、高永君も安心できるとの思いで設けた場である。当初の目的は達成したので、本来ならこれにておしまいの話なのだが、こちらの指摘以降も彼女がまったく悪びれない様子はどこか違和感を拭えない。何かを誤解したまま終わるのではと、頭の中で警笛が鳴っている。
とまぁ色々御託を並べたものの、できることなら乙瀬さんを嫌ったまま終わりたくないというだけの話だ。ここから先は完全な蛇足で、エゴである。
「わかった、それでいいよ。何から話せばいい?」
「朝陽の書いた手紙をどうやってすり替えたか……じゃない事はバレてるんですよね」
今回の出来事は、一見すると『枕木さんの書いた手紙を、別のものとすり替えた』様に見える。しかし、枕木さんが僕たちの前でラブレターを執筆し、便箋を封筒に収めてから相手の下駄箱に入れるまで、終始彼女が手放さなかった事を本人に確認している。
「考えられるのは、すり替え用の手紙は用意していたけれど枕木さんが終始手紙を放さず、それを寄越してもらう自然な流れも作れなかった。それで止む無くすり替え案は破棄、っていう流れかな。そもそも用意してないってのも十分あり得そうだけど」
「用意してましたよ。それで済むなら一番早いですからね」
「第2案として思いつくのは、ラブレターを下駄箱に入れてから枕木さんと別れた後、翌日、高永君が下駄箱に向かうまでの間に手紙を差し替える手だけど……」
「まぁ、無理ですよね。怪しまれないで他校の下駄箱まで行けたのは、時間が夕方で日も落ちかけ、部活の生徒に紛れ込める上に制服が似てるっていう好条件だっらですもん。言わずもがな、夜は問題外です」
昨今の教育施設はセキュリティ意識が極めて高い。校門や昇降口の施錠は当然の事、学校によってはセキュリティ会社と契約している場合もある。実態こそ知らなが、可能性があるだけでも容易に手は出せない。
「朝早すぎても状況は夜と同じ、かといって生徒が朝練に出てくる時間じゃあ、すっかり日は出てますからね。制服が似てるといっても日に照らされれば流石に目立ちます」
「で、第3案になるわけだ」
第3案として用意されたであろう机上の便箋を引き寄せ、目の前に摘み上げる。
執筆後にすり替えたのでなければ、執筆された手紙そのものに細工をしたと考えるしかない。
「その通りです。じゃあ『どうやって朝陽の書いた文章を消したのか?』ですね」
そして、どうやって『呪』の文字を上書きしたのか、である。
「まず大きく書かれた『呪』の字だけど、これは炙り出しだよね」
「えへへ、ちょっと古典的が過ぎて、恥ずかしさすらありますね」
ぽりぽりと頬を掻く姿は、本当に恥ずかしそうに見える。
「第3案はつまり『事前に同一の便箋を用意しておき、炙り出しの細工を施したそれを、枕木さんが執筆を始める前の新品と入れ替える』ってことでしょ」
手紙は執筆後に入れ替えられたのではなく、執筆前に入れ替えられていたという筋だ。
否定が入らないという事は、大筋に間違いはないのだろう。
こちらを見据え、長い髪を人差し指でクルクル巻いては解いてを繰り返している。
「僕らに相談してラブレターを書くという予定を聞いた乙瀬さんは、事前に同じレターセットを買って、便箋に細工をして――」
炙り出しに必要な柑橘類や砂糖は近所のスーパーで容易に調達できる。なんなら炙り出し用インクという専用品も販売されているので、準備自体は簡単だ。
「――丁寧に開封しておいたレターセットの袋に元の形で戻して、あとは当日までにすり替える」
本文が書かれてこそソレは大事なラブレターになる。使われる前のソレはただのレターセットであり、枕木さんの無意識下において、後者は前者ほどにガードは固くないはずだ。二人の間柄なら、そっくり同じものをすり替えるくらいは容易だろう。乙瀬さんにとってすり替えはたやすく、枕木さんが気づくのは簡単ではない。
「『事前に同じレターセットを買っておく』っていうのはおかしくないですか? あれは先輩たちと会う当日にお店に寄って、朝陽が選んで買ったんですよ。レシートも見ましたよね?」
もしこの話を人伝てに聞いて紐解くことになっていたら、ここが一番のボトルネックになっただろう。当事者としてあの場にいたからこそ、乙瀬さんと枕木さんをこの目で見ていたからこその推論であり、確信だ。
「その点は乙瀬さんにとって全然問題じゃなかった。少なくともその他諸々の細工に比べれば、枕木さんが買うレターセットをあらかじめ予測……いや、確信するのは一番簡単だったはず」
「それは私が朝陽の趣味趣向を熟知してるから、ってコトですか?」
友情の力でそこまでできたら大したものである。
いいや――と言葉をつなぐ。
「もっと簡単なコトでしょ。だって、枕木さんの買うものを乙瀬さんが選べるんだから、予測なんか必要ないんだ」
何事も決められない自分を変えたいのだと、枕木さんは言っていた。この告白は自分で決めたことだから、なんとしてもやり遂げたいとも言っていた。そして、そんな自分は枕木さんに頼ってばかりだとも、寂しそうに言っていた。
性格なんて今日・明日で一変できるものじゃない。今の枕木さんのように、キッカケを得て、決意をもって、少しずつ変わっていけるものなのだ。
「性格を変えようったって、そんな急には変われない。告白で手一杯の彼女にとって、それ以外の部分は必然的に従来の性格が顔を出す。ラブレター用のレターセットを買う段になって、枕木さんが乙瀬さんに相談しないはずがない」
僕と夜野さんへの相談を決めたは乙瀬さんだったはずだ。思い返せば喫茶店の注文だって乙瀬さんの薦めたものを選択していた。つまりは――
「乙瀬さんは、枕木さんから『レターセットを買う相談』を持ちかけられる確信があった。そうなったら、既に自分で購入・細工済みのレターセットと同じものを売ってる店に連れていって、その商品を薦めすればいい」
それだけである。
喉を湿らせるため、しばらく放って置いたカップに口をつける。ホットでもアイスでもない、ちょうどコーヒーが美味しくない絶妙な温度だ。対面の乙瀬さんも同様に紅茶を口に運んで苦い顔を作っている。どうやら紅茶もヌルいとそれなりに美味しくないらしい。
「おっしゃる通りです。朝陽の性格を利用するようで気は引けたんですけどね。相談当日に買うのは想定外でしたけど、細工したレターセットは常に持ち歩いてたので、あとは道中『ちょっと見せて~』と受け取って、隙を見て入れ替えました」
「こうして枕木さんの手元に細工された付箋が渡り、僕らの目の前でその付箋にラブレターを書き綴った。乙瀬さんの用意したペンでね」
あの時乙瀬さんが取り出した筆記具は、もれなく愛らしいマスキングテープでデコレーションされていた。
それがどのようなペンであれ、インクが出て文字が書けさえすれば問題無い。枕木さんは素直に手渡されたペンを受け取り文章を綴っていた。
「仮にそれがフリクションペンであっても問題ない。もし書き損じても簡単に修正できるんだから、むしろ気が利いてるとすら言える。後から加熱する予定さえなければね」
『呪』の文字を指さして、続ける
「炙り出しの細工をした便箋の上からフリクションペンで文字を書く。その後、便箋を高温で加熱するとどうなるか……っていうことだよね」
言わずもがな、炙り出しの文字は浮き出て、フリクションペンで書いた文字は消える。今この場にある便箋にペンの文字が復活しているのは、マイナス十度以下でインクの色が復元するというフリクションペンの特性故だ。冷凍庫に一晩放り込めば、不可逆な炙り出し文字はそのままに、可逆なフリクションインクは復元される。
「すごいですね。ここまではほぼ完璧ですよ先輩。じゃあ最後の問題です。被疑者風に言うなら『私にはその付箋を加熱するようなタイミング、なかったハズですけど?』って感じですかね」
自分に説明するように、整理しながら話を進めてきたが、ここに至って未だに動機は見えてこない。
枕木さんを嫌っている様子もなければ、恋敵として告白を失敗に導こうという悪意も感じられない。デメリットを被るのが枕木さんで、メリットを得るのが乙瀬さんという考え方がそもそも間違いなのだろうか。
「朝陽に確認して貰えればわかりますけど、あの日先輩たちと別れてから手紙を出すまでの間、私は手紙に一切触れてないんです。手段も不明、仮にやりようがあったとしても、手紙に触れずどうやるっていうんです?」
フィクションの悪役になりきっているのか、お嬢様よろしく手の甲に長い髪を滑らせて、楽しそうに口を開く。
「乙瀬さんが手紙に触れてない話は聞いてる。それに加えて、あの日のアドバイスを全部実践してから手紙を出した、とも聞いた」
ほぅ、とこちら向ける瞳は、純粋にここまでの筋立てを称賛している――様に見えた
ここまで話せば彼女が頭の回るタイプであることは解る。先ほどからわざとらしく髪に動きを持たせているのは、自慢のロングヘアーをこちらに主張しているのだろう。
「後回しにしていた宛名書きをする際、乙瀬さんはアドバイスの話を切り出す。枕木さんはクローバーの絵を宛名に添えて、ラメのペンで手紙のフチを塗ったあと、最後の仕上げに封筒の上からアイロンをかけた。乙瀬さんから借りたヘアアイロンを使って」
相談を受けたあの日は、酷くジメジメとした天気だった。その上彼女たちは部活終わりにその足で喫茶店に訪れている。思い返せば、乙瀬さんの髪は不自然なくらい艶やかさを有していた様に思う。当日、ヘアアイロンを使ったのかは特に問題ではない。あの日、あの気候においてサラサラとしたロングヘアーを保つほど髪のケアに心を割いているであろう彼女が、ヘアアイロンを持ち歩いていない訳がないのである。
……なんていうのは無論、無理やり論理をこじつけただけだ。証拠をというのなら、改めて枕木さんから言質を取る必要がある。
「便箋の状態が先輩に伝わらなきゃ、アイロンなんてただのおまじないで済む話だったのになぁ」
100点です、と彼女はつづけた。
「ちなみにヘアアイロン使ったっていうのは朝陽から聞きました? そこまで自力でたどり着いたなら120点です!」
100点ならば、もう合格点ではないのだろうかと思いつつ
「皆でアイデアを出し合った後、枕木さんは『全部試したい』って、躊躇いなく言ってたからね。そのあとすぐに手紙を出しに行くっていう状況で、アイロンを使えるイメージを持ってたのかなって。なら、今その場に僕の知らない範囲でアイロンかそれに類するものが存在しているんだと思った。一番ありそうなのが、乙瀬さんが普段からヘアアイロンを持ち歩いてて、枕木さんがそれを知ってるっていう線だっただけだよ」
もし、便箋を封筒に入れる前に枕木さんが乙瀬さんのヘアアイロンを話に持ち出しても「今日は忘れた」「部室に忘れた」でいったん濁し、手紙を出す直前に「鞄の奥にあった」とでも言って登場させれば、ヘアアイロンを使うタイミングは操れる。
パチパチパチと惜しみない拍手が送られたかと思うと、「120点ですね」と乙瀬さんらしい、にっとした笑顔と共に採点を受けた。
「そこまで分かってたら、動機もわかりそうなもんですけどね」
「乙瀬さん自身のメリットが目的じゃないなとか、悪意を持っての事じゃないなとか、表面的な部分はわかってるつもりだけどね。少なくとも、これらの細工が『枕木さんの乙瀬さんに対する信頼』を利用して成り立ってる部分については、乙瀬さんらしくないなと思うし、そこまでする理由は分からない」
僕の言葉に、吊り上げた目尻と水平な口角を浮かべた、かと思うや否や、次の瞬間にはいつもの乙瀬さんに戻っていた。
はじめて、彼女の顔を見た気がした。
「痛いところを突きますね~。今回私がやった事の中で何が悪事かと言われたら、朝陽の性格を利用したっていうその一点につきますよ」
彼女がカップに口をつける動作と鏡合わせの様に、こちらもコーヒーを啜る。すっかり冷めきった感触が唇を驚かせ、互いに視線を見合わせた。すいません、と手を上げて店員を呼び、2杯目のコーヒーを頼む。
「約束ですからね、委細まるっとお教えします。と言っても、意外でも何でもない、至って普通な話ですけど」
空になったカップを机の端に寄せた彼女は、去り際の店員を呼び止めた。
「私もブレンド、お願いします」