2-②
ゴールデン・ウィークも終わろうという週末の日曜日。空は朝からずっと、薄墨を注いでぐるぐると掻き混ぜたような有様で、雨こそ降らないものの、足早に梅雨が訪れたような気配が漂っている。
そんな、どんよりとした午後のおやつ時。長期休暇特有の狂った生活リズムを謳歌していた僕にとっての就寝時間。夜野さんから突如連絡が入り、喫茶店へと呼び出された。
普段なら布団をかぶり直すところだが、眠気と湿気に抗って呼び出しに応じたのは、心のどこかに告白をふいにした罪悪感が潜んでいたからかもしれない。
自宅からも駅からも学校からも適度に近くないその喫茶店は、住宅街にひっそりと佇んでいた。
内観は純喫茶と聞いてイメージするお手本のような装いで、茶器から卓上のシュガーポットに至るまで小洒落たレトロ風に統一されている。壁に掛けられたアンティークな鳩時計は、からくりの構造を外から覗ける形で、カタカタと動く様は見た目に楽しい。
総評すると、オシャレで若干居心地が悪い。
左隣に座る友達こと『夜野佳澄』は、相も変わらず明るい髪を遊ばせており、横合いから時折覗く耳元にはアクセサリーが踊っている。着崩した服に、鮮やかな色で飾られた爪先と口元は、今日も今日とてギャルであることを主張していた。どうやらギャルという生き物は、制服でなくともスカート丈は短くせねば死んでしまう人種らしい。
ボックス席を陣取った上で僕の隣に座ったという事は、対面に誰か来るのだろう――そんな思考を巡らせていると、ポッポー! ポッポー! ポッポー! と鳩時計が鳴いて、引っ込んだ。と同時に、見知らぬ女子が2人連れ立って現れる。
ウチの高校の制服を着た2人はコチラに軽く会釈をすると、1人はちょこなんと、1人はどんと対面のソファに掛ける。2人が肩にかけていた大きな長方形のバッグはその長さもあってボックス席には収まらず、極力迷惑にならない様テーブルへ立てかける形で通路に置かれた。
「たぶん初めましてでしょ? アタシの後輩でハジメと朝陽。見ての通り、今年からはアンタの後輩でもあるケド」
「ども! 初めまして。乙瀬ハジメです。赤根先輩の話は佳澄ちゃんから色々聞いてます!」
「は、はじめまして……枕木朝陽といいます。よろしくお願いします」
随分タイプの違う2人だなぁという第一印象が、口を開いたことでより強くなった。僕と夜野さんの並びも大概だが、向かいの2人も負けず劣らずといった感じである。
乙瀬さんのぱっちりと大きく開いた瞳は快活な印象で、腰まであろうかというロングヘアと併せて人の目を惹く風貌だ。ジメジメとした気候を意にも介さず艶やかに流れる黒髪は、この世に摩擦という概念がないかのように、些細な挙動のたびサラリと揺れている。一方の枕木さんは、いかにも真面目そうなボブヘアをつくっていて、眼鏡の奥に覗くやや垂れた目尻からは人が良さが伺える。委縮したような態度も相まって、部分的にとらえると『地味』となりそうなものだが、彼女が纏う雰囲気を総じて表すなら『清楚』が妥当なところだろう。
「赤根陽介です。夜野さんの……まぁ、友達です」
夜野さん以外の全員が揃って会釈する。
奢ってあげるから! と引っ張り出されただけの僕なので、状況はまったくの謎である。
謎である――のだが、タダより高い物はない。既に口をつけてしまったチョコレートケーキに嫌な予感を覚えつつ顔を上げると、乙瀬さんが心なしか前のめり気味にテーブルへ体重を預けていた。
コチラに話しかけたいという雰囲気を存分に漂わせているが、仲介人を立てようというのかチラチラ夜野さんの方へ視線を投げている。
どういうこと? と夜野さんの方を見ると、ちょうど視線が交わった。
「話の流れでアンタの事話題に出したんだけどさ、そしたら相談したいことがあるって言い出して」
見当はついていたが、やはり何か面倒事に巻き込まれそうな空気を感じる。
知り合ってからこっち、夜野さんは何かと僕に知恵働きを期待してくることが多い。しかも、うまい具合にコチラが引けないというか、断りづらい状況を作った上で話を振ってくるのでタチが悪い。
今回で言えば、既に半分ほど平らげたケーキがそれにあたる。少なくともこの分は働かねばなるまい。
「力になれるような内容なら引き受けるけど、話を聞かないことには何とも言えないよ」
了承得たりと踏んだのか、待ってましたとばかりに乙瀬さんが説明を始める。
「私……っていうか朝陽のことで相談があるんです! この子最近好きな人が出来て――」
まさかの恋愛相談である。
夜野さんから僕の事をどのように聞かされたのか知らないが、恋愛相談の相手としては間違いなく大ハズレだ。あまりの意外さで否定の言葉を紡げない僕をよそに、乙瀬さんは続ける。
「他校の2年生なんですけど、かなり朝陽とはタイプが違うっていうか、いかにも陽キャって感じでして――」
頬を紅く染め、ぎゅっと体を縮めた枕木さんは、ひたすら乙瀬さんに説明を委ねている。
話を要約すると、2人が入部したテニス部でゴールデンウィーク初日に他校で練習試合があったらしい。それでもって、遠征先の学校に在籍するテニス部男子にあえなくひと目惚れしてしまったとのことだ。
そうではないかと思っていたが、やはりテーブル横の大きな荷物はラケットバッグだったらしい。休日午後に制服というのも気になっていたが、つまりは部活帰りという事なのだろう。
ひと通りの説明が終わったところで、枕木さんは何かを決意したようにキッと顔をあげた。先ほどまで縮こまっていた背筋も、いつのまにやらピンと延びている。
「あのっ、私、見ての通り、主体性が無いと言いますか……いつもハジメちゃんに任せっきりで。何かをやろうっていう時に、自分で決めら
れないんです。そんな時、毎回ハジメちゃんに頼っちゃうというか……その、ダメダメで……」
だんだんと弱くなる声は、テレビの音量を絶え間なく絞るように小さくなっていく。言葉尻に至っては最早ほとんど聞こえなかった。
「っでも! 告白しようっていうのは自分で決めたんです。変わりたいって、ずっとずっと思っていて……これをきっかけに変わりたいんです。お話、聞いていただけませんか!?」
先ほどまでの弱々しい態度とは一転して、意思の籠った力強い視線が刺さる。胸元で指を絡ませた両の手は、力が入っているのか小刻みに震えていた。
「朝陽は昔からずっと、自分を変えたがってたんです。この子が一歩踏み出すために力を貸してくれませんか、赤根先輩」
そう願った乙瀬さんの手が、枕木さんの両の手を包む。
目の前で繰り広げられる青春友情物語がキラキラしてまぶしい。協力しない、なんて言うのは寝覚めが悪すぎる。
とはいえ、相談相手として大ハズレを引いたことは覆しようがない訳で、こちらも真摯に答えるならば『相談相手を間違えてますよ』と返すしかなく、情けないことこの上ない。
「僕、恋愛相談には向いてないと思うけど」
やっとこさ紡げた否定の言葉は、見事に場を重い空気で包んでしまった。
そんな雰囲気に居たたまれなくなり、急ぎ言葉を続ける。
「力になれそうも無いっていうのが正直な印象なんだけど、具体的には何を期待してるの? できる限り協力はしたいけど」
「えっと……それは、その」
「赤根先輩がどうやって佳澄ちゃんを射止めたのか、話を聞きたくって!!」
被せるように言う乙瀬さんは、ペンと手帳を構えながら身を乗り出している。
個性的な手帳だなと見てみれば、表紙が漏れなくマスキングテープで埋め尽くされており、ペンも同じくデコレーションされている。インキの色を判別するためか、キャップの先は覆われておらず、考えなしというワケでもないらしい。いかにも女子らしいな、なんて考えは、昨今のご時世だと怒られるのかもしれない。
「先輩と佳澄ちゃんって全然タイプ違うじゃないですか。朝陽がラブレター書こうとしてるタイミングで、佳澄ちゃんから先輩のお話を聞きまして。それでアドバイスを貰えないかなと!」
乙瀬さんがペンケースからじゃらじゃらと、色とりどりのペンを取り出した。恐らくマーカーの類だろう。
恐らく、というのは先ほどの手帳やペンと同様、もれなく表面をマスキングテープで飾られている故だ。コロコロ机上に転がったそれらは、利便性を犠牲に可愛らさを振り撒いている。
気合の入ったメモ体制を取る乙瀬さんの隣で、枕木さんは申し訳なさそうに小さく縮こまっていた。
先の説明で『陽キャ』と説明された意中の彼は、聴いてみるとどうやら相当に顔が良いらしい。2年生にしてテニス部レギュラーを務め、練習試合にもかかわらずコートの周りには女子生徒が応援にか集まっていたという。
つまり、僕に何を期待していたのかと言えば『陰の者がラブレターをもってして、どのように陽の者を射止めたのか』ということらしい。
「『失礼じゃないかなぁ』と躊躇する朝陽を押し切って、私から佳澄ちゃんに話を持ち掛けたワケです!」
「なるほどね」
先ほどから枕木さんがシュンとしているのはそういうことか。
彼女で『失礼』なら、僕など悪魔か何かになってしまう。むしろそこに思い至る彼女の思慮には好感が持てるし、協力したいとも思う。
しかし、夜野さんの説明が下手なのか、乙瀬さんたちが聞き違えたのかは不明だが、話が相当食い違っている。内容が内容なので、僕が訂正するには気恥ずかしさが過ぎる。
小さな咳払いで察してくれたのか、あのね、と夜野さんが間に入る。
「ちょーっと勘違いがあるみたいなんだけど、逆なのよ。アタシがコレにラブレターを渡して、その上、フラれてんのよ。腹立たしいことに。つーワケで、アタシもコレも役に立てないかもだわ」
コレときた。
こっちは、しっかり失礼である。