イタキソ
今のやり方で、ヒト達が苔の撲滅を図り続ければ、菌達がどんな認識もち、やがて誤作動や反動を起こさないという保障はない。
やはり、どうしても、言語にしてこの事態を、もっとわかるように筋道を立てて言語で伝えるための、しかるべき人間の介在が、肉体を持つ通訳が、必要だ。
KUMAGUSUは焦りを覚えながら考えた。だが、誰が、誰を、そんな、自分との橋渡しにできるのだろうか。
①ー4 イタキソ
落雷の日の講演会での質問がきっかけとなり、脇坂の植樹研究グループに加わったみわ。
八丈島の隣、青ヶ島の外輪山。標高500メートル近く。
倒木が増えた山の斜面の土壌の調査を終えてから頂上に登り、下を見下ろしていると、突然、「飛べ!」どこからか、ハッキリと声が聞こえた。
え?? と、飛べ? ここから?思わず、眼下をあらためて見たみわ。
ここは確か海抜800メートルか? とても飛べたものじゃないわ、と身震いする。
そんな無茶なことを言うのは誰なの? と、声の主を探したが、脇坂はもちろん、他の同行者の誰も、そんな声すら聴かなかったという。
どうして? あんなにハッキリと聞こえたのに。 誰かが本当は、新入りの私をからかったのだろうか…みわは釈然としないまま下山するしかなかった。
調査から帰ってすぐ、今度は祖母の13回目の法要のために、みわは姫路の実家へ向かった。帰省のための列車はガラガラで、独り占めしたボックスシートから、「おばあちゃん」と心の中で呼びかけながら景色を見ていると、唐突に、子供の頃の記憶のひとつがフラッシュバックした。連なって過ぎてゆく、山肌をピンクに染めている桜の木々に、かつて、祖母がときおり口にしていた言葉が聞こえた気がした。子供だったみわには不思議に感じたあの響き。
「イタキソ」。まるで、動物の名前かおまじないみたいだと思っていた言葉。おばあちゃんは言ったものだ。桜が咲くと、『イタキソみたいだ』とか、『おお、イタキソだね』とか。
あれは、本当にどういう意味の言葉だったのだろうと、懐かしく思い返す。
遠い日。祖母と歩いた桜色の土手やぬるんだ風・・・。
みわを出迎えた父はめっきり白髪が増えていた。母が亡くなってから、父がまさかの再婚をしたこともあり、七年前に家を出てからというものみわは意識的にバイトで各地に住み込み、家への足はどんどん遠のいていた。法要の機会にと、集まっていた親戚たちもみんなすっかり老けていた。顔合わせしてすぐ、車に乗り合わせて着いた菩提寺の境内には、見事な満開の桜の木が立っていた。見上げながら、「イタキソだあ」思わずみわが呟いてみた。
ギクッと振り返った叔母の妙子。
「みわちゃん、あんた、知っとったんかね」
「え?」
「おばあちゃんが、」と、叔母が言いかけのを、「妙子!」と父が思いがけないきつい声で制したのがみわには解せなかった。
直会の席で、父がご不浄にと立っていったのをねらって、叔母のグラスにビールを注ぎながら、「ねえ、さっきの話だけど」と、確かめようとしてみたが、何のことかとぼけられてしまった。
その夜、風呂から上がって来た父に、みわは迫った。「そんなことを知ってどうするんだ」と不機嫌を隠せない父も、今、教えてもらえんかったら一生わからんかもしれんと、執拗に食い下がるみわに、とうとうぼそぼそと話はじめた。「イタキソ」の意味や、みわが初めて聞く、祖母の実家の話を・・・。
イタキソ、とは何と、神社の名前だった。そういえば、 伊太祁曽神社、イダキソ神社というその漢字を何かで目にした気がしないでもない。けれど祖母のことさえ、普段は忘れていたのだし、もし見ていたとしても、いたやそとか読みそうだし、気づくことはなかったのだろう。幼かったみわには、「イタキソ」としか聞こえなかったその響きさえ、すっかり記憶の奥にしまい込まれていたのだから。
なんでも、祖母は、或る理由から、本当は、和歌山にあるというその伊太祁曽神社の養女となって跡を取るはずだったというのだった。それが、祖父と出会って恋におち、世話になった養父母の期待を裏切り、一族の期待を裏切り、姫路に嫁いだのだという。祖母が姫路に嫁ぐことを決心して、そのことを初めて、一番古く、一番見事に毎年花をつけていた、庭のお気に入りの桜の下で、「私、幸せになりたいの」と養母に告げた年の三月。幹ほどの太い枝の一本が台風並みの春の嵐の風にボッキリ折れて、それはそれは沢山の花をつけた枝が参道をふさいだのだという。
そして、折れた枝から集めて、神前に供えた花も、あちこちに配った花も、どれも何か月も咲き続けたという。
その桜の枝で染めあげた反物でこしらえたとう着物だけもって姫路の祖父の元にやってきたという祖母。なぜ、養女になっていたかの、その、或る理由、だけはどうしても父は明かそうとしなかったのが気になるが、祖母も祖父も二人とも姫路の人だと思っていたみわにとって、きゅうに、まだ行ったことにない和歌山という土地が身近にもなった。
その夜、寝付けぬまま、携帯の検索で、和歌山のことをいろいろ調べ、伊太祁曽だの、和歌山の神社だのと見ているうちに、名草神社という可愛い響きの神社を見つけた。しかし、名前の可愛らしさにはそぐわず、そこは、名草戸畔という神武東征の折征服された女酋長の遺骸が三つの神社に分けて祀られているというのだった。 ふうんと読んでいると、その名草戸畔という難しい呼び名にはルビがふられていて、ナグサトベというのだった。 戸畔、で、この、畔、ってあぜ道の畔じゃないの?これで「とべ」なんて読めないじゃない・・・、あ? ・・・とべ!? みわの胸に、青ヶ島の山から見下ろした景色が甦った。あの時の、「飛べ!」は、もしかして、戸畔!? だった? まさかね。でも、名草とは、名草山。古代の名草郡の神社の中に、例のイタキソが! しかも、植樹の神を祀っているとは。
これは一度、実際に行ってみなければ。みわは興奮していつまでも寝付けなかった。