目覚めた脳
めざめ
停電の翌日から、各地でおかしな現象が起きはじめていった。
全国の開発現場の重機がおかしくなり、動かなくなることによって、宅地造成のための山の切り崩しなどができなくなった。川崎での、化学肥料工場の夜間の火事を皮切りに、千葉でも埼玉でも、化学肥料を作る会社の倉庫や工場の火事や爆発が相次いだ。
しかもこれらはみな、被害者が出ないよう、だれかが考えたとしか思えないようなタイミング、状況で起きていった。なぜこんなことが起こるのか。なぜ、開発現場だけなのか。
なぜ、化学肥料工場だけなのか。
一方、異変は、気づかれることなく、K大の地下、特別資料保管庫の厳重な扉の内側でも起きていた。
前月の突然の落雷は、80年という年月の間、静かにアルコール液が満ちたガラス管の中で眠っていたものを覚まさせていたのだった。火のエネルギーと水のエネルギーのスパーク。かつてこのエネルギーを雷から自在に分けて取り出せた者はワケイカヅチと称えられ、上賀茂に今もカミとなって祀られているという。この二元素のタテヨコの極が交わる一点が生み出すエネルギーはすべてのものを生み出す臍の緒となる。火水開噛。天と地のエネルギーが噛み合うときに生み出す一瞬の産土力、いのちを生む力。むすひ、無から有が生まれる。それはこそが宇宙の根源である生命力、交わる瞬間のスパークを繰り返す循環形原子トーラスであった。それこそが生の秘密。根源。死とは、容れものから、そのいのちの波が去るということであって、脳波が止まるときでも、心臓が止まる時でもない。反対に、何であれ、そこに、いのちの波が入ることで生が生じるのだ。その、宇宙原始の、目には見えない波、耳には聴こえぬ音、いのちの秘密である「あの波」、が、いま、眠れる脳に流れ始め、それは静かに脈を打ち始めた。やがて次々と信号のリレーがすべての血管たちを起こし、永い眠りにもかかわらず、「その脳」KUMAGUSUは中枢にシナプスたちが集めて戻してくる情報を読み取り始めた。
巨木たちの中でも最も古い屋久島の杉からの特別に協力なバイブレーションを皮切りに、各地の古老の樹々からの訴えが続く。
長老である各地の巨木、この星の情報管でもある彼らから届けられた、存続の危機的状況、それは、長い長い歳月を経て築かれてきた生命の循環を崩すのはあまりにも短い期間での急速な変化だった。目覚めたばかりのKUMAGUSUは、驚き、嘆いた。人間はまだ何も学ばず、いや、ますます愚かになっているのではないかと。
だがしかしこの世界では、脳の中に意識が閉じ込められているだけの自分から、人間社会への直接の呼びかけ方がわからない。いったいどうしたらよいのか。やがてKUMAGUSUは、自由意思を持ち、宇宙と繋がっている兼ねてからの仲間、どこにでも動き、瞬時に姿を変えられる粘菌類たちに思念を送ることを始めた・・・。
粘菌たちの魂の集合体は、KUMAGUSUを覚えていた。その久しぶりの復活を喜んだものの、その訴えには、自分たちは、地球がどうなろうと繁殖して生きていくことができるのだし、『それはわれらの問題ではない、他人事』と、最初は関心を示さなかった。だがやがて、菌の中でも古い、アンドロメダ系のミケトゾアたち、や、元はベガ星からやってきていたひょうたんゴケやクロゴケなどの地衣類は、KUMAGUSUの案を面白がって協力し始めた。指示された場所にその触手を伸ばし、森林を損なう開発地域を自分たちの菌で埋め尽くしていった。だが、人間達は、またしても、異常繁殖する粘菌や苔を撲滅するために手を尽くすばかりだった。すさまじいスピードで増殖して、すさまじいスピードで消滅させられていく。やがて、彼らは困惑し始めた。
KUMAGUSUからの情報では、有害なもの、差し止めるものは、重機やコンクリート、化学肥料工場、などなのだろう? しかし、その傍らに、いまいつも存在して、我々を躊躇なく絶やそうとする、あの、二本足のヒト類は、果たしてどうなのか?
差し止めるべきものではないのか? あれらは、このホシの有害物ではないのだろうか? とKUMAGUSUに問うてくるのだった。
今のやり方で、ヒト達が苔の撲滅を図り続ければ、菌達がどんな認識もち、やがて誤作動や反動を起こさないという保障はない。
やはり、どうしても、言語にしてこの事態を、もっとわかるように筋道を立てて言語で伝えるための、しかるべき人間の介在が、肉体を持つ通訳が、必要だ。
KUMAGUSUは焦りを覚えながら考えた。だが、誰が、誰を、そんな、自分との橋渡しにできるのだろうか。