口笛の秘密
というわけで、シエルとアスバルの記念すべき共同作業初日が幕を開けた。
アスバルは案の定不機嫌の極みで、朝礼の席でもイライラと貧乏揺すりを繰り返し、終始俺を睨み殺さんとしていたがダメージはゼロ。
逆に言い出しっぺのシエルの方がやつの形相に萎縮してしまい、肩を竦めてビクつきまくっていたものの、こいつの偉いところはそれでも「やっぱりやめます」とは言い出さないところだ。ゆえに俺も朝礼終わりにシエルの華奢な背中をバシッと叩き、ニッと笑って気合いを入れてやった。
するとシエルもぎこちなくはあるものの、俺を真似して笑ってみせる。
「いいかい? 担当竜を持ったらまずやることは、自分の竜の性格や状態、普段の様子を細かく観察して記録することだ。竜っていうのは怪我をしたり体調を崩したりしても、よっぽど悪くならない限り隠そうとする傾向がある。だからラドニアさんが毎日欠かさず回診して、異常のある竜がいないかチェックしてるわけだけど、さすがに竜医ひとりですべての竜の状態を詳細に把握するのは不可能だからね。つまり自分の竜のことは担当飼育員が責任を持って……」
そして朝礼が終われば早速、ヘスペルによる飼育の手解きが始まった。
園に戻って早ひと月半になるヘスペルはカールの世話にもすっかり慣れて、シエルとアスバルの前でも至極得意気に先輩風を吹かせている。そうしてやつが鼻高々に講釈する内容は十割が俺とラドニアからの受け売りなのだが、まあ、自分の口からそいつを説明できる程度には飼育員の仕事が板についたようで何よりだ。
問題はむしろヘスペルがドヤ顔で飼育員の心得や作業手順を説明する間、アスバルが終始殴りかかりたい衝動を堪えているように見えることか。一方、シエルはそんなアスバルに怯えながらも飼育員としての仕事に対しては前向きで、どんな話にもふんふんと興味深げに聞き入り、メモを取る姿も見られた。
あいつがある程度花竜の世話に慣れたら、あのメモをもとに飼育員の基礎マニュアルを作らせてもいいかもな。
ともあれまずは担当飼育員としての仕事を体で覚えてもらうのが先だ。
担当竜を持たないヘスペル以外の飼育員たちは、毎日決められた作業を漫然とこなすのがルーチンになっていて、今も飼育員というよりは作業員のような仕事にしか就いていなかった。すなわち給餌は給餌担当が、掃除は掃除担当が、雑用は雑用担当が……という風に、各々が与えられた役割のみをこなしている状態なのだ。
よって担当竜を持った飼育員は、まったく新しいルーチンをイチから覚えなくてはならない。シエルは元雑用担当で、アスバルは元掃除担当だから、一日中パシリや掃除をするだけという単調な日常からは今日をもっておさらばだ。
「んで、肉は肉でも竜によって与える肉は微妙に違う。中型以上の竜には馬肉、牛肉を中心に与えてるが、花竜には鶉肉で、毎週土曜日と闇曜日は絶食日だ。肉食動物ってのは本来、狩りに成功した日しか獲物にはありつけない。だから野生ではありえない頻度でメシを食ってると、内臓に負担がかかっちまうんだよ。つーわけで四日に一回、内臓を休ませる日を作ってる。餌は一回の食事につき鶉半分だ。こうやって真ん中でふたつに分けたら、残りの半分は別の竜の餌に回す。鶉肉は骨ごと食えるから、取り除くのは脂肪と内臓だけでいい。ただし骨は喉に刺さる危険を減らすために、包丁で叩いて粉々にしておくこと。あとは食いやすいように、このあたりにも包丁を入れてやって……」
と、その後は調餌室へ向かって、今度は俺から餌の準備方法をレクチャー。
ヘスペルはカールの餌の準備があるから、俺が代わりにふたりの前で肉の捌き方や包丁の使い方、ペレットの混ぜ方なんかを実演する。
調餌係が下処理を済ませてくれた鶉肉を丸ごと台に置き、包丁のひと振りで鶉の体を真っ二つにしたときや、内臓を引き出して捨てる作業中は怯えたシエルが終始顔を背けていたが、アスバルの方はなんてことない様子で見学していたから、まあ調餌は基本後者に任せることになるだろう。
で、餌の準備ができたらまずヘスペルが給餌の手本を見せて、俺の厳重な監督の下、アスバルにも同様のやり方で餌やりを実践させる。
いつもの給餌係ではなく、アスバルが檻に入ってきたらさすがの二匹も警戒するだろうかと思ったが、どうやらそれは杞憂だった。
餌が置かれた左の檻と、昨夜の寝室だった右の檻とを隔てる仕切りが開いた直後はちょっとまごまごしていたものの、アスバルが「ヒュウッ」と口笛を吹けば、ハイビスもアロアロも喜んで餌のもとまで飛んでゆく。
「おー、よかった、食いつきも良好だな。しかしアスバル、おまえ、旧エルタニン王国領には行ったこともないとか言ってたわりに、なんで花竜の鳴き真似ができるんだ? ハイビスもアロアロもここじゃ滅多に鳴かないし、エルタニン領に行ったことがないなら、野生の花竜の鳴き声を聞く機会なんてなかったろ?」
「フン……この口笛は死んだ祖父さんに習ったんだよ。ジイさんは花竜が暮らすラスタバン半島の生まれでな。毎年雨期の終わりが近づくと森から花竜の歌が聴こえて、現地の人間はみんなそいつを楽しみにしてたんだと。〝竜が歌えば長雨去りて森笑う〟ってな」
「森が笑う?」
「ああ……どこまで本当かは知らねえが、花竜が歌い始めると地元の人間が竜樹と呼ぶ木があちこちから生えてきて、一斉に花を咲かせたらしい。で、花が散ると今度は大きな実をつけるんで、食糧として重宝したとか……」
「は、花が咲くだけじゃなく、そもそも木が生えてくるんですか? 花竜の歌で? そんなことが……」
「チッ……だからどこまで本当かは知らねえっつったろ! あるいは故郷に焦がれすぎてイカレたジジイの妄言かもな」
「っ! あ、す、すみません、今のはおじいさんの話を疑ったわけでは……」
と、いきなり頭ごなしにどやしつけられて縮み上がったシエルは、怯えて身を竦めながらも懸命にそう弁解していた。対するアスバルはフンッと不機嫌そうに鼻を鳴らすやそっぽを向いて、もはやシエルには見向きもしない。
あーあー……前途多難だな、こりゃ。しかし相手がシエルでも、アスバルが怒りに任せて拳を振り上げなくなったのは一歩前進と言えなくもないか。
その後も実演を交えて朝の業務の流れを教え、ひととおりの作業が完了すると、俺はふたりをヘスペルに任せて一度アルコル宮へ引き返した。
ここから昼過ぎまで飼育員たちはお勉強の時間だし、俺は俺で片づけなければならない仕事が宮で山をなしている。というのも元老院に提出するドラゴン・パーク計画の計画書作成がいよいよ大詰めを迎えているのだ。
帝立竜術研究所からは細かい修正まで完了した放飼場の設計図が届き、貴族の説得に必要な諸々の試算結果も、屋外飼育実験の第一号となるカールの研究データもあらかた揃った。これを受けてフーヴェルオが既に元老院会議の開催を宣言し、元老と呼ばれる帝国の大物貴族たちが今、続々とこの帝都メアレストを目指して領地を出発している。
となれば俺たちは、元老の招集が完了する前に書類の最終チェックを済ませ、実際に会議に臨むフリーダやギゼルが遺漏なく内容を説明できるよう、打ち合わせを重ねなければならない。会議当日は有識者としてアリスター博士やロレンソン博士も同席してくれるそうだから、きっと大丈夫なはず……と思いたいけどな。
「リュージぃ! もお~っ、せっかくチョーバツ? が終わったのに、戻ってきてからもずっとおしごとばっかり! もっとティアにもかまってよぉ! かまってかまってかまって~!」
「なでなで、なでなで、なでなで!」
「あー、はい、うん、なでなでな、なでなで。じゃ、撫でられたいやつから順番にそこに並べ。で、ラドニア。ここの収益化に関する文言だけどな……」
と、宮に戻ってからは今や事務所代わりの書斎に缶詰めになり、ひたすらに書類のチェック。昼飯はエレノアが作業しながら食べられるようにと用意してくれたブリトー的なものを頬張り、食べながら手を動かした。
が、そんな俺にまとわりついて、さっきからイヴやティアが何か騒いでいる。
どうやら俺に構われたくてしょうがないらしい。
仕方がないので、俺は書類を手にしたまま腰かけた椅子の傍らを示し、そこにすかさず正座したイヴとティアの頭を片手間になでなでしながらラドニアとの打ち合わせを続けた。最終的にはイヴとティアとで俺の左手を取り合い、交互に自分の頭に乗せるという意味不明な状況に陥っていたが、まあ、それでこいつらが満足するなら何も言うまい。というか正直、今はつっこんでる暇もない。
何しろこの作業が終わったら、今度は来月のシフト表も組まなきゃならないし、吃緊の課題になっている飼料問題についても方策の検討が必要だ。
持続可能な供給方法の模索はもちろんのこと、保存方法も考えなきゃならないしペレットの開発も要継続。とにかく圧倒的に手が足りない。
飼育員たちが満足に読み書きできるようになるにはまだ時間がかかるそうだが、一刻も早く事務方が欲しい……と俺がまるで読めやしない英語の資料を前に頭を抱えていると、そのとき不意に、ふっと爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
何だと思って顔を上げれば、そこにはいつの間にか琥珀色の液体が注がれたブリキのマグが置かれている。そしてさらに視線を上げれば、どこか心配そうに俺を見つめる人物と目が合った。他でもないアルコル宮の女中、エレノア・エウィスだ。




