さるにはなりたくない
「はあ!? アスバルのやつがそんなことを!?」
と、事件の一部始終を聞くなり声を荒らげたのは、フォークを握り締めた手を食卓に叩きつけたヘスペルだった。俺たちが偶然シエルのいじめられている現場を目撃してから数時間後。本日の業務を終え、アルコル宮の一階にある食堂へ集まった俺たちは、エレノアが調理してくれた夕飯を皆で囲んでいた。
毎日十九時は、アルコル宮を宿舎代わりにしている面々が一堂に会して食事を取る時間、というのもまた俺が決めたルールのひとつだ。
竜の園──かつてはミザール宮と呼ばれていた──の二階で生活している平飼育員たちもまた、この時間は向こうの大食堂で晩飯にありついているはず。
かく言う俺も毎週光曜日には向こうの食堂で飼育員と一緒に飯を食うようにしていたが、今日は風曜日なので、アルコル宮のいつものメンツと食卓に着いていた。
が、唯一普段と違うのは、その中にシエルも混じっていることだ。
例の件はとりあえずギゼルに報告し、アスバルたちは数日間の懲罰房送りになったと聞いた。しかしいくら連中が不在とはいえ、あんなことがあったあとでは、シエルも園に戻りにくかろう。そう思って今夜はアルコル宮に泊まるよう勧めたのだが、野菜の切れ端が浮いた薄いスープを見つめるシエルの表情は未だ暗かった。
まあ、アスバルたちもいくつかの義務違反に対する罰を受けるだけで、園の配属からはずされるわけじゃないしな……。
連中が戻ってきたあとのことを考えると、気が滅入るのも当然か。
「何だよそれ……何だよそれ何だよそれ何だよそれ! もともと口も態度も悪いやつらだとは思ってたけど、ほんと最低だよ、あいつら! いい大人がよってたかって弱いものいじめなんてさ!」
「まあ、その点については概ね同意するが……しかし毎日、一日の大半をやつらと共に過ごしながら、まるで異変に気づかなかった貴君も貴君ではないか?」
「そっ、そうかもしれないけど、僕はカールの世話で忙しかったから……!」
「だろうな。第一、俺だって他の飼育員たちの様子を見るために毎週同じ釜のメシを食ってるってのに、今日まで気づいてやれなかった。アスバルたちも相当巧妙にやってたってことなんだろうが……もっと早くに見つけてやれなくて悪かったな、シエル」
「い、いえ……! わ……私自身……周りに知られるのが怖くて、ずっと、彼らとのことを隠していましたから……リュージさんやヘスペルさんは、悪くないです。むしろこんな風に匿っていただけて……とても、感謝しています」
と、なおも食事の手は止めたまま、シエルは辞を低くして礼を述べた。
が、先程ラドニアに頼んで診てもらったところ、シエルの体には複数の痣や火傷の痕があり──しかも普段は服に隠れて見えない場所に、だ──その痕跡を見る限り、やはり暴行は日常的に行われていたと見て間違いないらしい。
それに今日まで気づいてやれなかった不甲斐なさに、俺は忸怩たる思いを拭えなかった。いくらパークの設立準備で忙しくしてたとはいえ、ヘスペルの件に続いて二度目となると、さすがにちょっとへこむな……。
「しかしあやつら、一度や二度懲罰房送りにされたところで果たして改心するかのう。むしろ報復と称して、ますます陰湿な嫌がらせをしてきそうじゃが」
「まあ、メアレスト人に対する怒りをエル・ライ人にぶつけるような小心者ですものね。今回もお得意の責任転嫁で、ますますシエルを逆恨みする可能性はあるわ」
「愚かだな。ノースランド同盟など、仮にエル・ライ教国が帝国に寝返らなかったとしても早晩潰れていただろうに、どうもやつらは教国の裏切りさえなければ同盟国が今も存続していたと信じているらしい。まったくおめでたいことだ」
「いや、お説ごもっともだけど、侵略した側に言われるとなんか腹立つな……僕も一応、お隣のケフェウス都市同盟領の出身だし……」
「事実そうなのだから仕方あるまい。だいたい戦後七十年が経過した今、帝国の統一戦争を経験した世代の生き残りなどほとんどいないに等しいだろう。ここにいる面々も全員、大陸統一後に生まれている。つまり祖国を知らずに育った連中が血筋で優劣をつけたがること自体が馬鹿げていると言っていい。我らメアレスト人にしてみれば、エル・ライ人だろうがエルタニン人だろうが奴隷は奴隷だ。それ以上の価値などありはしない」
「うわあ……いかにも帝国貴族って感じの発想で、いっそ清々しいよ……」
「いや、けど、ギゼル。今おまえが言った〝エルタニン人〟って?」
「あのアスバル・ルイバとかいう奴隷のことだ。やつはどうやらノースランド同盟の盟主だったエルタニン王国の生き残りらしい。ちょうどエル・ライ教国の兄弟国だった王国だな」
「兄弟国?」
「エル・ライ教国は百年くらい前に、エルタニン王国から分裂して生まれた国だったのよ。確か王国はソフィア聖教を国教としていたんだけど、王族の中に熱心なメシア信教徒が生まれちゃって、その教徒が〝メシア信教の信仰を許す土地を与えてもらえるなら、未来永劫、末代に渡って王位継承権を放棄する〟って提案したのをきっかけにエル・ライ教国が生まれたのよね」
あー、なるほど。〝メシア信教〟とかいうのはよく分からんが、要はエル・ライ教国は、地球でいうところのバチカン市国みたいなもんだったってことだな。
宗教問題で対立して独立したものの、どっちも同じ王家の血を引く人間が治めてたから、文字どおり血を分けた〝兄弟国〟ってわけか。
でもって例の事件の直後、ギゼルから聞いた話によれば、ノースランド同盟とは名前のとおり、かつてオルンダルゴ大陸北部にあった小国の集まりだったらしい。
位置的には、ヘスペルの故郷だという大陸北東のケフェウス砂漠のすぐ西側。
同盟はもちろん、大陸南部で勃興したメアレスト帝国の侵攻に対抗すべく発足されたもので、エル・ライ教国も末端に名を連ねていた。ところがいざ帝国軍が同盟領に攻めてくると、教国は味方の機密情報を手土産に帝国へ寝返り、それによって同盟はあっという間に攻め滅ぼされてしまったらしい。
とはいえ、教国領の自治とメシア信教の信仰を認めてもらうことを条件に帝国側についたエル・ライ教国も、稀代の暴君ことゲオウェクス二世がソフィア聖教以外の宗教を禁ずる禁教令を打ち出すと、当然ながら「約束が違う」と言って抗議し、結果、反乱分子として帝国に叩き潰されたという。
つまりエル・ライ教国は実質、先帝の時代までは存続していたということになるものの、結論だけ見ればかつての裏切りの報いは既に受けたと言えるだろう。
だのに同盟諸国の末裔であるアスバルたちが今もエル・ライ人を恨み、その恨みをシエルにぶつけているというのは何とも非建設的な話だ。
戦争というのはこうやって、当事者でない人間までも傷つけ、下手をすれば何十年、何百年先まで消えない禍根を残すから嫌になる。
話し合いで解決できないなら暴力で要求を押しつけるなんて行為は、自分が人間であることを真っ向から否定して、獣の時代へ逆戻りするようなもんだってのに。
でもってそいつは〝いじめ〟という行為にも言える。人類がどれほど進化してもいじめがなくならないのは、それこそ獣時代の生存本能の名残だ。
動物の世界──特に群という〝社会〟を形成する生き物──にも当然のようにいじめはあって、これは大半の場合、縄張りや群を守るために行われる。自然界において自らの生存率を高め、種の未来をつなぐことは生物の最重要課題だ。
だからいじめによって侵入者や足手まといになる個体を排除するという行為は、ある意味生物にとって絶対的に正しいと言える。
そして生き物は〝自分は正しいことをしている〟と感じるとき、脳が放出するオキシトシンやセロトニン、ドーパミンといった快楽物質の虜になる。
要は脳内麻薬によってラリッてしまい〝最高にキモチイイ!〟と感じるわけだ。
こうした脳の働きは、野生下における種の存続のために生き物が獲得したもの。
自分や仲間が生き残るためにはこれが正しい行動だと、本能的に知るための仕組みだ。でもってまったく同じ機能が人間の脳にも残っていて、だからいじめはなくならない。それが客観的に見て本当に正しいかどうかは関係なく、自分が正しいと思い込んでいる状態で他人を攻撃するのは、最高に〝キモチがイイ〟のだ。
こいつは一度ドラッグにハマッた人間が、そこから抜け出せなくなるのと同じ。
だが何度も言うように、人類とは種の存続のために、本能よりも理性によって群を守ることを選んだ生き物だ。
だのに獣時代の本能が与える快楽に抗えず、脳内麻薬が与える多幸感に溺れ続けるなんてのは、六百万年もかけてやっと手に入れた人間性の放棄に他ならない。
少なくとも俺はそう思っているから、戦争だのいじめだのなんて話はクソ食らえだ。神聖な進化の歴史に泥を塗りやがって。
特に猿人から現生人類への劇的な進化は、宇宙人によってもたらされたなんてオカルトが飛び出すくらいには特別な奇跡だったんだぞ。
まあ、アゴログンド人の進化の歴史もそうだったのかどうかは知らないが。
「で、どうするのじゃ、竜司。このまま何の対策も打たずにアスバルらが戻るのを待つわけにもゆくまい。これ以上同じ過ちが繰り返されぬよう、何か手は考えておるのか?」
「ああ、そうだな。実現可能かどうかは別として、一応対策は考えてある」
「対策って、具体的にどうするの? アスバルたちに監視をつけるとか?」
「いや。それじゃいじめは防げても根本的な解決にはならないだろ。こういうときは対症療法よりも、原因療法で問題の根治を目指すのが理想的だ。というわけで、ギゼル」
「……何だ?」
「今回の件を陛下に報告するついでに、こう陳情しといてくれ。竜の園運営の円滑化と秩序維持のために──奴隷の待遇向上をお願いします、ってな」




