欲をもって欲を制す(★)
翌日、竜の園の関係者を集めた朝礼の席で、俺はシエルを園の記録係に任ずることを発表した。現在のアゴログンドには、深刻な竜アレルギーを発症した先帝の暴挙のせいで、竜にまつわるまともな記録が一切残っていない。
唯一、フリーダら竜狩人が竜殺しのスキルを学ぶために所持することを許されたという教本の中には、様々な竜の名前や生息地、外見的特徴等を記した『竜族図鑑』なるものが現存するらしいが、これも〝図鑑〟とは名ばかりの、ほんの数種の図説しか載っていない杜撰な書物だとラドニアが悪態をついていた。
実際、当時図鑑を編纂したアゴログンド人たちは、野生下の竜を見ながら姿図を描く他なかったのだろうから、そもそも竜を発見できなかったり、発見できたとしても襲われたりで、まともに観察できる環境になかったのだろう。
だが何とも幸いなことに、今の俺たちには竜の園がある。
野生下に近い環境でのびのびと過ごす姿……を拝めるのはまだ当分先ではあるものの、安全かつ間近で竜を観察できる施設が。
「つーわけでシエルには今日から、空いてる時間を使って園内にいる竜の絵を描いてもらう。今後そいつをもとに元老院への説明資料を作ったり、パークに展示する解説板を作ったりする予定だ。シエルは当面そっちの作業に専念することになるから、その分、いつものルーチンワークに欠員が出ることになる。そこは何とか手の空いてる連中でカバーしてくれ。今のところ担当竜を持ってるのはへスペルだけだから、まあ、みんなで協力し合えば手が足りないってことにはならないだろう」
と、俺が業務連絡の最後をそう締め括ると、いつも退屈そうに話を聞いている飼育員の何人かが無言で目配せし合うのが分かった。
一方、今日づけで晴れて園の新設部署『記録広報係』の配属となったシエルは、俺の隣で身を竦ませながらうつむいている。
……なんだ? なんかこう、スッキリしない反応だな。
ひょっとすると他の飼育員たちは、シエルだけが今までの重労働からはずれて楽な仕事を割り当てられたのを面白く思っていないのかもしれない。
だが俺がシエルに与えた役割は、パークに動物園としての機能を持たせるなら絶対欠かせないものだ。確かに調餌や掃除なんかの力仕事に比べたら楽に見えるかもしれないが、保護活動啓蒙の最前線に立つと思えば同じくらい重要な仕事だと言える。そいつを他の飼育員にも少しずつ分かってもらわないとな。
「──リュージ、竜術研究所からロレンソン卿がお見えだ。依頼していた図面が完成したらしい。貴君やクリソプルの意見もぜひ聞いてみたいと言うので、談話室へお通ししたぞ」
「おっ……!? も、もう放飼場の設計図ができたのか!? 分かった、すぐ行く。ラドニア、せっかくだからそのプレゼン資料も一緒に持ってきてくれ。イヴとジュンコは打ち合わせが終わるまでブルーと一緒に……」
「イヤじゃ! わしも見たいぞ、カールの屋外放飼場!」
「イヴも! イヴも!」
「ピャッ!」
「いや、おまえらが見たところでな……」
「いいじゃない、リュージ。子ども目線からの率直な意見だって、意外と何かの役に立つかもしれないわ。ブルーは籠ごと移動させれば大丈夫だから」
「はあ、ったく……分かったよ。ただし、おまえら、博士の前では大人しくしてろよ。打ち合わせの邪魔だと思ったら即刻放り出すからな」
「はーい!」
と、言葉の意味を理解しているのかいないのか、にこにこしながら挙手つきの返事をしてみせたイヴとジュンコ、ついでにクッション入りのバスケットにすっぽり収まったブルーを連れて、俺が書斎を出たのはその日の午後。
午前の回診を終えたラドニアと額を付き合わせ、元老院に提出する資料の草案を練っていた俺は、襟巻竜用放飼場の設計を依頼していた帝立竜術研究所からついに図面が届いたと聞いて、早速談話室へと駆け込んだ。
フーヴェルオのいる本宮に比べるとミニチュアみたいな大きさしかないアルコル宮は、造りこそ瀟洒だが部屋数は少なく、この談話室が応接室も兼ねているのだ。
そこへ通された竜術師のロバート・フォルク・ロレンソン博士は、今日も今日とて闘牛みたいに大きな体を丸めて、窮屈そうにふたりがけのソファに座っていた。
「博士、お待たせしました。すみません、今日もガキどもが一緒なんですが……」
「ああ……構わない。羽毛竜の卵は孵りそうか?」
「まだ何とも言えませんけど、母体はもうすっかり健康なので、あとはこいつの母親としての本能に任すしかないですね。ときどきごそごそ動いてちゃんと転卵もしてますし、ブルーならきっとうまくやるだろうと信じてますが」
「ピャッ」
とギゼルに伴われて談話室へ入った俺は、隣でイヴが大事そうに抱えたバスケットへと手を伸ばした。その中に詰め込まれたふかふかのクッションと巣材の上で大人しく丸まっているブルーは、実は目下、卵を抱いている。
他でもない、今から三ヶ月前、ラドニアによって摘出されたあの卵だ。
先月アリスター博士が園の視察にやってくるまで、バナトの研究所で孵卵器に温められていたブルーの卵は、ついに母親のもとへ帰ってきた。無事に孵るかどうかは今のところまだ未知数だが、アリスター魔獣研究所にある検卵器で光を当て、殻の中身を透かし見たときには、中に血管と竜の幼体と思しき影が見えたらしい。
ということは少なくとも、有精卵と同じように発生している。
その事実を博士から告げられた俺たちは大喜びで、彼女が宮に届けてくれた卵を早速ブルーへ差し出してみた。するとしばらく殻のにおいをくんくん嗅いでいたブルーは、それが自分の腹の中から出てきたものだと理解したのか、優しく咥えて腹の下へ潜り込ませ、そっと座り込んだのだ。
やはりブルーは、本能で母親になろうとしている。彼女の行動からそう確信した俺は、地球でもたびたび目にしたはずの生命の神秘に心が震えて、不覚にも泣きそうだった。生きる世界が違っても、生き物ってのはやっぱり奇跡の塊だ。
映画『ジュラシック・パーク』でマルコム博士が言っていたとおり、生命は必ず道を見つけ出す。以来俺たちは交代でブルーの抱卵を見守り、卵の上から動けない彼女に餌をやったり、少し運動が必要なときには代わりに卵を温めたりと、甲斐甲斐しく世話を焼いた。
本来は羽毛竜も鳥類のように、つがいとなったオスと交代で卵を温めるのだろうが、ひとりきりで母親になろうとしているブルーには俺たちの助けが不可欠だ。
そしてどうやらブルー自身もそのように理解しているらしく、卵を抱いている状態で周りに誰もいなくなると不安がってピーピー鳴き喚く。
ゆえに俺たちはブルーと卵を持ち手つきのバスケットの中へ入れて、どこにでも持ち運べる態勢を整えたのだった。おかげで近頃のブルーは精神的にも安定しており、慌てず騒がず穏やかだ。俺が人差し指の背でふさふさの毛が生えた喉もとを掻いてやれば、クルル、クルル、と気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らす。
フッ、かわいいやつめ。
が、他方、フリーダやへスペルと並べてみても見劣りしない恵まれた体躯を持ちながら、ロレンソン博士はまだ少しハネつきのブルーが怖いらしかった。
だから容態を気にかけつつも距離を取って決して近づこうとしないし、俺やラドニアが直にブルーに触れるたび、信じられないものを見るような顔をする。
ううむ。あんなでっかいナリのオッサンですら、たかだかイエネコサイズの竜が怖くて仕方ないとはな。分かっちゃいたが、アゴログンド人の意識改革の道のりは改めて険しそうだ。だがそれはそれとして、イヴ。博士の前なんだから、そのさも「自分も撫でろ!」と言いたげに頭をぐりぐりしてくるのをやめなさい。
「で、早速ですが、設計を依頼していた屋外放飼場の図面ができたとか……」
「ああ。研究所の技師の意見も取り入れつつ、帝都でも指折りの建築家を招いての設計となった。植栽については概ね、事前にアリスター博士からご提案いただいたとおりになっている」
「おお……! じゃ、どれも技術的にはクリアってことで?」
「我々の計算の上ではそうだ。ただ、兄から提出のあった図面から一点、大幅に変更を加えた箇所がある」
相変わらず低く凄みのある声色でそう言うと、博士は早速ソファの前のローテーブルに図面を広げた。俺たちもそれを見て我勝ちに対面のソファへ腰を下ろす。
途端に思わず目を見張った。
何故なら喫茶用の洒落たテーブルには収まり切らないほど大きな紙面には、以前俺が描いたパースの上から手直しを加えた、宮殿風の囲いが描かれていたからだ。
「まあ、素敵」
と、ラドニアが感嘆の言葉をもらしたのも無理はない。
何しろ新たに提出された放飼場の完成予想図は、当初俺が鉄の柱と強化ガラスで組み上げたデザインよりも遥かに洗練されていた。というのも、分厚いガラスを支える柱を美しい彫刻が施された白亜に変えて、ガラス部分も白壁をアーチ型に刳り抜き、そこにガラスを嵌め込むという構造になっている。
つまり嵌め殺しの大きな窓が、柱の間にいくつも並んだような外観に様変わりしているということだ。ちなみに襟巻竜の囲いは、樹上からの滑空による脱走を防ぐため、それなりの高さが必要になる。
ゆえにアーチ型の窓はそっくり同じ見た目のものが上下二段に並んだ造りとなっていて、まるで屋外に忽然と現れたガラスの宮殿みたいに見えた。
まあ、あくまで囲いは壁だけで天井はないんだけどな。
「は、博士、こいつは……」
「ああ。今回協力を仰いだ建築家は以前セント・ソフィア宮殿の改築にも携わったことのある人物でな。せっかく皇宮の庭に造るのなら、先人たちが手がけた美しい庭園の景観を壊さないよう、最大限の配慮をすべきだと言ってこの図面を上げてきた。兄らが〝竜舎〟と呼ぶ附属の建物についても似たような変更が加えてある。天候の悪い日は竜舎の中に客を入れて、屋内展示……とかいう見せ方をすると聞いたのでな」
「な、なるほど……客の目につく場所は皇宮観光気分を味わえるデザインにってことか。悪くないコンセプトだ。名だたる建築家が設計した施設だって触れ込めば、竜より建築の方に興味のある客も呼び込めるかもしれないしな」
「しかし、ロレンソン卿。こちらに使用されるガラスの強度や金素加工による安全性は既に確認済みだが、この柱は少々危険なのではありませんか? 彫刻による凹凸を足がかりにして、襟巻竜がよじ登らないとも限りません」
「その点についてはもちろん考慮してあります。竜の脱走を防ぐために、囲いの内側にはかえしをつける設計になっていますし、壁や柱に使う漆喰にも金素を加えれば、木竜である襟巻竜はそもそも囲いに近づくことを避けるはず。つまり、ガラスへの衝突防止に使った策の応用です」
「素晴らしいわ。これならまるで竜が宮殿の庭で飼われているようで、園の竜たちが皇帝の所有物であることを強調できる。竜をも従わせる皇家の威光の象徴としてのドラゴン・パーク──という謳い文句で売り込めば、元老院の貴族たちもきっと納得するはずよ。おまけに来園者にも、皇家が庭に放すほど竜は高貴で価値のある生き物になったのだと印象づけることができるし」
「そうすりゃ自分も皇家を真似て、竜を財産として保護したいと考える金持ちが増えるかもしれないってことか」
「そういうこと。実際、貴族の中には美術品を蒐集するような感覚で、稀少な魔獣を飼育している物好きも少なくないから」
「そうだな……権力や財力を見せびらかすために竜を飼うってのは動機としては不純だが、そういう意識が広まれば、少なくとも野生の竜の密猟は減る、か」
世間から一目置かれたいという顕示欲によって、竜遺物の売買に絡む金持ちどもの金欲や物欲を制す。
まさに〝毒をもって毒を制す〟という言葉がぴったりなドロドロの発想だが、しかし結果的に竜の個体数減少を食い止められるなら悪くない案だと俺は思った。
何しろ今はとにかく殺される竜の数を減らし、一匹でも多く保護することが急務だ。貴族たちが壮麗な庭で優雅に竜を飼う皇家に憧れ、真似し始めれば、少なくとも捕らえた竜を殺すのは思い留まるはず。
それを後押しする形で〝竜を無傷で生け捕りにし、ドラゴン・パークに献上した者には褒美を取らせる〟的なお触れをフーヴェルオが出したりすれば、より効果は覿面だ。竜の角や鱗を売ることで得られる金に未練がある連中も、上流階級の流行りに乗っかりながら金儲けができると喜んで方針を転換するかもしれない。
そうなればあとはこっちのもんだ。
実際地球でも、娯楽としてのハンティングの的にされ絶滅したバーバリーライオンが、実はモロッコ国王の私設動物園で三十頭以上も飼育されてたことが判明し、野生復帰に向けた保護と繁殖が始まった、なんて事例もあったしな。
そもそもアゴログンドの竜を取り巻く状況は、目的のために手段を選んでいられるほどゆとりあるものではなくなっている。だったらまずはコレでいこう。
俺はラドニアの提案に乗る形で頷いた。
するとロレンソン博士も心なしほっとしたように眉間を開き、
「では、早速設計図を……」
と、次の図面を広げ出す。
「いやあ、しかしまさか動物の囲いを庭園の一部にしちまうとはな。長年日本の動物園の狭い敷地と低予算の中で、いかにして環境エンリッチメントを高めた展示をするかってとこにばっかり頭を使ってた俺には、あの発想はなかった。あれが実現すれば、ドラゴン・パークはちょっとしたテーマパークになるぞ。さながら長崎のハウステンボスみたいにな」
かくして二時間ほどに及んだ打ち合わせのあと、ロレンソン博士が出し合った意見を携えて帰路へ就くのを見送った俺は、その足で竜の園へと向かった。
すっかり話し合いに夢中になっている間に日は傾き出して、気づけば西日が強くなっている。アゴログンドは夜になると月がふたつも昇るくせに、太陽は地球と同じで東から西へ沈むのだから不思議なもんだ。
だがおかげで前世と同じ体内時計で過ごせるのは有り難い。俺は時計を見ずとも体感で、そろそろ飼育員たちの手習い塾が終わる頃だと把握することができた。
今日は授業が終わったら、シエルに早速午前の成果を見せてもらおうと思っていたのだ。記録広報係として迎えた記念すべき一日目には、まずヘスペルが担当しているカールを観察させることにした。
ヘスペルが餌やりや檻の掃除をしている間にカールのスケッチを描かせれば、担当竜を持つというのがどういうことかも分かって一石二鳥だと思ったからだ。とはいえシエルも竜の模写をするのはさすがに初めてだろうから、初日の今日は新しい仕事の感想を聞いておこうというだけで、成果にはそこまで期待していない。
ただどうすればより観察がしやすいかとか、足りない備品はあるかとか、そういう他愛もない意見を聞き出せれば御の字だ。俺がそう思いながら園の入り口をくぐれば、隣を歩くジュンコもうむ、と、満足そうに頷いた。
「単に竜を展示するだけでなく、他にも諸々の集客手段を講じるというのはなかなかよい手じゃ。竜にはまるで興味がなくとも、別の理由で来たいと思うた輩にきっかけを与えることができるからな。他にも著名な芸術家が手がけた竜の絵画や彫像を飾る美術館や、有名シェフを招いた料理店なぞ併設するというのもありやもしれんのう」
「それでなくともアゴログンドって、現代の地球に比べてだいぶ娯楽が少なそうだしな。堅苦しい学習施設を謳うよりは、複合テーマパークとして売り出した方がより大衆にウケるかもしれん。とにかくまずは客を呼ばないことには、啓蒙は捗らないし収益も上がらないわけだから……」
「うむ。我らがまず課題とすべきは、いかにすればドラゴン・パークに大衆の興味を向けられるかじゃな。竜への関心を植えつけるのはそのあとでも……」
と、幼女姿のジュンコが腕を組みながら言いかけたときだった。突然、園の入り口を抜けた先でイヴがはたと立ち止まり、続けてジュンコも足を止める。
どうしたのかと目をやれば、ふたりはエントランスホールから左右対称に伸びる階段の上に視線を向けて、何とも形容し難い顔をした。
かと思えばイヴは怯えたように肩を竦め、リュージ、と小さく俺の名を呼びながら、ヘスペルたちが作ってくれたドラゴン・パークジャケットの袖を引く。
「ん? なんだ、どうした?」
「……何とも嫌な気を感じる。竜司、どうも上階でろくでもないことが起きておるようじゃぞ」
「え?」
「とにかく急いだ方がいい。氣で泣いておるのは恐らく──シエルじゃ」
▼バーバリーライオン
かつてアフリカ大陸北部に生息していたライオンの亜種。
全長は4mほどで、ライオンの中で最も体が大きい。黒みがかった鬣が特徴。
他のライオンとは違い、森林地帯での生活を好む。
古代エジプトでは神と崇められ、ディズニー映画『ライオンキング』に登場する悪役スカーのモデルにもなった。しかしハンティングの対象として人間に狙われるようになり、狩られ尽くして1922年に絶滅。
もう二度と見られないと思われていたが、のちにモロッコ国王のムハンマド5世が30頭あまりの純血種を個人的に飼育していることが判明し、現在はモロッコ王国の首都ラバトの動物園で繁殖の取り組みが行われている。
参考・画像引用元:
https://zetsumetsudoubutsu.com/sp/barbarylion.php
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3




