抜かした腰に鞭を打て(★)
「おいギゼル、おまえ本当に何も知らないんだろうな? ジュンコを射った犯人とか、今回の襲撃の計画とか、事前に知ってて黙ってたんじゃないだろうな!?」
「だから、私は何も知らんと何度もそう言っているだろう! そもそも何故私がこの件について何か知っていると思うのか、その理由さえ皆目見当がつかん! 貴君こそ何か重大なことを知っていながら私に黙っているのではないか、リュージ? 仮にそうだとすれば、ことと次第によってはただでは済まんぞ!」
と思わず掴みかかったギゼルから逆に恫喝されて、俺は口を噤まざるを得なかった。アルコル宮二階の寝室には現在俺とギゼルの他、イヴとラドニア、エレノア、そして天蓋つきのベッドに横たわったジュンコの六人がいる。
……一体なんでこんなことになっちまったんだ。
五、六歳くらいの子どもが使うには大きすぎるベッドの上で苦しげな息遣いをしているジュンコを見やり、俺は声もなく切歯した。
まさか安全だと思っていた宮の地下で襲撃されるなんて、完全に想定外だ。守ってやる、なんて安請け合いしておきながら、気を抜いていた俺の落ち度だった。
事件が起きたのは一時間ほど前のこと。
アルコル宮地下の厨房で、開発中の人工飼料の焼き上がりを待っていたジュンコが何者かに狙撃された。もちろん狙撃と言っても、現代地球人がイメージするようなスナイパーライフルによる銃撃──ではない。
宮の一階にいた俺とイヴとラドニアがエレノアの悲鳴を聞いて現場へ駆けつけたとき、ジュンコの右肩には一本の矢が突き立っていた。傍にはジュンコと共にオーブンの火を見ていたエレノアとギゼルがいて、ふたりの証言によれば厨房の天井付近にある採光用の小窓から、何者かが突然矢を射込んできたのだという。
というのも実は、アルコル宮の厨房があるのは完全な地下ではなく正確には半地下で、そのためかなり高い位置ではあるものの屋外とつながる窓がいくつかある。
とは言え地上からはしゃがみ込まないと覗けないような場所にある窓だから、まさかそんなところからジュンコを狙うやつがいるとは思ってもみなかった。
しかもちょうど俺がいない隙を見計らって……。
「リュージ」
いや、違う。そもそも俺はジュンコが人間に狙われるかもという話さえどこか半信半疑だった。話を聞いた直後はさすがに不安で気を張っていたものの、フーヴェルオとの謁見を終えて一ヶ月、以前と変わらぬ生活が続くうちにやっぱり杞憂だったんじゃないかという考えが脳裏に芽生え、すくすくと育ってしまっていたのだ。
そこをまんまと狙われた。してやられた悔しさと、油断していた自分への怒りのあまり言葉を失った俺を、そのとき不意に誰かが呼んだ。
かと思えばギゼルに掴みかかった俺の手に、そっと触れた別の手がある。
振り向いた先にはきゅっと唇を引き結び、苦しげに眉を曇らせたイヴがいた。
「リュージ。ギゼル、わるくない」
「……え?」
「ギゼル、うそ、ついてない。だから、けんか、だめ」
……驚いた。ジュンコが来てからイヴの語彙力が著しく向上したのは感じていたが、こいつ、いつの間にか人の喧嘩の仲裁までできるようになったのか。
しかもフーヴェルオたちと一緒になって、自分にあんな仕打ちをしていたギゼルをかばうなんて。ということは逆説的に、ギゼルは今回の襲撃について本当に何も知らなかった、ってことか……。
何故ならイヴは恐らく、現在唯一機能している左の角を通じて俺たちの言霊を感じ取っている。両角が揃っていないせいで交わされる言葉の正確な意味までは理解できないものの、そこに宿る感情の響き──例えば怒りとか喜びとか悪意とか──は読み取れているはずだとジュンコは言っていた。
とすればイヴは今のギゼルの言葉に、嘘の言霊を感じなかったということだ。
だとしたらこれ以上ギゼルを疑うことに意味はない。
そう悟った俺はようようギゼルの胸ぐらから手を放し、ひと言ぼそりと、
「……悪い。取り乱した」
と謝罪した。
するとギゼルはそんな俺を睨みながらも、無言で上等な衣服の襟もとを正す。鋭いやつの視線からは、角がない俺でもひしひしと非難と疑惑の念を感じたが、そこは育ちの違いだろうか、ギゼルは棘を孕みながらも平静を保った口調で言った。
「とにかく、だ。まずは説明してもらおう。リュージ、貴君は今回彼女が襲われた件について、何故私が関与していると思った? 貴君は彼女を狙った犯人に心当たりでもあるというのか?」
「……」
「……だんまりか。ならばいい。クリソプル、矢に塗られていた毒の特定は?」
「確証はないけれど、症状からして恐らくはマンドラゴラの毒だと思うわ。この毒には有効な解毒薬が存在しないから、対症療法で症状をやわらげるしかない。だけど健常な大人ならともかく、幼児の体力で持ちこたえられるかどうか……」
「他に方法がないのなら、やれる限りのことをやるしかあるまい。宮中では既に通報を受けて皇属近衛騎士団が動いているはずだ。犯人さえ捕まれば、正確な毒の種類についても聞き出せるのだが……」
「……竜司」
ところが刹那、掠れた声が俺の名を呼んだのを聞いて、皆がはっと振り向いた。
視線の先では青白い顔をしたジュンコが、ベッドに横たわったまま薄目を開けて朦朧と俺を見つめている。
「ジュンコ……!」
ようやくジュンコの意識が戻ったと知った俺は、すぐさま枕もとへ駆け寄った。
とっさに触れたジュンコの額は、汗をかいているのにひんやりと冷たい。
一時間前、厨房で抱き起こしたときよりもさらに体温が下がっているようだ。
どうやらマンドラゴラの毒というのは、生き物の体温調節機能を狂わせる性質を持つらしい。このままだと低体温症を引き起こすんじゃないかと心配だ。
「ジュンコ、大丈夫か!? 悪い、俺が目を離したばっかりに……」
「……よい。それよりも……おんしに、話しておきたいことがある……少しの間、人払いをしてもらえぬか?」
と、いつものジュンコからは想像もできないほど弱々しい声で言うものだから、俺たちは思わず顔を見合わせた。するとほどなくラドニアが、
「私たちは出ていましょう」
と周りを促し、一旦部屋をあとにする。
けれどイヴだけはどうしても残りたがったので、ジュンコの傍にいさせることにした。こいつになら密談を聞かれても特に困ることはないしな。
「リュージ。私たちは部屋の外で待機してるから、何かあったらすぐに呼んで。それと、今のジュンコは正直喋るのもつらいはずだから、無理はさせないように」
「ああ、分かった」
去り際にそう耳打ちされて、俺は神妙に頷いた。
何せ古代竜とは言え、ジュンコはまだ生後一ヶ月の幼竜なのだ。
とすれば毒の矢を受けて苦しくないはずがない。最悪の場合、このまま……と不吉な想像が思考を塗り潰すのを、俺は首を振って追い払った。
そうしながらラドニアたちが部屋を出ていくのを確認し、いつもは奥のテーブルとセットで置いてある椅子をベッドの脇まで運んで着席する。
「おい、ジュンコ。おまえ、具合は……」
「よくはない……が、案ずるな。わしは、腐っても火神竜……これしきの毒で死にはせぬ。ただ──」
と切れ切れに言うが早いか、ジュンコの体は突然光に包まれた。
それを見た俺とイヴがぎょっとしたのも束の間、光の中でジュンコの体はみるみる形を変えて、先月母大樹の森で見た赤竜の姿へと戻ってしまう。
「お、おい、ジュンコ……!?」
「……すまん。さすがに今の状態で、人の姿を維持するのは難しい……少し、休めば……またしばらくは化けられるはずじゃが……」
「だ……だから突然人払いしろなんて言い出したのか。だがこんなところを俺たち以外の誰かに見られたら……」
「分かっておる……ゆえにしばしの間、わしがひとりで休みたがっていた、と……おんしの口から、うまく誤魔化しておいてはくれぬか? あと、できれば……おんしが、ペレットの材料にと集めておった、イルフェの実……あれを食わせてほしいのじゃが……」
「え……イルフェの実って、あのヒイラギみたいな赤い実のことか? けどおまえ、基本肉しか食わないんじゃ……」
「うむ……されど、今のわしにはあの実が必要じゃ。イルフェの実には、火素が多く含まれておるからの……わしは火神竜ゆえ、火素を摂れば摂るほどに力を増す。ゆえに体が弱っておるときには、火素を含む花や実を食らうのじゃ……このような状態では、狩りもできぬし……肉の消化は、胃の腑に負担がかかるからの……」
と幼竜の姿でベッドに沈んだまま、ジュンコは大儀そうにそう告げた。
なるほど、古代竜がアゴログンドの知的生命体であることを思えばある意味当然だが、こいつらも肉食でありながら薬草なんかを用いて治癒能力を高めることがあるらしい。地球では自然界におけるこういう智恵を動物生薬学と言い、たとえば南米に生息するタテガミオオカミなんかも、自らの免疫力を高めるために敢えて少量の毒草を食べることで知られていた。
同じ要領でジュンコもイルフェの実の火素を取り込み、弱った体の治癒力を高めようとしているわけだ。あの実はもともと火属性の竜に与える飼料の栄養価を調整するために取り寄せたものだからちょうどいい。
あとで厨房に運び込んだものを持ってこよう。
「分かった。どっちも俺が何とかするから任せとけ。だけどおまえ、本当に大丈夫なんだろうな? ラドニアはマンドラゴラの毒がどうとか言ってたが……」
「うむ。今はまだ、転生したてゆえ……毒ごときで、倒れてしもうたが……本来、我ら古代竜は、あらゆる毒を無力化する力を持っておる……ゆえに、しばし休めば問題はない」
「そうか……」
安易に〝よかった〟と言える状況ではないものの、それを聞いて幾分かほっとした。もしもこのままジュンコが命を落とすようなことになってたら……俺はきっと悔やんでも悔やみきれなかったことだろう。
しかし今回、俺がジュンコを守ってやれなかったことはまぎれもない事実だ。おかげでジュンコはこんなにも苦しんでいる。代われるものなら代わってやりたい。
ベッドを挟んだ向かい側で、身を乗り出したイヴが心配そうにジュンコの首を撫でているのを見やりながら、俺は膝の上に置いた両手を握り締めた。
すると枕に顎を預けたジュンコが、再び薄目を開けて一瞥をくれる。
半分垂れた瞼の下から覗く金色の瞳には、我ながら直視するのも憚られるほど情けない面が映り込んでいた。
「……さような顔をするでない、馬鹿者。むしろ今回は、おんしが巻き込まれずに済んでよかった……マンドラゴラの毒と言えば、人間のおんしが受ければ、ただでは済まなかったであろうからの」
「そう……なのか?」
「うむ……マンドラゴラの毒は〝火中でも凍死する毒〟と言われるほど、受けた者の体温を奪う……そしてやがては幻覚や幻聴の症状が出て、錯乱するゆえ……人間がこの毒を受けながら、正気を保つは至難の技じゃ」
「げ、幻覚や幻聴って……おまえは平気なのかよ?」
「ふん……わしは幸い、人より遥かに火素に恵まれておるからの。幻覚を見るほどまでに、体温を奪われることはない……わしを殺すつもりじゃったのだとすれば、下手人は選ぶ毒を誤ったの。しかし……」
「……しかし?」
とジュンコが不意に言葉の先を飲み込んだので、俺は思わず続きを促した。
が、そうしてからはっとして慌てふためく。何故なら先刻、部屋を出ていく間際のラドニアから「無理はさせるな」と釘を刺されたことを思い出し、さすがのジュンコも喋るのがしんどくなってきたのではないかと思い至ったのだ。
「あ、いや、ジュンコ。とにかく今は、おまえの体を治すのが最優先だ。だからまずはゆっくり休んで、話は体調がよくなってからでも──」
「……いや。おんしには……やはり、伝えておかねばならん」
「へ?」
「気をつけよ、リュージ。今回、わしを狙った刺客は……どういうわけか、まったく気配を感じさせなかった。ただの人間に、あのような芸当ができるとは……とても思えぬ」
「ど……どういうことだ?」
「言ったであろう。我ら竜族は、角を介して……万物の放つ氣を常に感じ取っておる、と。わしも、人の姿を取って角を隠しておったとはいえ……例外ではない。たとえ目を瞑り、耳を塞いでいても……生きた人間が物陰に身を潜めておれば、気配を察知することくらいはできる」
「え……そ、それって、つまり……」
「うむ……相手は、竜をよく知るかなりの手練れか……そうでなければ、異形のものじゃ。さながら魂を持たぬ死体のような……な。ゆえに、おんしも……ゆめゆめ気をつけよ。決して、ひとりで……深追いなど、するでない……ぞ……」
「……ジュンコ?」
神竜の末裔であるジュンコにさえ気配を覚らせないほどの暗殺者。
果たしてそんな人間が存在するのか。仮に実在するとすれば、いよいよ凡人の俺ごときではどうにもできない事態になりつつあるぞ──と戦慄し凍りついた刹那、俺はジュンコの声がふっつりと途切れたことに気がついた。
瞬間、最悪の想定が脳内を駆け巡り、発作的に立ち上がる。部屋の外にラドニアたちがいることも忘れて、ジュンコ、と大声で名前を呼びそうになった。
けれども寸前、
「──ジュンコ、ねむった」
「イヴ、」
「ジュンコ、だいじょぶ。ジュンコ、すごく、つかれた……だから、ねむった。イヴ、わかる。ジュンコは、だいじょぶ」
茫然と立ち竦む俺の視線の先で、なおもジュンコの首を撫でやるイヴがそう言って顔を上げた。相も変わらず曇りを知らない水宝玉の中では、やはりうんざりするほど見慣れた顔が、とても人様にはお見せできない面を晒している。
イヴはそんな俺を少しでも安心させようとしたのだろうか。
それにはたどたどしい言葉だけでは足りないと察したようで、しばらくもごもごと口を動かしたのち、へにゃっと泣きそうに笑ってみせた。
途端に俺もへなへなと体の力が抜ける。
そうして再び椅子の上に座り込みながら、安堵と自己嫌悪で頭を抱えた。
くそ、くそ、くそ! 唯一こいつらを守ってやれる俺がこんなでどうする?
しっかりしろ、八俣竜司。おまえにはこの世界でやるべきことがあるはずだ。
そのためには今ここでジュンコを失うわけにはいかない。
そして、もちろんイヴも。
「……フーヴェルオの正体を考えれば、俺たちが目下巻き込まれてる謎の鍵は、イヴが握ってる可能性が高い……」
だとしたら腰なんか抜かしてる場合じゃない。
ジュンコを狙った輩の目的次第では、次に狙われるのは同じ神竜の血を引くイヴの可能性だってあるのだ。そうなる前に、俺は突き止めなければならない。
ジュンコを襲った犯人が何者で──何のために、誰の指図で動いていたのかを。
▼タテガミオオカミ
南米大陸東部に生息するイヌ科の動物。体長100~125cm。
名前に「オオカミ」とついているものの実はオオカミの仲間ではなく、雑食性でどちらかと言えば生態はキツネに近い。すらりとした長い脚が特徴で、イヌ科の動物の中では最も走るのが速い。近年では生息地の破壊に加え、家禽や農作物を襲う害獣として駆除される傾向にあることから、準絶滅危惧種に指定されている。
日本国内の動物園では2020年まで上野動物園(東京都台東区)で飼育されていたものの、現在は展示を終了している。
参考・画像引用元:
https://en.wikipedia.org/wiki/Maned_wolf
https://carnivore.jp/maned-wolf/
https://pz-garden.stardust31.com/syokuniku-moku/inu-;ka/tategami-ookami.html
▼動物生薬学
野生動物が病気や怪我を治したり、免疫力を高めたりするために自然を利用すること。たとえばゾウは病気になると必要な薬草や抗生物質を含む粘土を探し出し、それを食べることで体調を整える。またチンパンジーは、マジックテープに似た働きをする葉を折りたたんで飲み込み、腸内にいる寄生虫を絡め取って体外へ排出する。古代の人類の中にはこうした動物たちの行動を観察し、真似することで、薬草等の知識を身につけていった例もあるという。
参考・画像引用元:
https://www.youtube.com/watch?v=sIp9BKSJQag
http://shindenforest.blog.jp/archives/20356500.html
https://www.j-cast.com/2017/03/11292822.html?p=all




