ラペット・ドラゴンは草タイプ
帝立竜術研究所とは読んで字のごとく、メアレスト帝国によって設立されたアゴログンドで最も偉大な学術機関だ。
世界最高峰の頭脳が集う、竜術師の憧れの地。聞いたところによるとあのアリスター博士も、自分の研究所を構える前はこのアカデミーに所属していたらしい。
帝都メアレストに神殿のような研究施設を構えるアカデミーでは、日夜最先端の竜術研究が行われ、今日までアゴログンドの文明開化に多大な貢献をしてきたと聞いた。俺はそこにある特殊な資材の開発を依頼し、試作品が届くのを今や遅しと待っていたのだ。で、その特殊な資材というのがこれ──強化ガラス。
アゴログンドには普通のガラスを作る技術こそあるものの、製造はもっぱら瓶や食器などのガラス製品や窓ガラスの用途に使われるものばかりで、建材として使える強いガラスを作る、という試みは未だかつて為されていなかった。
ゆえに俺は地球における強化ガラスの製造法をアカデミーに教え、通常のガラスよりも遥かに割れにくいガラスを開発してほしいと依頼したのだ。
まあ、本音を言えばガラスよりもさらに頑丈で加工しやすく、しかも軽いというアクリルガラスが手に入れば何も言うことはないのだが、未だ産業革命に至っていないアゴログンドの技術力でアレを作るのは不可能だろうと思われた。
何しろ俺自身、アクリルガラスの製法について知っていることと言えば原料が石油ってことくらいだし。そこから何をどうやってあの〝プラスチックの女王〟が生まれたのかは、さすがの俺にも分からない。
俺の前世はしがない飼育員であって技術者じゃないからな。
ただ強化ガラスの作り方はあまりにも簡単なので、前世の俺でも知っていた。
製法は実に単純明快。ガラスの板を七〇〇度くらいの高温に熱したのち、急速冷却するだけだ。詳しい原理までは知らないが、こうすることでガラスの強さは通常の三倍から五倍にまで跳ね上がると、いつかテレビかなんかで得た朧気な記憶を頼りに俺は強化ガラスの開発へ乗り出した。
で、届いたのがいま俺の足もとに佇んでいる一メートル四方の板ガラス。厚さはだいたい二センチくらいか。ガラスにしてはだいぶ分厚い部類だと言える。
透明度もまあ、薄い板ガラスには劣るが問題なし。むしろアゴログンドに今ある技術で、こんだけ厚くて透明なガラスを作れると分かっただけでも前進だ。
俺は竜の園の入り口付近で搬入されたガラス板の前にしゃがみ込むと、試しに軽くコンコンと拳の裏で叩いてみた。
うん、この硬質な手応えは期待してもいいかもな。
「うむ。思ったより重たいのが気になるものの、話を聞く限り強度に問題はなさそうだな。あとはこいつを建材として安全に運用できるかどうかだが……」
「……貴君は本気でそのガラスを鉄格子代わりにするつもりなのか? アカデミーの検証結果を疑うわけではないが、しかしガラスはガラスだ。正直、正気の沙汰とは思えんぞ」
と、ガラス板の反対側からこちらを覗き、興味深げにつんつんとつついているイヴを後目に、そう口を挟んできたのはギゼルだった。やつの眉間には明らかな疑念が刻まれていて、やはりアゴログンド人の間にも〝ガラスは得てして脆いもの〟という強固な固定観念が根づいていることを物語っている。
だがこいつの強度については既にアカデミーのお墨つきだ。何しろ力自慢がハンマーでぶん殴ろうがそこそこの高さから重さ三キロの鉄塊を叩き落とそうが、罅ひとつ入らなかったというのだから竜の飼育にはまず問題ない。こいつがドラゴン・パークで有用性を示せれば、他にも様々な分野への応用が期待できるだろう。
「もちろん本気も本気だよ。さすがに一角竜の体当たりまで防げるとは言わないが、襟巻竜程度の小型竜なら、こいつで作ったケージにも安全に収容できる。と言っても今回はケージじゃなくて、園路と放飼場を区切る間仕切りとして大々的に使うつもりだけどな。下手な柵だと襟巻竜は高所からの滑空で飛び越えちまうし、かと言って高さを用意すると、今度は来園者の視界の邪魔になる。そのふたつの問題を同時に解決するためのガラスの壁だ」
「だとしてもより安全面を重視するならば、やはり鉄の柵で囲うのが最善だと思うが。竜が飛んで逃げる心配も、大きな鳥籠状の施設にすれば解決するだろう」
「ダメだ。それじゃ人間が一方的に竜を閉じ込めて、見世物にしてるようなイメージを客に植えつけちまう。何度も言ってるように、ドラゴン・パーク計画の目的は人間と竜の共存を促すことだ。だからこそ可能な限り自然に近い環境で、のびのびと過ごす竜の姿を客に見せる必要がある。人間の優位性を主張したり、竜を笑いものにしたりする施設じゃなく、どんな命もこの世界に必要で、平等なんだってことを伝える施設にするためにな」
ようやく腰を上げた俺がガラス板に手をつきながらそう言えば、傍らでジュンコがうんうんと頷いた。
幼女が偉そうに腕を組み、感慨深げに頷くさまはどう見ても違和感しかないが、触れると余計に怪しまれそうだからと、俺は無視して話を続けることにする。
「まあ、けどガラスを間仕切りとして使う場合の懸案事項は他にある。それは竜がガラスを認識できるかって問題だ。特に襟巻竜は空中を滑空するとき、かなりの速度が出るからな。万一バードストライクみたいなことが起これば、大怪我だけじゃ済まない可能性が高い」
「バードストライク?」
「ああ。飛行中の鳥がガラスに気づかず突っ込んで、怪我をしたり死んじまったりすることだよ。アメリカなんかじゃこれが原因で毎年五億羽もの野鳥が命を落としてる。対策としてはガラス面にブラインドをかけたり、何か模様を描いたりして、障害物があることを教えるしかないんだが……」
「……アメリカというのがどこにあるのかは知らんが、だったらこのガラスにもペンキか何かで印をつけて、行き止まりであることを示せばよいのではないか?」
「うーん、確かにそうするのが一番安牌ではあるんだけどさ。それだと確実に景観を損なうから、個人的にはあんまりやりたくないんだよなあ……」
「──だったら」
と、俺がギゼルの提案を飲み切れずに考え込んでいると突然、ひと際低い男の声が話に割り込んできた。
驚いて振り向けば、そこにいるのは闘牛を擬人化したような大男。
今の今までむっつりと黙りこくったままだったので、存在が意識の外に閉め出されていたものの、彼こそは帝立竜術研究所からやってきた強化ガラスの開発者にして竜術師、ロバート・フォルク・ロレンソン博士だった。
俺も顔を会わせるのは今日が初めてなのだが、しかし何度見ても研究者より戦士か重量級プロレスラーに向いていそうな図体をしている。
フリーダの隣に並べてもまったく見劣りしないこの巨漢が竜術師とは、ぶっちゃけとても信じ難い。が、彼のまとう白衣の胸もとには、二本の杖が盾の中で交差するアカデミーの紋章がしっかりと縫いつけられていて、少なくとも現役のプロレスラーが科学者のコスプレをしているわけでないことは明白だった。
しかもロレンソン博士はどうやら、厳めしい見た目にそぐわず大変奥ゆかしいというか、やや気の小さい壮年らしい。現に今も俺たちの視線を一身に集めるやたちまち顔色を曇らせて、何やら気まずそうに視線を落とした。
「あ、いや……フーヴェルオ三世陛下が直々に主導される事業に、部外者が差し出がましい口をきくのは憚られるが……」
「いや、ご高見があるのでしたらぜひお聞かせ下さい、ロレンソン卿。竜をガラスの囲いの中で飼うなどという荒唐無稽な計画には、貴卿のような識者の見解が不可欠です」
ところが遠慮がちに呟いた博士に向かって、いつもやたらと偉そうなギゼルが珍しく改まった口調で言った。
こいつがこんな態度を示すのは、俺の知る限りフーヴェルオとフリーダとアリスター博士の三人だけだったから、あまりの豹変ぶりに思わず面食らってしまう。
というか今、博士のことを〝ロレンソン卿〟って呼んだか? 敬称が〝卿〟ってことは、もしかしなくても博士は貴族の家の出身ってことだよな?
「……では僭越ながら、あくまでひとつの案として発言するが……襟巻竜がガラスの壁にぶつかることを危惧しているのなら、竜にガラスを認識させるのではなく、そもそも近寄らないような細工を施してみてはどうかと」
「そもそも近寄らない……? そんなことができるんですか?」
「理論上は。知ってのとおり、襟巻竜は樹王竜の眷族……つまり木属性の竜だ。ならば木属性の生き物が総じて嫌う金素を塗布すれば、襟巻竜がガラスを避けるよう誘導できるかもしれない」
「え……木属性の生き物は金素を嫌う? そりゃまたなんで?」
と、俺が初めて知った情報にぽかんとして尋ねれば、ロレンソン博士はやや張り出した眉骨の下で切れ長の目を丸くした。一方、すぐ傍で盛大なため息が聞こえたと思ったら、例によってギゼルが額を押さえ、これ見よがしに頭痛を訴えている。
「……そうか。貴君は源素同士の相性も知らないわけか」
「え、源素の相性……?」
「アゴログンドに存在する九大源素のうち、無素を除く八つの源素にはそれぞれ相生と相剋の相性が存在するという話だ。例えば暖炉に薪をくべると火が大きくなる現象は〝相生〟。これは木素が火素の活性化を助ける性質を持っていることに由来する。逆に水をかけると炎が消える現象が〝相剋〟。こちらは水素が火素を打ち消す性質を持つ源素であることを示し、こうした相生・相剋の関係を源素の相性と呼ぶ。そして当然ながらこの相性は、生物同士の相性にも直結するというわけだ」
「あ、なるほど。つまりポケモンの相性表か。ピカチュウは水タイプには強いが地面タイプで詰む的な」
「ピカ……何だって?」
「要するに襟巻竜は草タイプのポケモンだと思えってことだろ。理解した」
「私には貴君が何を理解したのかさっぱり理解できんが、何故か不思議と理解したいとすら思わなくなってきたぞ」
と、ギゼルには何故かひどい侮蔑の眼差しを向けられたが、とにかく博士の言いたいことは理解した。つまりアゴログンドの生き物は源素組成によって得意な属性と苦手な属性があり、そいつが襟巻竜にとっては金属性ってことだ。
まあ、言われてみれば確かに金属から草木は生えないしな。
けどこの板ガラスに金素を塗布するって、そんなことができるのか?
話だけ聞くと地球で言うマジックミラーのような、うすーい金属の膜が貼られたガラスのイメージしか湧いてこないが……。
「ちなみに、ロレンソン博士。博士がおっしゃるようにガラスに金素を塗布した場合、見え方はどうなります? つまりガラス全体が曇ったり、色が変わったりするんじゃないかって話なんですが……」
「それについては試したことがないので何とも。しかし竜術を駆使して金素量をうまく調整すれば、色味や透度への影響はある程度抑えられるかと。無論襟巻竜が近づくことを忌避するだけの金素量も必要だから、そちらとの調整も必要だが……」
「ふむ……なるほど。けど、そういやアゴログンドにも鏡はあるしな。言っちまえばあれもガラスに金属を塗りたくったようなもの……ってことは技術的には確かに可能か。なら問題は、透明なまま襟巻竜を遠ざけるガラスが作れるかどうか……」
「……何ならこちらのガラスを使って、襟巻竜がどの程度の金素量に反応するのか検証してみるか? 竜術を使えば即興で実演できないこともない」
「おっ!? 本当ですか!? そりゃ助かる! んじゃこういう検証方法はどうでしょう? たとえば金素加工したガラスの後ろに餌を置いて、襟巻竜がガラスに接近してでも餌を取ろうとするか、はたまた餌を諦めるかを見極めるっていう──」
「……!」
ところが俺が俄然やる気になって、博士にそう持ちかけたときだった。
突然ガラスの傍らにしゃがみ込んでいたイヴが立ち上がり、打たれたように背後を振り返る。そこには言わずもがな竜の園の入り口があり、扉は開け放たれたままだった。が、イヴは束の間、食い入るようにその扉の奥を見つめたかと思えば金色の髪を逆立たせ、にわかに俺の腕を掴んでくる。
「リュージ!」
「へっ? な、なんだ、いきなりどうし──ぬおわっ!?」
そして当然のように、俺に発言の暇は与えられなかった。
イヴはこちらの質問を完全に無視して一目散に走り出し、腕を掴まれたままの俺もまた竜の園へと引きずり込まれる。
ああああああ、この怪力娘め! 俺はいま博士と大事な話をしてたんだぞ!
なのに今度は一体何に反応して──
「──おいカール、いい加減にしろ!」
あまりにも強引に腕を引かれるので、勢い余って素っ転ばぬよう、俺が意識的に重心を後ろへ傾けた刹那。
突如として鼓膜を劈いたのは、園の廊下いっぱいに響く怒声。
そしてこの数日でもうすっかり聞き慣れてしまった、カールの威嚇の声だ。
「何なんだよ、何で僕にだけいつまでもそうなんだよ!? 少しくらい言うことを聞いてくれたっていいだろ!? おまえまで僕を馬鹿にするのか、竜のくせに……!」
果たして俺はイヴが何に反応し、何を見せたかったのかすぐに悟った。
そこには襟巻きを広げたカールと鉄格子を挟んで睨み合ったヘスペルがいる。
ひとりと一匹の間に漂う空気はまさに険悪。瞬間、俺は確信した。
ああ、こいつはかなりまずい、と。




