異世界はつらいよ
「……おい、竜司。おんしはドラゴン・パーク計画の命運を本気で彼奴に託すつもりかえ?」
と、迫真の呆れ顔をしたジュンコが腕を組んだまま尋ねてきたので、俺は大真面目に頷いた。
「ああ、そのつもりだけど?」
すると隣でしゃがみ込んだイヴまでもが、黄金の尻尾をゆらゆら揺らしながら、どこか心配そうな顔つきで見上げてくる。
「……あのありさまを見てなお貴君の考えは変わらんのか?」
かと思えば今度は後ろに立ったギゼルまでもがそんな言葉を投げかけてきて、肩越しに一瞥をくれた俺は「うーん……」と軽く頭を掻いた。
「いや、まあ、言っても今日は初日だしさ。俺だって最初から何もかもうまくいくなんて思ってねえよ。……さすがにあそこまでひどいとは思わなかったけど」
そう答えた俺の視線の先には、カールと命名された襟巻竜に檻の前でめちゃくちゃに威嚇され、ビビり倒しているヘスペルがいる。
鉄格子の向こうではカールが大きな襟巻きをめいっぱいに広げ、どう聞いても警告音としか思えぬ鳴き声をシャーーーッと上げて、露骨に牙を剥いていた。
一方、そんなカールに気圧されまくりのヘスペルは既に逃げ腰だ。
何ならガクブルと震え上がって、半分ベソまでかいている。
……相手はたかだかコウノトリサイズの無翼類だぞ?
逆になんで身長一八〇センチを超えるヘスペルの方が押されてるんだ?
何故だか竜に嫌われるという本人談は、どうやらマジだったみたいだな……。
「ひ、ひぃぃ……! り、リュージ、やっぱり無理だよ、こんな状態じゃ訓練なんかできっこないよぉ!」
「情けない声出すな。園にいる竜はもともと人間に強い警戒心を持ってるから、最初のうちは威嚇されて当然だ。毎日少しずつ顔を会わせて、お互いに馴れていくしかない。人間同士の付き合いだって信頼関係を結ぶにはまず時間が必要だろ?」
「そ、それはそうかもしれないけどぉ……! でもリュージやラドニアさんはここまで激しく威嚇されてなかったじゃないかぁ!」
「確かに威嚇はされなかったが、俺だって初めのうちは警戒されたぞ。だから毎日檻ごしに顔を見せたり話しかけたりして、危害を加える気はないことをアピールしたんだ。おまえにも今日から同じことをしてもらう。んで最終目標は毎日問題なく条件づけ訓練ができるようになること。そこまでいければカールの屋外飼育も夢じゃない。うまくすれば雌雄の判別だってつけられるかもしれないしな」
と俺が両手を腰に当ててきっぱりと断言すれば、ヘスペルはますます震え上がった。もはや引き返すことはできないのだと、ここにきてようやく理解したらしい。
まあ、俺は別に強制したわけじゃないし、辞めたいなら辞めてもらってもいいんだけどな。カールの飼育担当になることを条件に皇宮に留まる許可を得た以上、断れば今度こそ宮を出ていかなければならないことはヘスペル自身が一番よく分かっているだろう。
そんなわけで俺たちは現在、竜の園にいる。
記念すべきヘスペルの飼育員生活一日目。俺たちは皆でその勇姿を見届けようとこうして集まったわけだが、まあ、うん。実際に見られたのは大の男が小型竜に威嚇されて泣きべそをかく姿なわけで、何とも先が思いやられるスタートではあるものの、俺がヘスペルをカールの担当にしたのにはもちろん理由があった。
まず第一に、もとから園にいた飼育員たちは相変わらず竜に敵意を向けられていて、まだ担当竜を持てる状態にないということ。
第二に、ヘスペルも竜に怯え切ってはいるものの、こいつにはラドニアやブルーと共に過ごした経験があり、他の飼育員に比べれば竜の知識が遥かに豊富なこと。
そして第三の理由は、もしかするとこの先、ヘスペルの元傭兵としての力が必要になるかもしれないから、だ。
というのは、昨日の謁見でジュンコの正体がバレたらしいという話に由来する。
あれから俺たちは今後の身の振り方について話し合い、フーヴェルオの真意と正体が謎に包まれている以上、いざというときに備えて最低限の準備は必要だという結論に達した。より具体的な言い方をするならばフーヴェルオが──すなわちメアレスト帝国が今後俺たちの敵になったとき、どうやって身を守るか、どこへ逃げるかといった算段をある程度立てておくべきだってことだ。
もちろん平和主義者──またの名を事勿れ主義者とも言うが──の俺としては、フーヴェルオの正体が何であれやつは味方だと思いたい。
半分は竜の魂でできているというならなおのこと、アゴログンドの未来のために竜族を救おうとしてるんだってな。だけど皇属竜狩猟団の行動に不審な点があるのは事実だし、フーヴェルオの言動にも不可解な部分が多い。
たとえば昨日の謁見だって、イヴとジュンコを連れてこいと言ってきたわりに、ふたりの話題には触れもしなかったどころか興味すらなさそうだった。
じゃあなんでわざわざふたりまで呼びつけたのかと考えれば、ジュンコの正体を探るためだったのではないかという邪推がどうしても脳裏をチラついてしまう。
だから俺はまず、宮内に自分の味方をひとりでも多く作っておくことにした。
その第一候補が元傭兵で戦闘経験もあるヘスペルというわけだ。
「……なるほどの。確かにおんしは智恵は回るが、人間を殺した経験はおろか、武器を振り回したことすらない。ゆえに多少なりとも武術の心得がある者が味方に必要、というわけじゃな」
「ああ……なんか利用してるみたいでヘスペルには申し訳ないが、他に頼れるやつもいないしな。あくまでいざってときのための保険みたいなもんであって、まず流血沙汰を起こさないことが大前提なわけだけど……」
「こちらがその気でも、向こうがどう出てくるかは分からんからの。しかし竜司、おんしの目のつけどころはよいのじゃが、果たしてあの男は本当に役に立つのかえ? わしにはひどく軟弱で優柔不断な臆病者に見えるのじゃがな」
というのは昨日のうちに聞き出したジュンコの感想だ。こいつとヘスペルは出会ってまだ数日だってのに、めちゃくちゃひどい言われようだな……。
だが、まあ、うん……悲しいかな、ジュンコの言い分も分からなくはない。
確かにヘスペルはお世辞にも〝頼りになる〟と断言できる性格じゃないしな。
それでも一応、国に追われていたラドニアを四年間守り抜いた実績はある。
本人曰くラドニアは竜術が使えるし、何なら元竜狩人だから、ぶっちゃけ大抵のことは自分で何とかしてたらしいけど……。
け、けど、ほら、そのラドニアも今は奴隷扱いだから、普段は術枷をつけられてるわけで。一応竜医という役職上、竜術の行使が必要と認められた場合のみ枷をはずしてもよいという例外的措置は取られているものの、あくまで竜の治療に限った話だから、非常時の出撃要員として頼るのは難しいだろう。
となるとやっぱり頼れるのは腕っぷしに覚えのあるヘスペルだ。
確かに以前ギゼルと戦ったときには明らかに押されまくっていたが、それはギゼルが騎士としての英才教育を受けて育ったボンボンだからで、ヘスペルも決して腕が悪いわけじゃない。何しろ傭兵稼業を始めて今年で十年って話だしな。なら前回は相手が悪かっただけで、いざというときには戦力として頼りにできるはずだ。
たぶん。きっと。恐らく。
「まあ、今は奴隷として武器の類は取り上げられちまってるが、代わりになりそうなもんなら園の倉庫にいくらでも眠ってるし……何より一見〝弱そう〟と誰からもナメられるあたりがヘスペルの短所であり、長所でもあると俺は見てる。ギゼルなんかは特にあいつを見くびって、いざとなったら手を噛まれるかもなんて警戒は微塵もしてないからな」
俺はヘスペルの価値をそこに見出だした。あいつの存在は油断を誘える。
誰もあいつから手痛い反撃がくるかも、なんて予想はしない。
だからこそ味方につけておけば、隠し玉として意外な活躍を見せてくれるのではないかと期待したのだ。それにはまずもう少し度胸をつけて、シャキッとしてもらう必要があるけどな……。
「とにかく、だ。当面の第一目標はまずカールとの信頼関係を築くこと。そのために今日から給餌と檻の掃除もおまえに任せる。警戒されてるのにずっと傍にいるのはかえってカールのストレスになるから、まずは一日二回の餌の時間に顔を合わせるところからだな。んで、カールの様子をしっかり観察して、毎日きちんと飼育日誌をつける。そいつを習慣化していけば、カールの些細な変化にも気づけるようになってくはずだ」
「し、飼育日誌って……つまりカールの観察記録をつけるってこと? けど、僕、字、書けないし……」
「え?」
「……まあ、当然だな。地方出身の平民で字の読み書きができる人間の方が少ないだろう。帝都などのごく一部の地域では、ソフィア聖教の修道士が子どもたちに無償で手習いを教える活動を行っているが、そうでもない限りは読み書きを習う機会などまずないのが普通だ」
とギゼルがさも当然と言いたげな口調で話すのを聞いて、俺は図らずも愕然とした。いや、むしろアゴログンドの文明レベルを知った時点で気づいておくべきだったか。どうやらこの世界ではまだ教育という分野さえも未発達で、メアレスト国民の識字率は著しく低いらしい。ここじゃ何かを学ぶ権利さえも、裕福な人間だけが独占することを許された財産の一部なのだ。
「い、いや、けどそれじゃ困る! 動物を飼育する上で毎日の記録をつけるってのは、単純だけどめちゃくちゃ大切な作業なんだぞ? 何気ない日々の観察が飼育環境の改善や異変の早期発見につながることだってあるんだ。特に竜は先行研究の記録もほとんどないから、ただの飼育日誌すら重要な研究材料になり得るし……」
「なら当面の間は私がヘスペルから聞き取りをして日誌を代筆するわ。私も各竜の詳細なカルテをつけているし、その作業の延長と思えば大した手間じゃないから」
「ら、ラドニアさん……!」
「うーむ……そうだな。ひとまずはそうしてもらうしかないが、ギゼル。そういうことなら明日からでも読み書きができない奴隷を集めて、手習い塾を開いてくれ。まずは全員自力で読み書きができるようにならなきゃ、園の運営どころじゃない」
「何?」
「あ、いや、別におまえが教師になれって言ってるわけじゃないぞ? そういうのは教会の修道士の仕事だってんなら、専従の人員を雇ってもらって……」
「待て。もとから読み書きのできる人間を奴隷にするならともかく、そうでない奴隷に字の読み書きを教えることは奴隷法で固く禁じられている。いくら園のためとは言え、貴君は自身の計画のために法を犯せと言うつもりか?」
「はあ?」
と、これには俺も尻上がりの間抜けな声を上げてしまった。
奴隷に字の読み書きを教えることが法律で禁じられてるって?
それも頭のおかしい前皇帝が定めたものなのかと思いきや、ギゼル曰く、奴隷法自体は何代も前の皇帝の時代に定められたものらしかった。
というのもメアレスト帝国には、過去に善良な主人の下で知識をつけた奴隷たちが待遇の向上や奴隷解放といった思想を持ち始めて手を焼いた歴史があるらしく、以来奴隷に学問を教えることは犯罪とする、というイカレた法律ができたそうだ。
はあ……これだから人権の概念がない世界はつらいよ。ここに来て初めてアメリカ奴隷解放の父、エイブラハム・リンカーンの偉大さを知った気がする。
まあ、リンカーンは当時既に奴隷制を廃止していたヨーロッパ諸国を味方につけて、南北戦争を有利に運ぶために奴隷解放宣言を出しただけであって、実際には白人至上主義者だったって話もあるらしいけどな……。
「……分かった。じゃあとりあえず、至急字の読み書きができる奴隷を買い集めるよう陛下に打診してくれ。この先担当竜を持つ全員分の日誌をラドニアに代筆してもらうわけにもいかないだろ?」
「簡単に言ってくれるが、いくら皇家の財力をもってしても、奴隷はそう易々と買えるほど安価なものではないのだぞ。特に算術や読み書きのできる奴隷ともなればさらに値段が……」
「じゃ、金のかからない方法を模索するしかないな。例えば陛下を説得して──竜の園付きの奴隷にだけは、特別に手習いを許可する法律を作ってもらうとかな?」




