落ちこぼれ傭兵のジョブチェンジ
帰りの馬車の中で阿修羅のごとき形相をしたフリーダを説き伏せ、どうにか不名誉な誤解を解消した俺がげっそりしながらアルコル宮へ戻ると、ギゼルとヘスペルがとんでもない声量を張り上げて怒鳴り合っていた。
「だから、それが納得いかないって言ってるんだよ! 奴隷云々以前に僕はラドニアさんの護衛で、契約期間だって残ってる! だったら僕が宮に留まる理由はまだあるだろ!?」
「契約も何も、貴君は罪人の逃亡を長年幇助した罪で逮捕され、傭兵組合からも正式に除籍されただろう。ならば貴君は既に傭兵ではなく、よってクリソプルの護衛を続ける義務も権利もない。そもそも貴君と共に陛下の所有物となったクリソプルもまた、今ではメアレスト皇家の財産だ。とすればやつの身柄の管理は狩猟団や皇属近衛騎士団の仕事であって、どのみち貴君の出る幕はない」
「いや、そもそもラドニアさんの護衛任務を仲介したのは組合なのに、僕だけ除籍されて組合はお咎めなしってのがまずおかしいだろ!? だから帝国は信用できないし、そんな連中のところにラドニアさんを置いてくなんてできないって言ってるんだよ!」
「貴君の個人的な感情がどうであれ、これは現在の貴君の所有者である陛下のご下命だ。というか貴君はむしろ陛下に感謝すべきだろう。長年帝国に反抗を続けた罪を特別に許し、再び自由の身に戻ってよいとのご恩情を賜ったのだぞ。それの何が不満なのだ?」
「はあ!? 人から働き口を奪ったあとに身ひとつで放り出すことのどこが恩情!? だったら最初から無罪放免って扱いにしてくれればよかっただろ!? おかげで組合にももう戻れないのに、皇宮を出て僕にどうしろって言うんだよ!?」
「そこまでは知らん。自分のことは自分で何とかしろ。とは言え貴君も一応剣術の心得はあるのだから、この機にもっとまっとうな組織につくことを目指したらどうだ? 匿名の依頼だったので護衛対象が罪人とは知らなかった、などという見え透いた嘘でワームの尻尾切りをするようなろくでもない組織ではなく、信用に値する実績と公正さを持つ組織へ、な」
……ああ、一難去ってまた一難とはこういうことか。
もしかしてこいつら、全員で共謀して俺を過労死させようとしてるのか? 度重なる心労にいよいよ頭痛を覚えながら、俺は怒声が響く談話室へと踏み込んだ。
開けっ放しの扉の向こうではギゼルとヘスペルがなおも啀み合っていて、そんなふたりから少し離れたソファの上で、額を押さえたラドニアが深々と嘆息をついている。もうすぐ昼時だから三人で一度宮へ引き返してきたのだろうが、どう見ても仲良く食卓を囲める雰囲気ではなさそうだ。
「おいおまえら、さっきから何をギャーギャーと騒いでるんだ?」
「あっ、リュージ! 聞いてくれよ、この人が急にとんでもないことを言い出すんだ! いきなり人を捕まえて奴隷にしたと思ったら、今度は何の前触れもなく僕だけ宮を出てけって……!」
「出ていけ、とは言っていない。私はただ貴君を奴隷身分から解放する、という陛下の決定を伝えただけだ」
「それって実質出てけって言ってるようなもんだろ!? そもそもなんで解放されるのが僕だけなんだよ!? ここには他にも奴隷がたくさん……!」
「貴様……確か名をヘスペル・アトラースとかいったな。陛下は貴様がクリソプルの逃亡を幇助したことで、結果的に竜の園の運営に必要な人材が確保できたことを鑑みて、例外的に特赦を与えるというご慈心を垂れて下さったのだ。だというのに貴様は感謝するどころか、陛下のご宸慮を足蹴にするつもりか? だとすれば私も黙ってはいないぞ」
ところが直前まで憤慨の意をあらわにしていたヘスペルも、俺たちの隣で両目をかっぴらいたフリーダにすごまれるとさすがに怯んだ。うーん、どうも間の悪いところにフリーダを連れて帰ってきちまったみたいだな……。
今のこいつはただでさえ女の敵の俺と同じ馬車に四十分も相乗りすることになってかなり気が立っている。そこにフーヴェルオの善意を無下にする輩が現れれば、陛下至上主義のこいつが縄張りを荒らされたヒョウのごとく牙を剥くのは無理からぬことだろう。いや俺の件はマジで誤解なんだけどね?
「いや、けどちょっと待ってくれ。ヘスペルが宮を出ていくなんて話は俺も聞いてないぞ。こいつがいなくなったらラドニアも色々困るんじゃないのか? 一応、今までふたりで竜の研究をしてきたわけだし……」
「まあ……確かに彼には色々と助けてもらったことは事実よ。だけど奴隷身分から解放してもらえるって言うのなら、そのチャンスを棒に振ってまで残ってくれとは私には言えないわ。一度奴隷になった人間が主人の許しを得て一般市民に戻れるなんて、滅多にないことだから……」
「で、でも、ラドニアさん! ラドニアさんは今後一生奴隷として生きていくことになるんですよ? 二度と皇宮の外にも出られずに、他人の所有物として……だったら僕も、そんなラドニアさんをこれからも傍で手伝えたらって……!」
「あなたの気持ちは嬉しいわ、ヘスペル。だけど私が奴隷になったのは私の意思。リュージとの約束を守り、園の竜たちを助けるために自分からここへ来たの。でもあなたは違うでしょう? 言わば私が巻き込んだも同然よ。だからもしここを出てもう一度やり直せるなら、そうすべきなんじゃないかって……そう思うの。この四年、何度もあなたに助けてもらった身としては、ね」
ラドニアは微笑のような苦笑のような、どちらとも取れる表情で言った。
そこにヘスペルを突き放すような響きはない。ただ、今日まで自分を支えてくれた男が自由の身になることを切に願っての言葉。
少なくとも俺にはそう聞こえた。ところがラドニアからもここを出ることを勧められたヘスペルは、まるで打ち捨てられたように立ち尽くしている。
相変わらずモジャモジャの前髪が目もとを覆っているせいで表情はよく分からないものの、その唇が浅く噛み締められるのを、俺は見た。
「おい、聞いたか。クリソプルもこう言っているだろう。分かったら今日中に荷物をまとめて、明日には発てるように……」
「──ちょっと待った」
ところがラドニアの意見を受けたギゼルがさっさと話を進めようとするのを聞いて、俺は思わず声を上げた。途端に皆の視線が肌に刺さり、あ、やべ、つい口を挟んじまった、という後悔が頭をもたげようとする。
とは言えこのまま黙ってヘスペルを見送るのも何だかばつが悪いしな。ゆえに俺は「やっぱやめとく?」と主張してくる若干の後悔を押し込んで言葉を続ける。
「まあ、ラドニアの言い分も分かるっちゃ分かるんだけどさ。ヘスペル、おまえはどうなんだよ? 一生奴隷のままでもいいからここで俺たちと一緒に過ごしたいのか、やっぱりシャバに出て人生やり直したいのか、どっちなんだ?」
「ぼ、僕は……」
「おい、リュージ。何度も言うようだが、此奴の処遇については既に陛下が決定を下されたのだ。ならば本人の意思など聞いたところで意味はないぞ」
「いいや、あるね。だって俺が知りたいから」
と、俺が腰に手を当てて即答すれば、ギゼルはいかにも「は?」と言いたげな顔つきで無言の抗議を送りつけてきた。しかし自慢じゃないが、ギゼルやフリーダからあんな顔で睨まれるのにはもう慣れている。今の俺にとっちゃ日常茶飯事だ。
だから俺は気にせずヘスペルの答えを待った。
当のヘスペルはしばらく黙りこくってうつむいていたものの、やがて、
「ぼ、僕は……一生、奴隷のままでもいいから……ここに残りたい」
「……! ヘスペル、あなた──」
「ほう。そりゃまたなんで?」
と、ヘスペルが答えるなり腰を浮かしかけたラドニアを制すべく、俺はそう問い重ねた。ラドニアが眼鏡の向こうから困惑の眼差しを注いでくるのを感じるが、俺は今ヘスペルと話をしている。だから、目を逸らさない。
「そ、そりゃ、除籍された以上組合にはもう戻れないし……何より僕も、ラドニアさんみたいな研究者ではないけど、今まで何頭もの竜と接してきたわけだから……だったらまた傭兵稼業に戻るより、ここで働いた方が世の中の役に立てるんじゃないかな、とか、思ったりして……」
「なるほど。つまりおまえは世の中の役に立つ仕事がしたいわけだ?」
「そ……そうだよ。せっかく知識や経験があるなら、何か意味のあることに使いたいって思うのが普通だろ?」
「しかし貴君がここへ来てから間もなくひと月になるが、具体的に何をした? 私の目にはただクリソプルの後ろをついて歩いて、やつが竜たちの世話をするのをぼんやり眺めているようにしか見えなかったが?」
「うぐっ……い、いや、でも僕だってリュージと一緒に竜の死骸を運び出したり、檻の掃除をしたり、言われたことはちゃんと……!」
「その程度のことなら既存の奴隷がいれば事足りる。だいたい貴君はクリソプルと共に竜を探す旅をしていたと言うわりに、いざ竜を前にすると腰が引けて、餌やりすらまともにできんではないか」
「ぐふっ……そ……それは、僕が何故か竜には好かれない体質だからで……実際、ずっと一緒にいるブルーにすら何度も噛まれそうになってるし……」
「であればますます貴君をここに残す理由がないな。簡単な竜の世話すらできん男を、皇家の財産で養う必要は──」
「いや、そうでもない」
「は?」
と今度は声に出して、ギゼルが露骨な渋面を向けてきた。
やつの顔にはこれまたはっきりと「余計な口を挟むな」と書かれているものの、俺は敢えて無視を決め込み、再びヘスペルへと向き直る。
「ヘスペル。おまえ、さっきここに残りたいと言った言葉に二言はないよな?」
「う、うん……」
「今後一生奴隷のままでも、竜たちのために働けるなら構わないんだな?」
「ま、まあ……確かにそう言ったけど……」
「そうか。ならおまえにぜひやってもらいたい仕事がある。というか、何ならおまえにしか頼めない仕事だ」
「え?」
きっぱりとした口調でそう告げると、ヘスペルがぱっと顔を上げ、前髪の向こうで目を丸くしたのが分かった。ラドニアやギゼルもこの展開は予想できなかったのか、揃って意外そうな顔をしている。
「どうだ。その仕事、受けてみる気はあるか?」
「え、えっと……何だかよく分からないけど、僕にできることなら……」
「できるかできないかじゃない。俺はやるかやらないかを訊いてるんだ」
「……」
「まあ、嫌なら別に下りてもいいけどな。そうなると残念ながら、おまえとは明日でお別れってことになるが……」
「わ……分かったよ、やればいいんだろ、やれば! 何をさせるつもりか知らないけど、僕にしかできない仕事ってことは、逆に言えば僕でもできる仕事ってことだし! だったら何だってやってやるさ! 僕だって意地ってもんがあるからね!」
そう言って自分を鼓舞するためか、わははとヤケクソ気味に笑い出したヘスペルを見て、俺はニヤリと口角を持ち上げた。
何だってやってやる、ね。よく言った。その言葉を待ってたんだよ。
おかげで言質は取れた。今ここにいる全員が証人だ。ラドニアはやっぱりまだ不安そうな顔をしているものの、まあ、そんなに深刻な話じゃない。適任者が見つからなければ俺がやろうと思ってた仕事をこいつに任せるだけだからな。
「よし。おまえの覚悟、しかと聞き届けた。んじゃフリーダ、ギゼル。悪いがこの一件、俺が預かる。陛下にはこう伝えてくれ──元老院説得の鍵を握る襟巻竜の飼育はヘスペルに一任したいから、こいつの釈放は一旦保留にしてほしいってな」




