秘密は減らない
俺の目線よりも十センチほど高いところから降ってくる、刺すような眼差しが痛かった。とりあえずこれ以上機嫌を損ねることだけは避けようと、俺はどうにかにこやかな表情を心がけているものの、たぶん、いや絶対うまくいっていないことは鏡を見なくても分かる。
ああ、なんでこんなときに限ってギゼルのやつがいないんだ。そりゃ狩猟団の職務上、帝都に残ったラドニアやヘスペルの見張りも必要だろうけどさ。
だからって別に残るのはギゼルじゃなくてもよかったよな? クッション役のあいつがいないと、俺はいつこの猛獣に食い殺されてもおかしくないんだぞ……。
「……なるほど。つまり今の話をまとめるとこういうことか? 貴様らはケルベロスに追われていたところをその少女に助けられ、辛うじて難を逃れた。そして貴様と同じく森で目覚めるまでの記憶がないという彼女を哀れんで保護したと?」
「あ、ああ、まあ要約するとそういうことになるかな……いやー、しかしここ、結構な頻度で人が迷い込むみたいだな? ひょっとするとそいつも母大樹から発生するすごいパワー的なアレのせいなのかも? なんて思ったりしてな? ハハ……」
と冷や汗まみれの愛想笑いを浮かべながら、俺は人間の姿になったジュンコを支えているのとは逆の手で、誤魔化すように頬を掻いた。
現在フレディの入った瓶はイヴの腕の中。代わりに俺は皇属竜狩猟団の外套を着せたジュンコをおぶっている。外套の下はもちろん全裸だ。
いくら中身は竜とは言え、そんな状態のジュンコに裸足のまま森を歩かせるのはどうかと思い、俺はここ──母大樹の森の北東に張られた狩猟団のキャンプまで幼女姿の炎竜王を背負ってきた。フリーダたちとはケルベロスに襲われた際にはぐれてしまったので、森の中をあてどなく探し回るよりさっさとキャンプに戻った方が確実に合流できるだろうと踏んだのだ。
そして案の定、キャンプには先に帰還したフリーダがいて、部下に俺たちの捜索を命じていた。そこへイヴと見知らぬ幼女を連れた俺がひょっこり現れたものだから、フリーダも虚を衝かれたようだ。
どうやらこいつは俺のことをケルベロスに食われてくたばったか、この機に乗じて逃げ出すかのどちらかだと思っていたらしい。いやほんと、初対面のときの印象が最悪だったからしょうがないとは言え、マジで信用されてないよな、俺……。
「ふん……そうか。しかし非常に執拗なことで知られるケルベロスの追跡を無傷で振り切るとは、貴様はほとほと悪運が強いようだな。あの獣は我々竜狩人ですら仕留めるのに苦労するというのに、丸腰の貴様がよく逃げ切れたものだ」
「ハ、ハハハハ……そ、そうだよな、俺も今度ばかりはマジで死ぬかと思ったもんな~。いや~、この子が岩場の洞穴まで案内してくれなかったら、俺もイヴも今頃はケルベロスの腹の中だったぜ~。さすがのケルベロスもあの巨体じゃ、洞穴の中までは入ってこれなかったからな~。ハハハハ……」
フリーダは明らかに俺の証言を怪しんでいる様子だったが、ケルベロスから偶然逃げ切れてしまったことはまぎれもない事実なので、俺は大根役者もびっくりの棒読みで何とか場を押し切った。
「母大樹の麓に辿り着いたら何でか知らんが助かった」と正直に言えないのは、森に来る前、ギゼルにジュンコの卵の話をしてしまったからだ。
あの話はフリーダの耳にも入っているはずだから、母大樹の傍まで行ったなんてことが知れたらまず間違いなく卵の件を詮索されるだろう。まあ、されたらされたでジュンコの正体を明かしてもいいのだが、そうすると恐らく俺の記憶喪失やジュンコとの関係にまで話が及んで余計に事態がややこしくなる。何しろジュンコは二十年前、他でもない皇属竜狩猟団によって殺された古代竜なのだ。
そいつと俺が森で偶然出会うなり意気投合して、一緒にドラゴン・パーク計画の実現を目指すことになりました、なんて、あまりにも都合がよすぎて勘繰られるに決まっている。だから俺はジュンコと相談し、ここは一旦正体を隠して様子を見ることに決めた。もっとも〝母大樹の森に三人目の記憶喪失者現る……!〟なんて話も胡散臭すぎて、思いっきり疑われるであろうことは目に見えているものの。
それでも実は俺が古代竜の回し者だった、なんて不穏な噂を流されるよりは百倍マシだ。今、そんな話が広がったら間違いなくドラゴン・パーク計画は元老院に棄却されて、実現が遠のくだろうしな。
「……まあいい。とにかく本日の調査は中止だ。皆、ケルベロス騒動で森に長居をしすぎたからな。これ以上は森の氣が体に障る。襟巻竜を探すのはまた明日にした方がいいだろう」
「お、おう、そうだな……」
「しかしまだひとつ解決していない疑問がある。今の貴様の話を信じるとして、その少女は何故下着すら身につけていないのだ? まさか貴様がまた不埒な行為に及び、彼女の衣服を脱がせたのではあるまいな?」
「は……はあ!? ななな何言ってんだよ!? 誰がそんな変態みたいな真似……!」
「たわけ。現に貴様には明確な前科があるだろう。公衆の面前で自ら恥部を曝け出し、さらには女に飢えて半竜の娘にまで手を出しかけたと……」
「言いがかりですぅ! あれはやむにやまれぬ事情があってのことだったと何回言えば分かるんだよ!? あとイヴの件も誤解だって散々説明したろ!?」
「ふん、どうだか。そう言うわりにはどこへ行くにもそこの娘を連れ回しているではないか。おまけに何年も強硬な反抗を続けたラドニア・クリソプルをほんの数日で言いくるめ、テリサ・アリスター博士にも見事に取り入り……私にはどうも行く先々で女を手玉に取っているように見えるがな」
「い、いや、博士やラドニアはドラゴン・パーク計画の協力者ってだけで、それ以上のことは何も──」
「そうじゃ、竜司に限ってそのようなことは断じてない。仮に此奴にさような甲斐性があるのなら、未練がましくわしに〝ジュンコ〟などという名をつけたりはせんじゃろうからな」
「ヘイ嬢ちゃん、おじさんたちはいま大事な話をしてるのでちょいと黙っててくれるかな」
瞬間、俺は擁護と見せかけた追撃に背後から奇襲され、ガラスのハートがバキバキに罅割れるのを感じながらも辛うじて平静な声色を絞り出した。しかしやんぬるかな、見知らぬ幼女の発したこの興味深い発言をフリーダが聞き逃すはずもない。
「……〝ジュンコ〟? 名づけたというのはどういうことだ?」
「ほれ、わしはどうやら記憶喪失というやつらしいのでの。そこで此奴が仮の名として、わしに〝ジュンコ〟と名づけたのじゃ」
「ほう……つまりそなたは自身の名すら覚えていないと言うのだな。しかし〝ジュンコ〟とは一体どういう意味だ?」
「いや、意味というか、その名は此奴の元恋人の……」
「ああああああああッ! つーかアレだな、腹減ったなァ! ケルベロスに追われて森中走り回った上に、昼メシも嬢ちゃんに全部あげちゃったからなァ! なあイヴ、おまえも腹減ったよな!? 肉食いたいよな!?」
「おにく!」
どさくさにまぎれて前世の黒歴史を暴露されそうになった俺は、多少強引とは自覚しつつも声を張り上げて話題の転換を試みた。
すると肉という単語に反応したイヴがたちまち目を輝かせ、フレディ入りの瓶を頭上に掲げて〝お肉食べるのポーズ〟を取る。……いや、そもそも俺はあんなポーズ教えた記憶はないし、イヴの本当の意図はまったくの不明だ。
が、たぶん肉という単語に対する反応であることは間違いない。
なんか、うん……醜い大人の保身に利用してごめんな?
あの興奮ぶりを見る限り、よっぽど腹が減ってたんだな……。
「ていうかジュンコ、おまえ、その妖怪オババみたいな喋り方何とかならないのかよ? 人間の幼女がオババ口調で喋るなんてどう考えても怪しいだろ! せっかく正体を隠してるってのに、あれじゃ頭隠して尻隠さずだぞ……!?」
ほどなく今夜の宿となる簡易テントに入り、かなり遅めの昼食というかもはや夕食と呼んで差し支えない食事にありついた俺は、イヴと一緒に干し肉を囓るジュンコ──生憎幼児サイズの服がないので、下着代わりの布を腰に巻いて依然外套を羽織っている──へ小声でそう抗議した。
テントのすぐ外には見張りの竜狩人がいるはずだから、正直ここでするのは憚られる話題なのだが、これだけは真っ先に注意しておかなければと思ったのだ。
というかジュンコは何故ちゃっかりと俺の分の干し肉をおいしく召し上がってくれちゃっているのだろうか。さっきもふたり分の干し肉をぺろりとたいらげたばかりだよな? そいつがないと俺の昼メシ兼晩メシは、歯が折れそうなくらい硬い乾パンと果物の切れ端しかなくなるんだぞ……?
「はて? わしの声がおんしにどう届いておるのかは分からんが、言語のことなら心配いらん。少なくともおんし以外の人間には、わしの言葉は舌足らずで幼気な稚児のそれに聞こえておるはずじゃからの」
「……は?」
「言霊の原理じゃよ。そもそも言葉とは魂から生み出される氣の一種。地球生まれのおんしにも分かりやすいイメージで言うと、魂から発射される豆鉄砲みたいなものじゃ。その豆玉が相手の魂に命中することで、初めて意思の疎通が成立する。じゃがこの豆玉は相手の魂次第で変質する性質を持っておってのう」
「豆玉が……変質?」
「うむ。相手の魂の色や形や温度によって、命中の瞬間、ひよこ豆がレンズ豆に変わることもあるということじゃ。わしの言葉がおんしには妖怪オババのように聞こえるのなら、それはおんしの中のわしのイメージがそうであるからで……って誰が妖怪オババじゃ! おんし、仮にも火神竜たるわしに向かって……!」
「ばっ、バカっ、大声出すなって! そこは俺が悪かったから、な!?」
と時間差で怒り始めたジュンコを必死で宥めつつ、俺はようやく合点がいった。
というのも今のジュンコの話が事実なら、アゴログンド人の話す英語が俺には日本語に聞こえる理由にも合点がいくからだ。
要はジュンコが言うところの〝魂〟にはフィルターがかかっていて、言葉がそこを通過するとき、受け手が理解しやすい単語や言語へと自動的に置き換わる。
アゴログンドにはもともとそういう法則があり、俺は生まれながらにその恩恵を受けていたというわけだ。
まあ、この場合の〝魂〟というのは何なのかという疑問は未だ残るものの、アゴログンドには何らかの未知なるエネルギーが存在することは間違いない。
ジュンコやアゴログンド人が〝魂〟とか〝氣〟とか呼ぶそいつが作用することによって、言葉もまた一種の竜術のような性質を帯び、言語の垣根を超えた他者との意思の疎通を可能にしているのだろう。
「そもそも古代竜のような強い魂を持つ者は、本来発声による会話を必要とせぬ。口を閉ざしていても魂を触れ合わせることで会話することが可能じゃからの。なれど人の子らはわしらほど強い魂を持たぬがゆえに、発声器官に依存した意思の疎通を図るのじゃ。まあ、声を用いた会話の方が氣を消耗せずに済むという利点もあることじゃしの」
「へえ……なんかよく分からんが、とにかくアゴログンドには氣があるから色んなことが何とかなってる感じなんだな。理解した」
「……わしはおんしが本質的には何ひとつ理解しておらんことを理解したぞよ」
「いや、けどよ、だったら言葉は通じてなくても、イヴには俺の言ってることが理解できてるってことなのか? こいつ、普段は言葉なんて分かりませんって顔してほとんど喋らないのに、時々急に喋り出すことがあってさ。あのギャップは一体何なんだってずっと疑問だったんだけど……」
「ああ、其奴は……」
と、ジュンコは何か答えかけたものの、はむはむと齧歯類のごとく干し肉を囓るイヴに目線をくれるや黙り込んだ。
当のイヴは自分の話がされていると分かっているのかいないのか、とにかく一心不乱に干し肉を食んでいる。昼間のように自分の食事をジュンコに取られては困ると思ってのことなのだろうが、おかげで頬がぱんぱんになっているあたりがますますリスやハムスターを連想させた。おい、頼むから喉には詰まらせるなよ……。
「……いや。此奴は恐らく、おんしの言葉の半分ほどしか理解しておらぬ。これほど不安定な魂を不完全な肉体に押し込めておったのでは無理もなかろう」
「え?」
「まったく、何とも嘆かわしい。わしが留守にしておる間に一体何があったというのか……実におんしらしくもないことじゃ。のう、天神竜よ」




