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ドラゴン・パークをつくろう!  作者: 伊栄寿 大好
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わしじゃよ(★)


 いつもは熱帯の鳥たちの(さえず)りで賑やかな密林が、今日は静まり返っていた。

 耳を澄ませど聞こえるのは水槽の濾過(ろか)循環装置が作り出す人工のせせらぎだけ。

 何故なら今日は休園日で、しかもここは盛んに鳴く生き物もいない爬虫類館(はちゅうるいかん)だ。


 俺が三十年余り勤め続けた、市立九木山(くぎやま)動物園。


 〝九木山〟の名が示すとおり、麓の街並みを一望できる小山の上にでんと門扉を構えるこの園は、もうじき開園八十周年を迎える歴史の長い動物園だった。


 できることなら俺も現役の仲間と共に八十周年を祝ってから引退したかったが、その佳節を目前に控えながらも今年の夏、やむなく退職して今は貯金と退職金を切り崩しながら生活している。そんな俺が今日、休園日にもかかわらず園内に入れてもらい、まるで現役飼育員のようにあちこちぶらついているのは、長年共に働いた園長と同僚たちによる心遣いのおかげだった。


 何しろ俺はもう間もなく、自力で歩くこともできなくなる可能性が高い。


 膵臓癌(すいぞうがん)。ステージ(フォー)


 今年六月の時点で、生きて年を越せるかどうかだと言われた。


 現在も通院しながら抗癌剤(こうがんざい)治療を続けてはいるものの、次第によくなっている、という実感はまったくない。飼育員人生三十余年、五十六歳。逝くにはまだ若いと皆は言うが、まあ、やはり俺も歳を取ったということだろう。


 ゆえに一般客のいない休園日に、無理を言って入園を許可してもらった。


 理由は言わずもがな、長年世話してきた動物たちの顔を、動けるうちにゆっくり見納めておきたいと思ったからだ。三十年間もひとつの園に勤めていると、園内にいるほぼすべての動物が自分の担当だった過去がある。


 先に逝った動物も少なくないが、中には園に子孫を残していった殊勝なやつらも多くいて、そいつらの立派に成長した姿を目にすると今でも自然と笑みが零れた。


 三十代の頃、真剣に結婚を考えていた女にフラれ、結局婚期を逃した俺にはできなかったことを、あいつらはいともたやすく成し遂げていったわけだ。


 それが少々憎たらしくもあり、羨ましくもあり。同時に九木山で生まれたすべての動物は、俺の子も同然だという想いがずっと心のどこかにあった。


 中でも特に思い入れのある子どもがここ、爬虫類館にいる。


 休園日の今日は館内BGMが切られ、オオハシやコンゴウインコの歌声は聞こえないものの、温室内の暖房は入れられたままだった。おかげで外では紅葉が始まっているというのに、爬虫類館は初夏のような暖かさだ。


 何しろ館内でのびのびと葉を伸ばすヤシの木やシダ植物はすべて本物で、この時期は常に暖房をきかせていないと、寒さにやられて枯れてしまうものも出る。


 そして何より『爬虫類館』の名を冠するからには、当然ここにいる生き物の大半はヘビやトカゲ、ワニなどの変温動物だ。人間を始めとする恒温動物とは違い、体内で熱を生成できない変温動物は外気温の影響をモロに受ける。気温が下がれば体温も下がり、凍えて身動きが取れなくなるために冬は冬眠して過ごすのだ。


 が、ここは腐っても動物園。客はみな生きた動物が動き回る姿を楽しみに来園するものであり、眠ったまま身じろぎひとつしない動物を展示したところで退屈させてしまうだけであることは、火を見るよりも明らかだった。


 もちろん生き物の生態を展示し、自然への理解と関心を深めてもらうことが動物園の存在意義であることを思えば、冬眠する姿も立派な()()()()ではあるのだが、それで来園者にそっぽを向かれてしまっては本末転倒もいいところだろう。


「よう、ジュンコ。久しぶりだな」


 そんな人工の楽園に設けられた屋内放飼場(ほうしじょう)やケージの中をひとつひとつ覗いて歩くこと三十分。俺はようやく、岩を模した台座の上にそそり立つアクリルガラスを覗き込み、密林の()()と対面した。


 解説板に記されたヌシの和名()は〝チュウゴクワニトカゲ〟。


 別名シナワニトカゲとも呼ばれる、中国南部やベトナムが生息域のトカゲだ。


 水の中にいることを好み、さらに尾の形状がワニに似ていることから〝ワニトカゲ〟と呼ばれる。一部の生息地では既に絶滅したとも言われる絶滅危惧種で、九木山動物園はこの種の過去数回に渡る繁殖実績を持っていた。


 ジュンコはそうして生まれたチュウゴクワニトカゲの一匹であり、今や九木山爬虫類館のボスだ。何しろこいつは既に二十年以上九木山に居座っていて、同種の一般的な個体に比べると体格もかなりデカい。


 普通、チュウゴクワニトカゲは大きくなっても市街地で見かけるハトほどのサイズがせいぜいだというのに、ジュンコは種の平均寿命を優に超えたバアさんだからか、成熟したイエネコ並みの巨躯(きょく)を誇っているのだ。


 おまけにメスでありながら、通常はオスの個体に多く見られる赤い(まだら)を腹部に有し、それが常に繁殖期のような鮮やかさを保っている。


 ゴツゴツとした突起が並ぶ(うろこ)と長寿ゆえの貫禄も相俟(あいま)って、まるで伝説の火蜥蜴(ひとかげ)かと見まがうほどの、あまりに堂々たるヌシっぷりだった。


 生まれたばかりのこいつを取り上げ、一人前になるまで育てることができたのが俺の長い飼育員人生の中でも五本の指に入る武勇伝だ。


「元気にしてたか。まさかとは思うが俺の顔、忘れたりしてないよな?」


 と、アクリルの向こうで悠々と保温(バスキング)ライトを浴びているジュンコに声をかける。


 退職前、ジュンコは育ての親である俺の顔をしっかり覚え、他の飼育員との見分けもついている様子だったが、三ヶ月以上離れて過ごした今はどうだろうか。爬虫類はもともと人になつかないから、とっくに忘れられていたとしても文句は言えないものの、分かっていても寂しいと感じてしまうのが社会性を有する人間(イキモノ)(さが)だ。


 特にこいつとは付き合いも長く、園内にいるどの動物よりも思い入れがある。


 でなきゃわざわざ自分をフッた女の名前なんかつけない。あいつを幸せにしてやれなかった分、せめてこいつは立派に育て上げてみせる。ジュンコという名前には当時のそんな若気の至りと、ひそやかな願いが込められているのだった。


「ああ……覚えているとも、竜司(りゅうじ)。忘れるわけがない。遅いではないか。わしはずっと、おんしが来るのを待っておったのだぞ」


 そのせいだろうか。


 刹那、ジュンコを見つめる俺の脳裏に奇妙な幻聴が響き渡った。


 ……いや、待て。待て待て待て。


 いくら心身が弱ってるとは言え、五十六にもなってその妄想は痛すぎるぞ、俺。


 まるで投げかけた言葉にジュンコが応えてくれたかのような。そんな妄想で己を慰めなければならないほど、俺は精神的に参っていたのだろうか。


 自分でも気づかなかった。いや、あるいは気づきたくないがゆえに、ずっと気を張っていたのかもしれない。そいつが我が子同然のかわいいかわいいチュウゴクワニトカゲを前にして、わずかばかりゆるんでしまった。


 まあ、そりゃそうだよな。だって俺が飼育員を志したのはガキの頃、恐竜が大好きだったからで。世界に一七五万種もいる生き物の中でも、その恐竜に最も近い姿をしているトカゲには格別の思い入れがある。


 だからつい、こいつらを前にすると童心にかえっちまうんだ。……そうだよな?


 そういうことにしておこう、うん。俺はケージ内の岩の上からこちらを見つめるジュンコにニカッと笑いかけ、それを別れの挨拶に代えた。


 達者で暮らせよ、ジュンコ。俺のことは、もう忘れちまっても構わないから。


「おい、待て。どこへ行く」


 が、真っ赤な腹をゆっくり上下させている爬虫類館のヌシに背を向けて歩き出そうとした俺は、さらに響いた制止の声に思わず足を止めてしまった。


 ……いや。いやいや。いやいやいやいや。


 駄目だ。振り向くな、俺。ありえないから。トカゲが脳内に直接呼びかけてくるとか。いくらジュンコが並外れて長生きな個体とは言え、長寿の末に化けるのはネコかキツネと相場が決まっている。だがやつらは哺乳類(ほにゅうるい)だ。


 つまり化けるのは哺乳類の特権だ。断じて爬虫類ではありえない。


八俣(やまた)竜司。わしはおんしに話しかけておる」


 ああ、くそ!


 誰だ、余命いくばくもない俺にこんな手の込んだ悪戯(いたずら)を仕掛けるやつは?


 わざわざ声色までしっかり作り込みやがって。おまえ、控えめに言って声優になれるぞ。だが九木山(ウチ)の職員に声優志望のやつなんていたか?


 確かに今朝、事務所に顔を出したときに確認したシフト表には女性職員の名前もあったが……そもそも声優志望の人間が何故飼育員なんかになったのか。


 同じ狭き門とは言え声優と飼育員、どちらの夢も叶えたいなんて贅沢すぎるぞ。


 二兎を追う者は何とやらって言うだろ。何ごとも欲張っちゃあいけないんだよ、人生は。そう、つまり何が言いたいかっていうと、花咲か(じい)さんだ。


 あれ、いい話だよな。俺はどうも昔から、動物の恩返し系の話に弱い。


「おい。いつまでも現実逃避しとらんでこっちを向け。わしじゃよ。おんしが我が子のように(いつく)しんで育てた──〝九木山の火蜥蜴(サラマンダー)〟ことジュンコじゃ」


 俺はいっそ膝から崩れ落ちたかった。


 が、辛うじて残った理性の糸でどうにか五体をつなぎとめ、操り人形(マリオネット)の要領でギ、ギ、ギ、と背後を(かえり)みる。そこにいたのは俺をおどかそうと企む無邪気な女性職員でも、ベテラン声優でも、ましてや花咲か(じじい)でもなかった。


 チュウゴクワニトカゲのジュンコ。


 爬虫類館のヌシたる大トカゲが、いつの間にやらまっすぐこちらへ向き直り、女帝のごとき貫禄でもって育ての親を見据えている。


▼チュウゴクワニトカゲ

挿絵(By みてみん)


 別名シナワニトカゲ。全長40~46cm。主な生息地は中国とベトナム。

 ペット取引を目的とした違法な乱獲と生息地の減少により、野生下の個体数は1000頭以下と言われる絶滅危惧種。

 体色は褐色で、赤や黄色、緑色や暗色の(しま)(まだら)が入る個体もいる。

 特にオスは喉から腹が赤っぽく、繁殖期にはより鮮やかな色になる。

 日本国内で飼育展示を見ることのできる動物園は円山動物園(北海道札幌市)、八木山動物公園(宮城県仙台市)、上野動物園(東京都台東区)、体感型動物園 iZoo(静岡県河津町)など。


参考・画像引用元:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%8B%E3%83%88%E3%82%AB%E3%82%B2

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9354/?ST=news

https://pz-garden.stardust31.com/hacyuurui/tokage/wanitokage/chugokuwanitokage.html

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