第二章 3 2人と図書室
『罪』
『どうしても自信が無かった。だからこの手紙に託した。お前がどうするか、それを待った。
手紙を出してから来なければ良いと、出さなければよかったと、後悔することもあった。答えが出ないまま、時間だけが過ぎていく状況に苦痛を覚えた。
自分の弱さを知っていたつもりだったが、やはりなかなか変わらない。
手紙を出してから2週間、お前が俺の前に姿を現した。「この手紙を出したのは、先輩なのか」と。
誰もいない剣道部部室。いるのは俺と後輩の2人。俺達は剣道部員だった。俺は元部員。あいつは現役だ。
中学からずっと剣道をやってきた俺は、3年最後の大会に全力を注いでいた。成績は負けっぱなしで、学校に残す程のものは無かった。それでも練習し、楽しんで剣道をやってきた。そのおかげか慕ってくれる後輩もできていた。今大会で最後、悔いが残らないように取り組んでいた。
しかし、事態は急変。大会直前にも関わらず、俺は退部となった。
原因は部室内に煙草の吸殻が見つかったからだ。
当然、犯人探しが始まった。横一列に部員が並び、誰がやったのか、今すぐ名乗り出れば退部だけで許してやると。そう顧問の教師が大声で怒鳴った。
しかし、誰もが俯いたまま口を閉ざしていた。犯人は俺じゃないと、誰もがそう思っていただろう。
俺は目を瞑り祈った。頼む、名乗り出てくれと。もし犯人が見つからなかったら、最後の大会に出られなくなってしまうのではないか。それは非常に悔しい。こんな所で終わりたくはない。まだ続けたい、これが最後なんだ。これまで努力してきた剣道がこんな形で終わるのは嫌だった。絶対に出たい。頼むと、それだけで頭が一杯になっていた。
痺れを切らした教師はそれぞれ持ち物検査をしていった。まずは煙草を持っていないか、衣服のポケットを隅々まで探す。結果は何も出ない。
次にカバンを調べていく。1年、2年。調べても何も出ない。3年のカバンを調べていく。1人、2人。何も出ない。最後に俺のカバンに手を掛け中身を調べていく。教師の手が止まった。
「これはどういう事だ」と教師が俺を見て声を荒げた。手に持っていたのは煙草の箱だった。俺は驚愕した。何故こんな物が入っているんだと。
「知らない、俺は吸っていない。何かの間違いだ。嘘だ」
叫ぶ。叫び続ける。ひたすら叫んだ。みんなも知っているはずだ。俺がどんなに大会を待ち望んでいたか。剣道を心から楽しんでいるかを知っているはずだ。隣にいる後輩達を見る。後輩達は俺の顔を見る事はなかった。お互いにあんなにも汗を流し、切磋琢磨して、励ましあい、何より楽しんで剣道に打ち込んだ仲間だと思ったのに、誰も助けてはくれない。裏切られた気分だった。
教師は憐れむような目で見ていた。
「真面目なお前が何でこんな事をしたんだ。非常に残念だよ」
終わった。その一言で俺の全てが終わった。教師はひどく落胆していた。
そうして俺は身に覚えのない犯罪人となり剣道部を去った。
「県大会個人優勝おめどう。よく頑張ったな」
俺はまず、後輩に労いの言葉を述べる。興味が無いようで目を合わせる事も返事もしなかった。早く話を続けろと無言で催促していた。早速本題に入ろう。
「確かに手紙を出したのは俺だ。わざわざ『読めない手紙』を使ったな。
それは、お前に言わなくてはならない事があるからだ。
煙草の吸殻。あれの犯人はお前なのだろう。
大会が終わってすぐに、1年の奴が俺に言ってきた。『先輩のカバンに煙草を入れたのは自分だ』と、そして指示した犯人の名を告げた。お前の名前だった。
退部して何も残っていない俺はそれを聞いても、他人事だったよ。今更何を言うんだとね。結果はもう変わらない。俺には罪だけが残った。後は無事卒業し、進学するだけだ。
でもな、これだけは聞いても良いかと思い直したんだ。
何故こんな事をしたんだ」
後輩は俺を見ない。それでも俺は真っ直ぐ見つめる。
しばらく無言が続いた。後輩は目を瞑りながら話し始めた。
「俺はあんたが嫌いだ。年齢が上というだけで偉そうにしていて、いざ試合になったら負けるあんたが。他の奴らは優しい先輩だとか何とか言っているが、はっきり言って実力は俺の方が上だ。そんな奴が大会に出たところで意味がない。先生は最後の大会だからとあんたを出させようとしていたんだ。他校との練習試合に何度も勝っている俺を除け者にしてまで。
こんなバカな事があるか。練習試合でも勝てないあんたを大会に出すだと。
勝負は結果が大事だ。俺は結果を出している。ただ最後だからと言って出させてもらおうだなんて、虫が良すぎる。辞退すべきなんだ。
勝ってこそが大会だ。実力のない奴は必要ない。だから、俺は同じ1年に指示を出した。どうせあいつも同じ、大した実力が無い。もしバレても俺には関係ない、ただの捨て駒だ。俺に飛び火が来るようならへまはしない。
そうして俺は大会で結果を残しチームは喜んだ。ほら、大正解じゃないか」
そこではじめて後輩は、俺を見た。感情が爆発したせいだろうか涙が出ていた。
後輩の熱い思いが俺に流れ込んできた。こいつは剣道に対して本気なんだ。特に勝負に対してのこだわりが人一倍大きいのではないか。
では、自分はどうだろうか。俺も真剣に取り組んでいた。毎日欠かさず自主トレーニングに励み、他校の練習試合をしては研鑽を積んできた。
剣道初心者の部員には竹刀の扱い方、道具の手入れ、部室の清掃、剣道の歴史。様々な細かい事を丁寧に教育してきたつもりだ。
しかし、勝負に関しては勝つ事を目的としていなかった。自分が納得のいく試合運びができたかという、己との闘いを意識していた。剣道を通して心身共に鍛えるのが目的であり、試合に勝利する事を求めていなかった。ここが決定的に違っていた。
思想、価値観の違い。お互いの主義をもっと主張し合えば結果は変わっていたかもしれない。それももう遅かった。
「その言葉を今ではなく、もっと早く聞けたなら良かったのにな。これも俺の実力が足りなかったせいなのか」
俺は後輩を一人残して部室を出ようとする。
「俺は後悔していませんよ」
後ろから声が聞こえる。
「当たり前だ。もし、ちょっとでも後悔してみろ。今度はお前が退部する番だ」』
『声』
『失って初めて気付く大切なものがたくさんあります。
その中でも私は大切な人を失いました。いつも優しく迎え入れて傍にいてくれた存在。その人はもういません。
私は両親を交通事故で亡くしたのです。その日の事は一生忘れないでしょう。当時の私は何が起きたのか全く分かりませんでした。現実を受け入れる事ができませんでした。
事故当日は、よく晴れた、昼過ぎでした。父と母は車に乗り買い物に出掛けました。行き先は自宅から10分、いつも行くスーパーに向かったのです。私は留守番をしました。見たいテレビ番組があったのです。
「行ってきます」行ってらっしゃい」
普段通り3人は挨拶をする。これが家族揃っての最後の会話でした。
ずっとテレビを見ていた私の元に電話が鳴りました。受話器を取ると男性の声でした。名前は佐山と名乗りました。父と同じ会社で働いている同僚だと私に応えました。何事かと用件を伺っても電話越しでも分かるぐらいに緊張していたようです。息を整えるように、深呼吸をして相手は話をしました。
「よく聞いて下さい。貴方のお父さんが交通事故に遭いました」
耳を疑いました。言葉は分かるのによく理解できませんでした。私の反応を待たずに話を続け、状態は非常に良くないとだけ伝え、病院の場所を教えてくれました。
私は飛び出すように家を出て、すぐに向かいました。
病院に着いてすぐ、受付で先程電話をしてくれた佐山さんに会うことができました。
沈痛な面持ちで佐山さんは私を見て、ゆっくりと話してくれました。
「嘘をついても仕方がないから正直に話をします。辛いだろうけど聞いてください。さっきも言いましたが、ご両親の状態は良くないです。現在、緊急手術を行っています。が、どうなるかは分かりません
先程、警察の方から事故の状況を少し聞きました。どうやらご両親は、スーパーの帰り、駐車場から国道に出る所だったようです。そこへ猛スピードに突っ込んできた車に衝突。避ける暇もなく相手側の車とご両親の車は運転席、助手席共に潰れていたそうです。相手はその場で死亡が確認されたという話です。ご両親の方は生きているのが不思議なくらいだと・・・」
そんな、どうして・・・。さっき、ほんの少し前に話したのに・・・。
頭の中がぐちゃぐちゃになって何も考えられませんでした。あまりにも信じられない状況に現実感が無く、感情が沸き上がることもなく。ただ茫然としていました。
手術室前の椅子に座るよう勧められ一緒に座り、目の前の時計をずっと見つめていました。カチカチと針が動いているのをただただずっと見続けていました。
焦燥しきっている私の様子をしばらく見ていた佐山さんは、申し訳なさそうに聞いてきました。
「・・・親族、親戚の方とか誰か連絡先を知りませんか。できれば連絡をしないと」
時計を見つめたまま、頭を横に振りました。「そうか」と男性は小さく呟きました。
手術からどのくらい経ったのかよく覚えていません。いつの間にか医師や看護師が手術室から出て来て佐山さんが呼ばれ何か話をしていました。話の内容は聞こえませんでしたが「ありがとうございました」と最後にお礼をしていたのを覚えています。
俯き、こちらに向かって来た佐山さんは私の顔をしっかりと見て父と母が亡くなった事を教えてくれました。
その後の事はあまり覚えていません。遺族である私には他に頼れる親族はいませんでした。その為、佐山さんが代理人となっていろいろと手続きをしてくれました。
あっという間に日が経ち葬儀を行い、全てが終わると自分は佐山さんの家にいました。
そして、とある事に私は気が付きました。両親に「いってらっしゃい」と言ったきり声を発していませんでした。どうしてか喋ることがいつの間にかできなくなっていたのです。それを伝えようにも声が出ません。
異変を感じた佐山さんはすぐに病院に連れていきました。医師は強いストレスによる失声症だと診断しました。まずはゆっくり休み、心の整理をしていく事が大事だと言っていました。
私の精神は相当参っていたようです。佐山さんはひどく心配していましたが、私はどこか他人事で、生きている事自体が何だか不思議に思えていました。家族がいないのにどうして私はいるのだろうと、自暴自棄になっていたのかもしれません。
両親が亡くなり1週間。私は佐山さんの家に住んでいました。
住み憑いていたと言った方がいいのかもしれません。私は家にいてもただ部屋の時計をぼんやりと眺めるだけでしたから。佐山さんはそんな私を何も言わず面倒を見てくれていました。
平日は仕事があるにも関わらず、自分と私の分の朝昼の2食を用意して仕事に行き。帰宅しては晩御飯の用意。
休日には掃除や洗濯をしたり身の回りの事、全てを佐山さんはやってくれました。
それから1週間後、佐山さんのおかげからか、精神的に落ち着いたからでしょうか。徐々に回復し身体を動かせるようになりました。
声を出すことは相変わらずできないものの佐山さんの代わりに食事、掃除、洗濯、家事全般はできるほど気力が戻っていました。
人が変わったらように家事をこなす私を初めて見た佐山さんは驚き、家を間違えたかと思ったそうです。両親を失っても衣食住問題なく生活できる環境があるのも佐山さんのおかげです。少しは役に立ちたかったんです。
しかし、そこで疑問に思いました。どうして他人の私にここまでよくしてくれているのかと。声に出して直接話せれば良かったのですが声が出ません。ではどうしたらいいものかと悩んでいました。
ふと、学校で流行っているある事を思い出しました。
それは『読めない手紙』です。その手紙は辛い事、苦しい事、悩み事。多くの事を叶えてくれるというジンクスがありました。
手紙の内容は一文『この手紙は読むことができません』
受け取った人は読んでも意味が分かりません。ですから当然、差出人は声に出し内容を伝えるのです。何故こんなに回りくどい事をするのかと言えば、この手紙は声を出させる為の『勇気』をくれると図書新聞に書いていました。
手段は筆談という手もあったんですが、実を言うとこの手紙を私は持っていました。だから思い出すことができたんです。なんとなく流行りだからと手にしたいいものの特に使う気は無かった物でカバンに眠っていました。
それに今のままでは良くないと感じていました。声を出したかった。自分の声を聞いて欲しかったんです。
そして、仕事帰りの佐山さんに『読めない手紙』を渡しました。
渡されて中身を読んでも佐山さんにはさっぱり分かりません。当たり前です。
「これはどう言うものなんでしょう。説明してもらえますか」
私は声を出そうと必死でした。ですが、うめき声のような音しかでません。声を発する方法を忘れてしまったかのようにうまく発音をする事ができません。何度も何度も試します。それを見て佐山さんは真剣な目で私を見守ってくれています。
期待に応えたい。しかし、声は出ない。こんなにも難しい事だったのか。ヒューヒューと口から漏れる音が聞こえる。
いつも話をするのは佐山さんからで、それに対して頷いたり頭を横に振るだけの自分でした。それが初めて自分から発信をしようと試みています。上手くできなくても良い、ただ何か少しでも伝えられれば、それで良かった。
微かに声が出る。聞こえるか聞こえないか、耳をすましても届くかどうかの声。かすれて空気が鳴っただけの声。
佐山さんは真剣に聞いてくれていた。
「どう、してそんなに、優しい、・・・ですか」
どうしてそんなに優しいんですか。おそらくは全部聞こえなかったでしょう。それでも精一杯の声を出した。喉がじんじんと痛む。額から変な汗が出ていた。
「初めて声を聞いたよ。ありがとう」
届いた。自分の声が届いた。自在に喋っていた頃は特別何も感じていなかったのに、今は言葉を伝える事ができてとても嬉しかった。
佐山さんは懐かしむように自分の事を語り始めた。
物心つく前から孤児院にいたため実の両親を知らない事。学校卒業後すぐに上京し今の会社に就職。仕事で悩んでいた時に、私の父に初めて会いお世話になった事。
それからはずっと父と一緒に働き、佐山さんが孤児院出だと知った父は、上司部下との関係とは別に本当の子供のように接し、優しく、時には厳しく育ててくれた。それが5年間続いていたと感謝をした。そんな父を、両親を失った私を見て放っておける訳が無かった。恩を返す思いでこの3週間を過ごしていたんだよと優しい声で締めくくった。
佐山さんの話を聞き私は目から大粒の涙を流していた。両親が死んだ事を知らされても涙が出なかった自分が。3週間死んでいた感情が息を吹き返したかのように、パタパタと涙が零れ床を濡らした。両親の顔が浮かび、父と佐山さんの愛情を知り心が震えた。
また声にならない声が発せられる。感情が膨れ上がり喉が震える。伝えたい。今の想いを佐山さんに伝えたかった。
「ありがとう」
辛うじて出た声は聞こえたでしょうか。
翌日、病院に行き、声が出た事に医師は喜んだものの、しばらく発声をしていないのに無理やり出して喉を傷めたり、返って声帯をおかしくしてしまう恐れがあるので注意を受けた。
今、私はきちんとリハビリを受けながら学校に通っている。今は声を出すのを控えるように言われていますが、きちんとリハビリを行えば以前のように話す事ができるようです。その時はきちんとお礼がしたいです。
ありがとうございます』