どうもありがとう
どうもありがとう
言われたことのある人にはわかるでしょう。
たった8文字。すごく短い。
でも、すごく嬉しい言葉。
笑顔で言われたら、照れてしまう人もいるでしょうね。
辛い時に言われたら、泣いてしまう人もいるでしょうね。
感謝を伝える言葉として、たぶん、一番、人の心に届く言葉。
ありがとう。より、ありがとうございます。より、感謝申し上げます。より、
心に届く。私はそう思う。
礼儀や、節度で、畏まった挨拶をする必要がある場面には適さないけれど、
人に感謝する気持ちが、一番伝わるのは、飾りのないこの8文字だと、
私は思う。
けれど、いざ言おうとすると、
恥ずかしくて言えない。
どうも。とか、ただ、ありがとう。とかになってしまう。
3文字と5文字に分ければ、割と言えるのに、8文字にすると、
途端に、なぜか、気恥ずかしさに負けてしまう。
とある老婦人に、どうもありがとう。と言われ、感動したことがある。
ただ、扉を開けてあげただけなのに、その老婦人は、とても素敵な表情で、
ごく自然に、どうもありがとう。とお礼をしてくれた。年下の私に。
なんて素敵な、言葉を、ごく自然に発するのだろうと。
こういうのが、素敵な人物というのだろうなと、感動し、
以来、そんな人物になりたいと思い、心がけていても、恥ずかしさに負ける。
言われた嬉しさを知っているのだから、こちらから、誰かに言ってあげたい。
そんなことも思うのに、出てこない。まだまだ、あの老婦人には届かない。
こうやって、入力するのは簡単なのに、声に出して誰かに伝えるのは、
やはり、恥ずかしさがある。
理由を考えてみたことがある。
自信がないから、恥ずかしいのかもしれない。
だから、何か飾ったり、隠したりしないと言えないのか。と
素直じゃないから、恥ずかしいのかもしれない。
だから、ごまかすように、ございます。をつけたり、短くしたり。
で、行き着いたのは、感謝の気持ちだけで言っていないから、
恥ずかしいのだということ。
感謝の言葉を言いつつ、そんな自分を見ているからだろう。
どんな風に受け取られるか、印象は、とか思うから言えない。
それが、私の分析。
あの老婦人はきっと、そんなことを考えずに、お礼を言うことだけを
考えていたのだろう。
だから、感謝の気持ちだけが籠った言葉が、私に届いた。
ちょっと恥ずかしかった。
打算で感謝の言葉を発していた自分が、恥ずかしかった。
いつかは、感謝の気持ちだけで、言えるようになりたい。
心の底から、どうもありがとう。と。
あの素敵な老婦人のように。
子供の言う、どうもありがとう。
純粋で、眩しさすら感じる。あの純粋さが、眩しさの理由だとしたら、
やっぱり、大人になって、不純物が混じった言葉を話しているのだろう。
だとすると、自分がどう見られているか、という考えは不純物と言えるのか。
気持ちを伝える時に、自分がどう見られるか、どう思われるか、というのは、
誰しも気になるもの。だと私は思う。
けれど、伝えたいという思いだけで、
行動している時には、不純物が混じらない。
感謝だけでなく、好き、嫌い、怒り、喜び。
伝える事だけの状態になった時の言葉には、気持ちが籠る。
こんな書き殴った文章を読んでくれている人がいると想像すると、
心の底から感謝の気持ちを伝えたくなる。
今、あなたが、私の目の前にいるならば、
間違いなく、恥ずかしがらずに言える。
どうもありがとう。