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雪の中に生命を埋める

作者: カルムナ

ストーリーも無ければオチも無い



今日は雪だ。明日もきっと雪だろう。明後日も、明々後日も。本当に雪が降るかなんて興味はない。この不変の世界に明日なんていらない。


冬の冷たく乾いた空気が素肌に触れ、自然と身が縮こまる。まだ本能的に死を避けようとする反応が残っていたことに苛立ちを覚えながらも、素足で雪を踏んだ。このままではきっと凍傷にでもなって、暫くの間歩くのが大変になるに違いない。だが、今歩ければ今後のことなんてどうでもいい話だ。雪の美しさは、きっと私の醜い足も白く染め上げてくれるに違いない。


震える吐息が熱を奪い、生命の香りを漂わせて消えた。雪はすぐに生命を消し去ってしまう。熱い血肉を凍らせ、腐食すら許さずに白い牢獄に閉じ込めるのだ。微生物が体を自然の輪廻に戻すこともできないから、死体は冬が過ぎ去るまで完全に消え去ることもできない。生きることもかなわず、新しい生命に活力を与えることもできずにただそこに存在するだけだ。


そもそも私は生きるということ自体気に食わなかった。きっかけは、俗にいう第二次性徴が顕著に表れてからだ。胸は膨らみ、生理は始まり、全身に脂肪がまとわりつくようになった。身体的変化だけであれば、最初は気にならなかった。しかし、変化とともに周りの人間の精神も変貌していくのを私は感じ取ることができた。あの子が気になる、キスしたいだとか、男女の差がどんどん大きくなり、いつの間にか超えられない壁が間にできてしまった。小学生の時のように限りなく性を持たない無所属な存在ではなく、自然と自分の所属が決まって固定されていく。その中で、私だけいつまでも精神は子供のままであった。


小学生のころは、近所の同い年の男の子と虫取りをして遊ぶのが好きだった。中学に上がっても、私はその子を仲のいい友達だと思っていたから、よく学校帰りに遊びに行った。ゲーセンでお金を無駄にしたり、カラオケに行って流行りの曲を何度もリピートした。彼のことは気に入ってたし、事実彼も私を気に入っていた。しかし、彼と私の間には決定的な差があったのだ。


「ずっと好きだった、付き合ってください。」

頬を赤く染めた彼を見て、私は目の前が真っ暗になった。同時に、心の中で何処かわかっていたことを、再認識させられた。彼は、私に恋をしていた。差し出された少し骨ばった手を見て、彼がいつの間にか成長していたことを察した。子供のころなんて、そんなこと気にしていなかった。ただ純粋な仲間で、一緒に時を過ごせればその関係に名前なんていらなかった。彼と私の心が、理性が作り出した心地よさであった。それがこの瞬間、「恋愛」という人間の薄汚い本能によって汚されてしまったように感じられた。生を生み出した性という名のカテゴリーが彼を蝕み、私へと襲い掛かってきた。


気が付けば私は涙を流しながら彼に謝り、そこから逃げ出していた。彼は私が気付かないうちに遠くへ行ってしまった。いや、彼だけじゃない。既に私以外のすべてが変わっていた。私だけがいつまでも子供でいるだけだ。わがままな子供でしかなかった。


それから私は自分自身の変化を拒むようになった。変化は生命の源であり存続の必要条件である。故に、私は生きるということ自体を自分から可能な限り遠ざけた。

まず、食べ物を拒んだ。食と言う生物の根源を限界まで削り、生き物としての自分を否定しようとした。気が狂いそうな飢餓を耐え抜き、私の体はどんどんやせ細っていった。更に、女性ホルモンの分泌が減ったのか、当然胸の膨らみは無くなり、生理も止まった。女性特有の体つきではすっかりなくなり、これで体も小学生のような無性別へと可逆変化を遂げた。がりがりに痩せた私を家族も友達も心配したが、私にとってこれは幸福の象徴以外の何物でもなかった。年を取るとともにこの感情は過激なものとなり、「生」という物自体を嫌悪するようになった。


生きているなんて、禄でもない。食も睡眠も性も、成長も老化も、繁殖も病苦も禄でもない。生きていたくない。自分が生きている、ということ自体がおぞましい。


なぜ皆平気な顔をして生きているのだろうか。なぜ、彼らは生きていることそのものを楽しめるのだろうか。

疑問と負の感情が入り混じり、私の精神は生への否定に侵されてしまった。


「生きていること」を自覚するのはとんでもない苦痛であったが、特別死にたいと思ってはいなかった。生死を拒絶した状態でその場に存在していたかった。周りはどんどん大人になり、食事を重ねて有機物と自分の自己統合を繰り返し、体もいずれ来るだろう生命繁殖の時期へ準備を進めていたが、その中で私だけ変化は鈍重だった。それでも人は生きている限り変化するのだ。私はいつしか年齢だけ見れば大人と呼べる年齢に達していた。顔立ちも大人のものへと変わっていた。精神面だって、昔のように純粋ではいられなくなっていた。それはそうだろう、私はまだ生きていたのだから。


「あなたは自殺願望があるんですか。」

精神科の先生はそうおっしゃった。私はこれを否定した。死にたくはない、生きたくないだけだ。そう答えたら先生は難しい顔をしてそうですか、と返事をした。これは本心だ。死への恐怖はまだあった。正確にいえば、死因への恐怖かもしれない。痛みとか苦しみは好きではないから、死へ到達する前の道筋を通る勇気がなかったのだ。この時は、生きたくないという嫌悪感よりも恐怖心が勝っていたから、自殺までには至らなかったのだ。


しかし、この「死にたくない理由」はその後次第に変化していった。自発的に死ぬということ自体は、実は最も「生きていること」を実感する行為ではないだろうか。自身の生死を認識せずに自然な状態で放置するよりも、死へと自らを追い込むことは生から能動的に大きく変化することである。自殺は生を否定する行為ではなく、むしろ肯定する行為ではないかと、最近は考え始めた。だからこそ、私は自殺を絶対にしないと心に誓った。


ただ、どうやら生物は常に生か死かの二択しかないらしい。どちらでもない、あるいは二つ重なった状態というのはシュレディンガーの猫にしか許されない芸当らしく、私が生を嫌う以上、死ななければいけないことは確実だ。現代社会というのは実に死を遠ざける傾向があるらしく、自殺にせよ他の死因にせよ死ぬのは良くないことだと皆口をそろえて言う。もう逝かせてほしい老人すら莫大なお金をかけて延命するこの社会で、私が死ぬのはとてつもなく難易度が高い。生死のサイクルの根源的な否定をしておきながら、生命の大切さを語るのは卑怯ではないのか。そんな不満も、口には出ずに封殺された。


だからこそ雪は、私にとって救いに見えた。天から白い天使が舞い降りる様は美しく、すべての生き物を天界へと誘うように見えた。私はそれに魅入られたように、自らそれを望んだ。氷が融けるまで変化を嫌うように、私を不変の世界に閉じ込めてくれるように感じられたのだ。天候が変われば太陽が差して雪が融けるが、雪の中でのあの時間は不変の世界であり、私の桃源郷であった。


魅了されて以来、私は雪が降るたびに薄着で外に出た。雪で閉ざされた凍える世界に身を任し、生死を舞い降りる天使たちに任せるのだ。私自身に選択権はなく、この瞬間だけは生きても死んでもいない。こんな閉じた世界では他の生物も私に関与せず、有機物の観測者が存在しないのは、私にとって自身の生の有無を忘れる好条件であった。しばらくしても死ななければ、今日は死に縁がなかったと考え、帰路についた。また雪が降ったら同じことをしようを考えながら、再び「生きかえって」温かい布団で眠るのだ。


家族にも友達にもこの趣味を話すつもりはなく、恐らく彼らは私の死体を前にして初めて気づくことになるだろう。お世話になった人間を悲しませるのは不本意ではあるが、私の生死観はきっと話しても理解されない。それよりも、やさしい彼らによって引き留められることで、自分が生きていると実感することが怖いのだ。自分はろくでもない人間であるが、自覚したところでもう引き返せないほどに来てしまったのだ。


いずれ私は死に至るだろう。自殺ではなく、他殺でもなく、無機物の意思決定によっていとも簡単に生命の灯を吹き消されるだろう。そうして私は生を実感することなく眠るように生きることを辞められる。それは今日か明日かもしれないし、うっかり生き残って来年になるかもしれない。それでも、雪の中にいる間は少なくとも生きてはいないのだ。


今日も私は外に出る。雪が歓迎するように空中で舞い踊り、私の髪に絡まった。体の震えが止まらないのは癪だが、いつか止まるときが来るだろう。今日死ぬかもしれない。死なないかもしれない。しかし、それがいつになったって構わない。雪が瞼に乗り、視界を邪魔するが、それももう気にならない。見えていようがいまいが、どちらでも私には関係のない話だ。誰もいない薄暗い路地で、柔らかい白絨毯を踏みしめながら、頭を低温へと浸した。何も考えなくていい。生命への嫌悪から解放された自由を全身の冷たさで感じ取りながら、ゆっくり歩みを進めた。


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