3-2
夜の町は静かだった。人通りは少なく、外灯の照明がひっそりと道を照らしていた。
キョウヤは特に目的もなく、町を散策する。
「外に出たのはいいが、これといってやることがないな。宿のロビーで時間でも潰しておくか」
キョウヤが宿屋に戻ろうとしたとき、視界の端に見覚えのある幼女の姿が映った。昼間、広場で揉め事を起こしていた魔女と呼ばれていた女の子だ。
魔女は道を途中で曲がり、暗い路地へ進む。まるで、人目を避けるかのようにわざと暗い道を選んでいるようだった。
広場で見せられた魔女の魔術は高等なものだった。もしかしたら、魔術に詳しい魔女ならば、キョウヤにかけられたブレスレットの封印を解くことができるかもしれない。
キョウヤはそんなわずかな期待を胸に魔女の後を追った。
魔女が進んだ暗がりの路地へ足を踏み込んだが、既に魔女の姿はなかった。慌てて、次の曲がり角まで走ってみたが、魔女の姿はどこにもなかった。
「見失ったか。少し冷えてきたか。そろそろ宿に戻るか」
宿屋に戻ろうとキョウヤが後ろを振り返ると、そこには探していた小さな魔女がいた。
「なんじゃ、お主、妾を探しておったのか?」
魔女の見た目は子どもだが、立ち振舞は堂々と落ち着いていた。とても子どものようには見えなかった。まるで、何か強力な力を秘めた者が子どもの姿をしているかのようだった。
魔女が子どもの姿をしているからといって、キョウヤは油断をしない。
「人目を避けるように暗い道を選んで、人に見つかりたくなかったのかよ」
「ふむ、まぁよいじゃろう。妾を助けてくれた恩もあるしな」
魔女が虚空から杖を取り出した。柄を地面に突き立てると、地面に魔法陣が展開される。
「そう身構えんでもよい。ただ、場所を移すだけじゃ」
キョウヤの周りを光の粒子が漂っていたと思ったら、一際強い光が発せられ、視界が真っ白になる。
目を開けると、そこは森の中だった。ちょうど、キョウヤがアリシアを助けるために炎を振るった場所だった。むき出しの地面を囲むように森が広がっていた。
魔女がふぅと息を吐いた。
「また、鬼にでも見つかったら、面倒なことになるからの。そういえば、自己紹介がまだじゃったな。妾は魔女のクローディア。クローディア・イストワールじゃ。気安くクロと呼んでくれていい。よろしく頼むのじゃ」
「俺は、キョウヤだ。こちらこそ」
キョウヤはクロと握手を交わした。
クロはうむ、と頷いた。
「ところで、どうしてお主は、妾を見て、ニヤニヤしているのじゃ? もしかして、ロリコンか?」
「ち、違う。そんな話し方をしているクロが悪いんじゃないか」
「む?」
クロが首を傾げる。
「――というと?」
「こんなに小さいのに、大人みたいな喋り方をして、大人ぶっているからだ」
キョウヤはクロの頭の上に手を置いて、優しく髪を撫でた。
「こんな夜遅くに一人で出歩いて、お母さんやお父さんに怒られるぞ」
「なっ……………………」
クロは顔を耳まで真っ赤にして声を荒らげた。
「妾を子ども扱いするでないっ! 妾は三〇〇歳じゃ! お主の何倍も生きているのじゃ!」
「はいはい。そうやって意地を張るところがまさに、お子様って感じだな」
「だ、か、ら、妾はお子様じゃない!」
クロは涙目になって反論していた。このままキョウヤが頭を撫でていたら、本当に泣き出しそうだったので、クロの頭から手をどかした。
「で、本当は何歳だ? 冗談を言うにしても三〇〇歳は笑えないな」
「魔力と寿命の関係も知らないのか! 妾は強大な魔力を持つ故に、長寿なのじゃ」
「えっ? マジで?」
「マジじゃ」
クロが嘘を言っているようには見えない。キョウヤは世界のことを知らないことを改めて思い知らされた。
この世界の三柱の神――トリニティについても今日、アリシアに教えてもらったばかりだった。
「その見た目で三〇〇歳ってことは、魔女は皆、ロリなのか?」
「違うのじゃ! 妾だって、好き好んでこのような姿をしているわけではない。本来だったら、ボン、キュン、ボンのセクシーなボディーで、お主など悩殺してくれるのじゃ!」
キョウヤは脳内で、ボン、キュン、ボンのクロを想像したが、子供のクロが背伸びをしている姿しか想像できず、思わず吹き出して笑った。
「お主、何か失礼な想像をしているじゃろ。やめろおおおおおおおおおおおっー」
クロが立ち上がって絶叫していた。キョウヤのことを杖で殴ってくる。結構強めだった。クロがあっと声を漏らすと、何事もなかったかのように、冷静さを取り戻した。
「いかんいかん。お主のペースにはめられるところじゃった。小僧のお主の戯言も許してあげるのが大人の対応というものだ」
「そういえば、薬、ありがとうな。おかげでアリシアの体調がよくなったよ」
「薬? ああ、妾が渡した秘薬のことか。失った魔力を補充する薬じゃったが、巫女にも効いてなによりじゃ。その礼を言うだけに妾を探していたわけじゃないじゃろ?」
「ああ、実はお願いがあって、このブレスレットを解除して欲しいんだ。できるか?」
「妾を誰だと思っている? 魔神の魔力を継承した偉大なる魔女なのじゃ。見せてみるのじゃ」
キョウヤは左手に絡みついた鎖の封印を見せる。
クロが興味深そうな目つきになり、キョウヤの左手を引き寄せた。
「むむむ、これは……………………」
「解けそうか?」
「お主、これを一体どこで?」
「これは、事故でかけられた封印の片割れだ。実は、俺、アリシアに召喚されたんだ。まぁ、その召喚もアリシアの意図したものじゃなかったみたいだけどな。アリシアは邪神を呼び出す儀式を行っていて、それが失敗した影響で、封印は二つに分断された。もう片方は元々の持ち主であるアリシアにかけられている。なんでも邪神の力を封印するブレスレットみたいだ」
「見たところ、魔術を封じたり、身体能力を封じるものではないようじゃ。お主が言うように、邪神の力を封じる封印やもしれない。じゃが、そのような封印を何故、あんな若い巫女が持っていたのじゃ? 本当に邪神の力を制限できるほどの封印があるならば、世界を救う希望。厳重に管理されているはずじゃ」
「そう言われると、そうかもな」
「それにじゃ。邪神を召喚するなんてできるわけがない。邪神は三柱の神――トリニティによって封じられたのじゃ。女神は邪神の器を。鬼神は邪神の心を。魔神は邪神の力を。邪神の封印が解けるとしたら、三柱の神――トリニティが倒された時じゃ。《混沌》が溢れ出し、邪神の封印に綻びが生じているのかしれぬが、そう簡単に封印が解けるわけがない。それも、たった一人の小娘が邪神を復活させるなどあり得ない話じゃ」
「確かに……………………」
「その巫女には気をつけたほうがいい。もしかしたら、お主は騙されているのやもしれない」
「アリシアが俺を騙している?」
アリシアが森で一人立ち去るとき、キョウヤに見せた涙は本物だった。演技ではない。心から溢れ出した感情が涙となって現れたのだ。キョウヤは確かにこの目で見た。
アリシアが世界を救いたいと思う気持ちに嘘はないと思った。しかし、心の奥で何かが引っかかっていた。
何故、アリシアは邪神復活を一人で防ごうとしているのだろうか。
女神・鬼神・魔神の三大勢力はそれぞれ仲が悪いかもしれないが、邪神は共通の敵。互いに協力はしなくても、それぞれが邪神復活阻止に向けて動くだろう。
アリシアが協力を求めれば、一人ぐらい協力してくれる人もいるだろう。それとも、他人と協力できない理由があるのだろうか。
クロが言うようにアリシアは何かをキョウヤに隠しているのかもしれない。宿に戻ったらそれとなく、キョウヤは探ってみようと決めた。
クロがキョウヤの左手から手を放した。どうやら、封印の観察結果が出たようだ。
「うむ、これは、なかなか複雑な封印のようじゃ。おそらく、妾の魔術で傷つけることもできないじゃろ」
「そうか、やっぱりダメか」
邪神を封印するようなブレスレットがそう簡単に解除できるはずがなかった。
キョウヤは急にやる気をなくした。
「ありがとうな。封印が解除できるか調べてくれて」
「礼など不要じゃ。それより………………」
クロの目つきが鋭くなる。
「《黄昏》について何か知っているか?」
「たそがれ? なんだ、それ?」
「《黄昏》は世界に終焉をもたらす存在。探しておるのじゃが、知らぬならよい」
「探して、どうするんだ?」
「そんなの、決まっているじゃろ」
クロが感情のこもっていない無色の声で言った。
「――滅ぼす。この世界から邪神の力は全て消し去らなければならない。おそらく、邪神復活の鍵となるのが《黄昏》の存在じゃ。《黄昏》をすべて滅ぼせば、邪神復活は阻止されるじゃろ」
「邪神復活を止める方法にそんな方法があったんだな…………」
キョウヤの脳裏にふと疑問が浮かんだ。
何故、アリシアは邪神復活を阻止するために、《黄昏》を滅ぼす選択肢ではなく、邪神を再封印する選択肢を選んだのだろう。
アリシアが《黄昏》の存在を知らない可能性はある。それに、レーギャルンを使って邪神を封じるつもりなら、一回限りの手だ。
何体いるかわからない《黄昏》相手には使えない手なのかもしれない。
キョウヤの思考を遮るようにクロが話しかけてきた。
「ところで、お主の望みを聞いたのじゃ。妾の望みも聞いてくれてよいのではないか?」
「そうだな。アリシアを薬で助けてもらった恩もあるし、俺にできることなら言ってくれ。できる限りで応える」
「では、魔術比べを申し込むのじゃ」
「魔術比べ?」
「うむ、互いに魔術を繰り出し、最後まで立っていた方が勝ちじゃ。ただし、物理攻撃は禁止じゃ。ルールは簡単じゃろ。なーに、負けたとしても妾は何も要求しない。魔術を磨くことが目的の遊びじゃ」
クロが口元をニヤリと歪めた。
「お主、相当な魔力を持っているな。それも、常人の域を超えている。じゃが、妾には遠く及ばないが」
キョウヤは頭にカチンときた。
「いいぜ。その勝負、受けて立つ。やる前からもう勝ったみたいな発言が気になるな。負けたときの言い訳を考えておくんだな」
「不要じゃ。魔神の魔力を継承した魔女が魔術比べで、魔女以外に負けることはないのじゃ」
クロは転移魔術でキョウヤから距離をとった。
「お主ほどの魔力なら妾と少しはいい勝負ができるやもしれない。せいぜい妾を驚かせてみるがよいのじゃ。先行はくれてやる。ちなみに、妾は手加減などしない。妾を一撃で倒すか、もしくは、妾の魔術を防御できれば、お主の勝ちとしよう」
「言ってくれるじゃないか。じゃあ、目にものを見せてやるよ!」
キョウヤは虚空から大剣――レーヴァテインを出現させると、柄を握った。気温が一気に上昇したかのような豪炎が大剣から吹き出す。
クロは平然としていた。驚くこともなければ、防御の準備もせず、ただ見ていた。
キョウヤは小さな子どもになめられているようで、気に食わなかった。
大剣を頭上に掲げると、炎が巻き上げられ、巨大な火柱が上がる。
「どうだ。これでも、その余裕面を保っていられるか?」
「まぁまぁ、じゃな。妾の準備はできている。いつでも好きなときに攻撃してくるがよい」
「くっ、怪我してもしらないからなっ!」
キョウヤはレーヴァテインを勢いよくクロ目掛けて振り下ろした。
「――燃やし尽くせ! 燃え盛る炎の大地!」
灼熱の炎がクロを包み込んだ。容赦のない炎の猛威が地面を焼いた。茶色の地面にマグマが溜まり、真っ赤に染まっていた。
「やべっ、やり過ぎた。クロの挑発に乗って、本気で炎を放ってしまった。助けに行かないと…………ん?」
キョウヤがクロに向かって足を踏み出したとき、シャリと何かが砕けるような音がした。足をどかすと、砕けた氷の欠片があった。
「氷? 炎で水すら蒸発したというのに、どうして、地面に氷が……」
急に寒気を感じた。辺りを見ると、霧に覆われていた。さっきまで轟々と燃えていた炎は跡形もなく消え、煙が立ち上っていた。
霧の向こうから笑い声が聞こえた。
「素晴らしいのじゃ! さすが、それだけの魔力を持つだけはある」
霧が晴れた向こう側に巨大な氷の壁があった。それが砕けると、中からクロが姿を現した。
クロは無傷だった。服にはすすの一つすらついていなかった。
「予想以上じゃ。楽しかったのじゃ、キョーヤ」
地面が凍結をしている。氷の結晶が地面に花を咲かせているようだった。次々と氷の花が咲き始め、地面が氷で覆い尽くされていく。
キョウヤの足元も凍っており、キョウヤは足を動かすことができなかった。
クロが杖を天高く掲げた。月明かりを受けて、空気中を漂う氷の結晶が光を反射し、宝石のようにキラキラとした輝きが世界に満ちていた。
「――時をも凍てつけ! 時間停止の絶対零度!」