4-6
店が炎で燃え尽きた。店の面影はなく、黒く焼け焦げた木片が転がっていた。
キョウヤは十数分前までカフェだった店の残骸を見て、頭を掻いた。
「サクラとの勝負には勝ったが、ちょっと、やり過ぎたか?」
サクラに負けたくない一心で魔術を使い、店に火をつけてしまった。サクラが降参すれば、半焼で済んでいたかもしれないが、終わったことを嘆いても仕方がない。
「さっさと、封印の解除方法を訊いて立ち去るか」
キョウヤの後ろから慌ててかけてくる足音が聞こえてきた。
「神官様、アイツです。ワシの店を燃やした犯人は!」
店の主人らしき男と高貴な白い服を着た神官が現れた。
「放火犯はあなたですか……って、あなた様は………………」
神官の少女は地面に転がったサクラを踏みつけて、キョウヤの元へ一直線でやってきた。踏みつけたサクラのことなど視界に入っていないようだ。
「また、会えましたね。これも女神のお導きですね」
マリアはにっこりと笑顔であいさつをしてきた。
マリアは胸の前で手をもじもじとさせる。恋する乙女のようだった。
「あの、お名前を訊いてもいいですか?」
「そういえば、まだ名乗っていなかったな。俺は、キョウヤだ」
「キョウヤ…………キョウヤ様…………なんとも素晴らしいお名前ですね」
マリアがキョウヤの手をとって、両手で包み込んだ。
「ああ、なんとたくましくて立派な手なんでしょう。キョウヤ様の暖かさを感じます。マリアは幸せです」
「ああ、うっとうしい。離れろ!」
キョウヤは無理やりマリアを遠ざけた。
マリアは赤らんだ頬に手を当てた。
「いやぁん。キョウヤ様の照れ屋。でも、ちょっと、乱暴なところも好きです」
マリアは目を閉じ、妄想の世界に浸っていた。
マリアの後ろから店主が怒鳴り声を上げた。
「おい、少年。何をやったかわかっているんだろうな。店を弁償しろ!」
「悪いな。俺は店を燃やしてない。厨房で火の扱いを間違えたんじゃないか」
店主がキョウヤに向かって人差し指を向けた。
「とぼけるのか。いいだろう。どちらにせよ、オマエは捕らえられ、借金を返すために死ぬまで働くことになるのだからな……って、痛たたたたっ!」
店主がキョウヤに向けていた人差し指を、マリアが握った。店主の指があらぬ方向に曲げられている。
「あれ? 幻聴でしょうか? キョウヤ様をオマエ呼ばわりするとは、あなたは一体、何様のつもりですか? それに、この指は誰に向けられているのでしょうか?」
「痛いです。神官様。見たんです。この少年が手のひらから炎を出したところを」
「そうですか…………」
マリアは店主の指から手を放した。店主が地面に膝をつき、指を痛そうに押さえる。
店主の前にドサッと音を立てて、布袋が落ちた。店主が中身を確認すると、中には金色に輝く硬貨があった。
「こ、これは…………?」
「店の建設費用です。それだけあれば、立派なお店が建てられるでしょう。店の老朽化が火災の原因であったようです。ガスが漏れて、引火したのでしょう。」
「いやぁ…………店は一ヶ月前に、オープンしたばかりなのだが…………」
マリアがキッと睨むと、店主が顔色を変えた。
「あはははは、そうですね。お店が建設されてから一ヶ月も経っていたから、古くなっていたかもしれませんね。これで失礼します」
「ええ、新しいカフェがオープンしたら、寄らせてもらいますね」
「そのときは、是非…………教会を敵に回したらどうなることか、考えただけでも恐ろしい」
店主は背中を向けて去っていった。
どうやら、マリアがお金の力で問題を解決してくれたようだ。マリアの真意はわからないが、キョウヤは一応、マリアに感謝した。
「ありがとうな。おかげで助かったよ」
「いえいえ、当然のことをしただけです。困っている人間を助けることが神官の仕事なのですから」
当然のことをしたと言っている割に、マリアは鼻を高くし、胸を張っていた。どやっと、でも言いたげな表情であった。
「でも、キョウヤ様がどうしてもお礼がしたいというならば、ここにお願いします」
マリアが唇を指した。目を閉じて祈るように手を組んだ。
マリアの後ろに眩しい太陽が輝いているかのような幻影が見えた。
とはいえ、マリアのおかげで店の問題は解決された。お金の力で解決するのはどうかとも思ったが、キョウヤは言及しなかった。
キョウヤは新たな問題に直面していた。それが、マリアの登場だった。
明らかに、キョウヤに対するマリアの態度は特別だ。マリアの笑顔の裏に隠された思惑に恐れを抱く。鬼に感じた恐怖とは別の恐れだった。
キョウヤの本能がこの場から逃げることを勧めていた。
「いやぁ、本当に助かったよ。ありがとう。じゃあ、俺はこれで」
キョウヤは立ち去ろうとしたが、後ろ手をマリアにバシッと掴まれてしまった。
「せっかく、お会いできましたのに、急いでどこへ行こうとされているんですか?」
「ああ、ちょっと急ぎの用があってな。悪いな。このお礼はまた今度するから」
「急用ですか…………それは仕方ありませんね」
「そうか、わかってくれたか」
「――私もお供します」
マリアはキョウヤの腕に抱きついてきた。マリアの豊満な胸がぎゅっと押しつけられる。
キョウヤはマリアを見ていられなくなり、顔をそらした。
「なんでそうなるんだよ。神官の仕事って、人を助けることだろう。俺なんかに構っていていいのかよ」
「はい、問題ありません。なぜなら、キョウヤ様が今、一番、困っている顔をしているからです」
「オマエのせいだけどな」
「オマエ、だなんて、照れなくてもいいんですよ…………私のことは、マリアと呼んでください。もしくは、ハニーと呼んでくれてもいいんですよ」
「いや、マリアって呼ぶことにするよ」
「はっ、キョウヤ様が私の名前を呼んでくれた。女神よ。この方が運命の王子様なんですね」
マリアが天に祈るように両手を組んでいた。
どうやら、マリアは何か理由をつけてキョウヤと一緒にいたいようだ。
キョウヤにとって迷惑極まりないが、マリアを遠ざけるいい方法が思いつかない。
「――ねぇ、二人とも、私のことを忘れてない?」
腰に刀をぶら下げたサクラが無表情で立っていた。服にはマリアに踏みつけられた靴跡があった。
マリアがあっと、小さな声を漏らした。
「そういえば、忘れていました。何かを踏んだと思ったら、あなたでしたか? 今は取り込み中です。できれば、後にしていただきたいですね」
「踏んでおいて、謝りもしないとは…………」
「キョウヤ様と私の間に倒れていたあなたが悪いです」
「斬る!」
サクラが刀を抜いて、マリアの白い首筋に刃が襲いかかった。それと同時にマリアも銃を抜き、サクラの額に向けた。
両者の武器が止まった。一触即発の状況だ。どちらかが動けば、血が出るだろう。
「一体、何のマネですか? 神官である私に歯向かって、無事で済むとでも?」
「先に攻撃してきたのはそっち。そっちこそ、鬼である私に勝てると思っているの?」
「鬼…………そうですか。広場で暴れていた鬼とはあなたのことでしたか。捕まえる手間が省けて助かります」
「こっちこそ、魔女との戦いを中断する存在を消すことができて好都合」
マリアとサクラの間に火花が散っていた。
キョウヤは二人の間に止めに入った。
「待て待て、マリアもサクラも止めろ!」
マリアが拳銃を下ろした。
「キョウヤ様が言うなら、今回は見逃してあげましょう」
「そういうことなら…………」
サクラも刀を下ろし、鞘にしまった。
マリアはキョウヤの方に向き直った。
「それでは、さっきの続きをしましょう」
マリアが再び、キョウヤの腕に抱きつこうとしてきた。それをサクラが刀の鞘でマリアの手を叩き、阻止した。
「痛いじゃないですか? 鬼の分際で、キョウヤ様と私の仲を裂こうとするとは、天罰が下りますよ」
「そっちこそ、マスターを困らせて何がしたいの?」
「マスター?」
マリアが首を傾げる。
「どいういうことですか、キョウヤ様! 私というものがありながら…………」
マリアは演技で涙を流し、手で拭った。
キョウヤにとっても『マスター』は初耳だった。サクラのマスターになった記憶はない。
「待ってくれ、サクラ。いつから、俺がマスターになったんだ?」
「ん? いつって、マスターが勝負に勝ったときから。そういう条件だから」
「待てよ。そんな条件、あったか?」
「マスターが勝った場合、私の全てをあげると。つまり、私はもう、マスターの所有物」
「はぁああああああああああああああああああああああああっ!」
サクラがそのようなことを言っていた気はする。だが、そんな意味だとは思っていなかった。
「俺が望んだのは封印の解除方法を教えてもらうことだ。サクラを所有物にする気なんてない。封印の解除方法さえ、教えてくれれば、どこへでも好きなところへ行ってくれていい」
「それが、マスターの命令ならば…………」
サクラがキョウヤの腕に抱きついてきた。さっき、マリアが抱きついてきたように。
「だったら、私はここにいる」
「どういうことだよ? 好きなところへ行けばいいのに」
「ここが、マスターのいる場所が、新しい私の居場所だから」
サクラが安心したような安らかな顔をキョウヤに向けていた。そんな顔を向けられたらキョウヤは断れなかった。
「はぁ………………好きにしろ」
「うん。これから、よろしくね、マスター」
マリアがハンカチで涙を拭っていた。今度は演技ではなかった。
「ううっ、人に危害を加える鬼は抹殺するしかないと思っていましたが、そんな鬼を助けるなんて、キョウヤ様は世界の誰よりも優しいのですね。このマリア、感動いたしました。キョウヤ様に対して覚悟が足りていなかったようですね」
「それじゃあ…………」
キョウヤの中に希望の光が現れた。
マリアの覚悟が足りていなかったということは、マリアは修行の旅に行くとか言い出して、キョウヤの元から離れていくのではないか。
そうなれば、マリアに付きまとわれることもなくなる。
キョウヤはサクラに封印の解除方法を教えてもらって、アリシアからも自由になれる。全てが順調に行く感じがしていた。だが、現実はそう甘くなかった。
マリアがにっこりと笑みを見せながら、キョウヤのもう片方の腕にしがみついた。
「はい、キョウヤ様にさらに惚れてしまいました。私もキョウヤ様のためならば、この身も心も捧げましょう」
「……………………………………………………………………………………」
キョウヤは絶句した。ただでさえ、アリシアに受けた封印の解除方法を探すことで大変なのに、サクラとマリアにまで付きまとわれてしまった。これから先、どうすればいいのだろうか。
何か理由をつけて同行を拒否したかった。
キョウヤは脳をフル回転させて考えた。ふと、左手首にあるブレスレットが視界に入る。妙案が閃いた。
「これだ!」
「ん? どうかされましたか?」
「マリアの同行を認めてもいい」
「本当ですか! 嬉しいです」
「ただし、このブレスレットを解除することができたらな」
キョウヤは左手首にある金色のブレスレットをマリアに見せた。
マリアはブレスレットに施された結晶を見つめる。
「綺麗な結晶ですね。よくわかりませんが、霊的な力を感じます」
「これは、俺の自由を縛る封印だ。とある巫女にこれをつけられて、困っているんだ。もし、解除できたら、マリアの同行を認めてもいい」
「同行を認められる。キョウヤ様と一つ屋根の下で一晩を過ごす。子どもを授かる。結婚する…………」
マリアがぐっと拳を握った。
「はい、同行できるなら、どんな封印でも解除してみせましょうっ!」
「おい、心の声が漏れていたぞ。認めたのは同行だけだ」
「心の声? 何のことでしょう?」
「まぁいいか。解除できるものなら解除してみろ」
封印のブレスレットがそう簡単に解除できるものでないことは知っている。魔女でさえも解除することはできず、力技でも解除することはできなかったのだ。
マリアが解除できるとは思えない。もし、解除できたら、笑って別れるだけだ。どのような結果になっても、キョウヤにとって嬉しい結果にしかならない。
マリアはふふふ、と笑った。
「キョウヤ様、私を誰だと思っているのですか? 女神の恩恵を賜りし神官ですよ。封印の解除など朝飯前のことです」
「マジかっ! じゃあ、早速、頼むわ」
「はい。でも、まだ少し心の準備ができていないので、目を閉じて待っていていただけませんか?」
「心の準備? わかった。目を閉じればいいんだな」
なぜ、目を閉じる必要があるかわからないが、キョウヤはマリアの言う通りにした。心の準備とは女神の恩恵を使う準備のことを指しているのだろうか。これからマリアはどんな方法で封印を解除するのだろうか。
目を閉じたことで、様々な疑問が脳裏に浮かんでくる。
「キョウヤ様、準備ができました」
マリアの声が少し震えていた。少し息遣いも荒い気がする。
「とても集中力を必要とするので、決して、目を開けないでくださいね」
「ああ、わかった。俺の方はいつでもいいから、準備ができたら始めてくれ」
「…………はい。私の方も早く始めないと、胸が苦しくて辛いので、行きますね…………」
キョウヤの真正面からマリアが寄りかかってきた。マリアの手がキョウヤの肩に置かれる。
マリアが何をしようとしているか気になるが、キョウヤが目を開けることで封印の解除が失敗してしまうかもしれない。目をきつく閉じて、封印が解除される瞬間を待った。
「――ストップ!」
サクラが大声を出した。キョウヤは目を開いた。
マリアが背中からサクラに抱きしめられていた。マリアは暴れているが、鬼の怪力を持つサクラの拘束は解けない。
「神聖な儀式を邪魔して、何のつもりですか!」
「それはこっちの台詞。マスターに一体、何をするつもりだったの?」
「そ、それは………………」
何を想像したのか、マリアの顔が真っ赤に染まっていく。
「…………キョウヤ様とベーゼを…………」
「べーぜ?」
「つまり、キスを………………」
「き、キス? はぁ、そんなことだろうと思った」
サクラは拘束を解き、マリアを解放した。
キョウヤは肩を落とした。
「なんだ、封印の解除は嘘だったのか…………」
「嘘ではありません」
マリアが反論してきた。
「試そうとしていた方法はただのキスではなりません。口という道を介した力の受け渡しです。つまり、キョウヤ様にかけられた封印を私に移そうとしたんです」
「だったら、別に唇同士をくっつける必要はないんじゃないか?」
「必要です。力の受け渡しは直接体内に繋がっている口同士でやるのが最も効率がよく、成功する確率も高いんです。ただ、力の受け渡しは可能でも、封印の移動ができるかは怪しいですけどね。封印とはその者の魂にまで術が及んでいることがありますから」
「じゃあ、無理か」
「あきらめないでください。やってみないと結果はわかりません。さぁ、キョウヤ様、私と熱いベーゼを…………あっ、また、邪魔をするのですか?」
「マスターが困っている。次やったら、斬るよ」
「ううっ…………鬼、厄介な存在とは聞いていましたが、ここまでとは…………これでは、あきらめるしかなさそうですね…………」
マリアはまたもやサクラに身動きを封じられていた。
簡単に解けるような封印であれば、こんなに苦労はしない。
「そういえば、サクラは封印の解除方法を知っているんだよな」
「うん、知ってるよ。犠牲が出るから、それをやるかはマスター次第だけどね」
「ん? どういうことだ? まぁいい。とにかくその方法を教えてくれ。俺はどんな犠牲を払ってでもこの封印を解除して自由になりたいんだ!」
「マスターがそう言うなら」
サクラが胸に手を当てて、キョウヤの目をまっすぐ見た。
「封印の解除方法は…………封印をかけた人が――」
「――あっ、いた!」
突如、発せられた大声がサクラの言葉を遮った。
巫女服を着たアリシアが仁王立ちで膨れ面をしていた。
「もう、私がどれだけ探したと思っているのよ!」
「ア、アリシア? どうして、ここに? そもそも、アリシアが追い出しんじゃないか?」
「それはそうだけど…………帰ってこないと心配するでしょ」
キョウヤは胸を押さえた。
アリシアが見せた一瞬の表情がキョウヤの心を苦しめた。完全なる不意打ちだった。これが、ツンデレという攻撃なのか。
マリアがじーっとアリシアを観察していた。
「そのブレスレット、キョウヤ様とお揃いですね。もしかして、キョウヤ様の彼女なのですか?」
「わ、私がキョウヤの彼女?」
アリシアが明らかに動揺していた。
「いやいや、そんなわけないでしょっ! 絶対、ありえないわ!」
アリシアが放った言葉の矢がキョウヤの心にグサグサと刺さった。
「な、何よ! あなたにキョウヤのことは関係ないでしょ。そもそも、なぜ、キョウヤに様付け?」
アリシアがキョウヤのことを睨んでくる。
キョウヤが返答に困っていると、マリアがアリシアの右手を握った。その手首にはキョウヤと同じブレスレットがあった。
「アリシアさん、どうかお願いです」
アリシアはいきなりマリアに手を握られ、顔がひきつっていた。
「ええ…………」
「どうか、そのブレスレットを私にください!」
マリアが頭を下げて、アリシアにお願いをしていた。
「キョウヤ様とお揃いのアクセサリー。まるで恋人じゃないですか? お金でも権力でも地位でも力でも好きなものを言ってください。だから、お願いします」
「い、や、よ! どうして、私がブレスレットを譲らなければならないのよ。これは大切なものなの。キョウヤから返して欲しいのは私の方だわ」
「そうですか…………仕方ありませんね」
マリアが銃を取り出した。
「――愛の虜になってください」
「待て、マリア…………」
キョウヤの止める声も虚しく、バンっと銃声が鳴り響いた。
マリアはキョウヤの方を向いた。
「安心してください。実弾ではないので、痛みはありません。私の愛を受け入れて、少しの間、魅了されるだけです」
マリアは手のひらをアリシアに向けた。
「さぁ、そのブレスレットを渡してください。あなたがキョウヤ様の言っていた巫女――封印を施した本人なら、できるはずです」
アリシアは心臓を押さえて、一歩、二歩と後退する。
「そんなの…………嫌って言っているでしょ!」
「えっ! そんなバカなことが。私の愛は同性にも有効です。たとえ、相手が鬼でも魔女でも神官であっても………………」
マリアがうーんと唸り、視線をサクラに向ける。
見つめられたサクラは戸惑いの色を見せる。
「えっ? 何? 私の顔に何かついてる?」
「いえ、他に適任者がいなかったので」
「ん?」
はてなマークを浮かべるサクラをよそに、マリアは銃口をサクラに向け、一瞬のためらいもなく引き金を引いた。
サクラの額で桃色の魔導弾が弾けた。
突然の攻撃に怒って反撃してくるサクラだと思いきや、行動はその逆だった。
「ま、マリア様…………なんて、可憐で美しい。それは、まるで穢れなき純白の花」
サクラがワルツを踊るように軽快なステップを踏む。瞳を閉じて、鼓動の音を感じるように両手を胸に当てる。
サクラが別人のようだった。その姿は恋する乙女だった。
キョウヤはさすがに心配になった。
「サクラ…………大丈夫か?」
「ああ、マリア様……どうして、こんなにも愛おしいの?」
サクラにキョウヤの声など聞こえていないようだった。
サクラは自分の世界に浸っていた。
「愛しの、マリア…………さま………………………………」
マリアに伸ばされたサクラの手が途中で止まった。止まったのは手だけでなかった。曲が中断されたかのように、サクラの動きがピタッと止まっていた。
マリアに伸ばされていた手が徐々に下がっていく。その手は腰に刀の柄を握った。
「――斬る!」
金属が衝突する音と伴に激しい火花が散った。
「そんなに怒らなくてもいいではないですか?」
マリアは銃身でサクラの刀を受け止めていた。
「ちょっと、実験をしてみただけです」
「鬼の心を弄ぶなんて許せないっ!」
サクラの刀がマリアの銃身を押し倒す。このままでは、本当にサクラがマリアを斬りかねない。
キョウヤはサクラの肩に手を置いた。
「まぁ、落ち着けって。どこか傷ついたわけでもないし、許してやれよ」
「私の心が傷ついた。マスターの前であんな恥ずかしい姿を…………」
刀が地面に落ち、乾いた音を響かせる。
サクラが先程の自分が何をしていたのかを思い出したのか、恥ずかしがる顔を両手で隠し、その場に座り込んだ。
マリアは反省することもなく、サクラの状況をただ観察していた。
「やはり…………私の恩恵が消えているわけではないようですね」
マリアはアリシアの方を向いた。
「では、なぜ、私の愛が効かないのですか? 私の恩恵を無効化するとは、一体、どのような力を」
「ご自慢の恩恵とやらが効かなくて、残念だったわね。こんなところで遊んでいる暇はないの。私達はこれくらいで失礼するわ。行くわよ、キョウヤ」
「そういうことだから、じゃあな」
キョウヤはマリアに別れを告げて、アリシアの元へ向かう。
キョウヤにこの場を離れる口実ができた。これで、マリアにつきまとわれることはないだろう。
「キョウヤ様、待ってください!」
マリアがキョウヤの手を引いた。
「一つだけ、お願いがあります。どうか、聞いていただけませんか?」
「お願い?」
「はい。ご存知かもしれませんが、近頃、魔獣の活動が活発になっています。魔獣の被害者は十数人に及んでいます。これ以上、被害を拡大させないためにも、どうか、協力していただけませんか?」
「でも、どうして、俺なんだ? 魔獣退治なら他の者でもいいだろう。そこのサクラに手伝ってもらえばいい」
サクラが使う鬼の力があれば、魔獣など敵ではないだろう。
先を行っていたアリシアが催促してきた。
「キョウヤ、早く行くわよ! 魔獣なんて放っておきなさい。どうせ、魔獣退治専門の冒険者がなんとかしてくれるわ」
アリシアは魔獣討伐に協力するつもりはないらしい。キョウヤとしても魔獣討伐に協力するつもりはなかった。
「そういうことだから」
マリアがこれであきらめてくれると思ったが、ダメだった。
「《混沌》の影響か、魔獣は強力になっています。それに加えて、邪神の力を持つデーモンが出現したとの噂も聞きます。何かに引き寄せられるように、魔獣が集まってきています。このまま放置していれば、この街はおろか、周辺の街にも被害が出ます」
マリアがキョウヤの手を両手で力強く掴んだ。
「鬼を従えるということは、それだけの力を持っているということ。その力が必要です。どうかお願いします。私と一緒に魔獣討伐に来てください」
マリアは頭を深々と下げた。キョウヤはマリアの肩に手を置いた。
「悪いな。さっきも言ったけど、協力はできない。正直に言って、この街の人間が魔獣に襲われようが、俺には関係ない。封印を解除するためならば何でもするが、それ以外のことには興味ない」
「そ、そんな…………」
マリアは掴んでいたキョウヤの手を放した。あきらめてくれたようだ。
アリシアはマリアを見て、大きな溜息をついた。
「しょうがないわね。そういうことなら、協力してあげる」
「えっ? 今、何と?」
マリアが聞き返すと、アリシアがそっぽを向いて応える。
「だから、協力してあげるって言ったのよ。街が壊されたら、私達が泊まる宿がなくなるから。ただ、それだけよ」
「ありがとうございます」
ぱあっと顔を明るくさせたマリアはアリシアの手を握り、上下にブンブンと振っていた。アリシアは照れくさそうに頬を指で掻いていた。
アリシアが魔獣討伐に行くと言った以上、キョウヤも参加することになる。アリシアとマリアだけで魔獣退治に行かせるわけにはいかない。どんな危険があるかわかったものではないからだ。
でも、どういう風の吹き回しだろう。先程まで、魔獣討伐への協力を拒否していたアリシアが急に意見を変えるとは。わがままに見えて、実は、街の人々のことを気にしていたのかもしれない。
アリシアはマリアに魔獣の詳細を訊いていた。二人の話はもうしばらくかかりそうだ。
サクラがキョウヤの隣にやってきた。
「マスター、魔獣退治に行くことになってよかったの?」
「ああ、正直どっちでもいい。アリシアが行くって言うなら、行くしかないだろう。くそっ、この封印さえ解除できれば」
「マスターはあの巫女にそのブレスレットをかけられたんだよね?」
「ああ、そうだ。このブレスレットが解除できれば、アリシアとお別れだ。この気持ともな。それで、俺を縛るものはなくなる」
「マスターは、巫女のことをどう思っているの?」
「どうって、アリシアのことは…………」
キョウヤはアリシアの顔を見た。
アリシアを見ているとホッとする。心がふんわりと温かいものに包まれ、幸せな雰囲気になる。
キョウヤは我に返り、顔を横に振った。
これは、偽物の感情だ。だから、騙されてはいけない。
「好きだけど、嫌いだ」
「複雑だね」
「それでも、俺はどんな手を使ってもこの封印を解除する。俺は本当の心を取り戻すんだ」
「封印の解除方法なんだけど………………」
「そういえば、サクラは知っているんだよな。教えてくれ。さっき、途中まで言いかけていたよな」
「うーん………………」
「どうして、黙るんだ? 今のところ、解除できる方法の手がかりはサクラが知っている方法だけだ。教えてくれ」
「知ったら、もう元には戻れなくなるかもよ」
「覚悟ならできている」
「…………じゃあ、教える。封印の解除方法は――」
サクラは感情のこもらない声で言った。
「――封印をかけた人が死ぬこと」
「え? 今、なんて」
「だから、マスターに封印をかけた巫女が死ぬこと。それが封印の解除方法」
「う、嘘だろ…………それ以外の方法を知らないのか?」
サクラは静かに顔を横に振った。




