キズツケ K視点 03
「うわ、まぶし」
「……」
部屋の全貌が明らかになる。
またコンクリートに囲まれた部屋。
背後には先程入ってきたこげ茶色の扉。
その向かいに、真っ黒な平坦な扉がある。
一部屋目と同じように黒い扉にはドアノブはない。
今自分たちがいる位置とは反対側に、簡素なパイプベットが2つ横にくっついて並んでいる。
ハイプベットから少し離れた位置に小さめの扉がある。
……トイレだろうか。
それだけだった。
扉の数が増えたこと、ベッドがあること以外は一部屋目とあまり変わらない。
多少部屋が広くなったような気はするが……。
「……まだ出られないんだな俺たち」
「……そうなるな」
鳴海が元気を失くした声で呟く。
「今何時なんだろ」
時間の感覚も曖昧だった。ここの監禁されてから一時間としばらくが経過していることはわかるが、今が朝か昼か夜かもわからない。
モニターに向き直る。
と、もう一箇所今までの部屋にはなかったモノが目に入る。
モニターの下に、穴があるのだ。
穴にはプラスチックの蓋がついている。
「なにこれ」
「なんだろうな」
「なんだっけ……えっと……」
「自販機の排出口みたいな」
「そうそうそれそれ」
押してみると、奥の方に蓋が開く仕組みだった。
だいたい縦二十センチと横三十センチくらいほど。
人間は通れそうにない。
「自販機なのかもしれない」
「え?」
「これ」
俺は『食事の注文』『衣類の注文』と書かれているボタンを指差す。
「押したら、出てくるのかも」
「なるほど」
「……何か注文してみる?」
「なんか、怖いよな、ちょっと」
「それは、な…………」
監禁された場所で出される食べ物や飲料に信頼が置けるかと言われたらそれは絶対にノーだ。
「でも俺のど渇いた……」
「俺もだ」
最初の部屋で目が覚めてから緊張続きで、正直喉はとても渇いている。
俺は『食事の注文』のボタンを押した。
メニュー画面が開かれ、いくつかの注文できる品が表示される。
飲み物は水・お茶・スポーツドリンク・ジュース類がいくつか。
どれもコンビニで見たことがあるものだ。
食べ物は……。
「食事のお約束って言って、栄養補助食品しかねーじゃん……」
スティック型のものと、ゼリー飲料型のもの。どちらも市販されているよくみたパッケージが、味のバリエーションだけ豊富にずらりと並んでいる。
「とりあえず、水かな……」
「スポーツドリンクのほうが良くないか」
「味ついてると何か不安じゃない?」
「こんな状況で水だって安心できないだろ」
「そりゃそうだけどさー……」
「……それになんか、少しでも栄養になるもの飲んだほうが良いだろ。傷あるんだし」
だいぶ口ごもって言うと、鳴海が目を丸くした。
「気にしてる?」
「大分気にしてる」
「はー」
鳴海は左袖を下げた。
「いいって。とりあえず状況は良くなってる?みたいだし。食べ物飲み物あったら死なないだろ」
良くなっているのだろうか?
事態はこのゲームを設定した人間の思い通りに進んでいるようで、ちっともいい方向に進んでいるように思えない。
「そんな暗い顔するなって。わかったよ、じゃあ俺こっちで」
鳴海がスポーツドリンクの青いパッケージの写真のついたボタンをクリックした。
数秒の間。
その後、何かが転がるような音が響いて……。
がこん。
モニター下の穴の蓋に、何かがぶつかる音が響いた。
「ホントに出てきた」
鳴海が穴に手を入れる。
「冷えてる。自販機だな」
ペットボトルの表面には結露が浮かんでいる。
触らなくても冷えているのがよく分かる。
常温で出てきたらどうしようかと思った。
「俺も同じの飲む」
「そう?」
モニターに触れる。
鳴海が押したボタンと同じ場所を押すと、ほどなくしてまたペットボトルが出てくる。
手に取る。
冷たい。
「じゃあ……」
「……飲むか」
「うん……」
度重なる緊張で喉はカラカラだ。
ペットボトルのキャップをひねる。
僅かな抵抗感の後開く感覚は、この飲料が新品であることを示していた。
鳴海はペットボトルを目線より上に持ち上げて、半透明の中身を観察している。
「うーん」
「なんか入ってる?」
「わかんねーや」
「開けられた形跡はなさそうだけど」
「そう?じゃあ安心して良いのかな」
それを聞いた鳴海も、蓋を開ける。
「……」
「合わせて飲むか」
「うん」
「せーの」
俺と鳴海は声を合わせてペットボトルに口をつける。
おかしな味は、しない。
張り付いた喉を、爽やかな味と冷たい液体が流れていく。
普通だった。
普通の、飲み慣れたスポーツドリンク。
「……はぁっ」
ごく、と喉を鳴らして鳴海がペットボトルから口を離す。
「美味しい」
「まあ、普通だよな」
「緊張しっぱなしだったから、なんか飲み物飲んでるだけでも日常って感じする」
「こんなので感じたくないけどな……」
「なんか変な感じする?」
「しない。大丈夫だと思う」
鳴海はもう二、三度ペットボトルに口をつけて、蓋を締めた。
「どうする?食べ物も頼む?」
「いや腹は……まだいいかな。食欲ない」
「そうだよなぁ。じゃああとでいっか」
ペットボトルを指で挟んでぷらぷらと揺らす鳴海が、部屋を見渡す。
「んで、どうしよう」
「次の課題まで二十四時間だったか」
「時計ないのかな……」
「画面にまたタイマー出てない?」
「出てない」
一部屋目で条件を出された時のように残り時間が表示されるかと思ったがそんな親切なことはないらしい。
「困るよなちょっと」
「二十四時間後に、一番下のボタンが押せるようになるのかもな」
俺は一番下の、暗くなっている『条件の表示』ボタンをつつく。
反応はない。
「もし、さあ」
鳴海が不安そうに口を開く。
「条件を見るのにも時間制限があったらどうしよう」
ない話ではない。
「だからって、いつまでもモニターの前に突っ立ってるわけにもいかないだろ」
「そりゃあそうだけどさ」
鳴海はモニターを色々触って他に情報はないか探っていた。
十分もしないうちに諦める。
特に新しい収穫はなかったようだ。
「気になってることがある」
「ベッド?」
「と、黒い扉と小さい扉」
「あー」
自分たちから離れた位置にある2つを順番に指差す。
「調べよっか」
二人で黒い扉の方へ歩いていく。
触ってみる。
動く気配はない。
「これ一個目の部屋の白い扉と一緒かな」
「っぽいよな」
「じゃあまた『条件』ってやつをクリアしないと開かないんだな」
確証はないけど、おそらくはそうだろう。
黒い扉は、白い扉よりも更に威圧感があった。
この扉も、開く時が来るんだろうか。
「じゃあ、向こうの方」
今度は、部屋の端。モニターとは反対側の位置の壁に歩いていく。
数秒で白い小さなドアの前に辿り着く。
「開けようか」
「さっき九条がこの部屋開けてくれたし、今度は俺が開けるよ」
「わかった」
鳴海が一歩踏み出して、小さいドアのドアノブに手をかける。
がちゃ。
簡単に扉は開いた。
「トイレだ」
「……」
「特になにも変なところ、ないよな?」
「たぶん」
扉の隙間から中身を観察する。
白い洋式便器と、床にいくつかのトイレットペーパーの替えが積み上がっている。
申し訳程度の小さな手洗い場。
それだけ。
狭い、普通の水洗トイレだ。
「とりあえずよかった……でいいんだよな」
「そりゃあ、良かっただろ」
「はー……一部屋目に閉じ込められてた場合のこと、考えたくないな」
「考えてるだろ、それ」
「だってさ、怖いもん」
「今だって密室に監禁されてることには全く変わりないけど」
「そうだけどなんか……ちょっと違うじゃん?」
「まあ……」
「今使う?」
「いや大丈夫」
鳴海はトイレのドアを閉めた。
「じゃあ最後……はベッドか」
横に目をやると少し離れた位置にパイプベッドが2つ並んでくっついている。
「動くかな」
「どうかな」
歩み寄って、パイプに触れる。
動かない。
「んん?」
「ああ……駄目だこれ、パイプの中身が地面に刺さってるやつ」
「移動はできないってことね。へーへー」
簡素なパイプベットに、クリーム色の毛布と枕が一セットずつ乗っている。
鳴海がベッドに腰掛けて、毛布を撫でる。
「奥と手前、どっちが良い?」
「決めなきゃか」
「奥側、出にくいだろ」
「確かに」
二つのベッドは隙間なくくっついていて、壁側……奥側のベッドに寝る人はベッドから降りるのが少々面倒臭そうだった。
「どっちがいいんだろうな?」
「直感でいいよ。鳴海が好きな方で」
「なんで譲ってくれんの?」
「それは」
一部屋目で、酷いことをしたから。
と言うのももうしつこすぎてなんだかはばかられる。
けれど鳴海は察したようだった。
「……ま、そんな気にしてくれちゃってるなら素直に甘えておきますかね」
「悪い」
「おーおー。九条くんは『悪い』人ですよー。でも優しいから別にいいよ」
鳴海は笑う。
危うい考え方だと思った。
「じゃあ、奥側で。俺壁が近くじゃないと落ち着かないんだよね」
「わかった」
「どうする、いつ寝る?」
「一人ずつ寝て、交代でモニターの表示確認するのもありだと思うけど」
「確かになー」
いつあのボタンが押せるようになるのかわからないのだ。
「でもさ、片方寝ぼけてるときに課題やるのってあんま良いとは思えないんだけど」
「そうだな……」
先程の課題のようにまた『身体に傷をつける』条件だったら、寝起きでは手元が狂う事もありえる。
考えたくない。
「今二人で軽く寝とくほうが良いんだろうな」
「……寝れる?」
「……寝れないと思う」
「どうしようか」
「寝る努力だけしてみる?」
「そうだな」
あ、と鳴海が思い出したように声を上げた。
「さっき衣類の注文のボタンの欄に寝巻きもあったけど、頼む?」
「いや……いい……」
俺は苦笑した。
そもそもそんなにがっつり寝るつもりはないのだ。
鳴海もただ言ってみただけだったみたいで、笑う。
「じゃー寝ますかね」
「電気どうする」
「つけたままで良いよ。消してここまで歩くのもきついし、来てからまたモニターまで暗闇の中歩くのもヤダ」
俺は頷いて同意した。
「明るくても寝れる人?」
「どうかな。今気張ってるからそれどころじゃないかも」
「それなー」
鳴海がペットボトルを枕元に投げ、靴を脱いで、ベッドに上がる。
そのまま這って奥のベッドに横になる。
「九条も、ほら」
「ああ……」
俺も靴を脱いで、大人しくベッドに横になった。
毛布をかける。
沈黙。
……。
…………。
眠気は全くやって来ない。
「寝れ……ないよなぁ」
「あたりまえだ」
「じゃあどうする?なんか食べる?」
「だから、食欲ないって」
「部屋調べてみる?」
「なにもないことわかってるのに?」
「じゃあどうしようもないじゃん。寝よ寝よ」
「……」
そういう鳴海も何度も寝返りをうち、すぐに眠れる様子ではなさそうだ。
「……あのさ」
「……ん?」
「少し話したい」
「何を?」
「状況の整理と、お互いのこと」
「……うん」
何から話せば良いんだろう。とりあえずは……。
「ここ、どこなんだろうな」
「今わかってるのは、俺たち二人がよくわからない場所に閉じ込められて、命令を聞かされてるってことだな」
「俺の名前は鳴海優希。お前は九条楓」
「……ああ」
「『120万人の中からこのゲームに選ばれた』って書いてあったから、年齢か学年かで選ばれてるんだと思う」
「16歳同士だもんな俺ら」
本当にそうなのか、俺にはわからないが。
「つってもなんで俺なんだろ」
「……」
「何の変哲もな……くはねーけど。別に特技とかあるわけでもない一般人なのに」
「親が特別とか?」
「ないない。片親だし。母さん夜の仕事してるだけ」
「……その母さんの『彼氏』にやられてんの?」
「え?」
鳴海は一瞬何を?という顔をしたがすぐに気付いたようで、苦笑しながら首を縦に振った。
「そう。よくわかったな」
「……」
身体中の、青あざのことだ。
「『彼氏』さ、合鍵持ってんだけどほぼ無職で、ウチに入り浸ってんの」
「で、俺は俺で高校定時制でさ。朝昼バイトしてんだよね」
「夜俺が学校から帰ってきて、母さんが仕事行ってて、アイツが家にいて、ってなると最悪」
『彼氏』が『アイツ』呼びに変わった。
鳴海はだんだん目の光を失っていく。
「アイツ俺の事サンドバッグかなんかだと勘違いしてんじゃねーかな……」
「最初に殴られてからもう三年くらい経つかな」
「でも顔は狙わないんだぜ。母さんにバレると困るから。やらしいよな」
へらへら、面白いことを話すみたいに笑いながらとんでもないことを言う鳴海の声を、黙って聞いていた。
「母さんと『彼氏』が別れるの嫌だから、言わないんだ?」
「……へぇ」
鳴海は感心したように目を見開いた。
「だって、三年も耐えてるんだろ。自分のためじゃなかったら、親のためしか、ないだろ」
それが本当に親のためになっているかどうかは別問題として。
「そうだよ。母さんさ、俺が四年生のときに父さん死んじゃって、超病んでたの」
「でもアイツと付き合い出してから、ずっと楽しそうだから」
「だから、俺が黙ってたら上手くいくかなって思って」
「無職のヒモを家に入り浸らせて、負担が増えるばっかりだろ」
「わかってんだけどさ、でも金銭的な負担と精神的な負担って違うじゃん」
「……」
「母さんすごい頑張ってて、俺が母さんの負担になってんだよ」
「そんな……」
「ま、そんな感じ」
「つっても、アイツほんと馬鹿みたいに殴ったり蹴ったりしてくるだけで、俺の身体自体に興味なさそうなところが救いなんだよ」
なんにも救いなんかじゃない、そんなの。
「一回さ」
「エスカレートして、タバコの火、二の腕に押し付けられて……」
鳴海が自分の左の二の腕をパーカーの上からさする。
「前の部屋で傷があるって言ったのはそれな。ソン時俺すげー泣きわめいちゃって」
「近所の人に心配かけちゃったんだよね」
「それから、ちょっとましになったっていうか」
俺は。
怒りとやるせなさと悲しみで、何も言えなかった。
「だからさっきの傷も、全然たいしたことないよ」
「ましって言ったって、そんなに酷い」
「酷くてもさあ、俺が多少我慢すれば母さんが幸せでいれるのかなーって思うとな」
「そんな犠牲の上の幸せ、母さんが嬉しいと思う?」
「わかんない」
イエスでもノーでもなかった。
「……」
「ぶっちゃけ『彼氏』と俺、どっちかしか選べない状況になったときに母さんが俺のこと選んでくれる自信ない」
「それじゃあ」
そんなの、ピエロじゃないか。
「でもさあ、俺母さんのことすごい好きでさ」
「子供を育てるって、やっぱ大変なことだと思うし」
「この年になるまでちゃんと育ててくれたことすげー感謝してんの」
「だから、バイトいっぱい入れて、お金貯めて、早く家出て、母さんが『彼氏』と幸せになってくれるように頑張ってんの」
「……」
なんと言えば良いのかわからなかった。
鳴海のやっていることを間違いだと言えなかった。
だって、それは鳴海の納得の上での行動なのだ。
だが、鳴海のやっていることが、鳴海にとって不幸を招いていることだけは、確かだった。
「鳴海さ」
「ん?」
「サンドバッグがいなくなったあとの『彼氏』が、鬱憤次にぶつけるの、どこだと思う?」
鳴海が、へらへらとした笑顔を閉じた。
「……」
「わかってるんだろ」
「…………」
「お前がお母さんを好きなのもわかるよ。でも幸せになってほしい以上に、もうその環境から逃げたいから、頑張ってんじゃないの?」
「なーんか、言い訳しても九条には全部わかっちゃうのな」
「そう、俺もうやだよ」
「バイトで着替えるときも、あざ見られないようにすげー気遣うし」
「単純に痛いし」
「逃げたいよ」
「でもそれじゃ母さんを置いてくみたいで、今度は俺が母さんを犠牲にするみたいで、情けなくて、さっきみたいな言い訳自分にしてんの」
「……」
「まぁ、さ、俺はこんな感じよ。普通じゃないけど、ありふれたあんまり幸せじゃない少年の一人って感じ」
鳴海は目を閉じる。
「でも、通信制行ってバイトしてここから脱却しようって自分で考えたわけじゃなくてさ。昔人に言われたからやってんだよね」
「誰に?」
「うーん……恥ずかしいから、ナイショ」
「……そう」
深く聞くのはやめた。もう十分深く聞きすぎた気はしたが。
「で、さ」
「九条は?どんな人生?普通の高校生に見えるけど」
「それなんだけど……」
俺は、真実を伝えるすべを持たなかった。
だって、なにもないのだ。
記憶が。
「冗談みたいな本当と、本当みたいな嘘と、どっち聞きたい?」
「はぁ~?今更嘘つかれても嫌なんですけど」
「じゃあ冗談みたいな話する」
「うん」
「俺、記憶喪失っぽくて、ここに来るまでの記憶がない」
「え……」
鳴海はぽかんとした顔をした後、絶句した。
「だから、俺は俺が誰かもわかんないし、もしかしたら犯人側の人間かもしれないし、信用しないほうがいいよ」
「ば、馬鹿!なんで今まで言わなかったんだよ!」
「いや、記憶喪失なんですって他人にいきなり言われて、こんな状況で、信じられるか?俺だってまだ信じたくない」
「自分の名前以外は覚えてないとかそういうの?」
「実は、自分の名前が本当に『九条楓』かすらよくわかってないんだ」
「マジかよ……」
鳴海はしばらくじっと俺の目を見た。
そしてはぁ、と息を吐く。
「……信じるよ」
「……信じなくていい」
「疑っても仕方ないじゃん。今そんな嘘つくメリットねーし。九条は……名前、九条でいいよな?九条は自分のこと犯人だと思うの?」
「どうかな」
なにも、わからないのだ。
状況整理をしたって、鳴海の話を聞いたって、何一つピンとこない。
頭に靄がかかったような感覚があって、時折頭痛がするだけ。
頭痛。
そういえば……。
「そういえば、一部屋目で鳴海が立ち上がった時ちょっとふらついてたけど大丈夫?」
「ん?全然平気。別に『連れてこられる時頭殴られた』とかでもなさそう。もう痛くないよ」
「そう」
「九条は?」
「俺はまだちょっと頭痛い」
「大丈夫かよ……薬……は用意して貰えそうにないし、用意してもらえたとしてもこんな場所で出される薬なんて飲みたくないよな……」
「ここに来る前の、直前の記憶ってどんな感じ?」
「どんな感じも何もなぁ……」
鳴海はちょっと言い辛そうに口ごもる。
「夜にアイツにぶん殴られて、痛くて部屋で気を失ったみたいに寝て」
「起きて、バイト行かなきゃって家出て……コンビニ行こうとしたとこまでは覚えてる」
「怪しい人と接触した記憶とかもない?」
「ないな……言われてみるとそのへんの記憶曖昧かも」
服の下が多少華奢でも、普通身長の高校生男子だ。
連れ去るのは簡単ではないはず。
一体俺たちはどうやってここに連れてこられたのだろう。
「難しい顔してんね」
「どうやって俺たちが連れ去られたのか考えてたけど、わかんなかった」
「いいよいいよ。九条さ、お前はもうちょっと、自分の記憶取り戻す方向で頑張ったほうがいいんじゃねーの?」
「って言ったって……」
記憶を取り戻す努力とは、何をすればいいのか。
鳴海が毛布を深くかぶる。
「案外眠って起きたら戻ってたりするかも?」
「そんな簡単だったらいいけどな……」
「なんにしろ睡眠はいいぜ、未来への一方通行のタイムマシンだしな」
「それ、なんかの受け売り?」
「かもしんない」
二人して笑って、俺も毛布を深くかけ直した。
「そういえばさ」
「ん?」
「カミソリってどうした?」
「一応持ってきてる」
「……良かった。置いてきたら、なんか万が一あったとき、取り返しつかないもんな」
「良かった……のかな」
「武器になるじゃん」
「俺が持ってていいの?」
「……」
「自分のこともよくわかんないような人間が、傷つける道具を持ってていいの?」
「……いいよ」
「……」
「言ったろ、俺、加害者になるの嫌なの。そんなの、あんまり持ちたくない」
「…………」
「だから、これは俺のわがまま。九条が持ってて」
「……わかった」
鳴海が言うのだ。素直に言うことを聞いた。
なんだか、頭がふわふわとしてきた。
なんだろう?
毛布に次第に自分の熱が移っていき、あたたかくなる。
頑張れば眠れそうな睡魔が、手の届きそうなところに来ていた。
「なあ九条。おかしいよな、こんな状況なのに、おれ、ちょっと眠いんだけど」
「俺も……」
「……なあ、ここに閉じ込められてんのも、全部夢だったりしないかな?」
「……」
「目が覚めたら、いつもの家で、いつもの天井で、鈍い痛みに耐えながらバイト行く生活に、戻ってないかな……」
「……それは」
それはそれで、地獄のような日々だ、と思いながら俺は意識を手放そうとしていた。
もしかすると……。
やはり、飲み物の中になにか混入していたのかもしれない……。
「……九条」
「……なに、鳴海」
「おやすみ……」
「……おやすみ」
そこで、視界は完全に黒に染まった。